俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第67章 猫の影が裏側へ入り込み、退魔界に見えない金色の線が増え始める
夏休みの後半になって、私はようやく、予定が少しだけ安定してきたように感じ始めていた。
自動車学校。
AfterToneの練習。
実習まとめ。
研究会資料の整理。
たまに大学図書館へ本を借りに行くこと。
灰色の特調室予定は、しばらく少なかった。
眼鏡の女性は、各地の無門術師たちが黒弦模倣の小事件を片づけていると言っていた。
だから、私は毎回呼び出されなくていい。
私は彼らに感謝していた。
名前も知らないけれど。
ただ、なんとなく、自分がようやく夏休みの残りの一部分を取り戻せている気がしていた。
けれど、私は知らなかった。
私が小さなアパートで自動車学校の学科問題を解いているそのとき、遠い世界から来たもう一つの存在が、すでにひっそりとこの世界へ降り立っていたことを。
しかも、それはソレンセンのように封印されていなかった。
私のように、普通の生活と無理やり結びつけられているわけでもなかった。
それは自由だった。
自分自身の身体を持っていた。
自分自身の判断を持っていた。
自分自身の力を持っていた。
そして、とても危険な忍耐力を持っていた。
その名は、ニャーサ。
その名前を私が知るのは、後にその勢力が拡大してからのことだった。
ニャーサは、この世界に強大でありながら封印状態にある力の揺らぎを見つけた。
だから、この世界へ入ってきた。
ニャーサがこの世界へ来た最初の日。
それは東京・港区にある高層ビルの屋上に降り立った。
夜風は冷たかった。
ニャーサの感知の中で、この世界に秘密はなかった。
この世界の力は、ニャーサにとってあまりにも弱かった。
もし少しでも慎重に力を制御しなければ、たとえ何もしなくても、外へ漏れ出した力だけでこの世界は消えてしまう。
だから、ニャーサはこの世界で完全に力を抑えた。
そして、自分の最初の姿で現れた。
蝶ネクタイをつけた一匹の猫。
本来の姿――颯雷孤影・ニャーサではなく。
車の流れ。
人の群れ。
電波。
監視カメラ。
霊脈。
結界。
貨幣の流れ。
情報の流れ。
恐怖。
欲望。
普通の人間の目には、互いに何の関係もないもの。
けれど、ニャーサの目には、それらすべてが、指先で弾ける巨大な楽譜のように見えていた。
それはすぐに力を解放しなかった。
低級の侵入者のように、大声で自分の降臨を宣言することもなかった。
そんなものは愚かすぎる。
ただ屋上の縁に立ち、この世界を見下ろした。
「想像以上に脆いね」
それは軽く言った。
「でも、面白い」
この世界の内部には、強者が多い。
術師。
神社。
特調室。
家系。
財団。
無門の達人。
地方鎮守。
古い結界。
けれどニャーサの目には、それらの力は、制度、金、人情、縄張り、名声、恐怖によって、あまりにも細かく分断されていた。
そして、彼ら自身の実力も、取るに足りなかった。
彼らは怪物には勝てる。
けれど、帳簿を管理できないことが多い。
怨霊を封印できる。
けれど、消耗品の供給からは離れられない。
汚染を祓える。
けれど、保険、車両、医療、記録、情報費、装備維持、人員手当、施設賃料が必要になる。
退魔界は、術式だけで動いているわけではない。
金でも動いている。
そして金とは、最も気づかれないまま支配しやすい線だった。
ニャーサは笑った。
その笑みは軽かった。
猫が、自分ではうまく隠れたと思っている鼠を見るような笑みだった。
「あの黒弦には、まだ触らない」
それは小さく言った。
ニャーサは、この世界で過去に起きた歴史をすでにすべて知っていた。
下北沢の黒弦。
天城グループの停止。
京都旧音庫。
九州潮返洞。
キャンパス襲撃。
誤って「裏人格」と呼ばれている噂。
どれも興味深かった。
