俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第111章 地方から逃げてきた人、そして東京は旧貨物駅の裏口で逃亡者を受け止めた
俺の名前は藤沢直人。
猫目が玄海を接管する前、俺は十七本の鍵を持っていた。
高価な鍵ではない。
金庫を開けられる鍵でもない。
ただの倉庫の鍵だ。
漁港沿いの低温倉庫。
旧鎮守会館の裏にある資料倉庫。
夜間巡回隊が照明設備を保管していた小さな倉庫。
船の修理材料倉庫。
祭礼道具の倉庫。
それから、折り畳み机、古い電球、防湿箱くらいしか入らないような小さな倉庫がいくつか。
それらの鍵は俺の腰に下がっていて、歩くたびに小さな金属音を立てていた。
昔の俺は、その音をうるさいと思っていた。
今になってようやくわかる。
あれは、俺が一つの場所を持っていた音だった。
もちろん、それらの倉庫が俺のものだったという意味ではない。
それらは地方協会のものだった。
漁港のものだった。
玄海鎮守連合のものだった。
毎年、予算のことで揉め、誰が道具を返し忘れたのかで揉め、電球がどうしてまた壊れたのかで揉めていた人たちのものだった。
俺は、ただ帳簿を管理していた人間だ。
誰がどの倉庫を使ったのかを記録する。
どの補助金でどの照明を買ったのかを記録する。
どの船が夜間安全評価によって修理補助を受けたのかを記録する。
台風のあと、どの物資がどの倉庫から出されたのかを記録する。
とても普通だった。
とても面倒だった。
だがあの頃、鍵は俺たちの手にあった。
その後、猫目が来た。
最初、それは鍵を奪いに来たわけではなかった。
灯りを修理しに来たのだ。
玄海で最初に猫目を受け入れたのは、漁港夜間照明プロジェクトだった。
あの冬、港のそばの灯りがいくつか壊れた。
修理予算は、鎮守、漁協、地方政府のあいだで止まっていた。
誰もが修理すべきだと言った。
誰もが、自分たちが先に金を出すことはできないと言った。
夜に船を出す人たちは、一か月ずっと文句を言っていた。
猫目が現れたのは、ちょうどそのときだった。
彼らは言った。
先に立て替えられる。
すぐに返す必要はない。
ただし、「地方安全共同評価」へ接続してほしい。
その名前は、とてもよく聞こえた。
誰も反対しなかった。
灯りはすぐに直った。
埠頭が明るくなったとき、皆がほっとした。
老人は言った。
「ようやく仕事をする者が出た」
当時、俺もそう思った。
帳簿にさえ、こう書いた。
猫目、照明修理費用を立て替え。後続の償還条件を確認する必要あり。
そのとき、俺はまだ問題は償還条件だけだと思っていた。
後になってわかった。
猫目が本当に欲しかったのは、金ではなかった。
流程だった。
灯りが直ったあと、夜間巡回には猫目の安全評価が必要になった。
船舶保険は、猫目の出航リスク等級を参照し始めた。
倉庫維持申請は、猫目プラットフォームへ接続された。
台風物資の調達には、先に猫目システムで登録する必要が出てきた。
低温倉庫の温度制御設備のアップグレードは、猫目関連会社が提供した。
船の修理材料の調達について、猫目はより安い見積もりを出した。
一歩一歩が合理的だった。
一歩一歩で、誰かが利益を得ていた。
一歩一歩が、侵略には見えなかった。
ある日、十七本の鍵のうち六本が、元の扉を開けられなくなっていることに気づくまでは。
倉庫は消えていない。
扉も壊れていない。
ただ、鍵が替わっていた。
新しい鍵には、猫目の臨時権限カードが必要だった。
俺は責任者に聞いた。
相手は言った。
「藤沢さん、これは安全のためです」
俺は言った。
「鍵は?」
相手は微笑んだ。
「旧鍵には、なお記念としての意味があります」
その言葉を、俺はずっと覚えている。
記念としての意味。
その日から、俺は玄海がもうすぐ負けるのだと知った。
