宇宙ステーションの発着場へ降り立つと、ネルはハッと息を呑んだ。
頭上に広がっている満天の星の大海が目の前に迫ってこぼれ落ちそうなほど輝いている。いつか星の船でフェイトが見せてくれたプラネタリウムの星空のようだった。もしかしたらそれよりも迫力がある。
その星空に突き刺すように白いステーションの塔が聳えている。塔は自発的に光りながら、絶えずくるくると機体を吐き出していた。
スッと音がして後ろを振り向くと、たった今乗ってきた脱出ポッドが板のような機械に動かされ回収されていく。ネルは思わず手の中のアストールを見た。もう決して戻れないのだ。
〈まずロビーに行きましょう〉
アストールはその小さなパネルに地図を描いた。ネルは矢印のさし示す方向へ歩き出す。
塔の中に入ると、見たこともない数の人ごみが絶えず行き交っていた。背中に羽根の生えた人や魚人、目が多い人や耳の長い人などが四方八方から現れては通り過ぎていく。その高い吹き抜けには、『ノーブル第五空港へようこそ』という案内がこだましている。
「目の眩むようなところだね……」
ネルは人酔いしそうな眩暈を堪えて、アストールの矢印の方向へ突き進んだ。
〈太陽系行きは現在、輸送艦ホライズンが発着予定です。転送室へ行きましょう〉
「あぁ、あの瞬間移動する機械かい」
星の旅で数え切れないほど体験したが、転送される瞬間の風邪が吹き抜けるようなあの不思議な感覚には慣れることはない。
〈正確には、任意の場所における物質の分解と再構成ですが〉
「わかったから、案内しな」
矢印は人ごみの向こうの、ひと際出入りの激しい部屋をさし示した。ガラス張りの部屋に入ると、数十という転送装置がずらりと並び、規則正しくたくさんの人が消えたり、現れたりしている。
「ようこそ、こちらはノーブル第五空港中央転送室です。どちらへの転送をご希望ですか?」
制服を着た感じの良い笑みを浮かべた女性が、立ち往生しているネルに話しかけてきた。
「あ、えっと……」
どこに行きたいのかもわからない。そんなネルを見かねて、アストールがヒソヒソと助け舟を出した。
〈第三階層Eデッキです〉
「第三階層のEデッキに連れて行ってくれるかい?」
係員の女性は笑顔で頷いて、目の前の転送装置をさし示した。
「こちらへどうぞ」
転送装置の中央へ立つと、風が吹き抜けるような感覚がしてすぐに転送が始まった。
複雑怪奇なダンジョンのようなステーションも、転送装置があれば一発で目的の場所へ行ける。
そこは、ロビーよりも人通りが落ち着いた場所だった。歩いている人も多いが、椅子に腰かけて通信機を見つめたり、飲み物を飲んだりしているような人が多い。船の発着を待っている人たちだろう。
〈こっちです〉
アストールは光って、矢印を左に示した。
矢印について行くと、そちらも同じように人々が座ったり、立ち話をしたりして過ごしている。
傍らには売店や映像モニターもあった。モニターには、見知らぬ惑星の観光案内が穏やかに流れている。
〈輸送艦ホライズンの搭乗開始まで、あと三十分です〉
手の中のアストールが、コップのような形の絵を描いた。
〈ネルさんの緊張レベルが、4を計測しました。温かい飲み物を飲んで休憩を取りましょう〉
ネルは目を丸くした。
「あんた、そんなことまで気にしてくれるのかい? 気が利くじゃないか」
〈それほどでも。飲み物は売店のレプリケーターで、生成できます〉
ネルは売店に入ることにした。そこでは幾つもの筒型の機械──レプリケーターが並び、脇の棚には世界中の様々な食べ物や日用品が並んでいた。
〈フードレプリケーターは右です〉
アストールは親切にも、レプリケーターにまで案内してくれる。ネルは星の旅で培ったレプリケーター操作方法を思い出しながら、パネルにおずおずと触れた。
星の旅では、幾度となくレプリケーターを操作する機会があったが、オムライスを出そうとしてトイレットペーパーを出したり、体力活性剤を出そうとしてみぎまがりの剣を出してフェイトに笑われるなど、苦い経験がある。
