俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第126章 大阪最上階での返答
広間は静まり返っていた。
床から天井まで届く窓の向こうでは、大阪の夜景が消えることのない海のように広がっている。
私は長いテーブルの端に立ち、
初めて本当の意味で感じていた。
自分は今、
「別の世界へ入るよう招かれている」
術式の世界ではない。
力の世界でもない。
秩序の世界へ。
先ほどニャーサが、
「君は猫目の後継者になるかもしれない」
と言った瞬間から、広間の空気は完全に変わっていた。
多くの人が私へ向ける視線も変わった。
それまで彼らが見ていたのは、
「東京の黒弦」
「ニャーサが警戒する人物」
「特殊観察対象」
だった。
けれど今では、
「将来、猫目を引き継ぐかもしれない人物」
を見るような目になっている。
その変化が、ひどく不快だった。
突然、気づいてしまったからだ。
この長いテーブルに座る者たちにとって、
東京。
京都。
特調室。
互助会。
撤離計画。
学生たち。
菜園箱。
水桶。
私がずっと必死に守ろうとしてきたものは、すべて、
「将来、猫目のシステムへ統合される一部分」
にすぎないのかもしれない。
ニャーサは長いテーブルの上座へ戻り、再び椅子の上に寝そべった。
尻尾が軽く揺れている。
広間に満ちた圧迫感など、まるで気にしていない。
ここは最初から、ニャーサの世界なのだから。
そして、私はようやく口を開いた。
「一つ、勘違いしてない?」
声は大きくなかった。
けれど広間は、すぐにさらに静かになった。
ニャーサが私を見た。
「何を?」
「私は一度も、あなたの話を受け入れてない」
多くの責任者たちが、明らかに息を詰めた。
ニャーサへ、これほど直接反論する者はいないからだ。
けれどニャーサは笑った。
むしろ、少し嬉しそうにさえ見えた。
「だから、君が適任だと思うんだよ」
「……」
「ただ頭を下げることしかできない人間より」
ニャーサは軽くテーブルを叩いた。
「少なくとも君には、自分で判断する力が残っている」
私は初めて、広間にいる人々を本当の意味で観察した。
北海道責任者。
東北エネルギー責任者。
港湾総責任者。
工業復旧責任者。
この人々は、狂人ではない。
むしろ、今の東京にいる一部の上層部よりも安定して見える。
それこそが、最も恐ろしかった。
私は突然尋ねた。
「あなたたちは、本当に今の状態が未来だと思ってるんですか?」
広間に、初めて本当の動揺が走った。
私が全員へ直接問いかけるとは、予想していなかったからだ。
数秒後、
東北復旧責任者が最初に口を開いた。
「少なくとも、地方は生き残りました」
北海道責任者が低い声で付け加えた。
「港も復旧しました」
工業復旧責任者は、さらに直接的だった。
「工場も再稼働しています」
「住民は仕事へ戻り始めました」
「物流も復旧しました」
「学校も再開されています」
彼は顔を上げ、私を見た。
「今の東京に、それができますか?」
空気が一気に重くなった。
私は突然気づいた。
東京はずっと、猫目と「戦っている」。
けれど、この人々が戦っている相手は、
「崩壊」
だった。
その二つは、同じではない。
私は続けて尋ねた。
「では、その代償は?」
広間が初めて、本当の意味で沈黙した。
「支配」
「監視」
「地方全体の一元管理」
「抵抗する人々の消失」
「普通の人々まで、システムの中へ組み直されている」
「それに代償がないと、本当に思ってるんですか?」
食糧責任者が、ゆっくりと口を開いた。
「代償はあります」
「ですが、今の東京にも代償がある」
「停電」
「食糧不足」
「移民」
「撤離計画」
「一般住民は、ますます避難民のような生活を強いられている」
彼は手元のグラスを見下ろした。
「少なくとも地方では、今は安心して眠れます」
私は突然気づいた。
最も危険なのは、彼らが「洗脳されている」ことではない。
彼らの言葉には、
本当に正しい部分がある。
ニャーサは、ずっと口を挟まなかった。
