フェイト・ラインゴッド捜索記録   作:つま先のアイドル

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フェイト・ラインゴッド捜索記録 #1

 フェイトが帰ってこないまま、一ヶ月が経った。

 エリクール二号星へ移住してきてもうずいぶんの時間が過ぎたフェイトは一か月前、里帰りのために単身地球へ向かったのだった。移動を含めて一週間の予定だった。しかし、予定の日を過ぎても連絡はひとつも届かない。何の音沙汰もないのだった。

 ネルはこの頃、恋人が置いていった通信機を見つめてぼんやりすることが多くなった。呼び出そうと思えば呼び出せる。操作はフェイトが教えてくれた。けれど、どこにも繋がらない。

 最初は寂しさを埋めるために、仕事に精を出していた。

 しかし、こんなに長い間、何の知らせもないとは思わなかった。もしかして、もうここには帰ってこないんじゃないかと不安もよぎった。しかし、フェイトの顔を思い出すたび、そんなわけがないと思うのだった。だとしたら何か事故にでも巻き込まれたのではないか。そんな不安が頭を離れない。あんなにそばにいると言ってくれたフェイトが、黙っていなくなるとは思えなかった。

 ネルは別れ際に交わしたキスの味をまだおぼえていた。毎夜、まるで昨日のことのように思い浮かぶのだ。

『寂しいよ。一緒に帰りたかったのに』

『仕方ないだろ、仕事なんだから』

 そう言って断ったのはネルの方だった。

『なるべくすぐ帰ってくるから、待ってて』

『ゆっくりしてきな』

 そう言って送り出したフェイトの笑顔が、恋しくてたまらなかった。

「フェイト……」

 ネルは膝を抱えて、静かな通信機につぶやいた。

 

 

 ある夜。仕事から帰ってくると、城の自室に意外な来客がいた。シーハーツ随一の頭脳と呼ばれる研究所の室長エレナ・フライヤ博士だ。

「エレナ博士。お久しぶりです」

 エレナ博士は、本棚の前に椅子を置いて本を読み耽っていた。

「あら、ごめんなさいね。勝手に入って、本まで読んでしまって。あなたの本棚、すごく興味深いわ」

「構いませんよ。すみません、帰りが遅くなって。用事ですか?」

 ネルはサイドボードからティーセットを取り出しながら、すっかり散らかった本棚の前に笑みを浮かべた。

「用事……っていうか、気になっててね。フェイト君のことなの」

 ネルはドキリとして、思わず熱湯を机に飛び跳ねさせてしまった。

「あら、ごめんなさい。びっくりさせる気はなかったんだけど」

「いえ、すみません」

 ネルは、みんなが噂しているフェイトの不在をエレナ博士に説明していない不手際に気づいて焦った。フェイトは現在、主にエレナ博士の研究所で働いていたのだ。

「エレナ博士、申し訳ありません。彼がずっと帰ってこないことの説明が遅れてしまいました。ただ、私にも全く見当がつかなくて……」

 ネルが目を伏せると、エレナ博士は意外にもあっけらかんと笑った。

「いいのよ。どうせまた何かに巻き込まれてるんでしょう。それよりあなた、迎えに行っちゃえば!?」

 あまりにも突然の荒唐無稽な言葉に、ネルは面食らった。む、迎えに行くとは……?

「いえ、エレナ博士。フェイトは地球に帰ってしまっていて……」

「だからぁ、迎えに行っちゃえばいいのよ。あなたが」

 エレナ博士はティーカップを寄せると、ティーパックをちゃぽちゃぽ沈ませた。

「えっ? 迎えに行くってだって──」

「だってあなた、寂しいんでしょう? 最近ずっと浮かない顔してるって噂でもちきりなのよ」

 ネルは顔が熱くなった。エレナ博士のところにまでそんな噂が流れてるとは。自分の迂闊さを呪った。

「でも、どうやって迎えに行くんですか? 宇宙の果てまで追いかけていける術があるわけでもないし……」

 ネルは自分で言った後、ハッとして目を見開いた。宇宙といえば、宇宙から来た艦船だ。バンデーン艦はこの星にある。

 エレナ博士は目を合わせると、紅茶をずるっと飲んでウインクした。

『そうそう、以前あなたたちが戦って追い払った戦艦があるでしょう?』

 エレナ博士は優雅に紅茶を飲みながら、いきなりテレパシーを使ってくる。ネルとエレナ博士だけの秘密の意思疎通のやり方だ。

『バンデーン艦ですか? でもあれは、エクスキューショナーの光によって撃ち落とされて──』

『あの落ち方なら、脱出ポッドが無事な確率は高いわ』

『脱出ポッド……ですか?』

 無言のやりとりが続く。

『緊急時の救命カプセルよ。いざという時のためにどの船にも付いてるものなの。船本体が打撃を受けても、独立して動くように作られてるわ。脱出ポッドが無事なら、一番近くのステーションまで行けるだけの余力はあるはずよ』