けれど、ニャーサはすぐに彼女を探しに行かなかった。
なぜなら、それはよくわかっていたからだ。
本当に強い駒には、開局の一手目で触れるべきではない。
とくに、その人物の内側には、今はまだ刺激したくない圧迫感があった。
この世界の圧迫感ではない。
もっと深く、もっと黒く、もっと混沌としたもの。
ニャーサの実力は、秩序戦争期のソレンセンには及ばない。
ニャーサ自身も、ソレンセンが誰なのかは知らなかった。
けれど、この世界では、それでも既存のすべての戦力を踏み潰すには十分だった。
望めば、瞬時に世界を滅ぼすこともできる。
天城の残存システムを玩具のように逆接収することもできる。
無門術師たちが誇る現場判断を、すべて無意味な足掻きに変えることもできる。
この世界を好き勝手に操作することもできる。
けれど、それでは粗すぎる。
ニャーサは粗いものが嫌いだった。
精密な支配。
面白い物語。
価値あるもの。
そういうものが好きだった。
たとえば、封印されたあの強大な力のように。
自分が支配されていると相手に知らせるのではない。
相手に、自分は合理的な選択をしているのだと思わせる。
第一歩は、金だった。
三日後。
「猫目資本」という小型投資会社が、東京で登記を完了した。
表向きは、外資背景の資産管理会社。
規模は大きくない。
チームは清潔。
法務書類は完璧。
異常組織の背景はない。
退魔界での記録もない。
天城、御影、京都、玄海、四国、そのどの勢力とも直接的な関係はない。
それは、これ以上ないほど普通に見えた。
けれど、わずか二週間のうちに、猫目資本は十数社のペーパーカンパニーを通じて、退魔界の周辺産業の債権を買い始めた。
符紙工房の設備ローン。
地方術具店の賃料債務。
小型結界メンテナンス会社の売掛金。
霊具を運ぶ低温物流契約。
特調室の外部委託人員に保険と医療支援を提供している民間機関の株式。
そして、中小退魔組織が抱えている「短期運転資金」。
こうした債務に、普段は誰も注目しない。
大勢力は見向きもしない。
小勢力はそれなしでは生きていけない。
無門術師は、なおさら金融に詳しくない。
そうして猫目資本は、静かな猫のように、暗面の床板の隙間へ爪を差し込んでいった。
誰も危険だとは思わなかった。
むしろ、多くの人間は良いことだと思った。
ある符紙工房が倒産寸前になったとき、猫目資本は低金利の継続融資を提供した。
ある地方鎮守が新しい結界装置を買えずにいたとき、猫目資本は文化保護基金を通じて装置を寄贈した。
何人かの無門術師が医療費の償還を必要としていたとき、関連保険機関が突然、支払い効率を上げた。
長期赤字の術具店が猫目資本に買収されたあと、値上げはされなかった。
むしろ、基礎消耗品の価格が下がった。
退魔界には、こんな声が出始めた。
「最近、周辺供給が妙にスムーズになってないか?」
「どこが引き受けてるんだ?」
「さあ。普通の資本らしい」
「普通の資本が、こんなものに関わるのか?」
「知らん。精算できるならいいだろ」
それこそ、ニャーサが望んだ効果だった。
飢え死にしそうな人間は、魚が誰から送られてきたのかを先に尋ねたりしない。
まず食べる。
食べ慣れてから、自分がすでに、その魚を運んでくる手なしではいられなくなっていることに気づく。
第二歩は、武力だった。
ニャーサは大勢力を直接勧誘しなかった。
その必要がなかった。
ああいう家族には、自尊心がある。
伝統がある。
長老がいる。
複雑な関係がある。
扱いにくい。
ニャーサが選んだのは、別の種類の人間だった。
借金を抱えた術師。
家から追い出された失敗継承者。
組織の保護を持たない低級除霊人。
黒弦模倣事件に巻き込まれ、仕事を失った辺境の邪術師。
そして、かつて特調室から警告を受けたが、重大犯罪歴はない小規模集団。
彼らは強くない。
けれど、数は多い。
心に怨みを抱えている。
そして何より、金に困っている。
