俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第2章 下北沢の地下室で、闇が俺のギターを聞いていた
俺は七分遅刻した。
普通の人にとってみれば、それは「ちょっと遅れた」程度の話だろう。
だが俺にとっては、脳内で自己批判大会を即席で開催しなければならないレベルの大事件だった。
俺はAFTER TONEの前に立ち、ドアノブに手をかけたまま、なかなか押せずにいた。
頭の中で、ソレンセンが冷たく言った。
「入れ」
俺は肩をびくりと震わせた。
「い、急に話しかけないで……」
「お前はもう三分もここに立っている。ドアが勝手に恭順してくれるわけではないぞ」
「征服世界みたいな言い方でドアの話をしないでください!」
「ドアすら押せない人間が、俺の牢獄だというのか」
その声には、はっきりとした嫌悪が混じっていた。俺は反論したかったが、実際まだドアを押していない以上、反論のしようがなかった。
俺は深呼吸をして、AFTER TONEのドアを押し開けた。
「す、すみません、遅くなりました!」
声が緊張で上ずってしまった。
日和が振り返り、笑いながら手を振った。
「一音ちゃん、大丈夫大丈夫、まだ本格的に始めてないよ」
桜庭陽菜もこちらを向いた。
「一音ちゃん、おはよう!」
黒瀬澪は壁に寄りかかったまま、ベースを手に持って淡々と言った。
「今日の一音、なんか不吉なものに取り憑かれてるみたい」
俺はほぼその場で転びかけた。
なぜだ。なぜこの人は、妙なところで的を射るのか。
ソレンセンが低く呟いた。
「この個体、感知が他人より鋭いな」
俺は顔を伏せて小声で言った。
「黒瀬澪はたまに、すごく怖いことを言うだけです……」
「たまに、ではない」
「私の友達を本気で分析しないでください」
「友達、か」
ソレンセンは、何か不条理な言葉でも聞いたような口調だった。
「そんな関係が、死の前でどれだけ持つと思う?」
俺は少し黙った。
それから、小さく言った。
「……わからない」
本当のところ、俺にはわからなかった。死の前で試された経験など、これまで一度もなかったから。
ただわかっているのは、日和が俺を待ってくれること。陽菜が俺に笑いかけてくれること。澪がお金を貸してくれること。それだけで、俺にとっては十分に貴重だった。
ソレンセンはそれ以上何も言わなかった。
練習が始まった。
俺はギターを手に取った。普段なら、いつもの位置に立つだけで多少は落ち着くはずだった。だが今日は違った。頭の中に誰かがいる。それがただ聞いているだけではない。じっと観察している。
最初の音を弾いた瞬間、ソレンセンが口を開いた。
「雑だ」
俺の指がわずかに震えた。
「……」
「恐怖がリズムに影響している」
「黙って……」
「俺に黙れと命じているのか? 笑わせる。お前は自分の声すら抑えきれていないくせに」
俺は唇を噛んだ。
二回目。三回目。
弾くたびに、ソレンセンは容赦なく俺の欠点を切り裂いた。
「弱い」
「遅い」
「ここでの感情は、腐った泥のようだ」
「お前の孤独には刃がない。ただの自己憐憫だ」
俺は止めたいと思った。本当に止めたいと思った。
だが日和はドラムを叩いている。陽菜は歌っている。澪のベースが、隣で俺を静かに押し進めている。
俺は止まれなかった。少なくとも今は。
練習が終わった後、日和が俺を見て、少し心配そうに言った。
「一音ちゃん、今日なんか体調悪くない?」
俺は慌てて首を振った。
「い、いいえ! ちょっと寝不足なだけです!」
陽菜が近づいてきた。
「本当に大丈夫? 顔、すごく青いよ」
俺は半歩後ずさり、ほとんどアンプにぶつかりそうになった。
「だ、大丈夫です!」
澪が俺を見て言った。
「一音、今日の演奏、いつもより黒かった」
「黒?」
「陰気、って意味じゃないよ」
彼女は少し考えてから続けた。
「もっと……危険な感じ」
俺の胃が縮むのを感じた。
ソレンセンが脳内で小さく笑った。
「聞こえているな」
俺は澪の目を見るのが怖くて、視線を逸らした。
「ち、違います。ただ調子が悪かっただけで……」