今度は失敗するわけにはいかない。
ネルはホットココアを飲もうと、意を決してボタンを押した。火鍋が出てきた。
〈同じ飲み物に分類されるので、近いですね〉
項垂れるネルに、アストールが慰めのようなフォローを入れる。
「火鍋って飲み物なのかい……?」
ネルは熱々の鍋を手にしながら、投入口にお金を支払おうとした。
「そういえば、お金ってどうすればいいんだい? 私の財布にはエリクールのお金しか入っていないんだけど」
〈通貨は全宇宙共通で、フォルです〉
「いけんのかい……」
ネルは支払いを済ませて、待合室に座った。舌が痺れるような熱々の火鍋を侘びしく啜る。火を吹くように暑くて汗が出る。
「あっつ……! リラックスするどころか、これじゃ口が壊れる一方だよ……」
〈ドンマイ、です〉
アストールは火を噴いたネルの似顔絵を描いて、宙から出てきた手が頭を撫でるような画面を見せてきた。くだらなくて肩の力が抜けてしまう。
「フェイトを迎えに行くつもりが、とんだ珍道中だね」
ネルは皮肉な笑みを浮かべようとして、ひりひりする口を不器用に歪めた。
三十分後、輸送艦ホライズンの搭乗が開始された。
太陽系へ向かうとあって、多くの人が搭乗口に並んだ。ネルもアストールを握りしめ、そろそろとその行列に並ぶ。
「太陽系国際中央ステーション行き、輸送艦ホライズンへの搭乗はこちらです」
案内係が乗客を船内に誘導している。
少しずつ進む列の流れに身を任せながら、ネルはアストールに話しかけた。
「これに乗れば、フェイトがいるはずの地球へ行けるのかい?」
〈この輸送艦は地球までは行きません。その手前の巨大都市タイタンで停船し、そこから乗り継ぎます〉
「へぇ……ここからまた一週間かかるなんてことはないだろうね?」
〈輸送艦は小型の脱出ポッドとは違い、強力な重力ワープエンジンを持っているので、大丈夫ですよ〉
「そう、よかった」
アストールと話しながら列を進む。
すると搭乗口に差しかかるハッチのところで、一人の制服の男がこちらを見ていた。
男の視線に気づき、ネルは警戒した。
おそらく係員だろう、強面の四十がらみの男だった。金髪で眉が濃く、鋭い眼光をしている。
その視線は、ジロジロとネルの頭の先から足の先まで、舐めるように感じられた。
よくある好奇の目か、それとも未開惑星の住人だとバレたのか。
あるいは──
ネルは男から目を離さなかった。人目が多い今、ここで戦うのはまずい。ひとまず列を外れるのが得策か。Eデッキの出入口まで三十メートル。人ごみを計算しても五秒で行けると思った。
男は不審な目のまま、明らかにネルに近づこうとしている。
今だ──と思った瞬間だった。
「素晴らしいコスプレですねぇ……」
急に男に話しかけられた。
「は? こすぷれ?」
「その腰の剣、ずいぶん趣がある」
ネルは眉根を寄せて腰に下げた短刀を見た。父ネーベルの形見、護身刀"竜穿"の柄が覗いている。いつも肌身離さず携帯している短刀だ。
男は一転、感心したように頷いた。
「レプリカですか? 本物かと思いましたよ」
男は意外に人の良さそうな笑顔を浮かべて、搭乗口の先をさし示した。
「さぁどうぞ。お乗りください」
ネルは男の前を通り過ぎた。どうやら変装だとでも思われたらしい。隠密行動中は変装と思われることが命取りになるが、どうやら今は変装と思われることが窮地を救ったようだ。
「ふぅ……助かったね」
〈ハラハラしました〉
艦内へ入ると、広々とした通路に出た。右手には星空の輝く大きな船窓が続いていて、左手には貨物室や関係者室などの部屋が並んでいる。
〈突き当たりがブリッジです。多くの人はそこで過ごします〉
「わかった」
〈到着は約三時間と推察されます〉
「意外に早いんだね」
ネルは船窓で立ち止まっている人を避けながら歩いていると、プレイルームと書かれている部屋を見つけた。
「あれ? これって……」
星の旅の時にフェイトによく連れて行ってもらっていた部屋だ。確かゲームをしたり、映像を観たり、買い物をすることもできる。
「ちょっと寄っていこうか」
