俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ   作:arctichare

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第69章 猫目が網を織り、そして私はただ普通の夏休みの空を見ていた

第69章 猫目が網を織り、そして私はただ普通の夏休みの空を見ていた

 

私は、何の異常にも気づかなかった。

 

今になって振り返ると、そのことがかえって一番怖い。

 

なぜなら、その時期の私の生活は、本当に普通だったからだ。

 

少なくとも、私に見えている範囲では、とても普通だった。

 

午前中は自動車学校へ行く。

 

午後は実習まとめを整理する。

 

夜はAfterToneの練習へ行く。

 

たまに大学図書館へ本を返しに行く。

 

ときどき相原真紀とオンラインで、研究会の夏休み資料について話し合う。

 

灰色の予定は空いていた。

 

特調室は、私に任務を出さなかった。

 

眼鏡の女性も、何度か普通の注意を送ってきただけだった。

 

最近の外部案件は地方人員が対応しています。あなたは夏休みの予定を続けてください。

 

その文面を見たとき、私はただ安心した。

 

その裏で何が起きているのかなんて、考えもしなかった。

 

ソレンセンも気づかなかった。

 

それはただ、外の偽の線が切れる音がだんだん少なくなってきた、世界がようやく少し静かになった、と時々言うだけだった。

 

私は、それを良いことだと思っていた。

 

ソレンセンも、それを良いことだと思っていた。

 

私たちはどちらも知らなかった。

 

それは危険が消えたからではなく、誰かが危険をもっと整然と、もっと静かに、もっと正常な秩序のように見えるものへ変えていたからだということを。

 

猫目資本が第二段階の拡張を始めたとき、ほとんど誰も気づかなかった。

 

第一段階では、債権を買い、装備を供給し、保険を引き受け、退魔界周辺の供給網を修繕した。

 

第二段階では、それは「標準化サービス」を提供し始めた。

 

標準化。

 

とても響きのいい言葉だ。

 

現代的で、専門的で、安全に聞こえる。

 

多くの小勢力に一番足りないのは、まさに標準だった。

 

報告書の形式はばらばら。

 

現場記録は不完全。

 

負傷補償は人情頼み。

 

装備調達は知り合い頼み。

 

任務の等級分けは経験頼み。

 

新人教育に至っては、めちゃくちゃだった。

 

猫目資本は、そこに目をつけた。

 

いくつかのサービスを打ち出した。

 

小型退魔組織向け財務透明化支援。

 

民間術師傷害補償基金。

 

異常事件現場記録アプリ。

 

低危険度霊害処理標準マニュアル。

 

文化施設安全リスク評価。

 

青少年活動施設夜間安全巡回計画。

 

どの名前も、とても普通だった。

 

それどころか、かなり役に立つように見えた。

 

中小退魔組織は、猫目が提供するアプリで現場を記録し始めた。

 

外部委託術師は、猫目関連の保険を通じて補償を受け取り始めた。

 

地方の文化施設は、猫目基金による無料安全評価を受け始めた。

 

いくつかの市区町村の青少年活動センターにも、猫目文化安全基金から協力の招待が届いた。

 

招待状は、とても美しく書かれていた。

 

退魔には触れない。

 

異常にも触れない。

 

ただ、こう書いてある。

 

若者の文化空間に、より安全で、より安定した活動環境を提供するために。

 

この言葉は、拒みにくい。

 

多くの普通の施設は、その裏にある意味を知らない。

 

彼らにわかるのは、無料で配線、照明、消防、夜間出入り管理、設備安全を点検してくれる基金がある、ということだけだ。

 

そんな良い話を、誰が断るだろう。

 

こうして、猫目の線は世俗の世界へ入っていった。

 

闇の勢力という形ではない。

 

安全、公益、保険、文化支援、デジタル管理という形で。

 

それは、退魔界と世俗界の継ぎ目を同時に支配し始めた。

 

その継ぎ目こそ、私が将来働きたいと思っている場所だった。

 

青少年文化活動センター。

 

小型音楽スペース。

 

地方文化施設。

 

学生練習室。

 

地域の小ホール。

 

私は知らなかった。

 

ソレンセンも知らなかった。

 

なぜなら、そのすべてには混沌の気配がなかったからだ。

 

邪術の気配もない。

 

汚染もない。

 