 ネルは目を見開いた。宇宙へ行ける活路があるというのか。

「でも、バンデーン艦は不明のままです。一体どこに落ちたのかわかりません」

 ネルが言うと、エレナ博士は首を振った。

「それくらい、探せばいいじゃない。若いんだから」

 若さで大陸中を探せというのか……。

 ネルは軽い頭痛を覚えながらも、フェイトを探せる希望が見えてくると胸の動悸が止まらなくなった。

「ひとつだけ、ヒントがあるわ」

 エレナ博士が人差し指を立てた。

「私があの時の船の落ち方を見るに、北北西の40kmから50kmってところかしら」

「えっ……クラリスの森の辺りですか?」

「たぶんね。どう? 行く気になったかしら」

 エレナ博士に穏やかに微笑みかけられると、ネルは何だかその気になりそうな気がして、手をぎゅっと組み合わせた。

「でも、仕事が……」

「そんなのいつだってできる」

「でも、陛下になんて言えば……」

「そのくらい、私から上手く言っておくわよ」

 エレナ博士は軽く笑った。そしてどこからか取り出したクッキーを食べこぼすエレナ博士に、ネルは一生頭が上がらないと思うのだった。

 

 

 ネルはその夜のうちに馬を出した。

 フェイトを探せるかもしれない。その可能性を知ってしまった以上、もうじっとしてはいられなかった。

 クラリスの森へ着いたのは、もう夜が明ける頃だった。明るくなり始めた森を、ネルは右へ左へと探した。

 もしかしたら過ぎたかもしれない。それとももっと奥かもしれない。

 きりきりと神経を研ぎ澄ませながら、あの赤い戦艦を探した。

 パキッと馬の蹄が木の枝を折った。

 目映ゆい朝陽がネルの横顔を照らして、ネルは思わず手を翳した。そして山の稜線にゆっくりと太陽が昇るのを見た。

 それは大きな赤い戦艦だった。

 ネルはハッとした。今まで山だと思っていたものが、巨大な船体だったのだ。近くで見るほど、それはあまりに大きすぎた。

「見つけた……」

 ネルは馬を降りると、船体を見上げた。

 どんなドラゴンよりも巨大な船首が、空まで届きそうな木々を倒してぽっきりと離れていた。その胴体部分には大きな穴が黒々と空いている。落ちた衝撃で、防壁の大半が剥がれていた。

 エクスキューショナーに穿たれた光の衝撃は、思ったよりもひどい惨状だった。戦艦というより、瓦礫に近かった。この船がふたたび動くとは到底思えない。これでは、脱出ポッドもとても無事だとは思えなかった。

 一周するだけで半日かかりそうな巨大な船体の周りを、ネルはよく観察しながら歩いてみる。そもそも、脱出ポッドがついているものなのかもわからなかった。エレナ博士は通常は側面を辿ればわかるものだと言っていたが、バンデーン艦はどうだろうか。

 ずいぶん時間をかけて船尾まで辿ってきた。

 もう空もすっかり明るい。

 仮に脱出ポッドを見つけたとして、機械に疎いネルがどうやってそれを動かせるだろう。

 やはり、突飛な行動だっただろうか、と思いかけた矢先だった。

 船体をなぞっていた指先が何かに触れた瞬間、フライパンに卵を落としたような音が聞こえた。

 ネルはあわてて指先を引っ込める。何の音かはわからなかった。

 だがいきなり、船体からパネルのようなものが現れたので、ネルは肝を潰した。

 パネルはいきなり、おどろおどろしい音を立てて点滅し始めた。

〈──ドヲ、……ス〉

 ネルはバンデーン艦の幽霊かと思い、短刀を抜いた。

 あまりに聞き慣れない不気味な音に、恐怖で肌がビリビリする。

 しかしパネルは容赦なく音を発し続けた。

〈シュ……──ント〉

「なんだってんだい!?」

 ネルは起こしてはならないものを起こしてしまったのかもしれない、と今さらながら後悔した。とうに山の神に喰われてしまった戦艦は、怨霊となって姿を現したのかもしれない。