ネルはこの部屋に入ることにした。
〈何か用事ですか〉
「ちょっとね」
プレイルームは広い空間ががらんとしていて、後ろで扉が閉まると水を打ったように静かだった。
正面には操作パネルがあり、ネルはそこへ向かって歩いていく。
「変装用の服は売ってないだろうかと思ってね。この格好じゃ目立つだろ?」
ネルが馴染みの黒装束の裾をつまむと、
〈変装ですか! それは楽しそうですね〉
アストールはきらりと光って、パネルにコスモスの花のついた裾の広いドレスを表示させた。
〈こんなものはどうでしょうか?〉
「お姫様かい!? 余計に目立ってどうするのさ」
アストールはしょんぼりしたように光を落として、
〈だめですか……お似合いだと思ったんですが〉
「私に似合うはずがないだろう。それに、もっと目立たない服がいい」
〈かしこまりました。私を操作パネルに近づけてください〉
ネルはアストールを置いた左手をパネルに近づくと、急にレプリケーターが開いて、いくつもの服の幻が目の前に現れた。
「ふぅ……フェイトとの旅が無ければこれにも驚くところだったよ。いきなり服が浮いて出るとはね」
ネルは冷や汗を拭く。
〈いくつかの服のサンプルをホログラムで表示させてみました。お気に召したものはありますか?〉
ネルはぐるりと周囲へ円形に広がったサンプルを見回した。古びた探偵風の潜入用衣装から、魔女のように神秘的で黒い服や、フェイトやソフィアの普段着のような地球人風のカジュアルなスタイルまで多様なサンプルがある。背中やおしりに穴の空いた服があったので、
「これはなんなんだい?」
と訊ねると、
〈それはフェザーフォルクやフォックステイルのような、羽根やしっぽのある種族のための服です〉
とアストールが教えてくれた。なるほどロジャーのようなものか、と久しぶりにネルは半人半獣のメノディクス族の少年のことを思い出した。
「そうだね。地球人に見える服がいいから……これなんかいいね」
とネルはソフィアが着ていたようなキャミソールに七分丈のパンツを合わせたラフな格好を指差した。
〈了解しました。では、パネルを操作してください〉
ネルは操作パネルに近づいて、指差した服のボタンを押した。電子音がポロロンと反応する。
〈お金を入れてください〉
ネルは懐から財布を出し、アストールに訊いた。
「幾らだい?」
〈10万フォルです〉
「はぁ!? 地球人の服ってそんなにするのかい!?」
〈……そうみたいです〉
アストールの声がいっそう不気味になったので一抹の不安を感じじろりと見たが、アストールはお構いなしに10万フォルという文字だけ表示させている。
仕方ないので、ネルは先月のボーナスを泣く泣く投入した。これでもうほとんどお金がなくなった。
〈購入、しました。着用しますか?〉
「……ああ、頼むよ」
ネルは黒装束を脱いで懐に入れた。着替える準備を整える。
すると、いきなり身体の周りが光り出してやわらかい布の感触がした。
「えっ、着替えさせてくれるのかい?」
〈着用は自動です〉
光の中で布が胸を包み、腰の辺りに美しい花を咲かせた。右脚の回りは大きなリボンに波打つような白い段のフリルが揺らめき、左脚は非対称に腰からティアードフリルが斜めに流れ落ちていた。
そのあまりに美しいドレスに、ネルは思わず見とれてしまう。それはまるで花嫁衣装のようだった。
ネルは右に左に腰を回すと、フリルが美しく波打った。
「……って、さっきのお姫様衣装じゃないか!」
〈どうです、お気に召したでしょう?〉
なぜかアストールが得意げに光るので、ネルは怒った。こんな凝ったドレスだ、道理で高額だったはずだ。
「何考えてるんだいあんた! 地球人に見える服って言っただろう!?」
〈充分、見えますよ。とても、お似合いです〉
「バカかいあんた!? 潜入用の服なのに、こんなに目立ってどうするのさ!?」
〈フェイトさんが見たら、きっと喜びます〉
いきなりフェイトの名前を出されて、言葉に詰まってしまう。ここにフェイトがいてくれたら、何て言うだろう?
