現代ダンジョンが変えた地球の人生 作:匿名の筆者
「ちぇ、俺の職業こんなもんかよ。ハズレだな……」
思わず口から漏れ出た愚痴は、ひどく惨めで、それでいて乾いた響きがした。
「はい、次の方どうぞー」
目の前のカウンターに座る女性職員が、感情のいっさい籠っていない、マニュアル通りの声を響かせる。彼女の手が、パッパとハエでも追い払うかのような動作で、俺に退出を促す合図を送った。
その事務的で、どこか見下すような態度に猛烈な怒りが湧き上がったが、今の俺にはそれを言葉にする気力すら残っていなかった。
受付の横には警備員が剣を佩いていて、しかもボディアーマーをつけていた。
非戦闘職――それも、およそこの現代社会において、何の役にも立たないと証明されている最悪のハズレ職。
怒りと絶望で視界が歪みそうになるのを必死に堪え、俺は重い足取りで設定所を後にした。
冷静さを保とうとすればするほど、心臓の鼓動がドクドクと耳の奥でうるさく跳ねる。とにかく、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
現実から逃れるように、俺は帰路へと急ぐ。
明るく光る通路を抜けた先にある国内移動用の転移ターミナル。その一角にある自動券売機のような機械に、震える手で千円札を滑り込ませた。
ガシャコン、とレトロな駆動音が響くと同時に、目の前の空間に淡いブルーの光を放つ円形のワープゲートが開く。
ここ、日本に唯一存在する『職業設定所』は鹿児島県の南端にある。そこから俺の家がある北海道の札幌市まで、直線距離にしてだいたい2000キロメートル。その途方もない距離を、このゲートはわずか三秒で繋ぎ、一瞬で移動させてしまう。
千円という金額は、今の俺の財布にとっては決して安い出費ではない。
だが、航空機を利用するよりも圧倒的に早く、そして安い。
何よりも座席のスペースを確保する必要がないため、現代のインフラとしては飛行機や港湾に次ぐほど普及している。
国に一つしかない設定所は、一世一代のチャンスに賭ける若者や、結果に絶望した人間たちで常に足の踏み場もないほど混雑していたが、この地方都市行きのターミナルは驚くほど閑散としていた。
設定所から出てくるせわしなく行き交う人の波から外れ、周囲を見渡してみても、ここにいるのはせいぜい十人ぽっちだ。
札幌行きのゲートには、ほとんど誰も行っていない。東京行きに集まって小さな列を作っている。
誰もが疲れ切った顔、あるいは無表情な顔で、どこかのゲートから現れては、また別の目的地へと向かうゲートへと吸い込まれていく。
天井の隅から、こちらを冷酷に見下ろしている機械の監視カメラのレンズが妙に気になった。
まるでハズレを引いた負け犬を監視しているかのような思考が頭をもたげる。
いや、これは被害妄想だと俺は努めて平静を保ちながら、液晶パネルの画面をタッチし、自宅の最寄り駅へと続くルートを選択した。
ゲートに足を踏み入れる。引きちぎられるような感覚のあと、ゴゥ、と激しいつむじ風が吹いた。
次の瞬間、さっきまで肌をなでていた空調の効いた室内の空気は消え去り、一転して、十二月の札幌らしい容赦のない極寒の雪景色が視界いっぱいに広がった。
吐き出す息が真っ白に染まる。駅前のロータリーでは箒を手に持った清掃員たちが、絶えず行き交いながら路面の雪を次々と消滅させていた。
初雪の季節には新鮮に見えたその魔法のような光景も、今となっては見慣れた、いつもの日常の一部でしかない。
そんな光景を完全に流し見しながら、俺はただ呆然と、操り人形のように自宅へと向かって歩き続けた。
ポケットの中で、スマートフォンがぶるりと震える。見なくてもわかる。設定所で確定した俺のステータス情報が、個人の端末に同期された通知だ。
