俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第31章 仙台旧劇場の雨音、そして一本の弦に押し潰された地方連合
私は、短期間で東京と京都を離れるようなことは、もう当分ないと思っていた。
修学旅行が終わったばかりだったし、
百目影倉、天穹システム、合同演出、コンビニのホットココア事件も、ようやく一段落したところだった。
普通に考えれば、人生は少し休ませてくれるはずだった。
しかし人生にはそんな機能はなかった。
その夜、特調室から「遠隔協力要請」が転送されてきた。
発信元は東北、仙台。
事件の場所は一つの旧劇場だった。
表向きは、小さな音楽とインディー映画の上映スペースに改装された古い建物だった。
地下には、かなり古い防空壕の構造が残っていた。
ここ一ヶ月、劇場内で連続して異常が発生していた。
映写機を起動していないのに、幕に雨夜の山道の映像が映る。
リハーサル中のバンドが、自分たちのものではないドラム音を聞く。
客席の一番後ろに、旧学生制服を着た人影が頻繁に現れる。
地元の退魔事務所が二度処理を試みた。
一度目は「旧劇場の怨念」と判断し、
二度目は「影像媒介の残留」と判断した。
三度目は、もう誰も手を出さなかった。
なぜなら、調査を担当した退魔者が、
バックステージの壁に一行の文字を見たからだった。
**黒弦に来てほしい**
私はその一行を見た瞬間、指が固まった。
ソレンセンが意識の奥で笑った。
「招待状だな」
「行きたくない」
「名前が書かれている」
「書いてあるのは黒弦で、私じゃない」
「今も区別がつくのか?」
私は答えなかった。
この問いに答えるのが、日に日に難しくなっていたからだった。
特調室は当初、私に遠隔判断だけを依頼するつもりだった。
しかし仙台側からすぐに補足情報が届いた。
旧劇場では翌日、学生バンドの交流会が予定されている。
主催者は中止したくなかった。
地元の退魔組織は防護を強化すると言っていたが、
内心では「自信がない」と認めていた。
眼鏡の女性が電話をかけてきたとき、いつもの冷静さの中に、
わずかな慎重さが混じっていた。
「白川さん、拒否することもできます」
またこの言葉だ。
私はこの言葉を聞くと、すでに事態が単純ではないことを理解した。
「もし私が拒否したら、どうなりますか?」
電話の向こうが少しの間、沈黙した。
「現地で劇場の封鎖を試みるでしょう。ただし、活動が複数の学校と普通のバンドに関わるため、中止にすると注目を集める可能性があります。もし活動中に異常が爆発した場合、普通の人々の目撃リスクはかなり高くなります」
普通のバンド。
学生。
演出会場。
これらの言葉が並んだ瞬間、私はもう拒否しにくい自分に気づいていた。
私はAfterToneの舞台を見下ろした。
その日、日和たちはもう帰っていた。私は一人でケーブルを片付けていた。
もし異常がAfterToneで起きたら、
もし他の場所で、余響楽隊と同じような小さなバンドが今まさにステージに上がろうとしているのに、
后台に何が潜んでいるのかを知らなかったら。
私は、誰かが行ってほしいと思った。
「行きます」
言ったあとで、私はすぐに半分後悔した。
眼鏡の女性はすぐに了承しなかった。
「今回は東京と京都の外です。東京特調室が現場を完全に掌握することはできません。東北地方退魔連合が外層の支援をしてくれますが、あなたは旧劇場の地下に単独で入る可能性があります」
「わかっています」
実際には、わかっていなかった。
ただ、胃が痛くなり始めていた。
「身分はどうなりますか?」
「青藍財団の協力者として行く形になります。表向きの理由は、学生バンド交流会の見学と撮影機材の確認です。当日往復です」
当日往復。
聞こえは普通の出張のようだった。
しかし私にとっては、
新しい地域の暗面に一人で踏み込むことに等しかった。
日和も、
陽菜も、
澪も、
AfterToneも、
見慣れた東京の街並みも、
七条のような、冷たいけれど頼りになる京都の監察員すらいない。
ただ私と、
そしてソレンセンだけ。
黒い海の底で、ソレンセンが低く言った。
「ようやく巣から出るのか」
私は小さく答えた。
「私は鳥じゃない」
「似ている」
「どこが?」
「驚くとすぐに戻りたがる」
私は反論できなかった。
翌朝、私は仙台行きの新幹線に乗った。
日和が「今日はなぜリハーサルに来ないのか」と聞いたので、
私は「青藍財団の機材見学がある」と答えた。
これは半分本当で、半分嘘だった。
確かに青藍財団名義だったし、
確かに機材関連だった。
ただ、その機材の中に、人を食うかもしれない旧映写機が含まれている可能性があった。
日和が返信してきた。
一人で行くの?