抵抗は、一日で失敗したわけではない。
一回一回の「まあいいか」が積み重なってできた。
一度目は、旧倉庫協会が猫目評価への接続を拒んだときだった。
その結果、三つの倉庫の保険見積もりが同時に上がった。
二度目は、漁協が自分たちの出航登録簿を残そうとしたときだった。
その結果、猫目プラットフォーム上の船舶安全補助が自動支給されなくなった。
三度目は、鎮守外縁巡回隊が猫目の夜間ルート提案を使うことを拒んだときだった。
その結果、二名の巡回員が負傷したあとの保険請求資料が返却された。理由は「推奨ルートに従って行動していない」だった。
四度目は、俺が帳簿の中の異常を整理し、玄海鎮守連合の長老会へ提出したときだった。
彼らは見た。
そして沈黙した。
ある人は言った。
「今は猫目を刺激しないほうがいい」
ある人は言った。
「代替保険がない」
ある人は言った。
「倉庫の冷鏈が切れたら、漁港の損失は誰が負うのか」
ある人は言った。
「東京はまだ抵抗しているが、東京は我々から遠すぎる」
俺には、彼らを臆病だと罵る資格はなかった。
彼らが言っていることは、どれも本当だったからだ。
俺たちには代替がなかった。
そして猫目が最も得意なのは、代替がない状況で選択を迫ることだった。
最終的に、玄海鎮守連合は核心神社と少数の資料庫を守ることに決めた。
外縁の経済システムは、暫定的に猫目と協力する。
「暫定的」。
この言葉は、とても便利だ。
投降を、過渡期のように言い換えることができる。
本当の崩壊は、台風のあとに起きた。
台風が上陸する三日前、猫目はすでにいくつかの倉庫へ物資を送っていた。
水。
発電機。
簡易照明。
保温毛布。
臨時通信設備。
俺たちの旧システムは、まだ会議をしていた。
誰が登録を担当するのか。
誰が輸送を担当するのか。
誰が署名するのか。
猫目の車は、もう着いていた。
台風のあと、多くの人は初めて、猫目のほうが俺たちより頼りになると感じた。
俺は倉庫の入口に立って、住民たちが物資を受け取るために並んでいるのを見ていた。
猫目の職員は水を渡し、登録し、老人を座らせていた。
凶悪な表情はない。
強制もない。
むしろ礼儀正しかった。
一人の子どもが温かい飲み物を受け取って、猫目の職員に言った。
「ありがとう」
その瞬間、俺は抵抗が難しくなると知った。
なぜなら、その子どものところへ歩いていって、
それに礼を言うな。
それはいつか俺たちを支配する。
とは言えないからだ。
子どもが知っているのは、今この瞬間、猫目が温かい飲み物をくれたということだけだった。
その夜、俺は事務所へ戻り、旧帳簿、倉庫契約の副本、保険等級変化記録、照明プロジェクトの原始協議、台風物資調達書類を、すべて一部ずつコピーした。
なぜそんなことをしたのかは、自分でもわからない。
たぶん、俺たちは見ていなかったわけではないと証明するためだった。
あるいは、いつか誰かに伝えるためだったのかもしれない。
玄海は突然鍵を失ったのではない。
一本ずつ、交換されていったのだと。
三週間後、猫目が俺を見つけた。
捕まえに来たわけではない。
話し合いだった。
場所は、漁港のそばに新しく改装された地方安全共同オフィス。
相手は俺に茶を出した。
熱かった。
香りも良かった。
彼は俺を藤沢さんと呼んだ。
態度は、まるで銀行員のように丁寧だった。
「あなたは長く旧倉庫帳務を担当し、地方に大きく貢献してきました」
俺は言った。
「ありがとうございます」
「猫目は、あなたを地方倉庫歴史顧問として雇いたいと考えています」
彼は契約書を差し出した。
待遇は良かった。
俺の以前の収入よりも、ずっと高かった。
仕事内容も難しくない。
旧資料を整理する。
旧帳簿の転換を補助する。
古い倉庫責任者が新システムに慣れるのを手伝う。
もし署名すれば、俺は玄海に残れる。
