俺の頭の中に敗北した暗黒の王が住み着いているが、俺はただギターを弾きたいだけだ 作:arctichare
第91章 猫目がどう地方を支配したのかを語り終えたあと、会議室で「叩き潰せ」と言う者はいなくなった
A大学へ戻ってから三日目、私は特調室に呼ばれて会議へ行った。
今回は、再戦ではない。
健康評価でもない。
眼鏡の女性は、メッセージにはっきり書いていた。
この二週間、あなたが猫目システムの中で見た内容を、東京と京都の防衛関係者へ説明してほしいのです。拒否しても構いませんし、話してよいと思う部分だけで構いません。
私はそのメッセージを、長いあいだ見つめていた。
もちろん、拒否はできる。
けれど私は、今回は以前とは違うとわかっていた。
以前、彼らが私を猫目の前に立たせたのは、私を力として見ていたからだ。
今回は、私に話してほしいと言っている。
私がシステムを見たからだ。
黒弦ではない。
戦闘ではない。
ソレンセンでもない。
猫目が、どうやって一つの地方を自分から檻の中へ歩かせるのか。
それを見たからだ。
このことは、話すべきだと思った。
もし東京と京都がまだ守りたいのなら、猫目が強いということを知るだけでは足りない。
猫目がなぜ勝つのかを知らなければならない。
私は返した。
話せます。ただし、戦闘のことも、私の力のことも話しません。猫目がどう地方を支配するのかだけを話します。
眼鏡の女性から、すぐに返信が来た。
わかりました。会議テーマは猫目の地方支配メカニズムに限定します。
私はほっと息を吐いた。
ソレンセンが黒海の中で、気だるげに言った。
「今度は虫どもに、猫がどう檻を飼うかを講義するのか?」
「だいたいそんな感じ」
「聞くと思うか?」
「わからない」
「多くの虫は、どう殴るかだけ聞きたがる」
「だったら、殴るだけでは駄目だって言う」
ソレンセンは低く笑った。
「それは事実だな」
会議場所は、東京の高度に秘匿された地下会議室だった。
参加者は多かった。
けれど、普通のメディアはいない。
公開の官員もいない。
私の学生身分に関わる人員もいない。
特調室の人員がいた。
久我山統括官と眼鏡の女性は前列に座っている。
東京防衛に関わる官僚代表が片側にいた。
世俗財団残余の代表が、もう片側にいた。
天城美咲と天城怜司も来ていた。
御影冬子と御影秋人は、かなり後ろの席に座っている。
京都方面は遠隔接続だった。
スクリーンには七条の映像が映っていた。
その顔色は、相変わらず冷たい。
京都の老委員もいた。
玄海と四国の残余代表も、遠隔画面で接続していた。
それから、少し意外な人物が一人いた。
遠坂綾乃。
彼女は世俗財団代表のそばに座っていて、黒いスーツを着ていた。
表情はとても静かだった。
けれど、目つきは鋭かった。
私は彼女が誰なのか知っている。
遠坂家。
猫目に呑まれた地方世俗財団の一つだ。
彼女も私が誰なのか知っていた。
少なくとも、猫目に安排され、臨時首領の席へ座らされた人間だとは知っている。
私たちは言葉を交わさなかった。
ただ、互いに軽くうなずいた。
会議が始まる前、久我山統括官は全員に向かって言った。
「今日は追責会議ではない」
「白川一音に戦闘方案を提出させる場でもない」
「黒弦をどう使用するかを議論する場でもない」
「今日は、彼女から猫目の地方支配メカニズムについて説明を聞く」
彼は一度、言葉を切った。
声が冷たくなる。
「誰であっても、彼女に個人の力の詳細を説明するよう求めてはならない。前回の再戦内容を追及してはならない。地方陥落の責任を彼女へ転嫁してはならない」
会議室は静まり返った。
私はスクリーンの前に立った。
手にはピックはない。
自分で整理した資料が一部あるだけだった。
タイトルは、とても単純だった。
猫目はどう地方を支配するのか。
私は深く息を吸った。
そして話し始めた。
「私は猫目システムの中に二週間いました」
「名義上は臨時首領でした」
「実際には、ただのゴム印でした」
最初の一言を口にしただけで、会議室にいる多くの人の顔色が変わった。
私は続けた。
「ニャーサは、私に本当の核心権限を与えていません」