「まあ……悪くはないけどさ……買い直すよ」
ネルがパネルを操作してもう一度地球人風の服の画面を出すが、今度はブーっとブザーが鳴った。
〈お金が、足りません〉
「なんだって!?」
このドレスのためにお金を使い果たしてしまった。
「返品できないのかい?」
〈本レプリケーターでは、一度登録された操作は変更できません〉
ネルはがくりと肩を落とした。まんまと嵌められた。
「……あんた、わざとだろう?」
アストールは素知らぬように鈍い碧色のパネルに戻っている。
〈本件に関しては、服を指定する際、ネルさんの指が横方向にスライドしてページが切り替わった瞬間に決定ボタンが押されたものと推察されます〉
「はぁ……? つまり私が悪いってのかい?」
〈いえ、結果オーライ、と思われます〉
「どこがだい!」
ネルは黒光りしたプレイルームの壁に自分の姿を映した。
目立つドレスに宝石があしらわれた白い襟飾り、髪には薄いベールが施された金色のティアラまで掛かっている。こんな格好で潜入する馬鹿がどこにいるというのだろう。
着替えるか。
怪しまれるかもしれないが、黒装束に戻るしかない。そう思ったが、ドレスの脱ぎ方がわからない。こういうドレスは背中にジッパーがあるものだと手を伸ばすが、縫い目だけでジッパーなど見当たらない。
「これ脱げないのかい?」
〈脱衣するには、新しい衣装を購入する必要があります〉
ネルはがっくりと肩を落とす。
〈元気、出してください〉
「うるさい」
ネルはとぼとぼとプレイルームを歩いた。
この格好でやり切るしかない。
プレイルームを出ると、廊下の通行客がいっせいにこちらを見た。
ネルは羞恥心で顔が熱くなる。通行人から顔を背けるようにして、ブリッジまで早歩きした。コツコツとヒールの音が鳴り響く。驚いて裾を持ち上げると、いつのまにか靴まで白いハイヒールに変わっていた。
ブリッジへ入ると、何人かはこちらを見たが、ほとんどはおしゃべりや手元のパネルに夢中で見られることはなかった。
ネルは比較的目立たない端っこの方のベンチに座ると、白い手袋をした自分の手を見下ろしてぎゅっと握った。
目の前の船窓では、凄まじい速さで星が流れていく。
宇宙でひとりきり。
本当に遠いところまで来てしまった。
服すら満足に買えない。お金も底を尽きてしまった。
──心細い。初めてそう思った。
星の旅では、フェイトが何でもやってくれた。食べ物を買うのも、装備を調達するのも、いつもフェイトが軽々とやってのけていたことだった。こんなに自分ひとりでできないとは、己の無力さが身に染みる。
ネルは機械というものがよくわからないのに、この世界は機械だらけだ。
フェイトなら、こんな時どうしただろう。フェイトにとっては逆に、エリクールで過ごす時間が不安だったはずだ。ずっとそばにいた身近な人たちと離れ、一生懸命シーハーツの異文化に適応しようとしてくれたフェイト。
フェイトに会いたい。ただそれだけなのに──
「あなた綺麗ねぇ」
ふいに横から話しかけられて、物思いが途切れた。
隣を見ると、身なりの良い三つ目のおばあさんがこちらを向いて微笑みかけていた。
「あぁ、どうも……」
会釈して自分の世界に戻ろうとしたが、おばあさんはさらに話しかけてきた。