事務所がある。
給料がある。
身分がある。
もしかしたら、少しは古いものを守れるかもしれない。
俺は尋ねた。
「もし署名しなければ?」
相手はなお微笑んでいた。
「もちろん、あなたの選択を尊重します」
翌日、俺がよく使っていた旧資料室が封鎖された。
理由は安全検査。
三日目、俺が担当していた若い助手が猫目プラットフォーム研修へ移された。
四日目、俺の家族に猫目協力病院の健康診断招待が届いた。
五日目、誰かに言われた。
「藤沢さん、あなたは少し疲れすぎています。しばらく休んではどうですか」
これが猫目の「強制しない」だった。
捕まえはしない。
ただ、周りのすべての扉を少しずつ閉じていくのだ。
逃げると決めたのは、雨の夜だった。
その日、俺は旧鍵で、最後にまだ開けられる小倉庫を開けた。
中は湿っていた。
灯りも半分壊れている。
俺は隠しておいた帳簿、ハードディスク、契約副本、手書きの備考を防水袋へ入れた。
そのとき、外から車の音が聞こえた。
巡回車ではない。
猫目の安全共同車だった。
それは倉庫の外に停まり、警灯はつけていなかった。
誰かが車から降り、傘をさして、入口に立った。
中には入ってこなかった。
ただ言った。
「藤沢さん、こんなに遅くまでお仕事ですか?」
手のひらは汗で濡れていた。
「旧資料の整理です」
「手伝いましょうか?」
「結構です」
彼は笑った。
「猫目なら、あなたの代わりに保存できますよ」
俺は防水袋を古い工具箱の底に押し込んだ。
「ただの役に立たないものです」
彼は言った。
「役に立たないものでも、危険なことはあります」
その瞬間、もう待てないとわかった。
彼は俺を捕まえなかった。
おそらく、俺が自分から差し出すのを待っていたのだろう。
あるいは、俺が何を隠したのかを確認していたのかもしれない。
俺は何事もなかったように振る舞い、鍵をかけ、家に帰った。
その夜、俺は眠らなかった。
帳簿を三つに分けた。
一つは古い工具箱の中へ。
一つは防湿箱の二重底へ。
一つは、身につけて持っていく。
ハードディスクは原物を持っていかなかった。
ストレージ基板を取り外し、古いラジオの中へ入れた。
夜が明けるころ、俺は東京へ最初の救援要請を送った。
スマホではない。
スマホは使えない。
使ったのは、玄海鎮守が以前残していた紙の連絡線だった。
とても遅い。
猫目にまだ完全には接続されていない寺院を通じて、短文を送った。
内容は七文字だけだった。
鍵失効、帳尚在。
これは、事前に決められていた暗号だ。
意味はこうだ。
地方の制御は失われた。資料はまだある。接応を求む。
返事を待つ二日間は、人生で一番苦しい二日間だった。
外へ出すぎることはできない。
だが完全に出ないこともできない。
完全に隠れれば、それは自分に問題があると認めるようなものだからだ。
俺はいつもどおり港へ行った。
いつもどおりおにぎりを買った。
いつもどおり知り合いにうなずいた。
猫目の人間も、いつもどおり微笑んでいた。
それが一番怖かった。
彼らが凶悪なら、自分が逃げているのだと確信できる。
彼らが普通であればあるほど、俺は自分が過剰に怯えているだけではないかと疑ってしまう。
二日目の午後、返答を受け取った。
直接俺の手へ届いたのではない。
古い祭礼ポスターが、地域掲示板に貼られていた。
そのポスターの角に、とても小さな誤字があった。
普通の人にはわからない。
だが、俺にはわかった。
それが東京からの返事だった。
意味はこうだった。
三日後、旧貨物駅、北側。自分で背負えるものだけを持て。
旧貨物駅は、玄海の近くにある、もう長いこと使われていない小型貨物駅だった。
昔は海産物を運んでいた。
その後、路線が変わり、少量の地方貨物の中継にしか使われなくなった。
猫目がそこを見張っている可能性は当然ある。