画面を開くまでもない。脳裏には、さっきの電子端末に手をかざした際、網膜に直接焼き付けられた忌々しい文字列が浮かんでいた。
【所持職業A:バブルマスター(泡職人)】
最大の不遇職。いや、現代における最底辺のゴミ職を引いてしまったのだ。
歩きながら、すがるような思いでスマートフォンの検索バーに『バブルマスター 運用』『泡職人 強み』と打ち込んでみる。しかし、画面に並ぶのは絶望的な言葉ばかりだった。
『検証:泡職人がダンジョンに行ってみた』
『バフを解除する特殊効果で立ち回ってみた』
『単体での戦闘能力が無い職業と、将来性に欠けた組み合わせ一覧』
ネットの海に転がる容赦のない嘲笑。
そう、この職業が持つスキルは、文字通り泡を射出し、吹き付けるようにして出すだけなのだ。多少の粘り気がある泡で魔物の動きを一瞬止められるらしいが、攻撃力は皆無。
現代のダンジョン攻略において、多少は意味があるがその時間があれば攻撃した方が早いという、こうなんだか悲しい評価しかない。
唯一の特筆すべき効果として挙げられるバフ解除も、泡が割られるとバフが再び復活するという、衝撃にも弱く、本当に意味をほとんど持たない趣味の領域の職業とまで酷評されているのだった。
「もう、終わりだ……」
ぽつりと呟いた言葉は、容赦なく吹き付ける雪混じりの風にかき消された。
この世界において、ランダムに決定される職業は、二度と変更することができない。そして、一人の人間が一生の内に獲得できる職業の枠は、最大で『二つ』と決まっている。つまり、俺の人生の半分は、この『バブルマスター』という足枷によって埋まってしまったということだ。
これからどうするべきか。
雪で凍てつく道を歩きながら、思考の迷路に迷い込む。
仮に、もう一つの残り一枠を使って、必死に金を貯めて登録を行い、幸運にも『剣士』や『魔術師』といったまともな戦闘職を引けたとしよう。
だが、この世界を作った神は残酷だ。
二つの職業を所持している場合、獲得した経験値は均等に分配される。つまり、俺の場合は戦闘職で魔物を倒したとしても、その経験値の50%は強制的にバブルマスターへと吸い取られてしまうのだ。
結果として、成長効率は通常の半分にまで落ちる。
仮に『剣士』になったとして、実戦で使える最低限のスキルである『切断』を覚えるまでの速度が二分の一になるのだ。
他の同期たちが次々と新しい技を覚え、上のランクのダンジョンへ挑む中、俺だけがいつまでも初期スキルで足踏みをすることになる。
そもそも、俺は剣術の英才教育なんて受けていないただの一般人だ。モンスターを相手に、素の身体能力と半分の成長速度だけで戦い抜けるわけがない。戦闘職を今から目指したところで、どのみちジリ貧になって終わる未来が見えていた。
選択肢は二つ。
バブルマスターのせいで経験値を吸い取られ、中途半端な二流以下の戦闘職になって野垂れ死ぬか。
それとも、残り一枠をあえて空白のまま残し、この最底辺の『泡職人』を死に物狂いで先に鍛え上げるか。
「泡を極めたところで、何になるって言うんだよ……」
各駅停車に揺られる中、通り過ぎる我が家のアパートが見えてくる。
駅近な物件で、賃貸物件だけども3ヶ月で5000円。
風呂なしトイレなし、公園でトイレか、銭湯で風呂に入れという条件のアパート。
アルミサッシが嫌になる。
警察がタコ部屋になってたところを、格安アパートという物件にしたらしいが、設計が変わってない。
誰もいない冷え切った部屋に帰っても、待っているのはこの残酷な現実だけだ。
答えの出ない問いを頭の中でぐるぐると回転させながら、俺は開いた電車のドアに向かって歩み始めた。
どうするべきか?
その問いが、俺の頭の中をぐるぐると回っている。まるで、ドラム式洗濯機のように。