「久々にこんなに綺麗な人を見たよ。結婚式でも挙げてきたのかい?」
おばあさんの呑気な問いかけに、ネルは戸惑った。結婚式どころか、その恋人は行方不明だ。どこにいるのかも、何があったのかもわからない。
おばあさんは優しい目をしていたが、おでこについた三つ目の眼光が鋭く光った。
「……あなた、何かあったね?」
ネルの沈んだ顔色をさとったのか、おばあさんは問いかけてきた。ネルはギクッとする。
「何かって、何がです」
「何かはわからないけど、何かあったのは確かだね」
一体その三つ目で何を見透かしているのか、おはをあさんは確信を持って頷く。
ネルは根負けして、ぼやくように言った。
「……恋人がどこにいるのか、わからないんです」
「はぐれちゃったのかい?」
「はぐれたっていうか……地球って星に向かったことしか、わからなくて」
ネルがうつむくと、おばあさんの手が背中に伸びてきた。
「かわいそうに。置いてかれちゃったのかい」
「いえ、戻るとは言っていました。でももう一ヶ月以上も音沙汰がなくて」
「連絡はしてみたのかい?」
「連絡……ええ、一度だけ……かけてみました。でも繋がらなくて」
おばあさんは三つの目を丸くした。
「一度だけかい。それじゃかけたうちに入らないわよぉ」
「でも……」
「でも、そうねぇ。向こうからもかかってこないんじゃあ、どっちみち何かあったのかもしれないね」
と訳知り顔で頷いている。
──何かあったのかもしれない。
他人に言われると、急に現実味を帯びてきてドキリとする。
フェイトの手を握りたい、と思った。そうしたら安心するのに。
三つ目のおばあさんはネルが黙り込むと慌てたのか、慰めるように言った。
「まぁ、決まったわけじゃないわよ。つい連絡を忘れてどこかでのんびりバカンスしてるのかもしれない。不明者リストは見てみた?」
「……不明者リスト、ですか?」
「さっきの空港にもあったでしょう? 次の空港でも、大きな情報端末があると思うから、そこで不明者リストを開いたら何かわかるかもしれないわ。あなたの旦那さんのお名前、なんて言うの?」
旦那さん、と言われてネルは戸惑った。まだ結婚したわけじゃない、それどころかプロポーズすらされていない。しかしこの格好をしておきながら説明するのも阿呆らしくなるので、
「……フェイト・ラインゴッド、です」
と名前だけ答えた。
「素敵な名前ね」
おばあさんは優しく微笑んだ。
「フェイト・ラインゴッドって名前を大きな情報端末に入れると、何か出てくるかもしれないわ」
不明者リスト。そんなものがあったとは知らなかった。
「ありがとうございます。調べてみます」
「うん、うん。負けちゃだめよ」
三つ目のおばあさんはネルの手を握って、何度も頷いた。ネルはおばあさんの手を握り返した。久々に感じる、人の体温だった。
機械だらけの宇宙の中にも、あたたかい人がいる。それは今のネルにとって何よりも救いだった。
それからネルは三つ目のおばあさんと、色んな話をした。三つ目のおばあさんはテトラジェネスといって、惑星テトラジェネシスの周囲を周回している人工衛星群のひとつの出身だということや、今は夫を亡くし、ひとりで旅をしていること、孫がフォボスという都市に住んでいるのでその道中なのだということを教えてくれた。