ただ、そこへ座っている。
私が自分から一歩ずつ問題の中心へ入っていくのを眺めているかのようだった。
私は深く息を吸い、
自分から席を離れた。
広間全体に、一瞬で緊張が走った。
多くの責任者が、無意識に動きを止めた。
代理人まで、わずかに顔を上げた。
攻撃するつもりはなかった。
私はただ、ゆっくりと窓へ向かった。
足元には再び、大阪の夜景が広がった。
明るすぎた。
まるで、東京などもう存在しないかのように。
私は低い声で言った。
「昔の東京も、こんなふうに明るかった」
広間は静かだった。
「昔の東京の学生は、水や電気のことを毎日話したりしなかった」
「コンビニで購入制限もなかった」
「バナナが貴重品になることもなかった」
「学校が菜園箱の研究を始めることもなかった」
「昔は」
私は一度、言葉を止めた。
「海外へ逃げることを、本気で準備する人もいなかった」
広間にいる多くの人々の視線が、わずかに変化した。
私の言葉が事実だと知っているからだ。
私は振り返った。
初めて本当の意味で、長いテーブル全体を見た。
「でも、皆さんは考えたことがありますか?」
誰も答えなかった。
「どうして東京が、今の姿になったのか」
広間は、恐ろしいほど静まり返った。
「猫目がずっと、東京を追い詰めてきたからです」
「水を断つ」
「食糧を断つ」
「物流を切る」
「供給線を攻撃する」
「人材が外へ流出するよう誘導する」
「東京を、ますます孤島に近づける」
私はニャーサを見つめた。
「そのあとで、皆に言う」
「ほら」
「東京はもう、普通じゃない」
広間に初めて、本当の圧迫感が生まれた。
彼らが意図的に見ないようにしてきたものを、私が言葉にしたからだ。
けれどニャーサは怒らなかった。
むしろ、笑った。
「それで?」
「だから、これは『自然な選択』じゃない」
私の声は、ますます冷たくなった。
「あなたが意図的に作り出した環境」
「その中で、ほかの人たちに言ってる」
「自分へ近づかなければ、普通には生きられないって」
長いテーブルの反対側で、
エネルギー責任者が初めて眉をひそめた。
あまりにも正確な指摘だったからだ。
そのとき私は、本当の意味で気づいた。
ニャーサが持つ最大の力は、単なる戦闘力ではない。
「普通」を定義する力。
私は続けた。
「東京が、ますます苦しくなっているのは事実です」
「でも、それは東京が最初から間違っていたからじゃない」
「あなたがずっと、東京を跪かせようとしているから」
広間では、誰も軽率に口を開こうとしなかった。
今や問題は、
「東京と猫目のどちらが日本にとって有益か」
ではなくなっている。
「ニャーサは、いったい何をしたのか」
という問題になっていた。
ニャーサは、ゆっくりと立ち上がった。
広間にいた全員が、すぐに頭を下げた。
立ったままでいるのは、私だけだった。
ニャーサは私の前まで歩いてきた。
距離は近い。
その背後では、大阪の夜景が海のように広がっている。
「僕が、どうしてますます君を気に入っているかわかる?」
私は答えなかった。
ニャーサは低く笑った。
「ようやく、本当の問題が見え始めたからだよ」
「……」
「正義でもない」
「悪でもない」
「問題は」
ニャーサは窓の外を見た。
「人間は崩壊へ追い込まれたとき、いったい何を選ぶのか」
私は初めて、本物の寒気を覚えた。
ニャーサは私を脅しているのではない。
人間という存在について、
論じている。
まるで、人間よりも高い場所から見下ろす何かのように。
次の瞬間、
ニャーサが片方の前足を上げた。
広間の照明が、わずかに暗くなった。
巨大な画面が再び点灯する。
東京。
リアルタイムの映像だった。
港湾地区の低出力照明。
夜間給水所。
列を作る人々。
電力制限地域。
菜園箱を収めた温室。
さらに、
夜のA大学の建物まで映っていた。
広間にいる多くの責任者たちは、静かに画面を見つめていた。
誰も話さない。
ニャーサは私へ、低い声で尋ねた。
「君は」
「彼らが、あとどれくらい耐えられると思う?」