あるのは契約書、予算、アプリ、保険条項、基金協力協定だけ。

 

そういうものは、黒弦の感知範囲には入らない。

 

ソレンセンの興味の範囲にも入らない。

 

それが一番嫌うものが、必ずしも一番危険なものとは限らない。

 

危険の中には、鋭くないものもある。

 

それはおとなしく、ファイルの中に横たわっている。

 

真壁仁が第三段階に気づいたときには、もう少し遅かった。

 

彼は、小さな術具店のトラブルを処理しに行った。

 

もともとは、店主が在庫数がおかしいと言っていただけだった。

 

猫目関連会社が提供した新しい在庫システムが、いくつかの符紙と護符材料を「期限切れ・回収対象」と表示していた。

 

店主はそれを変だと思った。

 

真壁仁が一目見て、すぐに気づいた。

 

それらの材料は、まったく期限切れではなかった。

 

むしろ、品質はかなり良かった。

 

もし全部回収されれば、猫目指定の処理倉庫へ流れることになる。

 

「前から、こういう回収をしてたのか?」

 

真壁仁が尋ねた。

 

店主は首を振った。

 

「前は、こんなに細かいシステムはなかったんです。最近あの会社の管理ソフトを使い始めて、確かに便利で……」

 

「便利すぎて、物が本当に期限切れかどうかも、自分で見なくなったのか?」

 

店主の顔が青くなった。

 

真壁仁は、それ以上叱らなかった。

 

彼はシステムの管理画面を開き、小さな権限説明の一文を見つけた。

 

異常リスク材料については、プラットフォーム推奨回収ルートによる一括処理が可能。

 

推奨。

 

一括。

 

処理。

 

この三つの言葉が並んだ瞬間、真壁仁の背筋が冷えた。

 

もし猫目が、どの材料を「異常リスク」と定義できるなら。

 

それは、どの術具が市場へ流れるか、どの材料が回収されるか、どの小勢力が突然品不足になるかを決められるということだ。

 

供給網とは、首そのものだ。

 

彼は資料を特調室へ送った。

 

その夜、真壁仁は無門チャンネルに書き込んだ。

 

猫目は単に金儲けしているんじゃない。退魔界の後方支援を取りに来てる。

 

菅原涼がすぐに返信した。

 

大阪でも、保険システムが標準化された精神汚染報告を要求し始めた。拒否したら、支払いが遅れた。

 

遠野修司が返信した。

 

北海道の装備補助も条項が変わった。統一ルート記録器の使用を求めている。

 

真壁仁は一言、罵った。

 

奴は俺たちの目と足と血を取りに来てる。

 

チャンネルの中で、誰も笑わなかった。

 

なぜなら、その言い方はあまりにも正確だったからだ。

 

在庫システムは目。

 

ルート記録器は足。

 

保険支払いは血。

 

猫目は彼らを打ち負かしたわけではない。

 

猫目は、彼らがゆっくりと自分の目、足、血液循環に依存するよう仕向けていた。

 

特調室は反撃を始めた。

 

いくつかの猫目基金との協力を凍結した。

 

地方組織に対し、猫目アプリの使用を一時停止するよう注意喚起した。

 

外部委託人員には、完全な精神汚染報告を提出しないよう求めた。

 

文化施設には、無料安全評価を安易に受けないよう連絡した。

 

けれど厄介なのは、猫目のやり方があまりにも合法的だったことだ。

 

契約はきれい。

 

手続きは正規。

 

資金源も、表向きには透明。

 

普通人を直接脅しているわけではない。

 

明確な犯罪も起きていない。

 

多くの地方組織は、逆に特調室へ疑問をぶつけた。

 

「猫目基金はコストを下げてくれているのに、なぜ止めるんですか?」

 

「装備が足りないとき、特調室の予算承認は二か月待ちです。猫目は三日で届けてくれます」

 

「リスクがあると言うなら、その証拠はどこにあるんですか?」

 

「猫目システムを使わないとして、うちに標準化管理をする人手がどこにあるんですか?」

 

それらの疑問は、完全に間違っているわけではなかった。

 

そこが一番難しいところだった。

 

ニャーサは、恐怖で退魔界を押さえつけているのではない。

 

効率、資金、便利さで退魔界を弄んでいる。

 