 こんな巨大なものの前で、しっぽを巻いて逃げるなら今だろうか。しかし馬はいつの間にか耳を伏せ、かなり離れた場所まで後退していた。

〈シュウゥ……──パァアセント──〉

 パネルはますます地鳴りのような響きを発しながら、空気を震わせ始めた。

「チッ……」

 ネルは思わず舌打ちした。

 何かが来る。

 その予感だけがあった。

〈シ、シュウフク……ナナジュウ、ヨンパァセント──〉

 ネルは思いきりパネルを蹴り上げた。ネルの脚がパネルをすり抜けて、ゴツンと船体に当たる。

〈シ、シュウフク……ナナジュウ、サン、パァセント──〉

「は?」

 それはよく聞くと、言葉を発していた。言葉だと思うと、ねずみのうなり声に近い。

〈シュウ復、ナナジュウ、七パーセント〉

 数字が上がっていることに気づき、ネルは身構えた。

 ──何が"修復"されている?

 一体、何が?

〈修復、八十、五パーセント〉

 声が、だんだん鮮明さを増してきた。その耳障りな声に、エクスキューショナーの不協和音を思い出す。

〈修復、九十五パーセント〉

「あんた! 何を修復してるんだい!?」

 ネルは思わず叫んだ。

 急に側面がしんとした。鳥の声が上空を横切る。

 ネルは思わず後ずさった。

 何か禍々しいことが起こるような予感があった。

 パネルは碧色の光沢を放ち、小さな星の船の絵を描いた。

〈脱出ポッド、修復完了、しました〉

 船体の側面が急に動き出す。

 側面は空気の抜けるような音を立てて、小さな扉を開いた。

 

 

「奇跡、か」

 小さな扉の向こうへ乗り込むと、その宇宙船の中は人一人入れる分だけのスペースがあり、案外綺麗に保たれていた。真ん中に座席が一人分だけあり、その向こうは一面が窓になっている。

「あんた、脱出ポッドなのかい?」

 ネルが訊ねると、どこからともなく声がした。

〈あなたが乗っているのは、脱出ポッドです。私は、コンピュータです〉

「こんぴゅーた……? フェイトたちがよく使っていたヤツか」

 ネルはひとまず納得すると、一人分ある座席に座った。するといきなり背後の扉が閉まり、ベルトが腰に巻かれる。

「なっ……!? 拘束するのかい!?」

 ネルがあわてて立ち上がろうとすると、コンピュータは目の前の画面にベルトをした人間の姿を描いた。

〈突然立ち上がるのは危険です。離陸まで安全にお待ちください〉

「安全ベルトってワケか……っていうか、その不気味な声なんとかならないのかい!?」

 脱出ポッドは"修復"されたというのに、コンピュータは相変わらずおどろおどろしい声を発していた。感情も何もない声が、不協和音のように高低音となって響いている。

〈修復は完了しました。出発しますか?〉

 コンピュータはあくまで修復したと言い張るので、これが完成形の声なのだろうか。今にもまた壊れそうな声に不安になりながら、ネルはどこにいるともわからないコンピュータに向かって訊ねた。

「出発するってどこへ!? 駅とやらには行けるのかい!?」

〈ここから一番近い宇宙ステーションは、ここから0.5光年程度の距離にある、ノーブル第五空港です。惑星ローク、エクスペル、太陽系への乗り継ぎができます‬〉

 コンピュータはまるでお化け屋敷を紹介してくるかのような声でステーションを紹介してくるので、ネルは鳥肌が立った。本当にそこは宇宙ステーションなのだろうか。しかし、太陽系という言葉に安心した。フェイトの故郷である地球は太陽系であると聞いたことがある。

