ベル・クラネルの主神、女神ヘスティアは顔を真っ赤にして怒っていた。
「全く油断も隙もないっ! 主神の次は眷族がベル君を誘拐か!? 冗談も
場所は【ヘスティア・ファミリア】
ぴょーんと
「ベル君をどこに隠したんだ! 娘とは繋がってるんだからわかるだろ! さっさと吐けぇ!」
そしてキレ散らかしていた。
怒りの矛先は正面に腰を下ろした人物である。
鈍色の髪の少女、シル・フローヴァ。女神フレイヤのもうひとつの姿だが、とある一件により女神の方は迷宮都市を追放されてしまった。
現在は『娘』としてのみ迷宮都市に居住権がある。
屁理屈も同然の話だが、今のところ強制的に追い出そうという動きは見られていない。快く思っていない者は当然いる。しかし、ギルドはじめ
「黙ってないで、吐けったら吐けっ! さあ早く!」
「すみませんヘスティア様、無理です♪ ここは私に免じて……テヘッ」
「舌を出してもダメだぁっ!」
ヘスティアは天井に吠えた。
ことの発端は三日前。女神フレイヤの眷族で侍女頭の少女、ヘルンがベルと一緒に
とある冒険者Mのダンジョンでの目撃情報によれば、『あいつらは光の中に消えちまった! なんなんだよありゃあ!』とのこと。なんなんだは
ダンジョンの中で光に包まれて、二人ともどこかに消えてしまった。結果、行方不明だ。意味不明だ。ヘスティアは困り果ててしまっている。
「がああーーっ! どーしていつもいつも、ベル君は変なことに巻き込まれるんだーっ!」
ヘスティアは天井に怒鳴った。
「わぁすごい
「ヘスティア様、少し落ち着いてくださいよ。大体、どうしてヘルンさんがベルさんを誘拐できるんですか。どう考えても無理ですよ?」
そしてため息をひとつ。
続けて口にしたのは、事実以外の何者でもなかった。ヘルンがベルを誘拐とか絶対に無理で、殺害も監禁も不可能。
片や英雄候補のLv.5。人類の中でも上位クラスの実力者。
片やLv.3。しかも成ったばかり。
この下界においてLv.の差はほぼ絶対で、しかもLv.5以上は破格とも言われる。かなり
「可能だと言うなら根拠を教えてくださーい」
ヘルンとはかなり特殊な力を持っている娘で、魔法を用いることで女神フレイヤに変身できる。単に同じ姿になれるというだけではなく、五感や心の動きなども共有可能。
魔法の行使中は器そのものが神になる。
だから、ヘスティアから見て彼女は人間には見えない。かと言って完全な神でもないので、最初に見た時はえらく驚かされたものである。
「み、魅了で……っ」
「私の魅了を
「……化け物とか言うなよベル君が可哀想だよ」
また、主と同じように魅了を使うことができるが、ベル・クラネルには効果がない。
全く何も起こらないというわけではなく、魅了をかけられると
「他に根拠がないなら、私を責めるのはやめてくれませんか? 話が進まないので」
「いや、でも……だって……あの子はベル君の命を狙ってるし……」
「答えになってませーん。それに命なんて狙ってませんよ。ナイフを握り締めて睨みつけるあれは、単なる照れ隠しです!」
「そんな物騒な照れ隠しがあるか……!」
ヘスティアのツインテールがしおれた。
シルは嘘は付いていない。
たしかにヘルンの言動は過激で、彼女はベルのスケコマシな言動に対してブチギレることが多々ある。しかし、よくよく聞いてみるとあんまり罵倒できていないことがしばしば。実際に接点を持つ前ならいざ知らず、現在は本気の殺意とかはないようである。
「ヘスティア様」
「なんだよ、改まって……」
シルは背筋を伸ばして真面目な顔になる。
その鈍色の瞳に力を込めて、口を開いた。
「ヘルンさんと同期はできません。恩恵の反応自体がとても遠い感じがしますし、きっとそのせいですね。向こうも困っているんだと思います」
「いや同期って……でも、あー……やっぱり?」
ヘスティアはカクンと首を折ると、「あー……」と情けない声を繰り返した。
(八つ当たりしすぎたな……そろそろやめとこう)
そして、反省のち脱力。ボスンと音を立てて
恐らく、今回の件は
少なくともフレイヤ側に責任はないし、ベルが悪いわけでもない。それはわかっているのだが、ストーキングというのが引っかかってしまい、少し怒鳴らせてもらった次第だ。また、ベルがダンジョンに向かった動機にも思うところがあったので、手頃な町娘に当たらせてもらったというわけだ。
なんでも『女の子の助けを求める声が聞こえたんだ』、とか言ってたらしいが、なんだそれは! ヘスティアは何も聞いていない。ヘスティアは激
「繋がってる感じはあるけど、なーんか遠いんだよね……やっぱりそっちも同じかぁ」
「はい。命に別状はないはずですが、かなり遠くに飛ばされてしまったみたいですね。恐らく
「……」
