俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第70章 猫目の昇格、そして私はただ新学期の準備をしていた
夏休み最後の数日、私は新学期の準備で忙しくしていた。
自動車学校はまだ完全には終わっていない。
実習まとめは、すでにキャリア支援センターへ提出した。
地域音楽研究会の夏休み音声資料も、整理はまだ半分。
AfterToneの新曲練習は、第二段階に入っていた。
A大学の新学期履修説明も届いた。
私は小さなアパートの机の前に座り、山積みのファイルを見て、人生がまたフォルダになった気がした。
大学。
自動車学校。
実習。
研究会。
AfterTone。
どのフォルダにも、まだ終わっていないことが入っている。
私は少し考えて、さらに新しいフォルダを作った。
新学期準備。
そして、履修資料をそこへドラッグした。
ソレンセンが意識の奥で、気怠げに言った。
「また区切っているのか」
「このほうがわかりやすいから」
「弱者はいつも、混沌を表に整理したがる」
「強い存在にも表が必要なことはあると思う」
「吾には不要だ」
私は反論しなかった。
たしかに、それには表など必要ない。
それに必要なのは、闇と、力と、あの永遠に開けてはいけない扉だけだ。
でも、私には時間割が必要だった。
教習予約表が必要だった。
練習予定表が必要だった。
実習まとめが必要だった。
そして、冷蔵庫に貼った二枚のメモも必要だった。
食べるのを忘れない。
飯。
それが、私のつかめる秩序だった。
その頃の私は知らなかった。
本当の混沌が、もっと整った表を使って、外の世界を飲み込み始めていることを。
猫目資本が第三段階へ入ったとき、それはもはや単なる「周辺資金」ではなくなっていた。
退魔界の多くの組織にとって、離れがたい基盤になり始めていた。
最初、猫目は装備ローンを提供した。
次に、保険、在庫システム、安全評価を提供した。
さらにその後、猫目は「総合運営プラン」を提供し始めた。
この四文字は、とても普通に聞こえる。
普通すぎて、多くの中小勢力は危険に気づかなかった。
総合運営プランの内容は、こうだった。
任務受注システム。
人員資格認証。
装備調達プラットフォーム。
傷害補償基金。
現場リスク評価。
異常事件報告テンプレート。
文化施設協力ルート。
法律顧問。
メディア危機対応。
それは近代化に見えた。
実際、効率も上がった。
もともと地方の小組織が低級異常を処理するには、電話、人情、紙の報告書に頼るしかなかった。
今は猫目のプラットフォームを使えば、十分钟で任務票が生成される。
もともと負傷した術師が補償を受けるには、二か月待たなければならなかった。
今は三日で入金される。
もともと術具店の在庫が切れたら、知り合いを頼って探すしかなかった。
今はプラットフォームが自動で供給先を照合する。
もともと地方文化施設は異常を報告することをためらっていた。
今は猫目が「普通の安全問題」という名目で処理案を出してくれる。
便利すぎた。
どこかがおかしいと薄々わかっていても、停止したくなくなるほどに。
便利さは、もっとも柔らかい縄だ。
人を痛めつけない。
ただ、人がもともとどう歩いていたのかを、ゆっくり忘れさせる。
ニャーサは東京湾近くのオフィスビルの最上階にいた。
正確に言えば、一匹の猫がオフィスチェアの上に伏せていた。
そこは今、猫目資本の新本部になっていた。
床から天井まで届く窓の外には、都市の夜景が広がっている。
会議室では、数名の世俗界のエリートたちが報告をしていた。
金融弁護士。
ファンドマネージャー。
保険コンサルタント。
文化産業アドバイザー。
データセキュリティ専門家。
そして、退魔界周辺出身の仲介人が二人。
彼らは誰も、本当のボスが何なのかを知らない。
ただ、このプロジェクトの裏には、極めて恐ろしく、極めて正確で、極めて気前のいい中核意思決定者がいることだけを知っている。
誰も深く聞こうとはしなかった。
聞きすぎた者は、全員、重要ではないポジションへ移されたからだ。