日和が手を叩いて、空気を切り替えた。
「よしよし、今日は一旦ここまでにするか。あ、一音ちゃん、来週あたりに小さな交流ライブがあるかも」
「交流……ライブ?」
その言葉が耳に入った瞬間、俺の魂が体から抜け出しそうになった。
日和は続ける。
「いくつかの学校の軽音部がAFTER TONEに来て、互いに演奏を聞き合うやつだよ。本格的な大会じゃないから、そんなに緊張しなくていいと思う」
「そんなに緊張しなくていい」
このセリフは、だいたい「これから本気で緊張してください」という前置きとして使われる。
俺は指先が冷たくなっていくのを感じた。
「い、いくつの学校が……?」
「気泡水高校の人たちが来るみたい。あと電蚊香学園の生徒会も、会場下見に来るらしいよ」
「わ、わたしは出なくていいですか……?」
日和が微笑みながら俺を見た。
「一音ちゃんはうちのギタリストだよ?」
逃げ道が塞がれた。
ソレンセンが冷たく言った。
「恐怖か?」
俺は答えなかった。
「体を、俺に寄越せ」
また言った。
「一瞬でいい。すべてを跪かせてやる」
俺はギターを強く握った。
「いやです」
「人前に出たくないのか?」
「出たくないです」
「評価されたくないのか?」
「されたくないです」
「ならば、評価する者たちを消してしまえばいい」
俺の胸が冷たくなった。
「全部の問題を、破壊に結びつけないでください!」
「破壊は最も直接的な解決だ」
「それは解決じゃないです!」
心の中でそう叫んだ瞬間、頭の奥の黒い海が大きく波立った。ソレンセンが鎖に繋がれた王座の上で、金色の鎖がゆっくりと締まっていく。
ソレンセンは俺を見下ろし、冷たい目で言った。
「お前は、彼らを守っている」
「わたしはただ……誰かを傷つけたくないだけです」
「偽善だ」
その声は低くなった。
「お前は善良なのではない。ただ、結果を負うことを恐れているだけだ」
その言葉は、まるで刃のように突き刺さってきた。
俺は反論しようとした。でも言葉が出てこなかった。
自分が本当にそうなのか、どうしてもわからなかったから。
誰かを傷つけたくないと思っている。でも、もし傷つけてもバレず、嫌われず、罰せられなければ、自分は本当に同じことを言えるだろうか?
俺にはわからなかった。
そんな自分が嫌だった。
その日の練習が終わった後、俺は一人でAFTER TONEの隅でケーブルを片付けていた。
日和たちは前の方で交流ライブの話をしていた。知らない学校の名前や、他のバンドの話、そして動画に撮られるかもしれないという話が聞こえてきた。
動画。アップロード。ネット。知らない人たち。コメント。
俺は腰を曲げ、息が浅くなるのを感じた。
「白川一音」
暗がりの中で、ソレンセンの声が響いた。
「彼らはお前を見る」
「……」
「評価する」
「……」
「嘲笑う」
「やめて……」
「失敗を、何度も繰り返し再生する」
「やめてください!」
俺は強くオーディオケーブルを握りしめ、指の関節が白くなった。
そのとき、ソレンセンが笑った。
「だから、体を俺に寄越せ」
その瞬間、俺はもう少しで口に出してしまいそうになった。
誰かを傷つけたいからではない。ただ、あまりにも怖かったから。
人前に立たされること。視線を浴びること。失敗して失望されること。それらすべてから、自分を消してしまえたら、少しは楽になるのではないかと思った。
その考えが頭をよぎった瞬間、頭の奥の金色の鎖が強く光った。白い光が針のようにソレンセンの影に突き刺さり、ソレンセンは低く唸った。
「プニ!」
俺ははっとして我に返った。手の中のケーブルが床に落ちた。全身が震えていた。
さっき、俺はもう少しで承諾してしまいそうになった。
本当に、もう少しで。
日和の声が前から聞こえてきた。
「一音ちゃん? 大丈夫?」
俺は振り返り、泣き笑いのような顔を作った。
「だ、大丈夫です!」
でも俺はわかっていた。
大丈夫ではない。
しかも、かなりまずい状況になっている。
あの怪物は、もう俺の弱点を把握し始めていた。
どうやって俺を揺さぶればいいのかを、確実に学んでいるところだった。