だが東京がそこを選んだということは、接応する方法があるということだ。
三日。
俺には三日しかなかった。
一日目、明らかな資料を処分した。
全部焼いたわけではない。
それでは目立ちすぎる。
俺は一部の無関係な旧帳簿を資料室へ戻した。
猫目に、俺がまだ整理していると思わせるためだ。
二日目、病院へ母に会いに行った。
母は、俺が行こうとしていることを知らない。
伝えることはできなかった。
伝えれば、猫目に聞き出されるだけだ。
母は言った。
「最近、顔色が悪いね」
俺は言った。
「仕事で疲れてる」
母は言った。
「猫目のほうが新しい仕事をくれるんでしょう? 待遇がいいと聞いたよ」
俺はうつむいて、みかんの皮をむいた。
「考えてる」
母はため息をついた。
「あまり頑固にならないで」
俺はむいたみかんを母へ渡した。
「うん」
病院を離れるとき、俺は危うく振り返りそうになった。
だが、振り返らなかった。
一度振り返れば、もう歩けなくなるかもしれなかったからだ。
三日目、俺は十七本の鍵を外した。
持っていくのは一本だけにした。
一番古い鍵。
それはもう、どの扉も開けられない。
それでも、俺は持っていった。
残りの鍵は引き出しへ入れた。
手紙は残さなかった。
猫目が見るからだ。
机の上には、古い倉庫修理申請書だけを置いた。
ただ出かけて用事を済ませに行ったように見せるために。
旧貨物駅までの道を、東京側は俺に教えなかった。
教えすぎれば、猫目が俺から読み取るかもしれないからだ。
俺が知っていたのは時間だけだった。
夕方六時四十分から七時のあいだ。
早すぎてもいけない。
遅すぎてもいけない。
俺は普通のバスに乗った。
途中で降りた。
古い釣具店へ入り、釣り糸を一袋買った。
使うためではない。
ただ、自分を普通の人間のように見せるためだった。
それから、旧貨物駅の近くまで歩いた。
道中、猫目の安全車を一台見た。
コンビニのそばに停まっていた。
車の中には人がいた。
俺は見なかった。
そのまま歩き続けた。
心臓が胸から落ちそうなくらい、激しく鳴っていた。
旧貨物駅北側には、放棄された小倉庫が一列並んでいる。
鉄の扉は錆びていた。
壁には苔が生えている。
風には海の匂いと古い木の匂いが混ざっていた。
俺が着いたとき、そこには誰もいなかった。
そのことが、さらに怖かった。
間違えたのか?
東京は来ていないのか?
猫目に情報を截獲されたのか?
俺は倉庫の影に立ち、釣り糸の包装袋を握りしめていた。
六時四十八分。
ごく普通の冷鏈小型貨物車が入ってきた。
車体には地方水産配送会社の名前が書かれている。
俺には見覚えがなかった。
車が停まっても、運転手は降りなかった。
助手席の窓が半分だけ下がった。
中の人が言った。
「今日の灯りは直りましたか?」
暗号だった。
喉が締めつけられ、俺は答えた。
「鍵が開きません」
ドアが開いた。
中年の男が俺を見た。
「乗れ」
それが、俺が初めて見た東京の接応人員だった。
のちに知ったことだが、彼は小野寺が安排した外縁運転手だった。
術師ではない。
特調室でもない。
ただ、危険を冒す意思のある普通人だった。
だがあの瞬間、彼は橋のように見えた。
俺が車に乗った直後、後ろに二人の姿が現れた。
猫目術師。
彼らは速く歩いていない。
まるで、俺が来ることを前から知っていたようだった。
運転手が小さく罵った。
「座ってろ」
冷鏈車はすぐには加速しなかった。
ゆっくりと貨物駅を出ていった。
俺は緊張で、ほとんど呼吸ができなかった。
「追ってきています」
運転手は言った。
「知ってる」
「どうするんですか?」
「ルートどおりに行く」
車は最初の交差点で大通りには出ず、とても狭い整備道へ曲がった。
後方の猫目車は入ってこられない。
だが二名の術師は車を降りて追ってきた。
そのとき、整備道の先にあるシャッターが突然上がった。