猫目資本は彼らに、直接「臣従しろ」とは言わない。
ただ、三つのものを提供する。
仕事。
装備。
債務整理。
家から追放された若い術師のもとに、突然「民間文化安全顧問」の契約書が届く。
破産寸前の小集団が、高品質の封存箱と護符材料を手に入れる。
取り立てに追われていた外部委託の除霊人の債務が、新会社へ移され、利息が下がり、返済期限が延びる。
彼らは当然、感謝する。
そして当然、いくつかの「追加委託」を受け入れる。
たとえば、ある術具店の在庫を確認しに行く。
たとえば、古い音声資料の輸送を護衛する。
たとえば、最近資金繰りが苦しい家系を調べる。
たとえば、フォーラムで話題を誘導する。
たとえば、いくつかの小勢力の内部帳簿を買い取る。
そうした任務は、どれも深刻には見えない。
人を殺さない。
一線を越えない。
大組織を直接攻撃しない。
中には、普通の仕事に見えるものさえある。
けれど、それが一つ一つ積み重なると、武力ネットワークになる。
ニャーサは、すべての駒が強い必要はなかった。
すべての駒が正しい位置にあれば、それでよかった。
本当に強い力が必要なときは、自分で出ればいい。
最初に本気で「おかしい」と気づいたのは、真壁仁だった。
その日、彼は東京・北区で、地下倉庫の低級模倣事件を処理していた。
現場は難しくなかった。
壁に描かれた黒線。
数枚の符紙。
「抽出会」と名乗る小集団。
真壁仁は、また普通の馬鹿どもだと思っていた。
けれど中に入ってから、彼は気づいた。
こいつらの装備が良すぎる。
強い、という意味ではない。
品質が安定しすぎている。
防護符紙。
通信機。
封存箱。
薬剤。
撤退ルート図。
すべてが上等品だった。
この程度の低級邪術師が買える水準を、はるかに超えている。
真壁仁はリーダー格の男を地面に押さえつけ、尋ねた。
「誰から物をもらった?」
相手は口が硬かった。
「自分で買った」
真壁仁は冷笑した。
「お前みたいなやつが、三層の反噬防護符を買えるのか?」
相手は黙った。
真壁仁は、それ以上無理に問い詰めなかった。
物品をすべて封存し、戻ってから供給ルートを調べた。
二日調べて、たどり着いたのは新規登録された文化安全用品会社だった。
その上に二つの貿易会社。
さらにその上に、猫目資本傘下の投資基金。
資料は、過剰なほど綺麗だった。
真壁仁は画面を見つめ、長いあいだ口を開かなかった。
若い協助員が尋ねた。
「真壁さん、この会社、問題ありますか?」
真壁仁は煙草に火をつけた。
「綺麗すぎるのが問題だ」
「特調室に報告しますか?」
「報告する」
彼は一度止まった。
「ただし、黒弦関連として書くな」
「どうしてですか?」
「今回は彼女の問題じゃない」
真壁仁は猫目資本の登記情報を見ながら、眉をひそめた。
「誰かが金で、暗面の腐った連中を飼っている」
菅原涼も、異常に気づいた。
大阪のある小型術師団体が、最近、新しい医療保険に切り替えていた。
保険金支払いの効率が、異常なほど高かった。
病院異常の処理中に負傷した数名の術師が、すぐに補償を受け取っていた。
理屈の上では、良いことだった。
けれど菅原涼は、それが好きではなかった。
なぜなら、保険条項に奇妙な一文が増えていたからだ。
特殊精神汚染事例については、完全な現場感知報告を提出すること。
普通の人間には問題がわからない。
術師が見ても、保険金支払いに必要なのだと思うかもしれない。
けれど、菅原涼は以前、看護師だった。
医療記録がどれほど多くのことを明かすのか、彼女は知っていた。
現場感知報告には、こういうことが書かれる。
誰が何を見たか。
誰が何を聞いたか。
誰がどの汚染に敏感か。
誰の術式反応が鈍いか。
誰が暴走しやすいか。
誰に心的外傷後の症状があるか。
そうした資料が悪意ある相手の手に落ちれば、それは術師の弱点一覧表と同じだった。
菅原涼は、完全な報告の提出を即座に拒否した。