「高リスク戦力档案も見られませんでした。東京と京都の戦略も見られませんでした。核心キャッシュプールも、それ自身の研究資料も見られませんでした」
「私が見たのは、地方の日常運営です」
「ですが、私はその日常運営こそ、多くの人が想像しているより重要だと思っています」
私は彼らを見た。
「なぜなら、地方は一夜で猫目に打ち落とされたわけではないからです」
「地方は、日常運営を通じて猫目に接管されたのです」
スクリーンに一枚目の図が映し出された。
戦闘地図ではない。
普通の地方都市のフローチャートだ。
商店街。
高校。
活動センター。
小型LiveHouse。
漁港。
倉庫。
保険代理店。
地方政府。
退魔小組織。
その中央に、猫目プラットフォームがある。
私は言った。
「猫目が地方を支配する第一歩は、恐喝ではありません」
「補位です」
「猫目が入る場所には、たいてい元から欠けているものがあります」
「金が足りない」
「人が足りない」
「保険が足りない」
「倉庫が足りない」
「迅速な審査が足りない」
「活動設備が足りない」
「負傷後の理賠が足りない」
「若者の舞台が足りない」
「地方政府がすぐに呼べる安全隊が足りない」
「これらの欠口は、猫目が作ったものではありません」
「多くは、ずっと前から存在していました」
「猫目はただ、既存の大勢力、財団、官僚体系よりも早く、そこを埋めただけです」
遠坂綾乃は、ここで指をかすかに握りしめた。
彼女にはわかる。
多くの人よりも、ずっとよくわかる。
私は二枚目の図へ切り替えた。
そこには、私が二週間のあいだに見た典型的な書類が並んでいた。
機密情報は削除して、分類だけを残してある。
地方高校外部音楽活動支援。
漁港夜間照明維持。
商店街秋祭り安全巡回。
負傷術師医療理賠。
旧ルート観光客案内設備修理。
小型LiveHouse活動保険。
地方文化会館防潮修繕。
私は言った。
「これらの書類は、侵略には見えません」
「助けに見えます」
「もし自分が地方職員の立場なら、拒否するのはとても難しいです」
「なぜなら、拒否したあとで、たくさんの問いに答えなければならないからです」
「学生の舞台が中止になったらどうするのか」
「夜間照明が壊れたら誰が修理するのか」
「活動保険を誰が提供するのか」
「負傷術師の医療費を誰が払うのか」
「観光客の安全を誰が担うのか」
「文化会館の雨漏りを誰が処理するのか」
「商店街の秋祭りに巡回がなく、事故が起きたら誰が責任を負うのか」
私は一度、言葉を止めた。
「もし私たちが地方に『猫目は危険だ』とだけ言って、代替案を与えなければ、その言葉は地方では空っぽに聞こえます」
会議室はとても静かだった。
何人かが不快に思っているのがわかった。
特に世俗財団の代表たちだ。
彼らも過去にはよく、「我々が地方を支援する」と言って影響力を保ってきたからだ。
けれど猫目は、その支援をより早く、より全面的に、より体系的に実行した。
私は続けた。
「猫目が地方を支配する第二歩は、助けを流程に変えることです」
「一度きりの手助けではありません」
「プラットフォーム化です」
「活動を申請するなら、猫目プラットフォームを通る」
「保険を申請するなら、猫目プラットフォームを通る」
「巡回を申請するなら、猫目プラットフォームを通る」
「設備を申請するなら、猫目プラットフォームを通る」
「理賠を申請するなら、猫目プラットフォームを通る」
「最初、地方は便利だと思います」
「そのうち、地方は猫目がなかったころ、自分たちがどう回っていたのかを忘れていきます」
天城美咲が低い声で尋ねた。
「つまり、鍵は資金ではなく、流程だと言いたいの?」
私はうなずいた。
「資金は重要です」
「でも、流程はもっと恐ろしいです」
「お金は使い終われば、別のお金を探すこともできます」
「ですが流程が習慣になると、全員がそれに従って動くようになります」
「流程を支配する者は、地方がどう助けを求め、どう申請し、どうリスクを判断し、どう補償を受け取るのかを支配します」
天城怜司の顔色が沈んだ。
「天城も過去に、似たような過ちを犯している」
私は評価しなかった。
ただ、続けた。
「猫目が地方を支配する第三歩は、それに反対する人を、地方の運行を妨げているように見せることです」