「とりあえずそこでいいから行ってくれ」

〈了解いたしました〉

 コンピュータが返事をすると新たな画面が立ち上がり、急に動かないこと、座席に座っていること、様々な注意事項が赤く光って書かれていた。

 これまで宇宙船に乗り込む時は勝手に身体が転送されるだけだったので、どうしていいかわからなくなる。

 とりあえず座席の肘掛けを掴むと、機体は素早く電子音を立てて揺れた。

〈捕まっていてください〉

 機体が一層揺れたかと思うと、鍵が外れるような音がして、窓の外は一気に真っ暗になった。

「え……?」

 そこは一面、星の海だった。まばたきもしない間に、もう宇宙空間に出ている。ネルは圧倒された。

〈重力ワープエンジンを作動いたします。さらなる衝撃に備えてください〉

 ふたたび機体が揺れたかと思うと、星は筋となって穏やかに流れた。

〈安定しました〉

 安全ベルトが外され、赤く光っていた注意事項のパネルが閉じた。

 脱出ポッドは凄まじい速度で宇宙を駆け抜けているらしい。ネルはむしろ身体が軽くなったような不思議な感覚をおぼえた。

「あんた、どれくらいで駅に着くんだい?」

〈現在の速度、すなわちワープ六で移動した場合、百六十八時間で到着すると推察できます〉

「百六十八時間!? そんなにかかるのかい!?」

〈問題ありません。エネルギー及び乗務員の食料に関しても、十分な量が搭載されています〉

「いや、そういう問題じゃないんだが……」

 一週間もこんな不気味な声のする小さな船に乗って宇宙を駆け抜けるというのか。我ながら無茶をしてしまったとネルは後悔した。しかし、その間もフェイトからの連絡が来ることはなかった。

「ねぇあんた……名前はないのかい?」

 ネルは座席の後ろの格納庫に収納されていた水を飲みながら、退屈しのぎにコンピュータに話しかける。

〈固有名詞は、ありません〉

「固有名詞って……たとえばクレアとか、ロザリアみたいな名前はないのかい?」

〈今のところ、ありません〉

 コンピュータは野太くもか細くも聞こえる声で答えた。

 ネルは初めて接する話し相手の体温の冷たさに、思わず面食らってしまう。不気味な声の、体温も名前もない相手が、すらすらと人間の言葉を話している。宇宙船は初めてではないのに、たった一人で体験するこの状況にどうも慣れなかった。

〈あなたは、ネルさん、ですね〉

 コンピュータがふと、自分の名前を呼んだ。

「そうだよ。私はネル・ゼルファー。シーハーツの隠密さ」

 名前を名乗ると、なんだか急に空気が熱を持った気がして、顔を上げる。

〈よかったら、私に、名前をつけてください〉

「え……?」

〈あなたが望むなら、何でも〉

 ネルは意外に思った。コンピュータがこちらの居心地の悪さをさとっているみたいだ。

「じゃあ……アストールって、呼んでもいいかい? 私の部下の名前なんだけど、あんたと声が似てる」

 アストールの『何でですかぁ!』とハの字眉下にして怒り出しそうな顔を思い浮かべながらネルが言うと、コンピュータは"アストール"と書かれた画面をキラキラと輝かせ、

〈決まりました。今日から、私はアストール〉

 と言った。無感情に思えた不協和音の声は、心なしかわずかに誇らしげだった。

 

 

「あっ……そっ、そこ……!」

〈変な声を、出さないでください〉

 星が流れる脱出ポッドの中で、ネルは思わず声を上げた。

 突然背もたれがうねり出したかと思えば、座席によるマッサージが始まったので、ネルは文字通り飛び上がった。それがまた、たまらなく気持ち良い。

 ネルは座席に寝そべりながら、リラックスタイムに入っていた。

〈それで、フェイトさんとはその後どうなったんですか?〉

 アストールは一答えたら二訊いてくるので思わず話し込んでしまう。そういうところは部下と変わらなくて、ネルは思わず笑みをこぼしてしまった。

「その後、フェイトは二時間も待ち合わせに遅れてきて、髪に雪を積もらせながら必死な顔で腕いっぱいのプレゼントを運んできて、『選びきれなくて!』って頭を下げてきてさ。あんな真冬にアーリグリフまで行っていたらしいんだよ。信じられるかい?」

〈フェイトさんは、ネルさんの喜ぶ顔を見たかったのだと思われます。プレゼントの数だけ、いえそれ以上に、フェイトさんのネルさんへの想いがあると推察されます〉

 一人きりの長旅の寂しさを埋めるためにと始めた身の上話が、いつのまにか止まらなくなってしまった。気づけばもうフェイトとの馴れ初めから痴話喧嘩の話から何もかも話してしまっている。

 こんなことでいいのだろうか、と思いながら、ネルは肩甲骨をぐりぐり押してくる座席に身を預けて吐息を漏らした。

〈それで、フェイトさんと再会の抱擁はしたのですか?〉

「するわけないだろ! フェイトは二時間分も震えて帰ってきて、温めてやるために施力を使い果たしたよ……」

 ネルはMP切れのクリスマスを回想する。その後結局ふたりして風邪を引いて家に引き篭もり、シャールの精霊祭の祭祀を飛ばすところだったのだ。今思い出しても冷や汗が出る。