シルが静かに語った見立て、ヘスティアのそれとほぼ同じであった。
主神と眷族は
判断基準は恩恵の反応があるかないかだ。
そして、現在はその『反応』が
「……参ったなぁ。普通に探しても見つからないんじゃないか、コレ」
「はい。困りましたね。さしあたっては、ウラノス様に責任追及しようと思うんですが……どうでしょう?」
「なんでウラノス?」
「ダンジョンの管理者ですので。変なワープポイントを放置するとか危なすぎまず。管理責任が問われて然るべきです」
「いやいやいや……」
迷宮都市オラリオの創設神ウラノス。
なぜか彼に怒りを燃やしている少女、もといフレイヤに、ヘスティアは困惑顔を向けた。
それは流石に言いがかりだろう。
大好きなベルが娘と消えて面白くないのはわかるが、八つ当たりするのはいけないことだ。ヘスティアがシルに八つ当たりするのはオッケーだ。なぜなら戦争した時の迷惑料がまだ残っているから。そう、ヘスティアは彼女と戦争していたのである。わりとかなり最近まで。
「んー……ウラノスを責めるのは可哀想だけど、話は聞かなきゃだよね。他の神の見解も聞いて、なにか方法がないか考えないと。飛ばされたのが『異相』だとしたら、連れ戻すのはかなり骨が折れる……」
異相。
それはいわゆる別世界。
オラリオがある下界とは異なる時空で、神々は外宇宙なんて呼び方もしている。
どんなところかは不明だ。
文明と言えるだけのものがあればいいが、生物自体がいない可能性もある。恐ろしい話である。
「最悪、ダンジョンに乗り込んで門をこじ開けるしかないですね。出発点の座標は特定できているので、誰か手頃な神様を生贄に捧げれば……」
「おいやめろ」
世界間を繋げる門はこの下界にはないはず。しかし、超天文学的な低確率で繋がってしまうことがある。そこに運悪く飲み込まれると、今回みたいなことになってしまう。
いわゆる神隠しのような状態になるのだ。
そして、一度繋がった
「ヘルメス様あたりを送還して、そのエネルギーで門を……」
「だからやめろってば……」
「ベルさんとヘルメス様、どっちが大切なんですか?」
「ここでボクがベル君って言っても、それはヘルメスを生贄にする理由にはならないから……」
ヘスティアはドン引き。シルはなにやら目をグルグルさせている。
この少女、わりと
「正直に打ち明けると、私、そろそろどうにかなってしまいそうなんです。ベルさんの寝室はどこですか? 残り香だけでも補充を……」
「させるか……って言いたいところだけど、本当に辛そうだな大丈夫?」
「はぁ、はぁ……ハァッ」
「……」
シルは胸を抑えて苦しみ始めた。
演技がかっているようにも見えるが、半分くらいは本気であることをヘスティアは見抜いた。
そういえば一定時間ベルと触れ合うことができないと、禁断症状が出るとか言っていたか。このままだとヤバいかもしれない。彼女が強硬手段に出る前に何とかしたいところであった。何ともできそうもないのがシンドいところであった。
「……に、においだけでも」
「うん。わかったわかった。……ハァ。ほんと大変なことになっちゃったな。こっちの気も知らないでハーレム、とかやってないといいけど……ベル君」
ヘスティアはベルの部屋の方向を指さし、ボソボソッと懸念を漏らした。
愛する眷族ベル・クラネル。
彼は何かにつけて不幸な目に遭いやすい体質だが、同時に異性を呼び寄せる天才でもある。多くの場合、トラブルと女の子はセットだ。現に既に一人一緒に巻き込まれてるわけだし、気付いたら現地の女性が何人も増えてたとか普通にありそう。ありそうだなぁとヘスティアは暗い気持ちになった。
「うん、これ以上は待ってられない。周りも騒ぎ出してるし、ウラノスのところに突撃しよう。まずはそこから……ってどこ行くんだよ?」
「においを……」
ヨロヨロと部屋から出ていく少女に、ヘスティアは気の毒そうな視線を送った。
そうだった禁断症状。
フラれた後も優しくされ続けているうちに、気づいたらこんなことに。発症したのは一週間前らしいが、まさかここまで重症だとは知らなんだ。
「君、顔色やばいよ……ほんと大丈夫?」
「はぁ、ハァ……ハァッ……すみません、ここに来た時は腹筋に力を入れて頑張ってたんですけど……私、とっても息苦しくて……使い物にならないかも……ハァッッッ」
「……」
本気でダメそうだとヘスティアは判断した。
女神フレイヤは悠久の色ボケであることを除けば完全無欠と言っていい、非常に優秀な女神だ。
だから結構アテにしていた。過去のことは一旦忘れて協力しようと思っていたのに、このポンコツっぷり。これじゃただの
(ベル君、こっちはとても大変だ。これで楽しくやってますなんて言われたら、怒るからな……!)