冷鏈車は、そのまま古い船舶修理材料倉庫へ入った。
シャッターが落ちる。
倉庫内は一瞬、暗くなった。
それから誰かが車体を叩いた。
「降りて」
俺が車を降りたとき、足に力が入らなかった。
中には二人いた。
一人は若い女性で、無門術師。
のちに、菅原涼という名前だと知った。
もう一人は帽子をかぶった老人で、倉庫の主人だった。
菅原涼は言った。
「資料は身につけている?」
俺はうなずいた。
「何份に分けた?」
「三份です」
彼女は俺を一度見た。
「よくやった」
その「よくやった」で、俺は泣きそうになった。
玄海が崩れてから、そんなふうに言ってくれた人は、もう長いあいだいなかったからだ。
東京の接応は、一台の車で一気に連れていくものではなかった。
段階ごとの接応だった。
第一段。
冷鏈車が俺を旧貨物駅から離した。
第二段。
古い船舶修理材料倉庫で服を替える。
俺のコート、鞄、靴はすべて替えられた。
古い衣服は、魚臭い氷袋で満たされた箱に押し込まれた。
菅原涼は言った。
「猫目が匂いを追うなら、まず魚を追うことになる」
第三段。
俺は地方老人活動センターの小型バスに乗せられた。
車内には、本当に老人が何人かいた。
偽装ではない。
本当に活動に参加して帰ってきた人たちだ。
ただ、そのうち二人は東京連絡線の人間だった。
彼らは俺を見なかった。
ただ、窓際の席を一つ空けてくれた。
俺はそこに座り、老人たちが夕飯に何を食べるかを話しているのを聞いていた。
その普通さで、俺は崩れそうになった。
俺は今、自分の場所を離れたばかりなのだ。
なのに彼らは、煮魚の話をしている。
第四段。
普通のサービスエリアで下車した。
俺はトイレへ入った。
裏口から出た。
コンビニの制服を着た若者が、紙袋を渡してきた。
中には帽子、マスク、水のボトル、おにぎりが入っていた。
紙袋の底にはこう書かれていた。
食べろ。空腹で東京に入るな。
のちに知ったことだが、これは互助会待機支援組が加えた規則だった。
逃亡者を資料携帯人としてだけ扱ってはならない。
ご飯を食べさせる。
サービスエリアの裏のベンチで、そのおにぎりを食べているとき、手はずっと震えていた。
おにぎりの味は普通だった。
けれど、今でも覚えている。
第五段が、最も危険だった。
地方から東京防線の辺縁へ入る前、猫目の監視が比較的密な交通節点を通らなければならない。
東京は俺を高速バスには乗せなかった。
普通電車で直行させることもしなかった。
彼らは、舞台設備を運ぶ小型貨物車へ乗せた。
車内には折り畳み架台、古いスピーカー、照明スタンド、そして重そうに見えるケーブルの箱がいくつも積まれていた。
本当の資料は、もう俺の身にはなかった。
俺が食事をしているあいだに、二つの別ルートへ分けられていた。
俺の身に残っているのは、あの古い鍵と、小さな手書きの備考だけだった。
小型貨物車の運転手が聞いた。
「車酔いするか?」
俺は首を横に振った。
彼は言った。
「酔っても我慢しろ。窓は開けるな」
俺はうなずいた。
検査点を通るとき、猫目の人間が見えた。
制服を着た警官ではない。
猫目協力安全人員だ。
彼らは普通の職員と一緒に立っていて、とても自然に見えた。
それこそが怖かった。
猫目はもう、「外の人間」ではない。
流程の中に立っている。
検査員が貨物車の書類を見た。
「舞台設備?」
運転手が答えた。
「東京の小劇場の修理だ」
「どこですか?」
運転手が名前を一つ言った。
のちに知ったことだが、それは青い橋の友好空間の一つだった。
書類は本物だった。
設備も本物だった。
猫目人員が車内を一度覗いた。
心臓が止まりそうになった。
俺はうつむき、搬入スタッフが疲れて眠っているふりをした。
その瞬間、絶対に見破られると思った。
だが運転手が突然、文句を言い始めた。