ニャーサは会議卓の端に座り、尾を軽く椅子の背へかけていた。
報告を聞き終えると、それは一つだけ尋ねた。
「天城のほうは?」
代理人がすぐに頭を下げて報告した。
「天城グループは再編後、外部資金に非常に慎重です。ただ、傘下の旧サプライヤー数社に資金繰りの圧力が出ています。第三層ファンドを通じて、そのうち二社に接触しました。現時点で猫目の名は露出していません」
ニャーサは軽くうなずいた。
「天城の中枢には触るな」
「はい」
「先に旧い血管を触る」
旧い血管。
それは、天城グループが過去に残したサプライヤー、外部委託業者、保守会社、データクリーニング企業、文化技術協力機関のことだった。
天城本体は今、警戒している。
天城美咲と天城怜司は、どちらも外部浸透を防いでいる。
けれど、かつての天城は大きすぎた。
あまりにも多くの旧い線が、外側へ散らばっている。
天城は本社を見張ることはできても、昔に張り巡らせた細い線の一本一本までは同時に見張れない。
ニャーサは天城を急いで食べる気はなかった。
天城の周囲の酸素を、ゆっくり猫目の匂いに変えればいいだけだった。
「御影は?」
別の代理人が答えた。
「御影家内部は依然として直接協力を拒否しています。ただ、いくつかの旁系が経営する文化施設と不動産会社が、猫目関連会社の保険プランを受け入れました」
ニャーサは笑った。
「御影は自尊心を好む」
「なら、その自尊心には触るな」
「維持費に触れろ」
御影家には古い屋敷、神社との関係、文化資産、封存倉庫がある。
それらは維持が必要だ。
屋根は修理しなければならない。
結界は保守しなければならない。
倉庫は除湿しなければならない。
人員には保険が必要だ。
古物には登録が必要だ。
そのすべてに金がかかる。
ニャーサは御影家を跪かせる必要はない。
ただ、ある日、御影の旁系に気づかせればいい。
猫目のプランは安い。
安定している。
使いやすい。
そして、それを拒否するには余計な金が必要になる。
自尊心は一度なら拒絶できる。
けれど、予算は毎年来る。
猫は忍耐強い。
「京都旧結界管理委員会は?」
その瞬間、会議室は少し静かになった。
京都は触りにくい。
七条は鋭すぎる。
老委員は温厚だが、鈍くはない。
京都家系同士の関係は複雑で、外部資本が中枢へ直接入り込むのは簡単ではない。
代理人は慎重に言った。
「直接浸透は困難です。ただ、文化資料デジタル化、古典芸能保存、災害保険の三方向から、外縁で協力関係を築いています。七条が担当している線は、今のところ避けています」
ニャーサは満足そうに目を細めた。
「いい」
「京都人は伝統を好む」
「なら、伝統を保存することで近づけ」
文化資料デジタル化。
古典芸能保存。
災害保険。
どれも邪悪なプロジェクトではない。
むしろ正当だ。
京都の多くの人間が、それを必要としている。
そしてニャーサは、そういう正当な需要を最も好む。
正当であればあるほど、拒みにくいからだ。
「玄海と四国は?」
「玄海鎮守連合は我々への警戒が強いですが、いくつかの漁港保険と地方文化活動基金への接触には成功しています」
「四国地方連合は資金が分散しており、一部の遍路道周辺文化修復プロジェクトが猫目関連の寄付を受け入れました」
ニャーサは机を軽く叩いた。
「急ぐな」
「地方鎮守は、都市の家族より実用を重視する」
「使えるものを与えろ」
「慣れさせろ」
「そのあとで、代替品が高いと気づかせればいい」
会議室の全員が頭を下げ、記録した。
誰も、それを戦争だとは思っていなかった。
なぜなら、それはただの商業拡大に見えたからだ。
けれど、これこそニャーサの戦争だった。
爪で城門を裂くのではない。
先に門の修理を請け負い、門の保守を請け負い、門番に保険を買ってやる。
そしてある日、門の鍵はもう、元の持ち主の手にはない。
世俗界もまた、猫目に侵食され始めていた。
闇の街区ではない。
地下市場でもない。
ごく普通の場所だった。
地方銀行。
イベント企画会社。
保険代理店。
物流企業。
小型IT企業。
文化施設管理会社。