私は遠坂地方の事例へ切り替えた。
この部分の資料は、公開資料と遠坂綾乃が提供した内容を合わせたものだった。
遠坂綾乃が、こちらを見た。
私は低い声で言った。
「遠坂さん、もし間違いがあれば訂正してください」
彼女はうなずいた。
「話して」
私は言った。
「遠坂家が猫目へ反撃しようとしたとき、語っていたのは長期的リスクでした」
「猫目が応えたのは、目の前の需要でした」
「遠坂家は、猫目は依存を生むと言いました」
「猫目は秋祭りを成功させました」
「遠坂家は、猫目は不透明だと言いました」
「猫目は台風後、商店街の供給を回復させました」
「遠坂家は、猫目は地方を制御すると言いました」
「猫目は損害を受けた店舗へ迅速に理賠しました」
私は会議室を見た。
「普通の人がリスクを知らないわけではありません」
「多くの人には、ただ、未来のリスクのために、目の前で使える助けを捨てる余裕がないのです」
遠坂綾乃が口を開いた。
その声は冷静だった。
けれど、重かった。
「そうです」
全員が彼女を見た。
彼女は言った。
「私の父も、当時、猫目は危険だと言っていました」
「けれど台風のあと、猫目は私たちより先に現場へ着きました」
「店主たちは、停電して、水漏れして、商品が傷んでいるときに、十年後の地方自治を先に考えたりしません」
「彼らが最初に尋ねるのは、今、誰が助けてくれるのかです」
彼女は世俗財団の代表たちを見た。
「私たちが負けたのは、猫目が悪事しかできないからではありません」
「猫目が、肝心なときに役に立つことをしたからです」
その一言で、会議室はさらに静かになった。
私は説明を続けた。
「猫目が地方を支配する第四歩は、既存勢力を急いで消さないことです」
「名前を残します」
「儀式を残します」
「地方伝統を残します」
「一部の顧問肩書も残します」
「でも実際の資金、倉庫、保険、巡回、データ、理賠は、もう猫目の手に移っています」
「つまり、元の勢力は、見た目にはまだ存在します」
「けれど、手足はもう自分たちのものではありません」
京都側のスクリーンで、七条が突然口を開いた。
「京都外輪がそうです」
その声は冷たかった。
「保存センターは、今も保存センターと呼ばれている」
「材料倉庫もまだある」
「職員も、今までどおり出勤している」
「だが実際の出入り、修繕、材料補充、デジタル化インターフェースには、すべて猫目が手を差し込んでいる」
老委員はため息をついた。
「表面上は焼かれていない。だからこそ、失守していることを人に理解させるのが難しい」
私はうなずいた。
「そうです」
「猫目は、無意味な破壊をほとんどしません」
「破壊すれば、全員が警戒するからです」
「破壊より、接管のほうが効果的です」
私は五枚目の図へ切り替えた。
タイトルはこうだった。
感謝も盾になる。
私は言った。
「ここが、私がいちばん伝えたい部分です」
「猫目は恐怖だけで自分を守っているわけではありません」
「感謝でも、自分を守っています」
「猫目は普通の人を助けたことがあります」
「学生を助けたことがあります」
「小さな店を助けたことがあります」
「負傷した術師を助けたことがあります」
「地方政府を助けたことがあります」
「活動センターを助けたことがあります」
「だから、もし東京や京都が猫目と協力したすべての対象を敵と見なせば、失敗します」
「猫目の助けを受けた人の多くは、悪人ではありません」
「ただ、助けを受けただけです」
「もし私たちが彼らを攻撃すれば、猫目は逆に保護者になります」
官僚代表の顔色は悪かった。
彼は低い声で言った。
「では、監管はどうする?」
私は彼を見た。
「監管には代替が必要です」
「監管がただの禁止で、代替がなければ、地方は反発します」
「東京と京都が守りたいなら、自分たちの支援システムを作らなければなりません」
「書類の上で『猫目を使うな』と言うだけではなく」
「本当に、金、物資、保険、設備、巡回、理賠を提供できなければなりません」
彼は言った。
「それには莫大な予算と省庁横断の調整が必要になる」
私はうなずいた。
「はい」
「時間もかかる」
「はい」
「猫目はすでに速い」
「だから危険なのです」