その瞬間、
私は初めて、本当の恐怖を感じた。
ニャーサが望んでいるのは、東京を破壊することではない。
東京自身に、
もう耐えられない。
そう思わせようとしている。
大阪中央塔の最上階は静かだった。
画面の中では、
東京の夜間給水所に、今も明かりがついている。
人々が並んでいる。
水桶を抱えている人もいる。
港湾地区の照明は、最低出力まで抑えられていた。
遠くにあるA大学の建物では、暗闇の中にわずかな窓の明かりしか見えない。
ニャーサは私の隣に立っていた。
一緒に東京を眺めているようだった。
「彼らは、あとどれくらい耐えられると思う?」
もう一度、そう尋ねた。
声は軽かった。
嘲笑もない。
勝者としての得意げな様子さえない。
だからこそ、さらに恐ろしかった。
私は画面を見つめたまま、答えなかった。
初めて本当の意味で気づいたからだ。
今の東京は、もう単なる「戦時下の都市」ではない。
少しずつ血を抜かれていく都市。
そのような姿へ変わり始めている。
そのとき、
ニャーサが再び前足を上げた。
画面が切り替わる。
東京の映像が消えた。
代わりに映し出されたのは、
猫目の管理図だった。
食糧。
港湾。
エネルギー。
工業。
教育。
物流。
地方復興。
住民配置。
財政システム。
日本の地方全体を動かす構造が、神経網のように広がっている。
広間にいる多くの責任者が、わずかに頭を下げた。
これは、猫目の本当の核心部分だったからだ。
本来なら、外部の人間へ見せるものではない。
けれどニャーサは、それを私へ直接見せた。
「白川一音」
ニャーサが初めて、私の名前をすべて口にした。
「以前、君へ提示した条件だけど」
広間は、さらに静かになった。
ニャーサが以前、私へ何を持ちかけたのかを知らない者も多かったからだ。
「君の体内にいるあれを、僕へ渡してくれるなら」
ニャーサは私を見た。
「僕は地球を離れる」
多くの責任者の瞳が、わずかに縮んだ。
ニャーサに本当に地球を離れる意思があると、初めて知ったからだ。
「そして今」
その尻尾が軽く揺れた。
「条件を一つ追加しよう」
広間は完全に静まり返った。
「君が受け入れるなら」
「君は猫目の本当の首領になる」
「以前のような、一時的な代理ではない」
「ただ承認の判を押すだけのお飾りでもない」
「名目だけで、実権を奪われた存在でもない」
ニャーサは広間全体を見た。
「本当に猫目を率いる者になる」
空気が凍りついたようだった。
多くの責任者が、初めて本当の意味で顔を上げ、私を見た。
ニャーサが冗談を言っているのではないと、ようやく理解したからだ。
私の心臓が強く沈んだ。
突然、気づいたからだ。
ニャーサが言っているのは「加入」ではない。
「協力」でもない。
継承。
東京は、私を海外へ逃がす準備を進めている。
一方、ニャーサは私へ告げている。
私がうなずけば、
猫目全体が私のものになる。
その瞬間、
ソレンセンさえ沈黙した。
黒海の奥は、完全に静まり返っていた。
私はニャーサを見つめた。
「どうして、そこまで私にこだわるの?」
ニャーサは笑った。
「君が、とても向いているからだよ」
「何に?」
「『選択しなければならない場所』へ立つことに」
ニャーサが前足を上げた。
広間の画面が、再び変化する。
東京。
大阪。
北海道。
仙台。
京都との境界。
工業地域。
穀物倉庫。
学校。
港。
さまざまな映像が次々に切り替わっていく。
「東京は希望を守っている」
「僕は現実を維持している」
ニャーサは軽い声で言った。
「君も、いつか気づくよ」
「人間が最後に選ぶのは、現実だ」
私は突然、笑った。
広間は一瞬で静まり返った。
私が今夜、初めて見せた笑みだったからだ。
ニャーサは、わずかに目を細めた。
「何かおかしい?」
「一つ、間違ってる」
私はゆっくりと、広間にいるすべての責任者を見た。
「何を?」
「私がここへ立っているのは、『向いている』からじゃない」
「……」
「東京にはもう、ここへ立てる人がほとんど残っていないから」