それは、特調室を改革の邪魔をする古い機関のように見せた。

 

猫目を、現代化された解決策のように見せた。

 

中小勢力に、こう思わせた。

 

自分たちを生き残らせてくれる者こそ、良い者だ。

 

真実は、かえって重要ではなくなっていった。

 

世俗界のほうでは、猫目の支配はさらに順調だった。

 

それはいくつかのイベント企画会社へ投資し始めた。

 

都市青年音楽祭のスポンサーになった。

 

青少年活動センターへ安全設備を提供した。

 

地方自治体と「夜間文化空間安全向上計画」で協力した。

 

いくつかの小型LiveHouseへ、低金利の設備ローンを提供した。

 

さらに、学生バンド向けの公益プロジェクトまで立ち上げた。

 

初めてのステージ支援計画。

 

内容はこうだった。

 

低価格で使える練習室。

 

無料安全講座。

 

小規模ライブ保険。

 

機材運搬補助。

 

新人バンド向け宣伝テンプレート。

 

そのプロジェクトは、とても良かった。

 

疑うのが難しいくらい、良かった。

 

もし私が見ても、たぶん良いものだと思っただろう。

 

それは本当に、いくつかの学生バンドの助けになる。

 

初めて舞台に立つためのハードルを下げられる。

 

小型スペースでの事故リスクを減らせる。

 

若い人たちが、より気軽に挑戦できるようになる。

 

でも、それが本当に役に立つからこそ、危険だった。

 

ニャーサは、すべてのことを悪事として行うわけではない。

 

それは良いこともする。

 

たくさんの良いことをする。

 

そして、すべての人に少しずつ慣れさせる。

 

猫目がいれば、物事は簡単になる。

 

猫目がいないと、物事は続けにくくなる。

 

それが支配だ。

 

最高の檻は、鳥に閉じ込められていると思わせない。

 

むしろ、檻の中には餌が十分にあり、雨風を防げて、外は面倒すぎると思わせる。

 

私は、まだ何も知らなかった。

 

その日、私は日和、陽菜、澪と一緒にAfterToneで、夏休み最後の小規模ライブ練習について話していた。

 

陽菜が興奮して言った。

 

「最近、学生バンド支援のプロジェクトがいろいろあるみたい! ネットで『初めてのステージ支援計画』っていうのを見たんだけど、新人にすごく合ってそう!」

 

私は顔を上げた。

 

「初めてのステージ支援計画?」

 

陽菜がスマホを差し出してくれた。

 

ページのデザインはきれいだった。

 

白い背景。

 

淡い色の猫目型ロゴ。

 

そこには、こう書かれていた。

 

初めて舞台に立つあなたへ。

 

その言葉を見た瞬間、胸が少しだけ動いた。

 

だって、それは本当に上手い言葉だったから。

 

舞台に立つのが怖い人のことを、あまりにもよくわかっている。

 

そこには、こう書かれていた。

 

完璧である必要はありません。

 

小さな舞台から始められます。

 

まずは見学してから、参加できます。

 

機材補助を申請できます。

 

安全な演奏指導を受けられます。

 

その言葉は、私が実習で学んだことを、ほとんど全部突いていた。

 

私は思わず、もっと内容を開こうとした。

 

その前に、日和が言った。

 

「先に申請しないほうがいい」

 

陽菜が瞬きをした。

 

「どうして?」

 

日和はページを見つめた。

 

「出どころがわからない無料支援は、まず調べたほうがいい」

 

私はゆっくり我に返った。

 

そうだ。

 

無料支援。

 

基金。

 

文化安全。

 

淡い猫目型ロゴ。

 

猫。

 

私は手がかりに気づかなかった。

 

それを猫目と結びつけていなかった。

 

ただ本能的に、日和が教えてくれたお金のルールを思い出しただけだった。

 

お金に、関係を越えさせないこと。

 

私は言った。

 

「うん。先に申請しないほうがいいと思う」

 

陽菜は少し残念そうだった。

 

「見た感じ、本当に良さそうなんだけどな」

 

澪が言った。

 

「良すぎるのも怪しい」

 

日和がうなずいた。

 

「特に無料はね」

 

私はスマホを陽菜に返した。

 

「私たちには、今はまだ必要ないと思う」

 

それは本心だった。

 

余響バンドは今、外部支援を必要としていない。

 