お金がないのだと言うと、コーヒーとクッキーまで奢ってくれた。
ネルはおばあさんの優しさに、またフェイトを思い出した。仕事終わりにいつもコーヒーを淹れてくれていたフェイト……。
「そうだ。よかったら今、彼に連絡してみない?」
三つ目のおばあさんはすっかり友達のような調子で話しかけてくる。
「今……? ま、いいですけど」
ネルは懐から通信機を取り出す。何度開いても、一度も鳴ることのない通信機。
連絡先から『フェイト』と書かれた項目をタッチして、通信を始める。
プルルル、という呼出音がするだけで、いつものように何の音沙汰もない。はずだった。
カチャ、とふいに呼出音が止んで、ネルは思わず三つ目のおばあさんと目を見合わせた。おばあさんが期待に満ちた表情で通信機を見つめている。
通信機は立体映像に切り替わり、通信相手の顔がホログラムで浮かび上がる。
そこに現れたのは、知らんジジイだった。
ネルと三つ目のおばあさんは「えっ!?」とまた顔を見合わせる。
ネルはいきなり知らんジジイが現れた衝撃で狼狽えたが、三つ目のおばあさんは、
「あなたの旦那さん、ちょっと……だいぶ年上だったのね……」
と明らかに引いている。ネルは思いきり首を振った。違う、これはフェイトじゃない。
しかしホログラムジジイは、
「ほぉお〜!」
と関係ない叫び声を上げた。
「な、なんだいあんた!?」
「これまた、えらいべっぴんさんじゃのう!」
知らんジジイはネルを見て、前のめりに顔を赤くしている。
「酔っ払ってんのかいあんた!?」
ネルはげんなりしながら、通信機に浮かび上がるジジイを見る。
「いや、ワシはしらふじゃ。若い頃から一滴も飲んどらん。酒は身体に悪いからのう。そういう研究結果も出とる」
と酒の害について語り始めようとするので、ネルは眼光を鋭くした。
「それはいいから、フェイトはどこだい!?」
「フェイト? 昔そういうゲームがあったが……お姉ちゃんああいうゲームをやるのかい」
「違っ……フェイトっていう私の恋人だよ! この電話で繋がるはずなんだが」
「そりゃ失礼した。しかし知らんのう……これはワシが渡された携帯でなぁ」
「そうかい、それはすまなかったね」
ネルはがっくりきた。ようやく繋がったと思ったら、間違い電話をしてしまった。
しょんぼりしたネルに、ホログラムジジイは眉根を寄せた。
「すまんのう……ワシが力になってやれればいいんじゃが」
ホログラムジジイに、三つ目のおばあさん。ふたりの老人が、ネルを心配そうに見守っている。
ネルはゆっくりと首を振った。
「仕方ないさ。騒がせてしまって、すまないね」
「いいんじゃよ。困った時はお互い様じゃ。お姉ちゃん、恋人を探しておるんか?」
ネルは頷いた。
「罪な男じゃのう。こんなべっぴんさんを泣かせて」
「泣いてないけど」
「ふむ。つかぬ事をきくが、その恋人と最後に通信したのはいつじゃ?」
「いつもなにも、一ヶ月以上何も連絡はないよ。やっと繋がったと思ったら、間違い電話であんたが出てきたしね」
しかしホログラムジジイは首をひねった。
「むむ……」
「どうしたんだい?」
「お姉ちゃん、『ネル』って名前か? 恋人ちゅうのは、青髪か?」
心臓が射抜かれた。
なぜそれを知っている?