保険会社からすぐに電話が来た。
口調は丁寧だった。
「ご提出いただけない場合、保険金支払いの進行が遅れる可能性があります」
菅原涼は淡々と言った。
「それなら遅らせてください」
相手は少し黙った。
「これは業界標準とご理解いただければ」
菅原涼は笑った。
「病院で働いていた頃から、『標準』という言葉で資料を盗む人間が一番嫌いでした」
彼女は電話を切った。
それから、その条項を真壁仁と数人の無門術師に送った。
チャンネルはすぐ静かになった。
遠野修司が返信した。
北海道にも似たような装備補助が出ている。処理ルートの提出を求められた。
真壁仁が送った。
同じ線だ。
菅原涼が尋ねた。
上は誰?
真壁仁が返した。
猫目資本。
遠野修司が短く送った。
名前がわざとらしすぎる。
ニャーサは、彼らが疑い始めたことを当然知っていた。
むしろ、反応が遅いと思っていたほどだった。
この無門術師たちは、多くの家系よりも賢い。
なぜなら、彼らはずっと現場にいるからだ。
現場の人間は、危険の匂いに最も敏感だ。
ニャーサは東京の高級マンションの床から天井まで届く窓の前に座り、尻尾を軽く揺らしていた。
目の前の画面には、真壁仁、菅原涼、遠野修司たちの資料が表示されている。
詳細ではない。
彼らは慎重だからだ。
けれど、すでに十分だった。
「家名を持たない者のほうが、かえって買いにくい」
それは小さく言った。
「面白いね」
そばには、スーツ姿の男が立っていた。
猫目資本の表社会における代理人だった。
自分が本当は何に忠誠を誓っているのか、まったく知らない。
ただ、「ボス」は恐ろしく、そして気前がいいということだけを知っている。
男は頭を下げて尋ねた。
「彼らを処理しますか?」
ニャーサは彼を一瞥した。
その瞬間、男の全身から冷や汗が噴き出した。
「処理?」
ニャーサの声は軽かった。
「支配とは、目障りな相手を殺すことだと思っているの?」
男はすぐに頭を下げた。
「いえ、滅相もありません」
「彼らは有用だよ」
ニャーサは画面を見た。
「本当に働ける人間は、適当に壊してはいけない」
それは前足を上げ、真壁仁の資料に軽く触れた。
「こういう人間は、買えない」
次に菅原涼を指した。
「騙せない」
さらに遠野修司を指した。
「脅せない」
男は小声で尋ねた。
「では、どうなさいますか?」
ニャーサは笑った。
「忙しくさせる」
「私を調べる時間がなくなるほどに」
「もっと多くの低級模倣事件を処理させる」
「あの黒弦の学生を守っているのだと思わせる」
「彼らは、喜んでやるよ」
男は頭を下げた。
「承知しました」
ニャーサは目を閉じた。
「同時に、本当の線は迂回させる」
そうして、次の二週間で、各地の黒弦模倣事件が突然増えた。
強くはない。
致命的でもない。
けれど、面倒だった。
東京の廃LiveHouse。
大阪の病院旧棟。
北海道の無人駅。
九州の小さな漁港。
四国の古倉庫。
長野の廃観測所。
すべてに、低級の黒線、「抽出」の落書き、裏人格の噂が現れた。
無門術師たちは、足が地につかないほど忙しくなった。
真壁仁は四日連続でまともに眠れなかった。
菅原涼は深夜二時まで処理し、それから報告書を書いた。
遠野修司は、北海道の雨夜の中で、三つの偽符陣を解体した。
彼らはすぐに気づいた。
誰かがゴミのような事件で、自分たちを消耗させている。
それでも、処理しないわけにはいかなかった。
放置すれば、噂が広がる。
噂が広がれば、最終的にあの大学生の普通の生活を傷つける。
真壁仁はチャンネルで一言罵った。
裏にいるやつ、嫌がらせのやり方をよくわかってやがる。
菅原涼が返信した。
目標は普通人への加害ではなく、処理者の消耗。
遠野修司が返した。
同時に、我々を供給網調査から遠ざけている。
真壁仁が送った。
なら両方やる。
誰かが尋ねた。
人手が足りません。彼女本人に協力を頼みますか?
