現代ダンジョンが変えた地球の人生 作:匿名の筆者
現代の日本において、ダンジョン県の異名を持つ場所がある。
そう、北海道だ。
国内唯一の常設ダンジョンが存在する土地――そう聞くと、大地から禍々しい魔力が噴き出し、街中にモンスターが溢れかえっているような世紀末を想像するかもしれないが、現実はもっと冷めていて、平和的だ。
ダンジョンがあるのは広大な北海道の東海岸、知床のよく分からん僻地だけ。
熊がよく市街地に出没する方が危険とまで言われるような環境だからこそ、札幌に住む俺のような一般市民にとっては、
まあ、あっちの方でまた何かやってるな……
くらいの、どこか人ごとで大丈夫な代物として受け入れられていた。
新幹線を抜けた先、知床ダンジョンのエントランス広場には、寒風に晒されたモニュメントが佇んでいた。
釧路のワープゲートからの新幹線は、本当に一瞬で着いた。
採算立ってるのかと思うくらいには不思議なイカれた長さの新幹線だが、環状に北海道をぐるぐると回っているらしい。
駅だけは東京のように立派な都道府県──そこまで愚弄される北海道も、ワープゲートと、この新幹線のおかげで移動はそこまで悪くない。
かつて地上に聳え立っていたと聞く、大層な城の構造物はすでに跡形もなく消え去っている。
エントランスで代わりに設置されているのは、当時の姿を再現したという、縮尺が三十分の一になった精巧な城の模型だけだった。
白っぽい見た目の天守閣に、石垣が並ぶ城。
かつては熊が胃を下してブチ切れながら石垣を壊していた城らしいが。
その場所も、今や模型となって、行政が管理する、寂れた記念碑のような扱いへと形を変えている。
なぜ、これほどまでにダンジョンが舐められているのか。
理由は簡単だ。ここに現れるモンスターが『スライム』一種のみだからである。
市販の洗剤か石鹸の粉をぶっかければそれだけで瀕死になり、そのまま白濁したように溶けて消えてしまう、正真正銘の最弱ザコモンスター。
それが知床スライムのすべてだった。
だが、世間がどれほど愚弄しようとも、このスライムこそが、俺の引いた泡職人が唯一輝くことのできる絶対の相棒であり好敵手だ。
インターネットの攻略サイトには、太字でこう書かれている。
『検証結果:バブルマスターはスライムに対して絶大な殺傷能力が発揮でき、スライムを主な相手にすることを推奨する。
それ以外の全モンスターに対しては、粘膜などの部位を除く全ての部位に対して有効打にならない。』
界面活性作用でターゲットの細胞膜を壊し、乳化させて殺す。石鹸と全く同じアプローチを、職業スキルとしてノーコストで実行できるバブルマスターにとって、このダンジョンは文字通り、神が残してくれた最後の救い。
目の前に設置された、ダンジョン内部を再現したアクリル製の立体模型を見つめる。
一直線の通路がただひたすら地下に向かって伸びているように見えるが、その中身の密度は狂っていた。
階層はわずか三層。
しかし、層と層を移動するため、あるいは部屋と部屋を上下に繋ぐために設置された階段の数は、およそ千七百にも達する。
アクリルの下の解説文を読んでみると、総面積にいたっては一層あたり十一万平方メートル、三層合わせて三十三万平方メートルとある。
かつて観光に訪れた京都御所が丸々三つ分、地下に作られているほどの異常なスケール感だった。
日本が科学の力でダンジョンを爆発させ、作ってくれた直線の廊下。
この左右にとんでもない数の部屋があるのだ。
錐体ではなく直方体に近い構造のダンジョンというのもまた珍しい。
釧路のダンジョンは円筒型、網走のダンジョンは立方体。
世界的に見ても、北海道は何かとおかしな構造のダンジョンが多いというのが専門家の見解らしい。
一般的な戦闘職がここを嫌う理由は、構造だけでなくスライムのめんどくさすぎる物理耐性にある。
剣は通らず、スパッと綺麗に切ろうものなら、傷口から二つに分裂して二体に増えるだけ。普通のモンスターなら一撃で肉体を粉砕するはずの強力な銃弾を撃ち込んでも、ゼリー状の体にぽっかりと穴が開くだけで、全体的な体積はほとんど減らない。
おまけに、千七百もの階段が入り組んだ立体構造のせいで、足元は常に不安定だ。十メートル前後の四角い小部屋が無数に並ぶその内部は、床が波打つように段差だらけで、中二階のようなキャットウォークが複雑に交差している。
さらに性質の悪いことに、部屋の穴や床の縦穴を通じて、左右だけでなく上下の部屋がダイレクトに繋がっている箇所がいくつもあるという。
壁をブチ破る筋力がどこにあるのかと思うが、デカくなったスライムは体重のパワーを使ってくるらしく。
普通の剣士や、あるいは魔術師がここに入れば、壁をぶち破ってやってくるかもしれないというスライムの不意打ちに怯え、進むたびに現れる短い段差に疲労する。
そのくせ、苦労して倒しても手に入る経験値はスズメの涙。
「だから、誰もここに来たがらないわけだ……」
東京行きのゲートがあれほど混雑していたのに、知床行きのエリアが閑散としていた理由が、今ならはっきりと理解できた。
戦闘職の誰も、割に合わないクソダンジョンで泥をすすりたくはないのだ。
だが、俺からしてみれば、コイツらは神だ。ありがたい以外の感情が湧かない。
これだけ部屋が細かく分かれていて、しかも上下が繋がっているなら、バブルマスターにとっては完全な安全圏からの攻撃が成立する。
部屋のドアをまともに開けずとも、上の階層の床の穴から、下の部屋に向けて泡をフワフワと落とすだけで、ノーリスクで部屋をクレンジングできるからだ。
油汚れのように頑固なスライムも、中性洗剤か石鹸でキレイに死ぬ。
さらに、エントランスに書かれているモンスターの解説によれば、放置されたスライムは生き残るために互いを共食いする性質がある。
小さなスライムがウジャウジャと詰まっているか。あるいは、互いを喰らい尽くして、部屋を埋め尽くすほどのクソデカい一匹の巨大個体になっているか。
スライムは巨大であればあるほど、比例して経験値の量が跳ね上がる。
「狙うべきは、その共食い部屋の『当たり個体』も含めた、全てのスライムだ……」
一匹あたりがいくらショボくても、塵も積もれば山となる。
レベル三ならレベルキャップ解放に必要な経験値は81。
レベル九なら、レベルキャップ解放に必要な経験値は……まあ、とりあえず倒さなきゃ始まらん。
俺はエントランスの奥、常設のワープゲートに目を向けた。青色の穴がぽっかりと空いていて、どこまでも落ちそうな色合い。
人がかなり沢山いる。
バブルマスターだけじゃ無さそうだけど、彼らも非効率さに気がついてどっかに行ってくれたらいいな、と思う。
ほとんどの攻略動画で初心者向けの低級ダンジョンと紹介されてるし、だからこんなにごった返してるんだろうか。
Tips 洗剤散布装置
構造がほぼ同一のため、火炎放射器とほぼ同等の性能を示す。射程はおよそ四十メートルに達し、部屋の中にいるスライムに対して極めて有効。
水圧の関係上、木製のドア程度は蝶番ごと粉砕できる。
ダンジョンは破壊したドアがいつのまにか再生するという特性があるため、中にスライムがいる可能性を払拭するためにはこうした武器が必要。
また、この装備を使ってレベル上げを安全に行いたいという目的の探索者のために、スライム清掃員から奪われないよう常駐している警備員がいる。