会議室では、誰も話さなかった。
これは綺麗な答えではなかった。
綺麗な答えなら、こうだ。
人を派遣してニャーサを倒す。
猫目システムを切断する。
地方の自由回復を宣言する。
けれど現実は、そうではない。
現実には、代替がなければ、地方は猫目から離れない。
御影冬子が口を開いた。
「つまり、東京と京都は核心結界だけを守っていては駄目だということですね」
「はい」
私は言った。
「核心だけを守っていれば、周縁は猫目化し続けます」
「周縁が一定以上猫目化すれば、核心は孤島になります」
「孤島は必ずしも攻め落とされるわけではありません」
「けれど、外部補給へどんどん依存していきます」
「そして、その外部補給が猫目の手にあるなら、核心はいずれ条件交渉を迫られます」
七条が冷たく言った。
「今の京都がそうだ」
彼女は避けなかった。
「内層はまだある」
「だが、外輪の多くのものは、すでに猫目を迂回しづらい」
「防潮材料、資料維持、人員補助、外部保険、すべて問題がある」
天城美咲が尋ねた。
「では、第一歩は何?」
私は少し沈黙した。
「まず、どう猫目を倒すかを問わないことです」
「何が猫目に握られたら、自分たちは運行できなくなるのかを先に問うべきです」
「東京と京都は、自分たちの生命線を列挙しなければなりません」
私は表は使わなかった。
一つずつ、ゆっくり言った。
「食料と基礎物資」
「文化施設の運営」
「学生と青年活動」
「小型LiveHouseと活動会場」
「保険と事故処理」
「地方医療と特殊損傷の精算」
「倉庫と物流」
「低級異常巡回」
「負傷術師への補償」
「学校外部活動」
「商店街と小企業債務」
「ボランティアとアルバイト人員のネットワーク」
「これらの半分が猫目に依存した時点で、たとえ核心がまだ攻め破られていなくても、すでに危険です」
遠坂綾乃が続けて言った。
「災害応急も調べるべきです」
全員が彼女を見た。
彼女は言った。
「遠坂家が本当に地方を失ったのは、台風のあとでした」
「災害は効率差を拡大します」
「平時なら、皆まだリスクを議論します」
「災害が起きたとき、先に到着した者が救命者になります」
「猫目は、そのことを非常によく理解しています」
私はうなずいた。
「そうです」
「だから東京と京都は、非猫目の災害応急体系を準備しなければなりません」
「次の台風、地震、火災、停電のとき、もし猫目があなたたちより先に到着すれば、人々は自然に猫目を選びます」
官僚代表が低く言った。
「これはもう、退魔の問題ではないな」
私は彼を見た。
「最初から、そうではありません」
「猫目は、退魔だけで地方を支配しているのではありません」
「生活システム全体で支配しているのです」
その言葉を言い終えたあと、会議室には重い沈黙が広がった。
多くの人が、たぶん初めて本当に受け入れたのだと思う。
猫目は、一つの部門、一つの家族、一人の強者だけで処理できる問題ではないのだと。
久我山統括官が尋ねた。
「君は、今の東京と京都にとって最も重要な行動は何だと思う?」
私は長く考えた。
それから言った。
「第一に、猫目がすでに地方支配を完成させていると認めること。地方が自然に反発すると幻想しないこと」
「第二に、猫目の助けを受けた人々を敵扱いしないこと」
「第三に、東京と京都のためにホワイトリスト供給網を作ること。保険、倉庫、活動設備、文化施設維持、学生支援、特殊医療を含めてです」
「第四に、外部資金を受けるすべての文化プロジェクトには退出メカニズムを設けること」
「第五に、災害応急を猫目に依存しないこと」
「第六に、大勢力と財団が支配権の奪回だけを考えないこと」
「もし代替システムが、ただ支配者を入れ替えるだけなら、地方は信じません」
天城怜司が尋ねた。
「では、どうすれば地方に信じてもらえる?」
私は言った。
「最初から信じてもらおうとしないことです」
「まず、代替案を本当に使えるものにする」
「猫目はなぜ勝ったのか」
「役に立ったからです」
「だから反猫目勢力は、正しいだけでは駄目です」
「役に立たなければなりません」
その言葉を口にしたあと、自分でも重く感じた。
正しいだけでは足りない。