チャンネルが一秒、静かになった。
真壁仁が即座に返した。
駄目だ。
菅原涼も返した。
彼女は実習と九州協力を終えたばかり。こんな消耗戦を投げないで。
遠野修司。
俺たちで清掃する。
これこそ、ニャーサが読み違えなかった点だった。
彼らは確かに忙しくなる。
そして確かに、私の代わりに防ぐ。
けれど、ニャーサはもう一つの点を見誤っていた。
無門術師たちは消耗させられると、さらに怒る。
そして怒りは、彼らをさらに真剣にする。
私は、こうした変化のほんの一部しか知らなかった。
眼鏡の女性は私に言った。
最近、模倣事件は増えていますが、地方人員が処理しています。あなたの参加は不要です。
私は尋ねた。
キャンパス事件のあとに広がったせいですか?
彼女は少し間を置いてから返信した。
組織的な誘導の可能性があります。調査中です。
組織的な誘導。
その言葉で、心が冷たくなった。
私狙い?
彼女はすぐには答えなかった。
最後に届いたのは、こうだった。
あなたの噂を一部利用している可能性はあります。ただし現時点で、相手があなたの核心情報を把握している証拠はありません。
核心情報。
私の名前。
AfterToneとの本当の関係。
私の住まい。
大学での日常の細部。
それらはまだ把握されていない。
少なくとも眼鏡の女性は、そう判断している。
私は返信した。
判断が必要なら、遠隔でできます。
彼女の返信は早かった。
現時点では不要です。夏休みの予定を続けてください。
私はその言葉を見つめて、複雑な気持ちになった。
一方では安心。
もう一方では罪悪感。
また誰かが処理している。
また私が夏休みを続けている。
でも、日和の言葉を思い出した。
誰かが自分の仕事をしていることは、私がその人たちに借りを作ったという意味ではない。
私はスマホを置いた。
そして、自動車学校の学科問題を続けた。
問題。
運転中、前方道路が渋滞している場合、どのように対応すべきか。
私は選んだ。
車間距離を保つ。
焦らない。
むやみに車線変更しない。
安全を確認してから前進する。
意識の奥で、ソレンセンが言った。
「お前はいま、渋滞させられている」
「何?」
「あの虫どもが、お前の代わりにゴミの山を塞いでいる」
私の指が止まった。
「知ってるの?」
「偽の線が次々切られているのは感じる」
「多い?」
「以前より多い」
私は黙った。
「彼らは危なくないの?」
「ゴミを処理しても、ゴミで汚れることはある」
言い方はひどい。
でも、たぶん本当だった。
「私は何をすればいいの?」
ソレンセンが低く笑った。
「行きたいのか?」
私は答えなかった。
それは続けた。
「行っても、何本か偽の線を押し潰すだけだ。背後のものは出てこない」
「じゃあ、どうするの?」
「待て」
私は眉をひそめた。
「待つ?」
「本当に線を操る者は、いつか必ず一本、間違った線を弾く」
ソレンセンの声が冷たくなった。
「そのときに切れ」
私はその語気が好きではなかった。
けれど、たぶんそれは正しい。
今、もし大量の低級事件に引っ張り出されれば、私はただ消耗させられるだけだ。
本当の黒幕は、もっと深く隠れる。
私はうつむいて、備忘録に書いた。
ゴミ線に引きずられない。
書いてから、その言い方があまりにもソレンセンっぽいと思った。
だから書き換えた。
消耗目的の事件に引っ張られない。
こっちのほうが大学生らしい。
猫目資本の経済支配は、さらに広がっていった。