私は画面をしばらく見つめた。
最後に返信した。
うん、当日帰り。
彼女はすぐに返してきた。
気をつけて。着いたらメッセージして。
体調が悪くなったら無理しないで。
私は「体調が悪くなったら無理しないで」という一文を、
長い時間見つめていた。
それから返信した。
うん。
嘘はついていなかった。
少なくとも、完全に嘘ではなかった。
しかし胸の奥は重かった。
ソレンセンが言った。
「もうずいぶん、上手く半分だけ本当のことを言うようになったな」
私は顔を伏せた。
「黙って」
「事実だ」
事実だった。
これが一番最悪だった。
仙台駅の外で、私を迎えに来たのは特調室の人間ではなかった。
東北地方退魔連合の連絡員だった。
彼女の名前は早坂真理。
三十歳前後で、深色のトレンチコートを着て、髪を短く切っていた。
表情は真剣だったが、七条ほど冷たくは見えなかった。
彼女は私を見ると、深くお辞儀はしなかった。
ただ軽く頭を下げた。
「白川さん、遠路はるばるお疲れ様です」
私も慌てて頭を下げた。
「い、いえ……」
これはもちろん嘘だった。
私はもう緊張で死にそうだった。
早坂真理は私を車に乗せた。
車内には東北地方退魔連合の符紙が何枚か貼られていた。
京都のように古びてはいない。
東京特調室のように近代的でもない。
どちらかと言えば、地方組織が実用的に組み合わせた装備に見えた。
彼女は運転しながら、状況を説明してくれた。
「旧劇場の名前は雨宮座です。昭和時代は映画館で、後に廃墟となり、近年になって小さな音楽と映像の活動スペースに改装されました」
「異常の源は地下の防空壕にある可能性が高いです。あるいは旧映写室かもしれません」
「私たちは、誰かが故意に影像系汚染と山岳荒魂の残片を繋げたのではないかと疑っています」
私は「誰かが故意に」という言葉を聞いて、胸が一瞬沈んだ。
「また白鏡監督?」
「わかりません」
早坂真理は言った。
「ただ、今回は地元の勢力が関わっている可能性があります」
「地元の勢力?」
彼女は私を一瞬見た。
「東北には、小さな術師連合がいくつかあります。山中の異変や旧トンネル、廃村、地方の祭祀の残りを普段から扱っています。中にはとても真っ当なところもありますが、中にはあまりきれいではないところもあります」
私は顔を伏せた。
「なぜ彼らが関わってくるんですか?」
「あなたがいるからです」
私は指が固くなるのを感じた。
早坂真理は続けた。
「百目影倉のあと、多くの小さな勢力が下北沢黒弦について話し合っています。畏怖している者もいれば、避けようとしている者もいます。また、ある者たちは、あなたの力を確認できれば、あるいはあなたに借りを作ることができれば、自分の地位を上げられると考えています」
私は小さく言った。
「私は借りを作られたくありません」
「だからこそ、私たちは慎重に動く必要があります」
彼女は少し間を置いた。
「今回あなたに来てもらったのは、本当に普通の学生が巻き込まれるのを恐れたからです。しかし、それこそが一部の人々の計画に合致している可能性もあります」
私は窓の外を見た。
雨が降り始めていた。
細い雨が、車窓に当たって、まるで古い映画のノイズのように見えた。
ソレンセンが低く笑った。
「いいね」
「死ぬことを知らない小虫たちが集まっている」
私は心の中で言った。
「乱暴はしないで」
「もし彼らが君に手を出してきたら?」
「それでも殺さないで」
「また敵に先にお願いするのか」
「私は自分のルールを決めている」
ソレンセンが笑った。
「いいね。続けろ」
雨宮座は仙台の旧商店街の突き当たりにあった。
外壁は濃い茶色の木板と古いレンガを組み合わせた構造だった。
入口には新しく作られた看板が掛かっていた。
**雨宮座 音楽と映像交流空間**
看板の下には、学生バンド交流会のポスターが貼られていた。
とても普通に見えた。
もし私が地下に異常があることを知らなければ、
ここは少し温かい場所だと思ったかもしれない。
AfterToneに少し似ていたからだ。
古くて、
小さくて、
完璧ではない。
それでも誰かが、音を出し続けようとしている場所だった。
劇場の入口には、地元の退魔者が数人立っていた。