〈風邪のうつし合いは非常に高い親愛の証拠にもなることがあります〉

「なるわけないだろ!」

 おどろおどろしい声に気持ちの悪い言われて鳥肌が立つ。でも姿がないのでどこを睨んでいいのかわからない。

〈すみません、ふざけてしまいました。風邪の感染は非常に重篤な感染症を引き起こすこともあり──〉

「わかったってば。次はあんなに無理させないから……」

 そう言って、ふと今フェイトの行方がわからないことを思い出し、ふと通信機を取り出す。相変わらず何のランプもつかない通信機を見つめて、胸がギュッと締めつけられた。

〈フェイトさんを、思い出しましたか?〉

「ああ。どうしてるのかなと思ってさ……元気にしてると、いいんだけど」

 ネルは通信機を握りしめ、懐に仕舞った。どうも固い感触が未だに慣れない。フェイトの肌に触れる時のなめらかな感触を思い出し、ふいに恋しくなった。

〈フェイト・ラインゴッドの記録は、宇宙歴七七二年、セクターα未開惑星エリクール二号星を最後に途切れています〉

 壊れていたアストールには、バンデーン艦が撃ち落とされた時を最後にフェイトの記録は途絶えている。

「すまないね……アストール」

〈こちらこそ、オンボロで申し訳ありません〉

 コンピュータであるアストールが謝るのが面白くて、ネルはくすりと笑った。

「あんたも大変だね。エクスキューショナーの攻撃は痛かっただろう?」

〈私に、痛覚はありませんので心配には及びません〉

 ネルはまた少し笑いながら、背伸びをした。マッサージのおかげでずいぶん身体がほぐれている。気持ちの良い血の巡りを肩や背中に感じられた。

「フフ。あんたとのおしゃべりも悪くないね。機械とこんなに喋ったのは生まれて初めてで、本当に不思議な気持ちだよ」

〈私のほうこそ、こんなに会話、をしてくださったヒューマノイドタイプは初めてで、嬉しいです〉

「ヒューマノイドタイプって……私のことかい?」

〈はい。あなたはヒューマノイドタイプの、エリクール人です〉

 身も蓋もない言い方に、ネルはむしろ面白くなる。故郷にいるとまず言われることのない呼ばれ方だ。

「アストール、しばらく寝るよ。何かあったら起こしてくれるかい?」

〈了解しました〉

 脱出ポッドの中に灯っていた明かりが消えて、星が流れる光だけになる。

 ネルはゆっくりと瞼を下ろした。

 

 

 アストールと何日も身の上話をして、気がつけばもうずいぶんの距離を飛び抜けてきたらしい。

 裸でシャワー室から出て、

〈そんな格好で歩かないでください〉

 と注意されながら着替えていると、電子音が鳴った。

〈まもなく、ノーブル第五空港航空圏内です。ワープコアを解除、いたします〉

 アストールが不気味な声で案内した。

「もう着くのかい!?」

 濡れた髪で自動ドライヤーの風に吹かれていたネルは慌てた。まだ何も準備できていない。

〈はい。到着時刻は、六分後です〉

「急すぎる!」

 右も左もわからない宇宙に出て、まだ見ぬ"宇宙ステーション"とやらが何なのかもほとんどわからないまま、いよいよ異世界の住人のいる場所へ行こうと言うのだ。

 さすがに緊張して気が焦る。

「待って、アストール! 私は一体どうしたらいいんだい!?」

〈宇宙ステーションへ到着し次第、太陽系へ向かうには、ノーブル第五空港第三階層E-3の第二エクスポートからの乗り換えが便利です〉

「……そんなこと私にわかるわけないだろう!?」

 ネルは焦りのように座席をつかんで、どこにいるともわからないアストールにすがりついた。

「……あんたは一緒に来てくれないのかい?」

 ネルは、窓の星を上目で見た。こんな宇宙の真ん中で、何も持たない自分に何ができるだろうか。とっさに飛び出してきたことが、今さらのように不安に押しつぶされそうになる。

〈ESCボタンとControlボタンを同時に押せば、私は取り外し可能です〉

「何ボタンだって!?」

 ネルが叫ぶと、アストールはパネルのキーをふたつ光らせた。

 ネルがそこを押すと、カチンと音がして、目の前のパネルの一部から小さな碧色の板が出てきた。

「……そこにいたのかい、あんた」

 ネルは撫でるようにパネルを持ち上げると、

〈ずっと、ここにいて、あなたを見ていました〉

 アストールが不気味な声で返事をした。

 ふいに船内に衝撃が走り、脱出ポッドは巨大な光の塔へと機体を滑らせていった。

 ついに、宇宙ステーションへ到着したのだ。

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