ユウトのいる世界は、現実世界とはいくつか異なる点がある。
まず、魔法というおとぎ話のような存在が実在していること。
一般的には科学技術が浸透しているが、才能のある人間や、特殊な訓練を積んだ者は魔法を扱うことができるようになる。
ホロライブ内でも、紫咲シオンや雪花ラミィ、潤羽るしあを代表として何名かが魔法を扱うことができ、後述するダンジョンや日常生活の中で役立てている。
二つ目は、ダンジョンが存在すること。
大都市や地方都市には、国や自治体が管理するダンジョンが存在しており、時折、どこの組織にも管理されていない野良ダンジョンが発生する場合もある。
こういったダンジョンでは、攻略の様子を配信する配信者もいる。ホロライブ内でも、時々戦闘が得意なメンバーを中心に、ダンジョン攻略配信を行うことがあった。
そして、もっとも大きく異なる点は、この世界には人間だけではなく、獣人やエルフ、悪魔や天使といった様々な種族が共生していることだ。
過去には差別や文化の違いなど、様々な問題もあったものの、現代ではそれらの問題は解決しつつあり、穏やかな共生関係が構築されている。
そしてホロライブにも、獣人やエルフなど、人間以外の種族は多く在籍している。
今、机に隠れるようにしてユウトへ近づいてくる白上フブキも、その一人だった。
「……」
フブキは完璧に隠れているつもりらしいが、ユウト側から見れば、机の影から白い狐耳がぴょこぴょこと見えている。近づいてきていることにも、とっくに気づいていた。
しかし、ユウトは仕事を続けながら、あえてフブキが近づいてくるのを待っていた。
そして、十分に距離が詰まったところで――。
「わっ!!」
「にゃあ!!?」
脅かそうとしていたであろうフブキを、逆に驚かすことに成功した。
驚かそうとして逆に驚かされたフブキは、猫のような悲鳴を上げ、その場に尻もちをつく。
ユウトはそんなフブキの様子がおかしく、微笑みながら言った。
「猫じゃないですか」
「狐じゃい!!」
フブキと定番のやり取りをしてから、ユウトは椅子から立ち上がり、フブキに手を差し出す。
フブキは少しだけ頬を膨らませながらユウトの手を取ると、立ち上がってユウトの前に立った。
「……こんこんきーつね」
「お疲れ様です、フブキさん」
「驚かそうとしたのに、逆に驚かされちゃいました……」
よほど悔しかったのか、フブキはまだ頬を膨らませている。
ユウトはそれを見て微笑みながら、フブキの頭を軽く撫でた。それから、仕事を続けるために椅子へ座り直す。
現在、Aちゃんは外出中であり、のどかも有休を取っている。そのため、事務所にいるスタッフはユウトしかいない。
なので少しでも自分の仕事を進めようとしていたのだが、フブキはまだ構ってもらいたいらしく、尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「……」
「……ユウトくーん」
「……」
「……ユウトくーん?」
何度かフブキがユウトに呼びかけるが、ユウトは緊急性の低い案件と判断して、あえて無視する。
しかし、そんなユウトにムッとしたフブキは再度頬を膨らませると、何かいいことを思いついたように、どこかへ去っていった。
しばらく、ユウトがタイピングする音や書類を整理する音が響く。
やがて、フブキが椅子を持ってユウトのそばに戻ってきた。
フブキはユウトの隣に椅子を置くと、ユウトの膝上に頭をねじ込み、もう一つの椅子に体を預けるような体勢で寝転がる。
「……あの、フブキさん?」
「ん〜? どうしました?」
「いや、どうしたもこうしたも……なぜ僕の膝上に頭を……?」
「なんで……なんででしょうねぇ?」
「えぇ……?」
ユウトは困惑の声を漏らすが、フブキはまったく悪びれていない。
ユウトの膝の上に頭を載せ、持ってきた椅子に体を預け、まるで最初からそこが自分の定位置だったかのようにくつろいでいる。
「フブキさん?」
「はいはい、なんでしょう?」
「一応確認しますが、僕は今仕事中です」
「知ってますよぉ?」
「知っていて、どうしてこの体勢に?」
「ユウトくんが構ってくれないので」
「仕事中なので……」
「分かってます。だから、お仕事の邪魔にならない構われ方を考えました」
「……これが、ですか?」
ユウトが視線だけを下へ向ければ、フブキは膝の上からにこにこと笑い返してくる。