彼らは私を見た瞬間、表情が変わった。
一人の若者が無意識に半歩後ろに下がった。
もう一の中年男性がすぐに視線でそれを制した。
早坂真理が彼らに紹介した。
「こちらは東京から来た協力者、白川さんです」
彼女は「下北沢黒弦」とは言わなかった。
私は彼女に感謝した。
しかし彼らの視線は、すでにすべてを物語っていた。
彼らは知っていた。
私が誰なのかを。
あるいは、その代号を知っていた。
山伏のような頭巾をかぶった老退魔者が近づいてきた。
彼の名前は菅原玄道で、地元の山岳系術師だった。
彼は私を見て、数秒間黙っていた。
「噂よりずっと普通の子供だな」
私は顔を伏せた。
「す、すみません」
なぜ謝ったのか、自分でもわからなかった。
菅原玄道は私の反応に一瞬、言葉を失ったようだった。
早坂真理が低く言った。
「菅原先生」
彼はため息をついた。
「失礼した」
それから真剣な口調で続けた。
「地下のものは簡単ではない。危険を感じたら無理をするな。東北連合が全力で封じる」
この言葉で、私は少しだけ安心した。
少なくとも彼は、私に何かを証明させようとしている人間ではなかった。
しかし隣にいたもう一人の若い術師が、小声で言った。
「百目影倉を壊したという伝説の人物が、この程度の場所を恐れるはずがないだろう」
声は大きくなかった。
しかし私は聞こえた。
全員が聞こえた。
空気が一瞬、凍りついた。
早坂真理の顔色が沈んだ。
「相沢」
その若い術師は視線を逸らした。
「ただ事実を言っただけだ」
ソレンセンが意識の奥で低く笑った。
「ほら、また一匹」
私は鞄の肩紐を強く握った。
菅原玄道の声が厳しくなった。
「謝れ」
相沢は不満そうに頭を下げた。
「すみません」
私は小さく言った。
「大丈夫です」
実際には大丈夫ではなかった。
しかし劇場に入る前に衝突を起こしたくなかった。
早坂真理が私の耳元で小さく言った。
「彼は青嵐会という、地元の中規模術師団体の所属です。最近、彼らはより高位の事件を処理できることを証明したがっています」
青嵐会。
私はこの名前を覚えた。
たいていこのような名前が出てくると、後で面倒なことになる。
学生バンド交流会は午後二時から始まる予定だった。
今は午前十時。
普通の学生はまだ来ていない。
これは処理するのに最も良い時間だった。
雨宮座の内部は、外見よりも古びていた。
木の床を歩くと、わずかな音がした。
舞台は大きくないが、設備は整っていた。
客席にはおよそ百席あった。
一番後ろの座席の色が、他の場所より明らかに濃く、
まるで長年雨水に浸かっていたかのようだった。
私は舞台の横に立ち、それらの座席を見つめながら、
胸の奥が少し冷えるのを感じた。
ソレンセンが言った。
「下だ」
私は頷いた。
早坂真理が聞いた。
「感じたか?」
「地下です」
菅原玄道が頷いた。
「入口は旧映写室の奥にある」
私たちは二階に上がった。
旧映写室には、残された古い映写機が一台置かれていた。
電源は入っていない。
それでもレンズの中から、雨の音が聞こえてきた。
滴る。
滴る。
滴る。
まるで遠くの山の溪流のようだった。
壁には古い映画のポスターがいくつか貼られていた。
そのうちの一枚は、すでに白く色褪せていた。
白すぎて、私は白鏡監督を思い出してしまった。
好きではなかった。
入口は映写室の奥にあった。
低めの鉄の扉だった。
扉には東北連合の封印符が貼られていた。
符紙の端が湿っていた。
まるで雨に濡れたかのようだった。
菅原玄道が眉を寄せた。
「封印が消耗している」
早坂真理が私を見た。
「当初の計画では、三人が中に入り、あなたは外層で判断を下すことになっていました。しかし汚染がすでに通路を侵食している場合、外層からの判断だけでは不十分かもしれません」
つまり、中に入る必要があるかもしれないということだった。
私は頷いた。
「わかりました」
相沢が突然言った。
「青嵐会からも二人が支援に入っています。我々は山岳荒魂に詳しい」
早坂真理が眉を寄せた。
「承認は出ていません」
「連合に協力申請は出しています」
「まだ通っていません」
相沢が私を見て、挑発的な口調で言った。