ネルは一気に警戒心がせり上がった。
「だったら何だってんだい?」
「いや、お姉ちゃん、どこかで見たことがあると思ってたら……この携帯の待受画面の子じゃないかと思ってな」
「……は? どういうことだい」
「渡されたんじゃ。ワシはこの携帯を、青髪のイケメンに。よく考えたら、フェイトと名乗っていたような気もする」
「はぁぁ!?」
ネルは思わず三つ目のおばあさんと目を見合わせた。それまで黙って聞いていた三つ目のおばあさんなどは興奮してネルの肩をつかんでいる。
「その通信機、あんたのじゃなかったのかい!?」
「この携帯もな、あのイケメンから譲り受けたんじゃ」
「譲り受けた?」
「ああ。『自分が持っとると居場所が割れるから』と言ってのう。番号もそのままじゃから、お姉ちゃんから繋がったんじゃろうな。ワシは地球近傍のステーションで出会ったところを、保護してな」
ネルは思わず立ち上がった。
「フェイトは無事なのかい!?」
しかし、ホログラムジジイは首を振った。
「怪我はしとった。かなり疲れとる様子じゃったな。それから追われているようで、すぐに去っていった」
「追われている? 誰に?」
「そこまでは話してくれんかった。じゃが……連邦の制服を見て顔色を変えとったな」
ネルはストンとベンチに尻を打ちつけた。追われている……? 連邦……? 一体何が起こっているのか。フェイトは無事なのか。
「お姉ちゃん、よく聞いてくれ。あのイケメンが言っとった。この携帯に連絡が来たら、無事だと伝えてくれ、と」
「でもその直後にまたいなくなったんなら無事も何もないじゃないか!」
ネルはホログラムジジイに怒鳴りつけた。
行き場のない怒りをぶつけているようだった。
三つ目のおばあさんが背中をさすってくれて、ようやく落ち着いた。
「すまんのう……青髪のイケメンは、連絡したら駄目なんじゃと言っとった」
「なんでだい?」
「追跡されるそうじゃ」
ネルは胸がざわついて仕方なかった。フェイトは誰かに追われている。そして通信機も置いていった。想像以上のことが起きている。
フェイトは生きている。
だが、追跡を恐れて自分に連絡することもできないほど追い詰められている。
その事実に胸が締め付けられた。
でもそれ以上に、
──フェイトが生きていた。
その事実が何よりもネルをほっとさせた。
「生きてるんだね……」
ネルが息を漏らすと、ホログラムジジイは頷いた。
「ああ。ワシは思うんじゃが、大丈夫じゃ。ああいうイケメンは少々のことじゃくたばらん。こんなべっぴんさんのお嫁さんもいるしな」
ホログラムジジイは豪快に笑った。三つ目のおばあさんも、ネルの肩をさすったまま、ネルに向かって頷いている。ネルも、ふたりに向かって頷いた。フェイトの情報を手に入れた以上、ここでへこたれるわけにはいかない。少しは希望が出てきたと考える方が良さそうだ。なにしろフェイトは創造主を打ち負かした救世主だ。負けるわけない。そう信じていた。
そんなネルの胸中をさとったように、ホログラムジジイは急に笑った。
「しかし安心したわい」
「何がだい?」
「その顔じゃ……本当に好きなんじゃな」
「えっ」
ネルはどんな顔をしていたのかと、自分が恥ずかしくなる。しかしホログラムジジイはあたたかい笑みを浮かべて、思い出すように遠い目をした。
「ワシもお姉ちゃんみたいなべっぴんさんと結婚しとったんじゃが、先の混乱で亡くしてしもうてなぁ」
エクスキューショナーの戦乱のことだろうか。ネルはハッとしてホログラムジジイを見た。
「若い頃の自分を思い出したわい」
また豪快に笑った。
そしてホログラムジジイは亡くした妻の話を、三つ目のおばあさんは亡き夫の話を、そしてネルは行方不明のフェイトの話をして盛り上がった。大切な人の話は、心に光を灯す。ネルの、そして三人の大切な時間になった。
そうして輸送艦ホライズンが土星都市タイタンへ到着するとアナウンスが告げた。
ネルは三つ目のおばあさんと抱き合って別れを告げた。
「大丈夫。生きとるよ、あのイケメンは」
ホログラムジジイはまた豪快に笑った。
「そういう顔をして待ってる相手のところには、案外ちゃんと帰るもんじゃ」
「そうかい……ありがとう」
ホログラムジジイとも別れを告げて、通信機を切った。
そしてドレスを持ち上げてもう一度立ち上がる。
必ずフェイトを見つける。そう決めた。
土星都市タイタンの空港はその名の通り巨大だった。