公共安全コンサルティング。
青年音楽祭のスポンサー。
中小LiveHouse向け設備ローン。
学生バンド公演保険。
猫目資本は、何層もの合法的な外衣をまとわせ、これらの場所へ資金を流し込んでいった。
最初から株式を支配する必要はない。
債権者、保険提供者、データシステム提供者、設備リース元、リスク評価機関になればいい。
その役割の一つ一つは目立たない。
けれど合わせれば、一つの文化空間が扉を開け続けられるかどうかを決められる。
小さな音楽祭が安全審査を通過できるかを決められる。
地方活動センターが補助金を得られるかを決められる。
学生バンドが初めて舞台に立つとき、猫目の保険を買うかどうかを決められる。
ニャーサは、世俗経済と退魔界の暗い線を編み合わせ始めた。
普通の機関は、自分の背後に退魔界があることを知らない。
退魔界も、自分たちが世俗資本に依存し始めていることを完全には知らない。
どちらも、自分たちは専門的なサービスを受けているだけだと思っている。
ただニャーサだけが網の中央に座り、すべての線を見ていた。
同時に、ニャーサは混沌系の力を研究し始めた。
私に接触することはなかった。
私の住まいにも、学校にも、AfterToneにも近づかなかった。
直接近づけば、特調室を刺激するかもしれない。
あるいは、あの封印された闇が反応するかもしれない。
それはよくわかっていた。
だから残留を研究した。
黒弦によって切断された術具の破片。
失効した符紙の灰。
剥離された汚染サンプル。
模倣事件の現場に残された、本物の黒弦による制圧後の空白。
それらは少ない。
細かい。
普通の術師の目には、ほとんど価値がない。
けれど、ニャーサはそこから構造を読み取ることができた。
地下実験室で、それは一つのモデルを作った。
黒弦を複製するためではない。
複製できないことは知っている。
混沌の力はこの世界の術式ではない。
図案や呪文で再現できるものでもない。
それが研究していたのは三つだった。
第一に、黒弦の安全出力上限がおおよそどこにあるのか。
第二に、聖霊性の圧制による封鎖境界がどう反応するのか。
第三に、外部圧力が十分に大きければ、白川一音は自らさらなる力を求めるのか。
前の二つは技術の問題。
三つ目は人の心の問題。
ニャーサが最も興味を持っていたのは、三つ目だった。
実験室で、雇われた研究員が機器の前に立ち、緊張した様子で報告した。
「残留サンプルは安定して起動できません。黒弦構造を模擬しようとするたびに、サンプルが自己崩壊します」
ニャーサは言った。
「当然だよ」
研究員は頭を下げた。
「では、継続しますか?」
「続けろ」
「目標は複製ですか?」
ニャーサは笑った。
「違う」
「それが何をできないのかを知ることだ」
研究員は戸惑った。
ニャーサは、ガラス容器の中に残る、極めて薄い黒い痕跡を見つめた。
「世界で最も価値ある情報は、ある力が何をできるかとは限らない」
「時には、それが何をできないかだ」
「無限には出力できない」
「封印を迂回できない」
「代償なしに、ある敵を撃破することはできない」
「すべての人を守ることはできない」
それが軽く前足を上げると、ガラス容器の中の残痕が瞬時に震えて砕けた。
「こういう制限こそが、鍵だ」
私は何も気づかなかった。
ソレンセンも何も気づかなかった。
その夜、私は小さなアパートで新学期の履修を整理していた。
ようやく、音声メディア研究を取ることができた。
それがとても嬉しかった。
前学期は抽選に外れたけれど、今学期はようやく受講できる。
私はそれを表に追加した。
音声メディア研究。
文化政策入門。
心理学発展。
地域文化実践。
どれも私の将来の方向に関係する授業だった。
時間割を見ていると、胸の中に小さな満足感が広がった。
ソレンセンが気怠げに言った。
「ようやく欲しいものを奪ったのか」
「うん」
「そんなに嬉しいのか」
「うん」
「退屈だな」
「でも、大事」
「お前の人間としての未来は、ますます授業名の山みたいになってきたな」
「任務名の山よりはいい」