「すべてのことを、東京から来た協力者に一人でやらせ続けるわけにはいかないだろう?」
私は心の中で、本当は私も一人でやりたくないと言いたかった。
しかし彼の言葉は、気遣いではなく、不満のように聞こえた。
菅原玄道が低く叱った。
「相沢、退がれ」
相沢は動かなかった。
そのとき、鉄扉の内側から雨の音が急に大きくなった。
古い映写機が自分で光を灯した。
白い光が壁に当たった。
映像の中に、山道が現れた。
雨の夜。
旧スクールバス。
トンネル。
そして学生制服を着た影が道端に立っていた。
影が顔を上げ、レンズの外側を見た。
壁に、びしょ濡れの文字が浮かび上がった。
**黒弦だけが降りてこい**
空気が凍りついた。
私は背中が冷たくなった。
早坂真理が即座に言った。
「いけない。これは明らかに誘導だ」
私も、それが誘導であることはわかっていた。
しかし下りなければ、普通の学生が来たときに異常が爆発するかもしれない。
私はソレンセンに低く聞いた。
「下にどれだけいる?」
「一つの汚染核だ」
「他にも人だ」
私は胸が一瞬、締めつけられるのを感じた。
「生きてる人?」
「数匹の虫が下に隠れている」
「青嵐会?」
「気配はあの若い虫に似ている」
やはりか。
私は早坂真理を見た。
「下に人がいるかもしれません」
彼女の顔色が変わった。
「誰だ?」
私は小さく言った。
「青嵐会の人です」
相沢の顔色が一瞬で固まった。
「何を言ってるんだ?」
菅原玄道が彼を睨んだ。
「貴様ら、勝手に中に入ったのか?」
相沢は答えなかった。
それが答えだった。
早坂真理の声が冷たくなった。
「貴様らは正気か? 未承認で汚染区域に入るなど、普通の人を危険に晒すことになる!」
相沢が歯を食いしばった。
「ただ先に状況を確認しただけだ。青嵐会には山岳荒魂を処理する能力がある。すべての功績を東京に……」
言い終わらないうちに、鉄扉の内側から悲鳴が聞こえた。
相沢の顔色が一瞬で真っ白になった。
「先輩!」
菅原玄道が怒鳴った。
「馬鹿者!」
早坂真理はすぐに扉を開けようとした。
しかし私が先に手を伸ばした。
「待ってください」
彼女が私を見た。
「中に罠があるのか?」
「あるかもしれません」
ソレンセンが低く言った。
「全員が中に入るのを待っている」
私は深呼吸をした。
「私が先に行きます」
早坂真理が眉を寄せた。
「いけない」
「名前を指定してきています」
「だからこそ、いけない」
「でも中に人がいます」
相沢はこのとき、ようやく本気で慌てた。
「助けてください! お願いします!」
先ほどまで棘のある態度だった若い術師の声が、今は震えていた。
私は彼を見て、急に怒れなくなった。
なぜなら、これが多くの小さな勢力の人々だったからだった。
彼らは噂を聞き、
不服に思い、
自分たちを証明したがり、
組織を認めさせようとし、
それから、自分では処理できない暗闇に足を踏み入れる。
嫌だ。
愚かだ。
しかし、死ななければならないわけではない。
私は普通のピックを取り出した。
「条件」
ソレンセンがすぐに笑った。
「今回は少し楽にしてもいいか?」
「第一、私の体を乗っ取ることは禁止です」
「できる」
「第二、捕らえられている青嵐会の人々を傷つけない」
「できる」
「第三、東北連合の人々を傷つけない」
「できる」
「第四、汚染核と山岳荒魂の残片、影像媒介の間の接続だけを切断し、地上に拡散させない」
「できる」
「第五、操っている者がいた場合、殺さない」
ソレンセンが不満そうに鼻を鳴らした。
「またか」
「約束して」
「できる」
金色の鎖が震えた。
私は鉄扉を押した。
雨の音が一気に押し寄せてきた。
地下通路は長くはなかった。
しかし中に入ると、空間が明らかに引き伸ばされているように感じられた。
壁は湿ったコンクリートだった。
地面には水が溜まっていた。
一歩進むたびに、水面に自分の影ではないものが映った。
山。
雨。
旧スクールバス。
バスの中に座っている学生たち。
私はできるだけ見ないようにした。
ソレンセンが注意した。
「水を見るな」
「うん」
「左側の三番目の扉の奥に、二匹の虫がまだ生きている」
私は足を速めた。
三番目の扉の奥は、旧物置のような空間だった。