邪魔にならないという言葉を、フブキは本気で言っているのか。それとも、分かっていて言っているのか。
仕事中のユウトからしてみれば、どう考えても邪魔ではある。
だが、フブキは楽しそうだった。
「ユウトくん……困ってます?」
「一応、困ってますね」
「じゃあ成功です」
「成功……」
「白上に構ってくれないユウトくんが悪いんですー」
フブキは頬を膨らませると、手を伸ばす。
その指先はまっすぐユウトの顔に近づき、ユウトの頬にそっと触れた。
「……あの、フブキさん?」
「んー?」
「今度は何を?」
「ユウトくんの顔を見てます」
「見るのは分かりました。ですが、頬を触る必要はありますか?」
「あります!」
「即答ですね」
ふにゃりと笑いながら、フブキはユウトの頬を指先でつつく。
つん、つんと。
まるで機嫌を確かめるような、あるいはユウトが本当にそこにいるのかを確かめるような、優しい触れ方だった。
ユウトはそんなフブキに小さく息を吐き、マウスを動かす。
画面には確認待ちの資料が表示されており、返信しなければならないメールや、処理しなければならない申請もある。今日も忙しい。
だというのに、ユウトの膝上を占拠する白い狐は、ずっとユウトのことを見上げていた。
「ユウトくん」
「どうしました?」
「眉間にちょっとしわが寄ってますよ?」
「仕事中ですから」
「便利な言い訳ですねぇ」
「言い訳ではなく、事実ですからね」
「じゃあ、白上がほぐしてあげます!」
「いえ、結構で――」
断るよりも早く、フブキの手がユウトの額に伸びる。
そのまま指先で眉間のあたりをそっと撫でられ、ユウトは予想外の優しい感触に、一瞬だけ言葉を失った。
フブキはそんなユウトを見て、どこか満足そうに笑う。
「ほら、ちょっとだけ力が抜けました」
「……気のせいです」
「気のせいじゃないですよ〜。白上には分かります!」
「自信満々ですね……」
「狐ですので」
「そういうものですか?」
「そういうものです!」
フブキは当然のようにうなずき、今度はそのままユウトの髪に指を通していく。
頭を撫でるというよりは、ユウトの髪を整えるかのような手つき。
そうしてフブキに何度か撫でられているうちに、ユウトはタイピングの手を止めそうになる。
だが、そこで止まってしまえばフブキの思うつぼであるため、ユウトは小さく咳払いをしてから作業を続けた。
「……フブキさん」
「はい?」
「非常に作業しづらいです」
「でも、できてますよね?」
「できてるかどうかで判断しないでください……」
「ユウトくん、なんだかんだ何でもできちゃいますからねぇ」
「変な信頼ですね……」
ユウトはフブキと話しながら、画面上の資料に目を通していく。
「……ユウトくん、こういう時でもお仕事やめないんですね」
「やめたら困るのは僕ですからね」
「真面目だなぁ」
「普通です」
「普通の人は、膝の上に狐がいたらお仕事しませんよ?」
「それは狐側の問題では?」
「狐は自由ですから!」
「便利ですね、狐って」
ユウトが呆れたように言うと、フブキはくすくすと笑う。
そしてまた、ユウトの頬を撫でた。
今度は少しだけ、先ほどよりも手つきが優しかった。
「ユウトくんの顔、ちゃんと見えるの良いですねぇ」
「普段も見てませんか?」
「こういう角度では、あんまり見ませんから」
「……そんなに面白いですか?」
「面白いというか、安心します」
その言葉に、ユウトの手が一瞬止まった。
フブキは相変わらず笑っているが、ユウトのことを見るその目は少しだけ柔らかい。
ユウトはそんなフブキに何か言いかけたが、結局言葉にはしなかった。
代わりに左手をキーボードから離し、膝の上にあるフブキの頭を軽く撫でる。
「……仕方ないですね」
「んふふ」
フブキの耳がピクリと揺れる。
ユウトがもう一度フブキの頭をゆっくり撫でると、フブキは気持ちよさそうに目を細めた。
それに合わせて、ピンと立っていた狐耳も、少しずつ力を失うように垂れていく。
白い尻尾も、椅子の上でゆるゆると揺れていた。
「……フブキさん、耳が」
「……耳がどうしました?」
「垂れてます」
「垂れてません」
「垂れてますよ」
「垂れてません。これは……省エネモードです」
「そういう機能が?」
「あります」
「ないでしょう」