それは反論しなかった。
最近のそれも、灰色の任務が少ないほうが私の状態がよくなることを、少しは知っているからだ。
私は知らなかった。
この「任務が少ない」という表象の一部が、猫目が低級の混乱を自分のシステムへ収束させていたからだということを。
それは暗面を安全にしたのではない。
暗面を、より自分の資産らしくしただけだった。
新学期が始まる前、私はA大学の図書館へ行った。
相原真紀もそこにいた。
彼女は音声記録と地方放送の資料を調べていた。
私は彼女の向かいに座り、タブレットを開いた。
彼女が尋ねた。
「白川さん、音声メディア研究、取れた?」
私はうなずいた。
「うん」
「よかった! 私も取れたよ」
「じゃあ、これから一緒に授業だね」
その言葉を口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
以前の私は、自分から「一緒に」と言うのが苦手だった。
相原は笑った。
「うん」
それが、私に見えていた世界だった。
図書館。
授業。
友達。
新学期。
音声メディア研究。
私は、猫目が供給網を飲み込んでいることを見ていなかった。
ニャーサが混沌残留を研究していることも見ていなかった。
天城の旧サプライヤーの資金線が編み直されていることも。
御影旁系の保険契約も。
京都文化資料デジタル化プロジェクトの背後にある第三層ファンドも。
玄海漁港の保険に隠された条項も。
四国文化修復資金に押された猫目の透かしも。
私に見えていたのは、相原がノートに書く文字だけだった。
音声記録と地方記憶。
そして私は書いた。
音声メディア研究第一週準備。
私たちは二人とも普通だった。
普通すぎて、私はそれを大切に思った。
天城グループ内部では、天城美咲が異変を感じ始めていた。
証拠をつかんだからではない。
多くのことが、あまりにも順調すぎたからだ。
長く支払いが滞っていた旧サプライヤー数社の債務が、突然解消された。
外部委託のシステム保守会社の一部が、新しい株主に変わった。
いくつかの文化技術協力先が、新しい保険と安全評価プランを使い始めた。
一つ一つは大きくない。
単独で見れば、どれも合理的だ。
けれど、合わせて見ると、まるで誰かが天城の外縁を「整理」しているようだった。
天城美咲は資料を天城怜司の前に置いた。
「これは偶然じゃない」
天城怜司は読み終えると、顔を沈ませた。
「猫目か?」
「可能性は高い」
「核心には触れていない」
「だから厄介なの」
美咲は言った。
「彼らは、私たちの外縁を彼らに依存させようとしている」
天城怜司はしばらく黙った。
「切る」
「かなり痛いわよ」
「今痛まなければ、あとでもっと痛む」
天城グループは外部委託線の清査を始めた。
けれど、猫目はすでに多くの線を合法的な商業関係として作っていた。
切断には違約金が必要だった。
代替サプライヤーが必要だった。
時間が必要だった。
予算が必要だった。
それこそが猫目の恐ろしさだった。
発見したからといって、すぐに抜け出せるわけではない。
猫の爪に押さえられた糸玉のように、急いで引けば引くほど絡まっていく。
御影家も気づき始めた。
御影冬子は、いくつかの旁系が最近の会議で、明らかに「近代化管理」を支持するようになっていることに気づいた。
提案内容の中には、猫目関連会社の影が何度も見え隠れしていた。
彼女は直接、旁系責任者を招集した。
「誰が猫目保険を受け入れたの?」
旁系責任者は頭を下げて言った。
「ただの普通の災害保険です。価格が低く、範囲も広いので」
御影冬子は冷笑した。
「封存倉庫の湿度異常まで、彼らに報告するほど範囲が広いの?」
相手の顔が青ざめた。
御影秋人は隣に座っていたが、珍しく笑っていなかった。
「冬子さん、猫目は金儲けだけが目的ではありませんね」
御影冬子は言った。
「わかっている」
「彼らは御影のどこから雨漏りするか、どこで火災が起きるか、どこに修理が必要か、どこの結界が老朽化しているかを知ろうとしている」
「それらは保険資料のように聞こえる」