「そっちはまた検査かよ? 前も検査しただろ。スピーカーを壊したら誰が弁償するんだ?」
検査員は眉をひそめた。
運転手はなおもぶつぶつ言い続けた。
とても面倒くさい。
面倒くさすぎて、相手はもう彼と話したくなくなった。
最後に手を振り、車を通した。
車がかなり走ってから、運転手が低く言った。
「文句を甘く見るな」
「時々、術式より役に立つ」
そのときの俺は笑えなかった。
後になって思い返すと、彼は本当に正しかった。
東京辺縁に入ったからといって、安全になったわけではない。
東京方面は、俺を直接互助会へ連れていかなかった。
なぜなら、入ってきたばかりの人間には追跡がついているかもしれないからだ。
彼らは俺を第一接収点へ送った。
場所は、すでに閉業した旧貨物駅の裏口だった。
玄海の旧貨物駅ではない。
東京外縁にある、非猫目物流臨時点へ改装された旧貨物駅だ。
裏口は狭い。
入口には壊れた木箱が積まれていた。
誰も使っていないように見えた。
だが中へ入ると、人がいた。
小野寺。
遠坂綾乃。
北見遥香。
そして、特調室外縁人員が一名。
そのときの俺は、彼らを知らなかった。
ただ、救援隊には見えないと思った。
統一された制服もない。
荘厳な雰囲気もない。
机の上には、保温ポットとおにぎりまで置かれていた。
小野寺の第一声はこうだった。
「座れ」
二言目は。
「まず水を飲め」
三言目になって、ようやく。
「誰かにつけられたか?」
俺は座った。
まだ手が震えていた。
北見遥香が熱い水を差し出した。
「ゆっくり話してください」
俺は話せなかった。
彼女は急かさなかった。
遠坂綾乃は特調室人員へ言った。
「先に外層検査を」
菅原涼も後から到着した。
彼女は符で俺の服、靴、紙袋、そしてあの古い鍵を確認した。
古い鍵には、軽い追跡残留があった。
俺の顔色は一瞬で白くなった。
「知らなかったんです……」
菅原涼は言った。
「あなたのせいではありません」
彼女は慎重に残留を切った。
鍵そのものには触れなかった。
俺は尋ねた。
「まだ持っていてもいいですか?」
彼女は小野寺を見た。
小野寺は言った。
「綺麗にできるなら、持たせてやれ」
遠坂綾乃もうなずいた。
「残してください」
北見遥香が静かに言った。
「役に立たなくても、捨てられないものはあります」
その瞬間、俺はついに泣いた。
安全になったからではない。
彼らが、あの役に立たない鍵を理解してくれたからだ。
接収流程は細かかった。
第一に、俺が猫目術式で標記されていないか確認する。
第二に、強制暗示を受けていないか確認する。
第三に、携帯している資料の分割が成功しているか確認する。
第四に、医療が必要かどうか確認する。
第五に、すぐ家族へ連絡したい衝動があるか確認する。
第六に、しばらくスマホを使わず、旧知人と連絡せず、安全点から離れないことを受け入れられるか確認する。
これらの質問は冷たく聞こえる。
けれど彼らは、ゆっくり尋ねた。
一項目ごとに、なぜ必要なのか説明してくれた。
家族へ連絡してはいけないのは、気にしていないからではない。
猫目が俺の連絡を待っている可能性があるからだ。
スマホを使ってはいけないのは、俺を疑っているからではない。
スマホが東京接収点を露出させるかもしれないからだ。
すぐにニュースを見てはいけないのは、俺をコントロールするためではない。
猫目がニュースや地方消息の中に誘導情報を置く可能性があるからだ。
俺はうなずいた。
一項目ずつ、うなずいた。
最後に、小野寺が紙を一枚差し出した。
そこにはこう書いてあった。
あなたは東京保護線に入りました。
あなたは拘禁されているわけではありません。
ただし、これから七十二時間は一人で行動しないでください。
家族へ連絡したくなったら、先に待機支援組へ伝えてください。
戻りたくなったときも、先に私たちへ伝えてください。