ユウトが淡々と返すと、フブキは抗議するように頬を膨らませる。
しかし、ユウトがまた頭を撫でるとすぐにその表情はほどけ、目元が緩んで耳がさらにぺたりと寝る。
抗議の説得力はほとんどなかった。
「……フブキさん、気持ちいいですか?」
「気持ちよくないです」
「そうですか……」
「……もうちょっと右をお願いします」
「注文してますけど?」
「気持ちよくないですけど、位置の指定はします」
「難しい理屈ですね」
ユウトは苦笑しながらも、言われた通り少しだけ撫でる位置をずらす。
すると、フブキは満足そうに小さく息を吐いた。その姿は、先ほどまでユウトを驚かそうとしていた狐とは思えないほど無防備だった。
ユウトは片手でフブキの頭を撫でながら、もう片方の手で仕事を進める。
左手はフブキの頭を撫でることに使っているため、使えない。
ならば、右手だけでできる作業を先に片付ければいい。
メールの確認や資料のチェック、承認が必要なものと後回しでもいいものの仕分け。
作業の効率は確実に落ちているが、まったく進まないわけではない。
時折フブキが頬や髪に触れてきて、そのたびに作業が中断されるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
静かなスタッフルームに、キーボードを叩く音と紙をめくる音、そしてフブキの小さな笑い声が混ざる。
いつもの騒がしさとは違う、少しだけ緩い時間。
そんな時間がしばらく流れたころ、スタッフルームの扉が軽い音を立てて開いた。
「お疲れ様でーす。Aちゃんいますかー?」
聞き慣れた声に、ユウトと膝上のフブキがそろって扉の方を見る。
そこに立っていたのは、ホロライブゲーマーズの大神ミオ。
彼女は手に何枚かの資料を持っており、どうやらAちゃんに確認したいことがあって来たらしい。
しかし、ミオの視線はすぐに目的の人物ではなく、ユウトの膝上に頭を載せているフブキと、そのフブキの頭を撫でながら何事もないように仕事をしているユウトに固定された。
数秒の沈黙ののち、ミオの狼耳がピクリと動いた。
「……何してるの?」
「仕事中です」
「ユウトくんには聞いてないかな」
ミオの視線が、ユウトではなく膝上のフブキに向く。
フブキはユウトの膝に頭を預けたまま、にこにこと笑った。
「見ての通り、ユウトくんに構ってもらってます!」
「仕事中のユウトくんに?」
「邪魔にならない範囲で」
「めちゃくちゃ邪魔そうだけど?」
「ユウトくん、お仕事できてますよね?」
「効率は落ちてますけど……」
「ほら」
ミオは呆れたように言っているが、その頬はほんのわずかに膨らんでいた。
怒っているというよりは、羨ましがっている表情だ。ユウトはそれに気づいたが、あえて触れないことにした。
触れた瞬間、面倒なことになる予感がしたからだ。
「Aちゃんだったら、今は外出中ですよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、これどうしようかな……」
「内容によりますけど、僕でよければ確認しましょうか?」
「ほんと? じゃあ、お願いしてもいい?」
そう言うと、ミオはユウトのデスクの方へ近づいてくる。その足取りは、資料を渡すだけにしては少しゆっくりだった。
そしてユウトのすぐ隣まで来ると、ちらりとフブキを見る。
フブキもまた、膝の上からミオを見上げていた。
「……フブキ、ずるくない?」
「早い者勝ちですよ、ミオ」
「いつから勝負になったの?」
「今です」
「今なんだ」
ミオが小さくため息を吐くが、その表情はどこか楽しそうでもある。
ユウトは二人のやり取りを聞きながら、ミオから資料を受け取った。
資料を確認すれば、それは今度予定されている配信に関するものだった。
ダンジョン攻略を絡めた企画であり、参加予定のメンバーや使用する装備、魔法使用の有無や安全管理の確認項目などが分かりやすくまとめられている。
この世界において、ダンジョンを使った配信は珍しいものではない。
しかし、管理されたダンジョンであっても危険はある。
特にホロライブのような大手事務所の場合、タレントたちが想定外の行動をとることも多いため、事前確認は念入りに行う必要があった。
「……これは、Aちゃんにも共有した方が良いですね」
「やっぱり?」