それはいくつかの中型退魔組織に接触し始めた。
やり方は温和だった。
買収ではない。
協力だった。
低価格装備の提供。
資金繰りの支援。
法律相談。
死傷補償基金。
匿名情報プラットフォーム。
中型組織たちは、もともと大勢力の狭間で苦しんでいた。
京都家系には属していない。
天城のような資金もない。
重大事件が起きれば、特調室に支援を申請しなければならない。
構成員が負傷しても、補償は遅い。
猫目資本の登場は、まるで恵みの雨のようだった。
彼らはそれに依存し始めた。
そして、猫目資本はいくつかの「管理提案」を出した。
統一購買。
統一保険。
統一事件分類基準。
統一情報報告様式。
統一外部委託術師認証。
どれも現代的に聞こえた。
効率的でさえあった。
けれど、その統一の裏側では、データと資源が同じ中心へ流れていく。
ニャーサは暗がりに座り、その金色の線を軽く弾いていた。
それは、人に跪かせる必要がなかった。
ただ、自分の設計した表に記入させればよかった。
表は、現代世界において術よりも都合がいい。
真壁仁は、ついに一つの重要な線をつかんだ。
ある低級模倣団体の装備補助が、「猫目文化安全基金」から出ていた。
その基金は三日前、ある青少年音楽活動機関に寄付していた。
私の実習先ではない。
けれど、種類は近かった。
それで真壁仁は即座に警戒した。
彼は資料を眼鏡の女性へ送った。
メッセージは短かった。
猫目が青少年音楽活動の周辺に触れ始めた。白川関連方面に注意。
眼鏡の女性はそれを受け取ると、顔を沈ませた。
彼女はすぐに、私が実習した文化活動センターを調べた。
今のところ、猫目資金は入っていない。
けれど、周辺のいくつかの類似機関には、すでに猫目基金から寄付の申し出が届いていた。
これは私への直接接触ではない。
けれど、私の将来の職業方向に近づいている。
非常に危険だった。
眼鏡の女性は、状況を久我山統括官へ報告した。
久我山は読み終えると、一言だけ言った。
「これは普通の資金浸透ではない」
「相手は彼女の興味の方向に沿って道を敷いている」
眼鏡の女性はうなずいた。
「ただし、現時点で相手が彼女の具体的な実習先を知っている証拠はありません」
「それでも切れ」
「どの理由で?」
「公共資金リスク審査だ」
久我山は言った。
「彼女にあまり多く知らせるな」
眼鏡の女性は少し黙った。
「彼女は自責します」
「だから先に処理する」
このとき、特調室もまた、気持ち悪いものを直接私に見せないことを選んだ。
彼らは猫目資本の調査を始めた。
そして猫目資本は、初めて本格的に注視されることになった。
ニャーサはそれに気づいた。
特調室によって数本の資金線が凍結されたのを見ても、怒らなかった。
むしろ笑った。
物語が進んだことを喜ぶ笑みだった。
「ようやく誰かが見たね」
代理人はそばで頭を下げたまま、何も言えなかった。
ニャーサは東京の夜景を眺めた。
「速度は悪くない」
「東京特調室ですか?」
「それと、家名を持たない術師が数人」
それは軽く尻尾を揺らした。
「真壁仁。菅原涼。遠野修司」
その名前を口にするとき、声には少し興味が混じっていた。
「彼らは邪魔です」
代理人が小声で言った。
「違う」
ニャーサは言った。
「彼らは、この世界の免疫系の一部だ」
「早く殺しすぎると、かえって高熱を引き起こす」
「では、どうしますか?」
ニャーサは別の画面を見た。
そこには、大学の夏休み活動日程が表示されていた。
私の完全な日程ではない。