役に立たなければならない。
猫目は、そこで勝った。
東京と京都がそこを理解しなければ、必ず負ける。
御影秋人がふいに尋ねた。
「では、黒弦は?」
会議室の空気が一瞬で張り詰めた。
眼鏡の女性はすぐに彼を見た。
御影秋人は片手を上げ、語気はとても平静だった。
「彼女の力を尋ねているのではありません」
「彼女が語ったこのシステムの中で、黒弦に何ができるのかを聞いているだけです」
全員が私を見た。
私は自分の手を見下ろした。
その問いは、私自身もずっと考えていた。
「黒弦は、具体的な危険を切断できます」
「一部の猫目術師を処理することもできます」
「ある襲撃を止めることもできます」
「必要なとき、人を守ることもできます」
「けれど黒弦は、地方のために保険を作ることはできません」
「高校生に健全な舞台を安排することはできません」
「商店街へ安定した物資を供給することはできません」
「負傷術師の長期医療費を払うことはできません」
「東京と京都のために、信頼できる代替システムを作ることはできません」
私は顔を上げた。
「だから、もう私を猫目問題の答えとして扱わないでください」
「私は答えではありません」
「せいぜい、その答えの中のごく小さな一部です」
会議室では、誰も話さなかった。
これほど多くの人の前で、私がはっきり言ったのは初めてだった。
私を答えにしないでください、と。
私は続けた。
「もし皆さんが猫目問題を、『もっと強い人間を見つけてニャーサを倒す』ことだと理解し続けるなら、負けます」
「私はもう二度負けています」
「そして、たとえいつか誰かがニャーサを倒せたとしても、猫目が残した依存システムは自動では消えません」
「猫目で最も恐ろしい部分は、あの猫の爪にあるのではありません」
「地方が、猫目なしでは不便だと思い始めていることです」
七条は私を見て、声を少しだけ低くした。
「この二週間で見たのは、それか」
「はい」
「だから、そんなに沈んでいるのですね」
私は少し固まった。
彼女が見抜くとは思わなかった。
私はうなずいた。
「はい」
遠坂綾乃が、ふいに言った。
「初めて猫目を理解した人は、皆、沈みます」
彼女は私を見ていた。
「それが一つの悪事によって勝ったのではないと気づくからです」
「たくさんの役に立つことによって勝ったのだと、気づくからです」
私は彼女を見た。
彼女は続けた。
「けれど、理解してしまえば、少なくとも間違った方法で抵抗し続けることはなくなります」
その言葉は、私を少しだけ支えてくれた。
もしかすると、それが今日ここに立っている意味なのかもしれない。
私は勝利方案を持ってきたわけではない。
けれど、彼らが少しでも間違った道を避けられるようにはできるかもしれない。
会議の後半、議論は具体的になり始めた。
官僚代表は、東京と京都の「非猫目基礎サービス清単」を作ることを提案した。
特調室は、特殊医療と負傷術師補償を独立基金へ組み込むよう要求した。
天城は、一部の技術監査と物流資源を開放する意思を示した。
ただし、天城の旧システムの轍を踏まないよう、第三者監督を受ける必要がある。
御影は、一部の古い倉庫を非猫目物資備蓄点として提供する意思を示した。
ただし、安全隔離が必要だとした。
京都側は、内層は開放しないが、「猫目による外輪接管をどう識別するか」の経験を一部共有できると提案した。
遠坂綾乃は、猫目に呑み込まれた地方の生存者たちが事例を整理し、東京と京都の反面教材にすることを提案した。
無門術師代表は、自分たちを無料の穴埋め道具にしないでほしい、長期補償と医療保障が必要だと要求した。
この言葉には、菅原涼が遠隔で支持した。
彼女は言った。
「代替システムを作るつもりなら、現場の人間に責任感だけで踏ん張らせるのは、もうやめてください」
それを聞いたとき、胸が少し動いた。
そうだ。
もう、誰かを責任感だけで踏ん張らせてはいけない。
猫目は責任感を利用する。
大勢力も責任感を利用する。
代替システムが、責任ある人間をまた搾取するだけなら、必ずまた失敗する。
会議の最後、久我山統括官は私に、一言でまとめてほしいと言った。
私は長く考えた。
そして言った。
「猫目が地方を支配したのは、全員が戦闘で敗れたからではありません」