AfterToneも、初めてのステージではない。

 

だから、その話はそこで流れた。

 

私たちが猫目の一本の線とすれ違ったことに、私は気づかなかった。

 

ソレンセンにも、何の反応もなかった。

 

なぜなら、そのページには汚染がなかったからだ。

 

術式もない。

 

混沌もない。

 

ただの公益プロジェクトだった。

 

それは評価する気すらなかった。

 

ニャーサは、そのプロジェクトが余響バンドに見られたことを知っていた。

 

AfterToneを直接監視する必要はない。

 

データを見ればいい。

 

ページ閲覧数。

 

滞在時間。

 

離脱率。

 

どのSNSから来たか。

 

ある端末がページを訪問した。

 

しかし、申請はしなかった。

 

それは無数のデータ点の一つにすぎなかった。

 

ニャーサは、それが白川一音だと確認しなかった。

 

確認を急ぎもしなかった。

 

ただ、「初めてのステージ支援計画」の管理画面を見つめて、軽く言った。

 

「餌には食いつかなかったか」

 

「構わない」

 

「本当の針は、急いで引き上げるものじゃない」

 

それは、とても忍耐強かった。

 

ある一本の線が直接私に触れられないなら、その線を私の周りの生態系へ入れればいい。

 

学生バンドが使う。

 

小型LiveHouseが使う。

 

青少年文化センターが使う。

 

文化イベント会社が使う。

 

やがて生態系全体が猫目に慣れれば、白川一音が申請しなくても、猫目のシステムの中で生活することになる。

 

彼女が好きな小さな舞台は、猫目の保険を使う。

 

彼女が将来働きたい活動センターは、猫目の安全評価を受ける。

 

彼女が知り合った新人バンドは、猫目の支援計画を使う。

 

彼女の大学研究会も、猫目の支援を受けた場所へ取材に行くかもしれない。

 

これは彼女に接触することではない。

 

彼女の周囲の世界を変えることだ。

 

ニャーサが最も得意とすることだった。

 

特調室も、そのことに気づいていた。

 

けれど、気づくことと、すぐに止められることは別だった。

 

眼鏡の女性が会議で言った。

 

「猫目基金は、青少年音楽活動、小型演奏スペース、学生バンド支援領域へ入り込んでいます」

 

若い分析官の顔色が悪くなった。

 

「それは、白川さんの職業方向です」

 

「はい」

 

久我山統括官は資料を見つめた。

 

「だが、彼女にすべてを知らせるな」

 

「知らせれば、彼女は自責する。あるいは、自分から介入しようとする」

 

眼鏡の女性はうなずいた。

 

「それに、猫目のプロジェクトの一部は、実際に普通の機関を助けています。全面的に阻止するには、十分な証拠が必要です」

 

若い分析官が低い声で言った。

 

「相手は良いことをしながら、支配線を敷いているんですね」

 

久我山は言った。

 

「それが一番厄介なところだ」

 

彼はしばらく黙った。

 

「代替案を作る」

 

眼鏡の女性が顔を上げた。

 

「代替案、ですか?」

 

「猫目が保険、補助、安全評価、設備支援を提供できるなら、こちらは公共ルート、正規基金、大学連携、地方自治体資源で穴を埋めなければならない」

 

「猫目は危険だと言うだけでは足りない」

 

「普通の機関が、それに依存しなくて済むようにする必要がある」

 

会議室は静かになった。

 

それは正しい方向だった。

 

そして、一番難しい方向でもあった。

 

邪術師を切断するのは早い。

 

代替供給体制を作るのは遅い。

 

けれどそれをしなければ、猫目が退魔界と世俗文化空間に共通する後方支援になっていくのを、ただ見ていることしかできない。

 

無門術師たちも、戦略を変え始めた。

 

真壁仁は、低級模倣事件を掃除するだけではなくなった。

 

彼は小型術具店が、猫目システムを使わずに済む在庫表を作るのを手伝い始めた。

 

不器用なやり方だった。

 

Excel。

 

紙のバックアップ。

 

人の目による確認。

 

遅い。

 

でも、使える。

 

菅原涼は、本当に信頼できるいくつかの医療機関に連絡し、最低限の精神汚染報告テンプレートを作り始めた。

 

保険支払いに必要な情報だけを書く。

 