怖がってもかまいません。
後悔してもかまいません。
泣いてもかまいません。
一人で決めないでください。
俺は最後の一文を、長いあいだ見つめていた。
一人で決めないでください。
もし玄海にいたとき、誰かが俺へそう言ってくれていたら、俺はもっと早く逃げていたかもしれない。
逃げていなかったかもしれない。
だが少なくとも、その言葉は網のようだった。
人を捕まえる網ではない。
人を受け止める網だ。
一晩目、俺は短期安全点へ安排された。
快適な場所ではなかった。
古い事務所を改装した小部屋。
折り畳みベッド。
電気ポット。
清潔なタオル。
紙の地図。
壁には手書きの紙が貼られていた。
夜中に目が覚めたら、ベルを押していいです。迷惑ではありません。
俺はそれを長いあいだ見ていた。
その夜、俺は本当に三回目を覚ました。
一回目、まだ玄海にいて、猫目の人間が倉庫の外に立っていると思った。
二回目、資料室の鍵をかけ忘れたと思った。
三回目、腰の鍵を摸れなくて、叫びそうになった。
それから思い出した。
鍵は枕の下にある。
俺はベルを押した。
北見遥香が来た。
彼女は、なぜ押したのかを聞かなかった。
ただ、扉の近くに座った。
「水を飲みますか?」
俺は言った。
「俺は家族を害したんでしょうか?」
彼女は少し沈黙した。
「あなたは、これからずっとそう考えると思います」
俺は彼女を見た。
彼女は続けた。
「猫目も、あなたにそう考えさせます」
「じゃあ、どうすれば?」
「まず、一人で考えないことです」
彼女は水を一杯注いでくれた。
「その問いは昼まで置いておいて、一緒に考えましょう」
俺は水を飲んだ。
手はまだ震えていた。
だが、少しましになった。
二日目、俺は初めて白川一音に会った。
彼女は俺を尋問しに来たのではない。
資料を取りに来たのでもない。
あの鍵を受け取りに来たのだ。
いや、確認しに来たのだ。
特調室によれば、鍵にはかつて追跡残留があったため、より深い線がないか黒弦で確認する必要があるという。
彼女は俺の向かいに座った。
思っていたより、ずっと若く見えた。
普通の大学生のようだった。
周囲の人たちの態度がなければ、彼女と「黒弦」を結びつけるのは難しかっただろう。
彼女は俺に尋ねた。
「鍵を見てもいいですか?」
俺はうなずき、鍵を差し出した。
彼女はすぐには触れなかった。
先に俺を見て言った。
「私に触れてほしくなければ、それでも大丈夫です」
俺は固まった。
「これはただの鍵です」
彼女は言った。
「でも、あなたにとっては、ただの鍵ではありません」
また泣きそうになった。
結局、鍵をテーブルの上に置いた。
黒弦はとても細かった。
影の糸のようだった。
それが鍵の周りを一周した。
鍵を切らなかった。
最後の猫目標記だけを切った。
彼女は鍵を俺へ戻した。
「もう綺麗です」
俺は鍵を受け取り、低く言った。
「ありがとうございます」
彼女は言った。
「あなたが持ってきた帳簿は、とても役に立ちます」
俺は尋ねた。
「玄海は、戻れるんですか?」
彼女は綺麗事を言わなかった。
「今は無理です」
俺はうつむいた。
彼女はさらに言った。
「でも、あなたが持ってきたものがなければ、東京は玄海の誤りを繰り返すかもしれません」
その言葉で、俺は顔を上げた。
彼女は俺を見ていた。
「だから、あなたはただ逃げてきたわけではありません」
「玄海の一部を持ってきたんです」
その日から、俺は少しだけ呼吸できるようになった。
三日目、俺は正式に互助会に入った。
誓いを立てて組織へ加入する、というようなものではなかった。
ただ説明会に参加しただけだ。
遠坂綾乃が規則を説明した。
北見遥香が待機支援を説明した。
小野寺が護送と安全点を説明した。
佐野美紀が、非猫目サプライチェーンがなぜ面倒なのかを説明した。