頭が余計に痛んできたのを感じながら、ベルの周りに新しい女が出現していないことを祈った。
そして、疲れきった表情で考えた。
仮に打開策が見つからない場合、ヘルメス
・
ベルは足を止めた。
ザラついた怒声は未だ止むことはないが、謎のモフモフ達の姿は見えない。必死に逃げ続けた甲斐があって、ようやく引き離すことができたようだ。
今、立っているのは石の長い通路上。
まっすぐ進んだ先には白い光が見えていて、出口と見られる穴の左右、松明の炎がゆらめていた。
「いやぁ良かった良かった! 一時はどうなる事かと思ったけど、無事に脱出できそうだね! ってどうした? なんで止まるんだよ?」
前を走っていた人物が急停止する。
ここまで先導してくれた謎の青年だ。
彼は
「のんびりしてると追いつかれるぞ!」
「すみませんちょっと待ってください!
ベルが叫び返すや否や、反応したのはヘルン。
隣にいた少女はギョッとした顔で、ベルの背中を、更にその先を凝視する。
ベル・クラネルはしゃがみ込んで、床に手を伸ばしていた。石ではなく
少年が手にしているのは、
下には窪みがあって、真っ青な顔の青年が「ヴー、ヴー」と情けない声を発している。
「!? 誰ですかその男は!」
「僕は知りませんよ!? 知るわけないでしょ! でもほっとくわけにはいかないでしょ! 連れていきます大丈夫ですかお兄さん!」
余裕がないのか少年は叫び返してきた。
ヘルンは思いのほかイラッとしなかった。たまにはこういうのもいいものだ、などと呑気なことを考える。どう考えても別に思考するべきことがあるはずだが、異常事態の連続で少女は平常心を失っていた。
「今、
「──ブハッ!」
青年の口から汚らしい音が飛び出す。
ベルが強引に
端正な顔立ちが苦しそうに
「お、お前っ……もう少し優しく……ゲホ」
「すみません! でも早く逃げないと! 立てますかお兄さん! あっ、僕はベル・クラネルっていいます!」
ベルはこれまた強引に話を進め、力強く青年の腕を掴む。グイッと引っ張り起こした。
立ち上がった青年はベルより身長が高く、その服装は全体的に黒い。ロングコートもズボンも黒。ダボついた白いシャツはシワシワで、なんというかだらしのない印象を受ける。
灰色の髪は無造作に散らばっていて、黄金色を帯びた瞳が涙ぐむ。
「ベルか……ありがとう助かったよ」
「いえ、当然のことをしたまでです。さあ早く逃げましょう!」
「ところで俺は…………誰だ?」
そして、青年はワナワナと震え始めた。
ヘルンの顔がすん、と白けた。
今、あの男なんつった?
「えっ」
「なあ、俺は……誰なんだ?」
「……えっ?」
ベルは困惑しているようだ。
しかしのんびりしている時間はない!
「──いたぞ! 捕まえろ!」
「ヤー!」
「ヤーッ!」
やばい追いついてきた!
後方から響いてきた聞き苦しい怒声を受けて、ヘルは右手を振り上げた。
そして、スパァン! と引っぱたいた。
目を白黒している少年の前髪を。
「な、なんですか!?」
「なんですか!? じゃない! 追いつかれたら面倒だ早くしろ!」
「俺は……誰なんだ? 俺は……誰だっ!」
「あなたはやまかしい! 私に聞かれても困る!」
怪しい男が増えてしまったが、仕方ない。
今は逃亡最優先だ。先導してくれた男は呆れてしまったのか先に行ってしまったし、自分達も早く脱出しなければ。
「教えてくれ、俺は誰なんだッ!」
「なんなんですかあなたはポンコツ!? ええいもういいです黙ってなさい! ベル、行きますよ!」
「わかりました! すみません僕、少し動揺してました!」
「素直に反省しても褒めませんよ私は! シル様やヘイズとは違う! 私はそういうキャラではない!」
ヘルンはその美しい顔を真っ赤に染めて、よくわからない主張を大声で叫んだ。
器用に少年の
ここまでの登場人物は、怪しいモフモフ達とヒルチャールなる野蛮人共。そして怪しい男と記憶喪失のポンコツ男。なにかおかしい。ベルがいるにしては女性が出てこないのが違和感があったが、とりあえず逃げ切ってから考えようと思った。
「待ってくれ! 穴の中に落ちていた金属バットは俺の武器だ! 拾わせてくれ!」
「わかりました! でもお兄さんは待っててください! 僕が拾ってきます!」
「金属バット!? 単なる鉄の棒じゃないですか! あんなのはどこにでもある鉄クズです! 取りにもどる価値なし! ベル、放っておきなさい!」
下らないやり取りの後、無事に脱出を果たした。