知らせを感じた。
そうとしか表しようがない。
ともかく、その感覚は超自然的なものであった。
「はッ、はっ……」
第六感に誘われるようにして森の中へわけ入ってみれば、そこにはボテボテなお腹のマスカーニャがいた。
それも、ひとりぼっちで。
彼女は辛うじて酸素を交換しているだけと言ってもいい弱り様で、テープを切るような断続的な呼吸が白い息となって空間へ溶け込み、消える。
既に夕暮れに差し掛かり不気味な様相を呈している深い森の中へ、その有様は病的な雰囲気を塗り広げた。
「ッ!」
唯一の手持ちのコラッタが焦った表情でこちらに語りかける。
彼が人語を喋って僕に意志を伝えているわけでは無いが、早くなにかをしないといけないという思考回路の共有は成功していた。
目の前の大木の下にへたりこむ彼女はこちらに気がついている様子だったが、反応する気力もないようだ。
僕は自分の行動を迷った。
冷え込んだ森の香りの中に、彼女の生命を削り出したような吐息が無慈悲に散ってゆく。
そしてその色は薄くなりつつあった。
ここで僕が何もしなければ、彼女は厳格な自然の掟に飲み込まれてしまうことだろう。
「だ、大丈夫…?」
大丈夫なわけがなく、伏し目がちにこちらを見上げた彼女は泣く寸前の子供のような表情をしていた。
目の下の大きなクマが痛々しい憐憫を誘い、鼻には乾いた血の跡が見える。
助骨が浮き出るほど痩せているのに、お腹だけは異様に膨らんでいて、一目で妊娠していることが分かる。
野良かつ最終進化で身重なのに、線の細い体付きで儚げな彼女は、どこか子供っぽい雰囲気も併せ持っている。
その姿は知らない世界に揉まれてしまった世間知らずの少女のようでもあり、とかく危うい嫋やかさを感じさせた。
要するに、彼女の姿は見る者に不健康かつ不健全な雰囲気を察知させるのだ。
…不意に弱気な瞳が歪み、一筋の涙が溢れる。
すると、己の中に生じた疑問の言語化が整理されてゆくような気がした。
おかしい。
自分の人生を生きることができている生き物の感じがしないというべきか。
「にゃあぁっ……!!」
彼女は立ち上がれぬまま己を掻き抱いた。
か細い悲鳴とともに、怯えた表情で、必死にお腹を守るように。
細い首に浮かび上がった喉仏がごくりと動き、緊張した様子が見て取れる。
…違法な繁殖業者から逃げてきたのだろうか。
なんであれ、助けなければならない。
完全に野生の個体であるならば、その命は自然に任せるのが正解である。
しかし彼女はおそらく違う。
金蔓として扱われ続け、ようやく行動できたと思ったら、その身の上に殺されようとしているのだから。
急いで10歳には大きすぎる旅用の背嚢を地面に下ろし、チャックを開いてすぐのところ、衣類の袋の上に載せてあるオボンの実を取り出す。
それを片手に持ち、自分が今何をしているかを彼女が把握できるようにゆっくりと歩み寄る。
彼女の瞳が僕とコラッタとの間を高速で行き来し、木に阻まれた背後へ後退りするために爪が地面を抉り取る。
ボールは投げない。流石に妊娠中の相手に投石に等しい真似はしたくなかったし、下手に刺激してリーフカッターでも放たれてしまえば、失踪者リストの末尾に僕の名が付け加えられることになるだろう。
「ひにゃ………!」
怯えきって体を縮め、お腹を守るように自分を抱きすくめながら、震える歯をガチガチと鳴らすマスカーニャ。
開ききった瞳孔には生命への泥臭い執着が張り付いている。
「…あ、あげっ、あげるねっ!ごめんっ」
…そっと彼女の太ももの上に果実を置き、直ぐに離れる。
緊張で声が上ずってしまった。
「にゃあぁ…」
…しかし、背嚢を下ろしたためか、距離を縮めたせいか、はたまた変な声色のおかげか。
どうやら彼女はもう10歳の僕を子供だと誤認してくれたらしく、急に落ち着きを取り戻してくれた。
にゃあんだ。という風な反応を示したように見えたのだ。
彼女の疲れきった瞳の中に無理な喜色の色が浮かぶ。
僕はとりあえず飛び退いた先の木の裏で彼女を見守ってみることにした。
恐怖が無くなったからと言って彼女の深刻な健康上の危機は依然として脱せていないのだ。
コラッタもオロオロしながら僕の後ろについている。
「…………」
彼女は警戒と疑問符を顔に浮かべながらあたりを見回し、覗いている僕の顔をチラリと見ると。
震える手でオボンの実を手に取り、意を決したようにその口へ運んだ。
…がりっ
控えめな食痕が青い果実に記される音が響く。
しかし、すぐに目を震わせ始めると、それを咀嚼する暇もなく目の前の地面に戻してしまう。
「…ぉ"えっ、げえ…」
…やはり体調がかなり悪いのだろう。
あわてて飛び出し、その地面に向かって前後する背中をさする。
彼女はこちらを見ないが、最初よりは信頼し始めてくれたようで、さする程にえずきが落ち着いてゆく気がした。
もしかしたら子供が好きなのかもしれない
透明な胃液が地面に落ちきり、口の端から零れる銀糸がふつりと途切れると、代わりにまた大粒の涙がぽろぽろと溢れ始めた。
柔らかい黄緑色の被毛の下には、素人でも分かるほど高熱を纏う肉体が隠されている。
それに胃液が透明ということは、かなりの時間何も食べていないということを表す。
かなりまずい。
泣く体力さえ尽きてしまえば、本当に死んでしまう。
「このままじゃ死んじゃうよ…
ねえ、僕と一緒に病院に行こうよ。だいじょうぶだよ。ぜったい変なことはされないから…」
僕は自前の黒いダウンを彼女の肩にかけてあげながら説得を試みた。
その甲斐あってか、なんとなく僕に悪意がないことは伝わったらしく。
…あるいは新しく増えた子供を守ろうとしただけなのかもしれないが。
驚くべきことに彼女はお腹を庇いながらも立ち上がり、僕の手に引かれるように一歩一歩と歩き出してくれた。
つづきはない
突発につき後で手直し
良さそうだったらがんばります