広間にいる人々は黙った。
私は一歩前へ出た。
「私が北海道の港を見て」
「仙台の明かりを見て」
「大阪の夜景を見れば」
「あなたが正しいと思い始めるとでも?」
ニャーサは何も言わなかった。
ただ、私を見ている。
私は東京の映像を指さした。
「東京が、どうしてまだ崩壊していないかわかる?」
広間では、誰も口を開かなかった。
「東京の人たちは、今でも」
「跪かなければ生きられないわけではないと、知っているから」
空気が一気に重くなった。
数人の責任者の表情が、初めて変わった。
あまりにも重い言葉だったからだ。
「あなたが地方を復旧させたのは事実」
「人々が食べ、働き、学校へ通えるようにしたのも事実」
「でも、その前提は」
私はニャーサを見つめた。
「全員が、あなたのシステムへ入ること」
「あなたは日本を復旧させているんじゃない」
「日本を、自分の所有物へ変えている」
広間に初めて、本物の圧迫感が満ちた。
猫目が隠し続けてきた本質を、私が言葉にしたからだ。
けれどニャーサは、突然笑った。
ひどく軽い笑いだった。
「ようやく言えたね」
私は眉をひそめた。
「白川一音」
ニャーサはゆっくりと近づいてきた。
「僕が、どうしてますます君を評価するようになったかわかる?」
「……」
「君がようやく、『統治する側』の視点で考え始めたからだよ」
心臓が強く沈んだ。
ニャーサは低い声で続けた。
「君はもう、『誰が善人なのか』だけを考えてはいない」
「考えているのは」
「誰が社会を支配しているのか」
「誰が秩序を維持しているのか」
「誰が普通の人々の生き方を決めているのか」
ニャーサは私を見た。
「それが、上に立つ者の視点だ」
私は突然、気づいた。
この旅行で最も危険なのは、地方が復旧していることではない。
ニャーサが私へ、
「統治者としての思考」
を学ばせようとしていることだった。
そして次の言葉が、広間全体を完全に静めた。
「東京の人間たちは、もう君を国外へ逃がす準備を始めているんだろう?」
私の瞳が大きく縮んだ。
広間にいる多くの責任者も、わずかに表情を変えた。
ニャーサが、東京の海外撤離計画を知っているということだからだ。
けれどニャーサは、穏やかな口調で並べた。
「フランス」
「スイス」
「オーストリア」
「ノルウェー」
「アイスランドまで」
尻尾が、軽く揺れた。
「彼らは君を保存しようとしている」
私は初めて、本当の寒気が背中を這い上がるのを感じた。
東京の最高機密の一つ。
それを、ニャーサは知っている。
「でも、考えたことはある?」
ニャーサは低い声で言った。
「どうして東京が、君を逃がそうとしているのか」
私は答えなかった。
「彼ら自身も、東京はもう持ちこたえられないと思い始めているからだ」
広間は、死のように静まり返った。
その瞬間、
私は動いた。
黒い混沌が、一瞬で足元から広がった。
広間にいた多くの責任者の表情が変わる。
術師たちは、ほとんど本能的に警戒態勢へ入った。
轟ッ。
最上階全体の空気が、一気に沈んだ。
グラスが震えた。
照明がわずかに揺れた。
この晩餐会で初めて、ソレンセンの力がほんの少しだけ外へ漏れ出した。
多くはない。
それでも、広間全体を沈黙させるには十分だった。
私はニャーサを見つめた。
初めて本当の意味で、混沌の力をニャーサへ向けて押しつけた。
「あなたは、東京がどうして私を逃がそうとしているのか知ってる」
「でも、知らないことが一つある」
ニャーサが、わずかに目を細めた。
「何を?」
黒い気流が、広間へ広がっていく。
多くの責任者の額には、すでに汗が浮かんでいた。
これほど近い距離で「黒弦」へ触れたのは、初めてだったからだ。
私は低い声で言った。
「東京がまだ崩壊していないのは」
「どれだけ食糧が残っているかとは関係ない」
「どれだけ電力が残っているかとも関係ない」
「まだ」
私はニャーサを見つめた。
「あなたの所有物になりたくない人たちが残っているから」
広間は完全に静まり返った。
そしてニャーサは、
初めてすぐには答えなかった。