二人の青嵐会術師が、赤い雨線で壁に縛り付けられていた。
彼らの顔色は真っ白で、目の中に同じ映像が繰り返し映っていた。
山道。
ブレーキ音。
スクールバスの転落。
学生の泣き声。
これは白鏡監督のような「撮影」の悪意ではなかった。
むしろ、山の雨に保存されていた事故の記憶を、
誰かが強引に影像媒介に繋げたもののように見えた。
私はピックを掲げた。
軽く一閃させた。
黒い線が赤い雨線を切断した。
二人の術師が地面に倒れ込み、大きく息を吐いた。
そのうちの一人が私を見て、呟いた。
「黒弦……」
私は小さく言った。
「歩けますか?」
彼らは頷いたが、立てなかった。
ソレンセンが言った。
「彼らをここに置いておけ。核はもっと下だ」
私は通信機で早坂真理に連絡した。
「二人を見つけました。生きています。迎えに来てください。汚染核はもっと下にあります」
早坂真理はすぐに返信してきた。
「それ以上、単独で深入りするな」
私は少しの間、沈黙した。
それから言った。
「間に合いません」
彼女は何かを言いたそうだった。
しかし通信が雨音で途切れた。
ソレンセンが低く笑った。
「君はどんどん指示を無視するようになってきたな」
「私だってしたくない」
「しかしした」
私は答えなかった。
地下のさらに奥は、旧映写室のような空間だった。
奇妙だった。
地下の防空壕に映写室があるはずがない。
しかし異常空間は理屈を言わなかった。
映写室の中央に一枚の幕があった。
幕には雨夜の山道が映っていた。
幕の前に、三人の人間が立っていた。
普通の人間ではなかった。
彼らは深青色の術師服を着て、袖口に青嵐会の紋様があった。
そのうちの中年の男が振り返った。
彼は私を見ると、驚くどころか、
ようやく来てくれたというような表情を浮かべた。
「やっぱり来てくれたな」
私は胸の奥が沈むのを感じた。
「あなたたちが仕組んだんですか?」
中年男が微笑んだ。
「誤解しないでほしい。我々はただ、確認したかっただけだ。下北沢黒弦が、噂通りの力を持っているかどうかを」
私はピックを握りしめた。
「自分たちの人間を餌にしたんですか?」
「彼らは自発的に先行調査した」
「彼らは死にかけていました」
「退魔には元々リスクが伴う」
この言葉を聞いて、私はとても冷たく感じた。
小さな勢力の野心は、こんなにも醜く見えることがあるのかと思った。
中年男は続けた。
「青嵐会は天城のような大財団とは違う。京都の旧家系とも違う。我々には十分な資源も、発言権もない」
「百目影倉のあと、皆が君を見ている」
「我々が君と共同で事件を処理できることを証明できれば、青嵐会は東北での地位を上げられる」
私は低く聞いた。
「だからこの事件を仕組んだんですか?」
「いや」
彼は首を振った。
「事件は元々存在していた。我々はただ、それを君を招待するのに適した形にしただけだ」
何が違うというのか。
ソレンセンが冷たく笑った。
「虫の言い訳だ」
幕の上の雨が急に強くなった。
汚染核が姿を現した。
それは古い校章で、古いフィルムケースに嵌められていた。
校章には黒い山泥が絡みついていた。
フィルムケースの周りには、多くの青色の符釘が打たれていた。
青嵐会は、山岳荒魂の残片と事故の記憶、影像媒介を強引に繋げていた。
彼らはおそらく、自分たちで制御できると思っていた。
結果、制御できなかった。
だから私を呼んだ。
そして私の行動を利用して、自分たちの価値を証明しようとした。
私は胸の奥が少し冷えるのを感じた。
怒りではなかった。
ただ、むかついていた。
「今日の午後、学生バンドの活動があります」
「我々は活動前に処理を終える」
中年男は言った。
「君がいるから、失敗することはない」
この言葉で、私は完全に言葉を失った。
君がいるから、失敗することはない。
だから彼らは賭けに出た。
だから彼らは普通の学生の活動を、リスクの端に置いた。
なぜなら彼らは、下北沢黒弦が残りを片付けてくれると信じていたからだった。
これは私を直接攻撃するよりも、ずっと嫌だった。
ソレンセンが低く言った。
「今回は、少し痛い目に遭わせてもいいか?」
私はすぐに答えなかった。
「彼らは普通の人を賭けに使った」