「はい。特にこのあたりの動線と、緊急時の転移魔法の担当者ですね。シオンさんかラミィさんがいるなら安心ですが、補助要員はもう一人くらい欲しいです」
「そっかぁ。じゃあ、あとでAちゃんにも投げるね」
「僕の方でもメモを残しておきます」
「ありがとう、ユウトくん」
ミオが素直に礼を言う。
そのまま帰るかと思われたが、なぜかユウトの隣に立ったままだった。
狼の尻尾がゆっくりと左右に揺れている。
ユウトは資料に目を落としたまま、静かに問いかけた。
「……ミオさん?」
「ん〜?」
「まだ何か?」
「別に?」
「別に、という顔ではないですよね」
「いや、ユウトくん、フブキの頭撫でてるなーって」
「流れでこうなりました」
「流れで?」
「はい」
「じゃあ……ウチも流れで撫でられてもいい?」
「その流れはどこから来ました?」
ユウトが思わず手を止めてミオに視線を向ければ、ミオはほんの少しだけ頬を赤らめた。
それでも視線は逸らさず、むしろどこか開き直ったようにユウトのことを見ている。
「フブキだけずるいし」
「まだずるい判定ですか」
「だって……ユウトくんの手、割と気持ちいいんだもん」
「僕の手にそんな効能はありません」
「あるよね、フブキ?」
「ありますねぇ!」
膝上のフブキが即答した。
ユウトは味方がいないことを悟って、静かに目を閉じる。
現在、スタッフルームにはユウト、フブキ、ミオの三人しかいない。
Aちゃんも、のどかもいないため、この状況を止められる者はいなかった。
「……資料確認をしながらでよければ」
「やった」
ミオの狼耳が嬉しそうに立つ。
それを見たフブキは、少しだけ唇を尖らせた。
「ミオ……嬉しそうですねぇ」
「フブキには言われたくないかな」
「白上は最初から嬉しそうにしてますので」
「堂々としてる」
「狐なので」
「それ、便利すぎない?」
二人がそんなやり取りをしている間にも、ユウトは左手でフブキの頭を撫で、右手でミオの頭を撫でている。
厳密には、仕事をしながら二人同時に撫で続けるのは不可能に近い。
なので、フブキを撫でてから資料を確認し、ミオを撫でてからメールを打ち、フブキの耳の後ろを軽く撫でてから資料にメモを入れ、ミオの髪を整えるように撫でる。
そんな不思議な順番で作業が進んでいく。
「……ユウトくん、器用だね」
「器用になりたくてなったわけではないんですけどね」
「
「主に皆さんのせいですけどね」
「誰のことかなー?」
「目の前に二人ほど」
ユウトがそう言えば、フブキとミオは同時に目をそらす。
その動きがあまりにも揃っていたため、ユウトは思わず小さく笑った。その笑みに気づいたフブキが、膝の上からじっとユウトを見上げる。
「あ、笑った」
「笑ってません」
「笑いましたよね、ミオ?」
「うん。今ちょっと笑った」
「見間違いです」
「ユウトくん、そういうところすぐ誤魔化すー」
ミオは楽しそうに言いながら、ユウトの隣にあった椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろす。
フブキほど大胆に膝の上に頭を載せることはしなかったが、ユウトのすぐ隣に座り、肩が触れるか触れないかくらいの距離感を保っていた。
尻尾が椅子の横でゆっくりと揺れている。
「ミオさんまで居座るつもりですか……?」
「Aちゃんが戻ってくるまで待ってようかなって」
「資料は僕が預かれますよ?」
「うん。でも、待ってようかなって」
「……そうですか」
ユウトはそれ以上追及しなかった。
追及したところで、きっとミオはにこにこと笑って誤魔化すだろう。
フブキもミオも、こういう時だけ妙に強い。
ユウトは何か言うのを諦めて、作業に戻る。
フブキは膝の上で時折ユウトの顔を見上げては、頬を撫でたり、髪を撫でたり、額のあたりを軽くつついたりする。
ユウトが「作業中です」と言えば、「知ってます」と返す。
ミオはミオで、ユウトの資料をのぞき込んで必要な補足を入れながらも、さりげなく撫でられやすい位置に頭を寄せてくる。
二人ともユウトの仕事を妨害する気はない。
だが、離れる気もない。
その絶妙な距離感が、かえってユウトを困らせた。
「フブキさん、そこを触られると画面が見えません」
「ユウトくんがちゃんと瞬きしているか確認してます」
「必要ありません」
「必要です。ユウトくんは集中すると瞬きが減りますから」