公開情報だけだ。
A大学夏期図書館開放。
自動車学校周辺の交通データ。
いくつかのLiveHouseの公開公演予定。
青少年音楽活動に関するニュース。
それは私の住まいを把握していない。
AfterTone内部の練習も把握していない。
ソレンセンのことも知らない。
けれど、推測していた。
猫が穴の前に座り、急いで爪を伸ばさないように。
「彼女には触るな」
ニャーサは言った。
「今はまだ」
代理人が尋ねた。
「では黒弦は?」
ニャーサは目を細めた。
「彼女は問題の始まりじゃない」
「彼女は、最終的に盤面の中央へ押し出される駒だ」
「その前に、まず盤面を私のものにする」
その夜、私は学科問題を終えたあと、AfterToneへ行った。
陽菜は新曲を練習していた。
澪はベースを調整していた。
日和は私を見ると、言った。
「今日、調子は大丈夫?」
私はうなずいた。
「うん」
「最近、外のことに影響されてない?」
彼女の言い方は曖昧だった。
退魔界を知っているわけではない。
でも、キャンパス事件のあと、私がたまに「外部の用事」で顔色を悪くしていることは知っていた。
私は少し考えた。
「少し。でも、今は大丈夫」
それが言える範囲だった。
日和はうなずいた。
「何かあったら言って」
「うん」
陽菜が急に近づいてきた。
「小音、今日も運転の練習したの?」
「午前中に路上教習があった」
「どうだった?」
「後ろの車にクラクションを鳴らされた」
陽菜は目を大きくした。
「えっ!」
澪が真剣な顔で聞いた。
「いじめられた?」
私は首を振った。
「教官が、急かされても安全確認優先って言ってた」
日和が笑った。
「いい助言だね」
私はうつむいた。
「うん」
急かされない。
安全確認優先。
その言葉は、今の灰色の世界にも合っている。
模倣事件に急かされて出て行かない。
黒幕に引っ張られない。
誰かが小事件を処理しているからといって、自分が全員に借りを負ったと思わない。
安全を確認してから、前へ進む。
それは難しい。
でも、私は学んでいる途中だった。
練習が終わったあと、私は最近買った普通のお菓子をみんなに配った。
澪が宣言した。
「合格」
陽菜が言った。
「小音、最近どんどん普通のお菓子を買うのが上手くなってる!」
私は小さな声で言った。
「それ、どういう褒め方……」
日和が笑って言った。
「すごく大事な褒め方だよ」
私も笑った。
その瞬間、私は知らなかった。
外では、猫目資本という組織が線を敷いていることを。
ニャーサが暗がりから、この世界の退魔界を見ていることを。
真壁仁たちが、ほとんど眠れないほど忙しくしていることを。
特調室が、すでにいくつかの資金流を凍結し始めていることを。
世界を玩ぶほど強大な存在が、金と武力で暗面をゆっくり接収しようとしていることを。
私が知っていたのは、今日のAfterToneの照明が温かいということだけだった。
新曲の前奏が、先週より少しうまくいったこと。
澪が私の買ったお菓子を気に入ったこと。
日和が、安全確認優先は大事だと言ったこと。
陽菜が、免許を取ったらみんなを車で海へ連れて行ってくれるのかと聞いたこと。
私はすぐに言った。
「免許を取ったばかりでは絶対に無理」
みんなが笑った。
その笑い声は、とても普通だった。
そして、とても大切だった。
その普通の笑い声の外側で、新しい巨大な影は、すでに退魔界と日本全体に落ちていた。
ただ、私はまだそれを見ていなかった。