「でも実際には、御影の弱点地図よ」
旁系責任者は完全に黙り込んだ。
御影冬子は、すべての猫目関係契約を一時停止し、審査するよう命じた。
けれど、すでに署名した契約は簡単には破棄できない。
御影もまた感じ始めた。
猫目の線は刃ではない。
手首に巻きつく糸だ。
切ろうとしたとき、すでに何重にも巻かれていることに気づく。
京都旧結界管理委員会では、七条の反応が最も早かった。
彼女は、ある古典芸能保存プロジェクトの背後にいるデジタル化請負業者が、猫目資本の第三層ファンドと関係していることを見つけた。
プロジェクト自体はすでに一次審査を通過していた。
このまま進めば、大量の旧音声、儀式記録、家系辺縁档案がデジタル化プロセスへ入ることになる。
七条は即座に止めた。
責任者は不満をあらわにした。
「これは正規の文化保存プロジェクトです」
七条は冷たく言った。
「正規だから安全とは限らない」
「請負業者の資格に問題はありません」
「資格は表の顔にすぎない」
老委員も資料を読み終えると、顔色を悪くした。
「文化保存から入ろうとしているのか」
七条はうなずいた。
「京都旧音庫のあと、私たちは音声同意と検索権限をようやく再建したばかりです。そこへ彼らがデジタル化サービスを持ってきた」
老委員は小さくため息をついた。
「時機が良すぎる」
七条は言った。
「偶然ではありません。彼らは隙を見たのです」
京都は内部清査を始めた。
けれど、京都家系同士の利害は複雑だった。
一部の若者は、七条が保守的すぎると考えた。
一部の文化保存責任者は、猫目のサービスは安く専門的だと考えた。
議論が始まった。
猫目は京都の中枢へ入る必要がない。
京都内部で「猫目を受け入れるべきかどうか」を巡って争わせるだけで、すでに反応速度を落とすことができる。
ニャーサは満足していた。
玄海と四国にも、似た問題が現れた。
玄海のいくつかの漁港は猫目関連保険を受け入れたあと、保険条項により「夜間安全監視設備」の設置を求められた。
その設備は確かに、防犯、防火、事故防止に役立つ。
けれど同時に、潮汐、船の出入り、夜間の異常事件も記録する。
宗像怜央はそれを見つけると、即座に反対した。
だが現地の責任者は言った。
「私たちはこういう設備がずっと足りなかったんです。猫目は半額を負担してくれると言っています」
宗像怜央は尋ねた。
「データはどこへ流れる?」
責任者は答えられなかった。
それが問題だった。
四国では、猫目基金が旧遍路道周辺の文化修復を支援していた。
道を直す。
灯りを直す。
標識を直す。
すべて良いことだった。
けれど久世真帆は、修復プロジェクトに「観光客行動異常記録システム」が含まれていることに気づいた。
表向きは迷子や事故の防止。
実際には、ある種の霊的波動や術師の行動ルートを記録できる可能性があった。
久世真帆は報告書を机に叩きつけた。
「彼らは道を目に変えている」
明厳老僧は資料を見つめ、低く言った。
「なら、まずその目を覆おう」
地方連合は設置を止め始めたが、すでに完成した設備は撤去や再配線が必要だった。
また金。
また時間。
また面倒。
ニャーサは彼らを殴っていない。
ただ、彼らが猫目を一度拒否するたびに、コストを払わせているだけだった。
無門術師たちは、さらに忙しくなった。
真壁仁は供給網を走り回り始めた。
菅原涼は保険条項を審査し始めた。
遠野修司はルート記録器を外し始めた。
彼らはもう術師というより、会計士、弁護士、修理工、データ監査員のようだった。
ある新人がぼやいた。
「これ、本当に退魔なんですか?」
真壁仁は言った。
「退魔だ」
新人は納得しなかった。
「でも、怪物と戦ってないじゃないですか」
真壁仁は冷たく彼を見た。
「帳簿、保険、装備、ルートを全部他人に握られたら、お前は怪物と戦う場所にすら行けなくなる」
新人は黙った。
菅原涼はチャンネルに投稿した。
猫目は救済を依存に変え、依存をデータに変え、データを支配に変えている。
遠野修司が返信した。
良い表現だ。
真壁仁が返した。
でも、それをどう報告書に書く?