「わかっている」
「君を保険として使った」
「わかっている」
「彼らは覚えるべきだ」
私は深呼吸をした。
「殺してはいけない」
ソレンセンが笑った。
「もちろん」
私はピックを掲げた。
中年男の隣にいた二人の術師が、すぐに符陣を展開した。
青色の風線が地面から立ち上がり、雨音と山泥を伴っていた。
中年男が言った。
「緊張するな。我々は君を傷つけるつもりはない。ただ、君の処理方法を記録したいだけだ」
記録。
また記録か。
なぜ皆、私を記録したがるのか。
「あなたたちも私のデータを採取したいんですか?」
「天城のような機械的な採取ではない」
彼は言った。
「ただの術式観察だ。我々は報酬も支払うし、東北連合に対して青嵐会が今回の事件に貢献したことを証明する」
私は彼を見た。
「私は同意していません」
中年男の表情がわずかに沈んだ。
「今回の事件は、地方勢力のバランスにとって重要だ。君は理解する必要はない。ただ、君の方法で汚染核を処理してくれればいい」
ただ、
私の方法で、
汚染核を処理する。
つまり、彼らは私を道具として使いたいと言っている。
そして私の行動を、彼らの功績にしたいと言っている。
私は低く言った。
「条件を追加します」
ソレンセンが笑い声を深くした。
「言え」
「青嵐会がここに配置したすべての観察術式、記録術式、制御術式を切断する」
「できる」
「彼らの行動能力を奪う」
「どのくらいの間?」
私は少し間を置いた。
「東北連合が引き継ぐまで」
「できる」
「重傷は負わせない」
「つまらない」
「約束して」
「できる」
中年男は何か異変を感じ取ったようだった。
「何をするつもりだ?」
私は答えなかった。
ただピックで、鞄の金属のバックルを軽く叩いた。
チン。
とても小さな音だった。
黒い弦が私の影から広がった。
中年男の周りにいた二人の術師が、すぐに青色の風陣を展開した。
しかし黒い弦は、彼らが用意した山岳系外殻の最も目立たない符釘の接続部から、そっと切り開いていった。
第一の黒い弦が、山岳系外殻を切断した。
第二の黒い弦が、雨線を切断した。
第三の黒い弦が、記録術式を切断した。
第四の黒い弦が、彼らと汚染核の間の偽の制御鎖を切断した。
第五の黒い弦が、三人の足元の影縛反制符を切断した。
第六、第七、第八の黒い弦が、同時に彼ら自身の影を釘付けにした。
全工程は三秒もかからなかった。
三人の青嵐会術師が、揃って跪いた。
血は出なかった。
悲鳴も上がらなかった。
華麗な爆発もなかった。
ただ、彼らが多額の資金と関係、術式材料を費やして構築した「黒弦観察陣」が、
切り開かれた紙灯籠のように崩れ落ちただけだった。
中年男の顔から、自信が完全に消えていた。
「どうして……」
彼は言った。
「我々は山岳系外殻を使った。お前がこれほど早く見破れるはずが……」
ソレンセンが冷たく笑った。
「虫が紙の殻に泥を塗っただけで、紙ではないと思っている」
私はこの言葉を繰り返さなかった。
しかし、正しい形容だと思った。
私は三人を越えて、汚染核の方へ歩み寄った。
校章がフィルムケースの中で震えていた。
幕の上の雨夜の山道が歪み始めた。
私は子供の泣き声と、
ブレーキ音と、
山石が転がる音を聞いた。
これは悪意の核心ではなかった。
むしろ、事故の残響を、青嵐会が粗雑に舞台装置として使ったもののように見えた。
私はピックを握りしめた。
「フィルムケースと山泥、事故の残響の間の強制的な結合だけを切断する。残響自体は残し、東北連合に浄化を任せる」
ソレンセンがため息をつくように笑った。
「君は本当にゴミ掃除に向いているな」
「黙って」
黒い弦が落ちた。
第一層、フィルムケースが開く。
第二層、山泥が剥がれる。
第三層、校章に絡みついていた黒い怨線が緩む。
第四層、雨夜の山道の映像が幕から消えていく。
泣き声は飲み込まれなかった。
ただ小さくなった。
まるで、繰り返し再生されていた古い映画から、ようやく抜け出したかのようだった。
最後に、旧校章が地面に落ちた。
普通で、
古びていて、
少し泥がついているだけだった。
汚染核が解除された。
地下空間全体が、徐々に元の姿を取り戻し始めた。
本当の防空壕の壁が再び現れた。