空中に都市が浮かび、その発着場へ降り立つと、幾つもの空飛ぶ車が横切るのが見えた。ここからはやや小型の船で太陽系を回るのだという。
ネルは懐からアストールを取り出した。
「ずっと放置しててすまなかったね」
〈いえ、ずっと聞いていましたよ〉
ネルはまず、『大きな情報端末』を探すことにした。空港のロビーに入ると、多様な人種が行き交っている中にすべり込む。ドレス姿は歩きにくかったが、亜人や耳の長い人間たちに囲まれていると、ドレス姿くらいそんなに目立たず歩くことができる。
この空港もずいぶん大きく、吹き抜けの高い天井からは幾何学模様の光が漏れていた。
「アストール、情報端末はどこだい?」
〈調べてみます……えーと、ラウンジの中ですね〉
ラウンジは大きな時計台の横にあった。広々としたスペースに、観葉植物や噴水が置かれている周りに、いくつものレプリケーターや休憩スペースが並んでいる。奥の方に一際大きなプレイルームの入口があり、そこへ入ると高さ三メートルほどもあるようなパネルを持った『大きな情報端末』があった。
「『大きな情報端末』って、物理的にかい……」
しかし、操作パネル自体は通常のものと変わらず普通サイズだったのでほっとした。
「アストール、不明者リストを出してくれないかい」
〈了解しました〉
アストールが光り、操作パネルが電子音を発する。しばらく待った後、検索用の画面が立ち上がった。
〈『フェイト・ラインゴッド』と入力してください〉
「えっ、入力……?」
苦手な分野にためらいを覚えたが、アストールが順番にキーを光らせてくれたので、無事に入力することができた。フェイトみたいには速く打てないが、少しはこの文明にも慣れてきたかもしれない。
Enterキーを押すと、しばらく電子音が鳴った後、フェイトの写真が現れた。不意打ちで愛する人の顔が現れて、ネルは胸に熱いものがこみ上げる。
だがアストールは不気味な声で告げた。
〈大変です〉
「何が大変なんだい?」
〈まず補給履歴を見てください〉
写真の下には補給履歴があり、スクロールするとこの一ヶ月、何度も物資を補給した痕跡があった。
「体力活性剤、精神活性剤……蘇生薬まで」
それは数日おきに断続的に続いていたが、それも一週間前で途絶えていた。
「どういうことだい」
〈治療記録もあります〉
治療記録の欄に目を通す。フェイトは六度もの回数を、それぞれ違う医師から治療を受けていたと記録にある。
「怪我をしていたってことかい……」
ホログラムジジイの話とも繋がる。怪我をしていて、何かから逃げていたという話だ。
〈移動履歴には、いくつものステーションの移動を繰り返していたログがあります〉
「今はどこにいるんだい!?」
〈一週間前、地球近傍のステーションを最後に記録が途絶えています〉
ホログラムジジイがフェイトを保護した場所が、確か『地球近傍のステーション』だった。それが最後だったということか。
〈通信記録が秘匿保護されています〉
「秘匿保護……?」
何かただならぬ気配に寒気がする。何が起こっているというのだ。
〈解析を試みますか?〉
「できるのかい!?」
するとアストールは光った。
〈私は、バンデーン出身ですから〉
アストールが不気味に得意げな声を出した。技術大国バンデーンは機密保護されたファイアーウォールをもくぐり抜けるということか。
ネルは頷いた。
「あぁ、頼むよ」
それからしばらく電子音が鳴り響いた。膨大な文字列が画面を駆け巡る。
しばらくして、アストールの動きが止まった。
〈解析しました。未登録の発信先が一件だけありました。この発信先は、ネルさん、が持っている通信機だと思われます〉
「なんだって?」
ネルは通信機を取り出す。しかし、フェイトの通信機から電話がかかってきた記録はどこにもない。
〈この通信は、秘匿されたアプリケーションだと思われます〉
「あぷりけ……? なんだいそれは」
〈匿名で送れるメッセージツールです。ネルさんの通信機を私に繋げてください〉
「わかった」
ネルは通信機をアストールの上に置くと、アストールは激しく点滅し始めた。しばらく待った後、アストールの点滅が消える。
〈解析しました〉
「何かわかったのかい?」
〈秘匿通信を復元しました。これを見てください〉
アストールが新しい画面を立ち上げた。そこには、こう書かれていた。
『ネルへ』
その文字だけでドキリとする。それはまぎれもなく、フェイトからのメッセージだった。