術師の弱点は渡さない。

 

遠野修司は北海道で、地方自治体が旧式のルート登録制度を使うよう働きかけ、猫目のルート記録器を受け入れないようにした。

 

彼らがしていることは、少しも華やかではなかった。

 

退魔ですらないように見えた。

 

むしろ、行政、後方支援、ソーシャルワーク、会計に近かった。

 

けれど彼らは知っていた。

 

これも戦いなのだ。

 

猫目に対抗するには、術式だけでは足りない。

 

表も必要だ。

 

予算も必要だ。

 

人をいらだたせるほど遅い代替システムも必要だ。

 

真壁仁はチャンネルに書いた。

 

俺たちは昔、報告書を面倒くさがってた。今はその報告書で首を絞められてる。これからは自分たちでちゃんと書け。

 

菅原涼が返信した。

 

同意。医療記録最小化テンプレートは明日送ります。

 

遠野修司。

 

ルート記録紙版、整理する。

 

誰かがぼやいた。

 

これ、退魔なのか事務所仕事なのか、わからなくなってきた。

 

真壁仁が返した。

 

猫に帳簿を握られたくないなら、自分で計算できるようになれ。

 

その言葉には、多くの賛同がついた。

 

私は、それでも普通の夏休みだけを見ていた。

 

自動車学校では、路上教習が中盤に入った。

 

私は少しずつ、一般道路で安定した速度を保てるようになっていた。

 

教官が言った。

 

「白川さん、今の一番の問題は、運転できないことではなく、緊張しすぎることですね」

 

私はうなずいた。

 

「わかっています」

 

「適度な緊張はいいことです。でも、緊張しすぎると判断が遅れます」

 

その言葉も、私はメモした。

 

緊張しすぎると、判断が遅れる。

 

最近、猫目型ロゴや基金プロジェクトを見ると、私は少し緊張した。

 

でも、それ以上追跡しなかった。

 

証拠がないから。

 

そして特調室が、私には関与する必要がないと言ったから。

 

それは正しかったのかもしれない。

 

あるいは、私がもっと大きなものを見ていなかっただけかもしれない。

 

でも、その時の私は知らなかった。

 

ソレンセンも知らなかった。

 

それはただ言った。

 

「最近、お前はようやく偽線の群れに邪魔されなくなったな」

 

「うん」

 

「良いことだ」

 

「うん」

 

私たちはどちらも、模倣事件が減ったのは各地の清理が効いたからだと思っていた。

 

本当の理由が、猫目が低級事件を収束させ始めたからだとは知らなかった。

 

もう無秩序にばら撒かない。

 

可制御な圧力へ変える。

 

猫が鼠の死骸をそこらじゅうに置くのをやめ、位置を決めて並べ始めるように。

 

ある日、私は杉並区青少年文化活動センターへ、実習中に借りた活動手帳を返しに行った。

 

高橋さんは、ちょうど事務室にいた。

 

私を見ると、嬉しそうにしてくれた。

 

「白川さん、夏休みは順調?」

 

「はい。自動車学校が少し難しいです」

 

彼女は笑った。

 

「運転は、最初はみんな難しいものよ」

 

私は手帳を返した。

 

高橋さんは何気なく言った。

 

「最近、いくつかの基金が青少年活動機関に協力の案内を出しているの。条件はけっこう良いんだけど、うちはまだ評価中」

 

胸の奥が少しだけ動いた。

 

「猫目文化安全基金ですか?」

 

高橋さんは少し驚いた。

 

「知ってるの?」

 

「研究会の資料で見ました」

 

「そのうちの一つね」

 

彼女はファイルを閉じた。

 

「でも、うちのセンターは今のところ受けない予定。無料プロジェクトが多すぎると、後の管理が複雑になるから」

 

私は少し息を吐いた。

 

「そうなんですね」

 

「白川さん、こういうプロジェクトに興味があるの?」

 

「興味というほどではないです」

 

私は少し考えてから言った。

 

「ただ、無料の支援でも、ちゃんと見たほうがいいと思って」

 

高橋さんは笑った。

 

「二週間の実習で、ちゃんと大事なところを学んだのね」

 

私はうつむいた。

 

「日和……友達も、よくそう言っています」

 

「いいことね」

 

彼女は言った。

 