雨音が止んだ。
私は腰を曲げ、手拭いで校章を包んだ。
中年男は地面に跪いたまま、顔色が真っ白だった。
彼はようやく一つのことを理解した。
彼らの「準備」、彼らの「戦闘記録の研究」、彼らの「山岳系外殻」は、
下北沢黒弦の前では意味をなさなかった。
彼女はただ影像を切断するだけではない。
彼女が切断するのは、接続だった。
強引に繋げられたものなら、
影像と怨念でも、
山泥と校章でも、
術式と観察でも、
野心と言い訳でも、
すべてを切り開くことができた。
私は彼の前に立った。
彼は無意識に後ずさった。
しかし影を釘付けにされていたので、動けなかった。
私は彼を見下ろした。
正直に言うと、これは私にとってとても難しかった。
私は人を裁くのが得意ではなかった。
できれば、早坂真理や菅原玄道に任せたかった。
しかし今回は、私が言わなければならなかった。
「普通の学生の活動を賭けに使わないでください」
私の声は小さかった。
しかし地下室はとても静かだったので、一語一語がはっきりと聞こえた。
「私を保険として使わないでください」
中年男が喉を動かした。
「我々は……」
「またこんなことをしたら、東北連合に伝えます」
私は少し間を置いた。
それでも足りない気がして、付け加えた。
「それから東京特調室にも」
中年男の顔色がさらに悪くなった。
ソレンセンが意識の奥で、とても愉快そうに笑った。
「先生に告げ口するみたいだな」
私は心の中で固くなった。
確かにそうかもしれない。
しかし有効だった。
なぜなら、こうした地方勢力にとって、東京特調室と東北連合の正式な処分は、私の黒い弦よりも現実的だったからだった。
彼らは資格を失い、
依頼を失い、
名声を失い、
そして彼らが最も欲しがっていた地位を失うことになる。
私は続けた。
「あなたたちの人間は生きています。これ以上、彼らをあなたたちの野心の危険に晒さないでください」
言い終わって、私は振り返った。
出口まで来たとき、ソレンセンが突然言った。
「影の釘を抜き忘れているぞ」
「あ」
私は振り返り、ピックで軽く一閃させた。
影縛が解除された。
三人の術師が同時に崩れ落ちた。
私は顔を伏せ、小さく言った。
「すみません」
彼らは誰一人、答えられなかった。
地上に戻ったとき、早坂真理と菅原玄道はすでに、二人の捕らえられていた術師を救出していた。
相沢が傍らに立って、顔色が真っ白と真っ赤を繰り返していた。
私を見ると、彼はすぐに聞いた。
「先輩たちは……」
「生きています」
私は包んだ旧校章を早坂真理に渡した。
「汚染核は解除しました。青嵐会の人々は地下にいます。行動能力を失っていますが、重傷ではありません」
早坂真理が私を一瞬見た。
「彼らは君に手を出したのか?」
私はどう答えればいいかわからなかった。
「記録を取ろうとした……と言えばいいでしょうか」
菅原玄道の顔色が完全に沈んだ。
「愚か極まりない」
相沢は顔を伏せ、声が震えていた。
「すみません」
私は彼を見た。
先ほどまで棘のある態度だった若い術師は、今は雨に濡れた小動物のように見えた。
私はこのような謝罪に、どう対応すればいいのか、あまり得意ではなかった。
「もうこんなことはしないでください」
「はい」
彼は必死に頷いた。
「私は青嵐会の今回の行動から離れ、連合に事情を説明します」
これは少し意外だった。
早坂真理が言った。
「後処理は東北連合が行う。白川さん、あなたは先に休んでください」
私は頷いた。
足が少し震えていた。
さっきは楽に押し潰したように見えたかもしれない。
しかし実際には、私はとても疲れていた。
力の疲れではなかった。
精神的な疲れだった。
呼ばれ、
試され、
保険として使われ、
他人を警告しなければならなかった。
これらはすべて、術式を切断するよりも疲れることだった。
午後の学生バンド交流会は中止されなかった。
雨宮座が正常に戻ったあと、東北連合は普通の設備で再度、会場の安全を確認した。
青嵐会の人々は連行された。
旧校章は封印された。
普通の学生たちが続々と到着した。
彼らは楽器を背負い、曲目について笑い合いながら話していて、
地下で何が起きていたのかを、まったく知らなかった。