菅原涼。
私が書く。
こうして、無門術師たちは初めて、共同で長い報告書を提出した。
タイトルは、とても素朴だった。
猫目関連機関による退魔界基礎運用への浸透リスク評価。
そこには華やかな術語はなかった。
具体例ばかりだった。
保険条項。
供給網回収。
ルート記録。
文化安全評価。
青少年活動支援。
外部包装備補助。
旧家系外縁契約。
それは鈍い刃のようだった。
美しくはない。
けれど、深く刺さる。
ニャーサはその報告書を見た。
それどころか、最後まで読んだ。
そして笑った。
「よく書けている」
代理人が緊張した様子で尋ねた。
「報告書を提出した者たちを処理しますか?」
ニャーサは彼を一瞥した。
代理人はすぐに口を閉じた。
「彼らを処理すれば、彼らが正しかったと証明するだけだ」
「では……」
「報告書を議論に変えろ」
ニャーサは軽く言った。
「大勢力に真実性を議論させる」
「中小勢力に、特調室が資源を独占したいのではないかと疑わせる」
「世俗機関には、退魔界内部の保守派が現代公益資本に反対しているように見せる」
「メディアには、文化基金が不当に汚名を着せられているように見せる」
「明確な一本一本の線に、それぞれ違う物語をつけてやれ」
代理人は頭を下げ、記録した。
ニャーサは窓の外を見た。
「事実そのものは重要ではない」
「重要なのは、すべての者が一つの事実を中心に同じ行動を取れないようにすることだ」
それが、退魔界を弄ぶやり方だった。
すべての事実を隠すのではない。
一つの事実に、三つの解釈を与える。
彼らが議論し終える頃には、線はさらに深く入っている。
私は、まだ何も気づいていなかった。
その日、私は比較的順調な路上教習を終えた。
小さなアパートへ戻ってから、うどんを作った。
今回は成功した。
私は写真を撮ってAfterToneのグループへ送った。
澪が返信した。
合格。
陽菜が送ってきた。
小音、料理上達!
日和は言った。
おいしそう。野菜も忘れないで。
私は碗を見た。
たしかに野菜は少なかった。
だから海苔を少し足した。
海苔が野菜とは言えない気もするけれど。
ソレンセンは冷淡に評価した。
「自分を欺いているな」
「黙って」
それが、私に見えていた夜だった。
一碗のうどん。
スマホのメッセージ。
窓の外の夏の夜。
新学期の時間割。
自動車学校の予約。
猫目はない。
ニャーサもいない。
混沌残留実験室もない。
退魔界の経済戦争もない。
大勢力が侵食されていく契約もない。
私もソレンセンも、本当の手がかりには気づいていなかった。
あの猫は、私の影の中へ歩いてきたわけではない。
帳簿、アプリ、保険、公益プロジェクトの中へ歩いていったのだ。
黒弦は、一枚の契約書で震えたりしない。
ソレンセンも、低金利ローンで目を覚ましたりしない。
ニャーサは深夜、実験室の灯りを消した。
混沌残留サンプルは、新しい容器に封じられた。
そばには、一行の結論が記されていた。
対象の安全出力上限では、ニャーサ級脅威を制圧するには不足。
出力が閾値を超えた場合、封印裂解リスクは急激に上昇。
対象を自発的に閾値越えへ誘導すれば、理論上、内部災厄の解放を引き起こせる。
「まだその時ではない」
それは小さく言った。
「盤面がまだ安定していない」
「猫目がまだ十分に深くない」
「彼女の周囲の世界に、私が握る線がまだ足りない」
それは報告書を閉じた。
「続けろ」
翌朝、私は大学図書館へ本を返しに行った。
空は青かった。
夏休み中のキャンパスに、人は多くない。
木陰が道に落ちている。
私は中央広場を通ったが、長く立ち止まりはしなかった。
そこはもう、普通の広場に戻っていた。
座って本を読んでいる人がいる。
コーヒーを飲んでいる人がいる。
スマホを見下ろしている人がいる。
私はその光景を見て、心が静かになった。
少なくとも、ここはまだある。
大学はまだある。
私の新学期も、もうすぐ始まる。
私は知らなかった。
外側の大きな網が、少しずつ締まり始めていることを。
一匹の猫がすでに黒弦の混沌としての本質を知りながら、わざと私に触れずにいることを。
そして、未来に本当にそれと向き合うことになったとき、今の私が安全に借りられる力では足りないということを。
私はただ本を抱えて、図書館へ向かって歩いていた。
一人の普通の大学生のように。
その日、私が考えていたのは、ただ一つだった。
音声メディア研究の第一回授業では、事前に論文を読んでおいたほうがいいのかな。