「活動を作る人が一番怖いのは、『誰かがお金を出してくれるなら、それは良いことだ』と思い込んでしまうことだから」

 

私はうなずいた。

 

その言葉で、少し安心した。

 

少なくとも、ここは猫目の線に絡まれていない。

 

私はニャーサに気づかなかった。

 

猫目の本当の目的にも気づかなかった。

 

けれど、普通のレベルで一本の線を避けた。

 

黒弦ではなく。

 

日和が教えてくれた、お金のルールのおかげで。

 

ニャーサは、この活動センターが協力を拒否したことに気づいた。

 

怒りはしなかった。

 

ただ、リストに印をつけた。

 

慎重。

 

そして、その横にこう書き加えた。

 

白川一音の職業観に影響する可能性あり。当面接触しない。

 

すべての機関に受け入れさせる必要はない。

 

多数が受け入れれば、それで十分だ。

 

少数の慎重な相手は、しばらく触らない。

 

早く強く押しすぎれば、警戒される。

 

猫が一番得意なのは、飛びかかることではない。

 

待つことだ。

 

夏休みが終わりに近づく頃、退魔界はひっそりと変わっていた。

 

多くの中小組織が、猫目システムを使い始めていた。

 

多くの周辺供給網が、猫目資金につながっていた。

 

多くの文化空間が、猫目の安全評価を受けていた。

 

多くの若い術師の保険と装備が、猫目関連会社に依存し始めていた。

 

一部の低級武力人員は、猫目によって「文化安全巡回隊」として再編されていた。

 

表向きには、普通の巡回スタッフ。

 

実際には、低級異常を処理でき、猫目が関心を持つ場所を監視することもできる。

 

退魔界は、攻略されたわけではなかった。

 

爆発もなかった。

 

公然たる敗北もなかった。

 

けれど、その一部の後方支援、資金、情報、低級武力は、すでに猫目の爪の中にあった。

 

そしてニャーサ本人は、いまだにどの報告書にも現れていなかった。

 

術式残留もない。

 

写真もない。

 

名前もない。

 

目撃情報もない。

 

あるのは、猫目資本。

 

猫目基金。

 

猫目文化安全。

 

猫目保険。

 

猫目アプリ。

 

猫目巡回。

 

猫の目は、どんどん増えていく。

 

けれど、猫を見た者は、まだ現れていなかった。

 

私は夏休み最後の週に、自動車学校の重要な段階テストに合格した。

 

最終試験ではなかったけれど、教官は言った。

 

「この調子で練習を続ければ、卒業検定も問題ないと思います」

 

私はとても嬉しかった。

 

本当に嬉しかった。

 

その知らせをAfterToneのグループに送った。

 

陽菜は、お祝いのスタンプをたくさん送ってきた。

 

澪は言った。

 

段階テスト飯。

 

日和は言った。

 

おめでとう。引き続き、落ち着いて。焦らないで。

 

そのメッセージを見て、胸が温かくなった。

 

夜の練習で、陽菜が尋ねた。

 

「小音、免許を取ったら、一番最初に何したい?」

 

私は長く考えた。

 

「まず、運転しない」

 

みんなが笑った。

 

私は真面目に言った。

 

「取ったばかりでも練習は必要だし。すぐに人は乗せられない」

 

日和がうなずいた。

 

「とても正しい」

 

澪が言った。

 

「じゃあ、安定したら食べに行く」

 

「うん」

 

私は言った。

 

「安定したら」

 

安定したら。

 

その言葉は、いろいろなことに合っているのかもしれない。

 

私が安定したら。

 

大学生活が安定したら。

 

退魔界の外側のことが安定したら。

 

もっと多くの線を見分けられるようになったら。

 

いつか、私が本当に、見えない大きな問題と向き合えるようになって。

 

それでも、あの扉を開けなくて済むようになったら。

 

ただ、その時の私はまだ知らなかった。

 

猫の影が、もう退魔界の梁の上に伏せていることを。

 

それがすべての人を見下ろしていることを。

 

そして私のいる世界が、少しずつ、それの好む形へ変えられていることを。

 

私も、ソレンセンも知らなかった。

 

私たちは、何の手がかりにも気づいていなかった。

 

ただ、夏の風が少しずつ涼しくなっていくことだけを知っていた。

 

新学期が、もうすぐ来る。

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