私は客席の一番後ろに座り、最初の学生バンドがステージに上がるのを見ていた。
ギターが少し音程を外していた。
ドラムが少し急いでいた。
ボーカルが緊張で歌詞を一つ忘れていた。
しかし彼らはとても楽しそうだった。
それで十分だった。
私は今日、ここに来たことが、完全に無駄ではなかったのかもしれないと思った。
少なくとも、この旧劇場は音楽空間として続けられる。
ある地方勢力が自分を証明するための罠にはならなかった。
早坂真理が私の隣に座った。
「処理が早かったな」
私は顔を伏せた。
「ただ、たまたま……」
彼女は首を振った。
「たまたまじゃない」
彼女は舞台を見ていた。
「東北の多くの中小勢力は、ずっと東京と京都があまりに多くの発言権を持っていると感じていた。百目影倉のあと、あなたの名前が伝わってきたことで、一部は畏怖し、一部は不服だった」
「今日のあと、不服な者はかなり減るだろう」
私はこの結果を望んでいなかった。
しかし避けられないのかもしれないと思った。
早坂真理は続けた。
「ただ、菅原先生がさっき一言言っていた」
「何ですか?」
「彼は言った。下北沢黒弦が恐ろしいのは、強いことではなく、強くして相手を押し潰せるのに、それでも人をルールに委ねることを選ぶことだと」
私は沈黙した。
ソレンセンが冷たく鼻を鳴らした。
「老いた虫の目は、まだ少しは使えるようだな」
私は答えなかった。
なぜなら、私は舞台上の緊張しているギタリストを見て、
自分自身が初めてステージに立ったときのことを思い出していたからだった。
指が震え、
心拍が速すぎてリズムが聞こえなくなるような感覚。
普通の学生バンドは、本当に地下でどれだけの勢力が暗闇の中で発言権を争っているのかを知る必要はない。
彼らはただ、今日の歌を最後まで歌えばいい。
私も、自分の歌を最後まで弾けばいい。
夕方、私は東京行きの新幹線に乗った。
日和からメッセージが来た。
見学はうまくいった?
私は少し考えて、返信した。
うん。地方の学生バンドが一生懸命やってた。
これは本当のことだった。
陽菜がすぐに返信してきた。
聞きたい!
澪が返信してきた。
仙台に何か美味しいものあった?
私は駅で買った牛タン弁当を見て、
最後に写真を撮って送った。
澪が一番早く返信してきた。
勝利。
私は小さく笑った。
窓の外の空が、ゆっくりと暗くなっていった。
ソレンセンが意識の奥で口を開いた。
「今日の虫たちは弱すぎたな」
「君にとってはみんな弱い」
「それでも君に手を出してきた」
「うん」
「君はただ、彼らを連合に引き渡しただけだ」
「うん」
「君はどんどん、人間のルールを使って人間を罰するようになってきた」
私は顔を伏せ、弁当箱を見つめていた。
「それが悪いことですか?」
ソレンセンは少しの間、沈黙した。
「彼らにとっては、吾に押し潰されるより苦痛だろう」
私はそれが褒め言葉なのか、皮肉なのか、よくわからなかった。
もしかすると両方かもしれない。
新幹線が東京に向かう中、私は今日のあと、
東北でも新しいバージョンが広まることを知っていた。
下北沢黒弦が一人で仙台旧劇場の地下に入った。
青嵐会が彼女を記録しようとした。
三秒で無効化。
汚染核解除。
死者なし。
地方連合が引き継ぎ。
この噂は、さらに形を変えていくだろう。
ある者は私が恐ろしいと言うだろう。
ある者は私が寛容だと言うだろう。
ある者は青嵐会が愚かだと言うだろう。
ある者はもう私を試すなと言うだろう。
これらは私がコントロールできることではない。
しかし少なくとも今日、あの学生バンドたちは無事に演奏を終えた。
雨宮座は災害現場にはならなかった。
青嵐会の人々は生きて処分を受けることになった。
そして私は牛タン弁当を持って東京に帰った。
これが、私が受け入れられる結果だった。
私は弁当を開けた。
いい匂いがした。
それから、私は箸を忘れていたことに気づいた。
私は弁当箱を長い時間見つめていた。
ソレンセンが今日一番愉快な笑い声を上げた。
「下北沢黒弦」
「地方術師連合の観察陣を切断できる」
「しかし弁当の中に箸が入っているかどうかは確認できない」
私は顔を伏せ、弁当箱の蓋を閉めた。
「黙って」