「多くの人が困ったとき、猫目のほうが元のシステムより早く、有用で、信頼できるとわかったからです」
「東京と京都が守りたいなら、猫目を倒すことだけを考えてはいけません」
「人々が助けを必要としたとき、猫目以外の選択肢を持てるようにしなければなりません」
私は一度、言葉を止めた。
そして、もう一言足した。
「しかも、その選択肢は、ただのスローガンではいけません」
「本当に使えるものでなければなりません」
会議室は静かだった。
今回は、絶望の静けさではない。
自分たちが直面しているものが、どれほど難しいのかを、ようやく全員が知ったような静けさだった。
難しいことは、間違った簡単さよりはましだ。
会議が終わったあと、遠坂綾乃が私の前へ歩いてきた。
彼女は私を見て、言った。
「あなたは、多くの大人よりもはっきり話しましたね」
私はどう答えればいいかわからなかった。
彼女は続けた。
「ただ、はっきり理解したあとほど、苦しくなります」
「知っています」
「いいえ、あなたは今、知り始めたところです」
彼女の声には悪意はなかった。
ただ、とても冷静だった。
「これから先、ある地方が猫目に問題があるとわかっていながら、それでも猫目を選ぶ場面を見ると、もっと苦しくなります」
私は低い声で尋ねた。
「そのとき、どうすればいいんですか?」
彼女は私を見た。
「彼らを恨まないことです」
私は固まった。
彼女は言った。
「猫目を恨んでもいい」
「ニャーサを恨んでもいい」
「猫目を利用して利益を得る者を恨んでもいい」
「でも、目の前の困難を救えるものを選んだ普通の人たちを、恨まないことです」
「そうでなければ、あなたは彼らからどんどん遠ざかります」
その言葉を、私は覚えた。
深く、覚えた。
「ありがとうございます」
彼女はうなずいた。
「それから、もう一つ」
「何ですか?」
「いつか本当に猫目の檻を解体したいなら、錠前だけを探してはいけません」
「扉の外の道も、用意してください」
彼女の去っていく背中を見ながら、ふいに思った。
遠坂家を失ったあと、彼女はただの憎しみになったわけではない。
檻の構造を見た人になったのだ。
もしかすると、そういう人は、とても重要になるのかもしれない。
A大学へ戻ったころには、もう夜になっていた。
私はすぐには小さなアパートへ帰らなかった。
中央広場へ向かった。
何人かの学生が座って話していた。
遠くでは、誰かがストリートダンスの練習をしている。
自動販売機が、かすかな音を立てていた。
私はベンチに座り、ノートを取り出した。
書いた。
今日、彼らに話した。
猫目が地方を支配する方法。
補位。
流程化。
依存。
感謝。
接管。
常態化。
抵抗方法は、打撃だけでは駄目。
代替が必要。
代替は、本当に使えるものでなければならない。
助けを選んだ普通の人を恨んではいけない。
扉の外の道を用意する。
最後の一文を書いたところで、私は長いあいだ止まった。
扉の外の道。
それは、扉を切り開くことより難しいのかもしれない。
でも、たぶんそれこそが、私にできることなのだ。
ソレンセンが黒海の中で言った。
「今日のお前は戦士らしくなかったな」
「私はもともと戦士じゃない」
「講義をしているみたいだった」
「講義も役に立つかもしれない」
「あの猫に勝つより役に立つのか?」
私は沈黙した。
それから言った。
「今のところ、少しはそのほうが役に立つかもしれない」
ソレンセンは笑わなかった。
ただ言った。
「なら、見続けろ」
「何を?」
「奴らが本当にやるかどうかを」
私はノートを閉じた。
そうだ。
話し終えたことは、ただの始まりだ。
本当に難しいのは、東京と京都が本当に代替システムを作るかどうか。
大勢力が支配欲を手放せるかどうか。
財団が、すぐに見返りのない金を出せるかどうか。
官僚が早く動けるかどうか。
特調室が現場の人を守れるかどうか。
普通の人が、猫目以外にも道があると信じられるかどうか。
それはまだ、何もわからない。
けれど少なくとも今日、会議室の中で、もう誰もこうは言わなかった。
「猫目を叩き潰せばいい」
それは一つの変化だった。
とても小さい。
けれど、本物だった。