榊真理が、青い橋は活動や会議の場所として使えるが、見知らぬ人を勝手に連れてきてはいけないと説明した。
彼らはたくさんの注意事項を話した。
一人で東京防線の外へ出ないこと。
猫目通話を受けないこと。
故郷から来た「良い知らせ」をすぐに信じないこと。
安全点を誰にも教えないこと。
自分が他人に迷惑をかけていると思い込まないこと。
深夜に一人で決めないこと。
最後の一条は、何度も出てきた。
俺は人々の中に座り、それらの言葉を聞きながら、ふいに理解した。
東京は、完璧な避難所ではない。
ここも怖がっている。
金も足りない。
失敗もする。
猫目に連れていかれた人もいる。
けれど、少なくともここは、人が怖がることを認めている。
後悔することを認めている。
帰りたくなることを認めている。
そして、どの扉も開けられない鍵でも、綺麗にして返す価値があると認めている。
それは猫目とは違った。
猫目も熱い水をくれる。
仕事もくれる。
家が恋しいという気持ちを理解しているようにも言う。
だが猫目は最後に、あなたを自分の扉の中へ歩かせる。
東京は扉の前に座り、あなたへ言う。
先に、一人で行かないでください、と。
その後、俺は資料整理組の仕事を手伝い始めた。
玄海の帳簿を、少しずつ彼らへ説明した。
どの年に照明修理が猫目へ接続されたのか。
どの保険等級が変わったのか。
どの倉庫が最初に鍵を替えられたのか。
どの台風のあと、住民が本当に猫目へ感謝し始めたのか。
話すのは、とても遅かった。
一つ話すたびに、玄海がもう一度失われていくのを見るようだったからだ。
三浦蒼介が隣で記録していた。
彼はときどき手を止め、尋ねた。
「ここ、東北の資料門禁とよく似ています」
松尾老人も聞きに来ることがあった。
彼は言った。
「倉庫は、どこもそうやって失われるんだ」
北見遥香は言った。
「北海道の冬季道路も同じでした」
俺たち失敗者は、それぞれの失敗を繋ぎ合わせ、猫目の方法を少しずつ組み立てていった。
それは痛かった。
だが意味もあった。
失敗者だけが、失敗が本当はどの一歩から始まったのかを知っているからだ。
最後に倒されたときではない。
初めて、「これなら便利だからいいか」と思ったときからだ。
ある日、小野寺が俺に尋ねた。
「もし、まだ逃げてこられていない人に一言書くなら、何を書く?」
俺は長いあいだ考えた。
そして書いた。
すべての鍵が開かなくなるまで待つな。
彼はそれを読んで、しばらく沈黙した。
「この一文、手冊に入れる」
俺は言った。
「いいんですか?」
「いい」
こうして、互助会逃亡者説明手冊に新しいページが加わった。
タイトルは、
地方から東京へ逃げてきた人たちが残した言葉。
その一文目が、
すべての鍵が開かなくなるまで待つな。
だった。
この言葉が誰かを救えるのか、俺にはわからない。
救えるかもしれない。
救えないかもしれない。
だが少なくとも、それはもう俺の心の中だけに残っているものではなくなった。
ずっと後になっても、俺はまだ玄海の夢を見る。
夢の中で、漁港の灯りは全部ついている。
倉庫の扉は開いている。
俺の腰には十七本の鍵が下がっている。
歩くたび、鍵がぶつかり合い、小さな音を立てる。
目が覚めると、そこは東京の安全点だ。
枕の下には、古い鍵が一本だけある。
それは、どの扉も開けられない。
けれど、まだそこにある。
俺もまだ、ここにいる。
東京は、旧貨物駅の裏口で俺を受け止めた。
盛大な歓迎で受け止めたわけではない。
英雄のような救援で受け止めたわけでもない。
一台の冷鏈車。
一つの古い倉庫。
一袋のおにぎり。
一杯の熱い水。
そして「一人で決めないでください」と書かれた一枚の紙で。
猫目の網の縁から、少しずつ俺を受け止めてくれたのだ。
それで十分だった。
少なくとも、あの日の俺にとっては、もう十分だった。