「……よく見てますね」
「見てますよー」
フブキが当然のように言ったため、ユウトは返す言葉を探し損ねる。
すると、今度はミオが横から口を挟んだ。
「あと、水分をとるのも忘れるよね」
「……今日は飲んでます」
「今、どれくらい飲んだ?」
「……コーヒーを少々」
「それは水分っていうよりもカフェインだよ、ユウトくん」
「水分ではあります」
「そういう問題じゃないんだよなぁ」
ミオは苦笑すると、近くに置かれていたペットボトルの水をユウトの方へ差し出した。
「はい。飲んで」
「……ありがとうございます」
ユウトはそれを素直に受け取り、一口飲む。
ミオはその様子を見ると、満足そうに頷いた。
「よし!」
「ミオさん、保護者みたいですね」
「ユウトくんは、放っておくとすぐ無理するからね」
「無理はしていません」
「今、膝にフブキを載せて、隣に私を置いて、片手で仕事をしている人がそれを言う?」
「状況だけ聞くと変ですね」
「状況を見ても変だよ」
ミオの言葉に、フブキがくすくすと笑う。
ユウトも反論しようとしたが、現状を見れば確かに変だった。
膝上には狐。
隣には狼。
机の上には仕事の山。
そして自分は、それを当たり前のように処理している。
おかしい。
おかしいのだが、この事務所ではたまにある。
そう思えてしまうあたり、もうかなり感覚が麻痺しているのかもしれない。
「ユウトくん、今何か失礼なこと考えてない?」
「考えてません」
「ほんとに?」
「はい」
「フブキはどう思う?」
「考えてますねぇ」
「ですよね」
「なぜ分かるんですか?」
「付き合いの長さです」
フブキは得意げに言い、ユウトはまた一つ静かにため息を吐いた。
しかし、その手は止まらない。
フブキの頭を撫で、ミオから受け取った資料に修正点を書き込み、メールの文面を整え、ミオの頭を軽く撫でる。
フブキが気持ちよさそうに目を細め、ミオの狼耳も少しだけ伏せる。
それを見て、ユウトは思わず言った。
「ミオさんも耳、動いてますよ」
「えっ」
「嬉しい時、分かりやすいですよね」
「……ユウトくん、そういうところだけ急に鋭いですよね」
「普段から見てますので」
ユウトが何気なく言ったその一言に、ミオは一瞬だけ固まった。
それから少しだけ頬を赤くするが、フブキはそんなミオの反応を見逃さなかった。
「ミオ、照れてる?」
「照れてない」
「耳、ピコピコしてますよ?」
「フブキもさっき垂れてたでしょ」
「私は省エネモードです」
「なにそれ」
二人のやり取りに、ユウトもまた小さく笑う。
スタッフルームの空気は、いつもより柔らかかった。
仕事の山は減っているが、まだまだ残っている。
Aちゃんが戻ってくれば、また別の案件が増えるかもしれない。
のどかがいれば、きっと苦笑しながらも仕事をしているだろう。
けれど、今この場にはユウトと、膝上のフブキと、隣のミオだけがいる。
静かだけど、騒がしい。
仕事中ではあるが、休憩中のようでもある。
しばらくして、ユウトはミオから預かった資料の確認を終えた。
「ミオさん、ひとまず確認は終わりました。大きな問題はありませんけど、転移魔法の待機役と、現地スタッフの人数だけは増やした方が良いと思います」
「了解。ありがと、ユウトくん」
「Aちゃんには僕からも共有しておきます」
「助かる」
ミオはそう言って微笑むが、席を立つ気はなかった。
「……ミオさん?」
「うん?」
「確認……終わりましたよ?」
「そうだね」
「帰らないんですか?」
「Aちゃん待ってるからね」
「まだその理由で?」
「うん」
ミオはにこりと笑った。
膝上でフブキが楽しそうに肩を震わせている。
「ミオも素直じゃないですねぇ」
「フブキにだけは言われたくないかな」
「白上は素直ですよ? ユウトくんに構ってほしいので膝にいます」
「堂々としてるなぁ」
「狐なので」
「また狐」
ミオが呆れたように言う。
ユウトは二人の会話を聞きながら、次のメールを開く。
片手でキーボードを叩き、必要に応じて資料を確認する。
その合間にフブキの頭を撫で、ミオの頭も軽く撫でる。
まるで仕事の手順の一つに、二人の相手が組み込まれたかのようだった。
「ユウトくん、慣れてきてません?」
「慣れたくはありませんけどね」
「でも手つきが自然だよ?」
「
「私たち、想定外扱いなんだ」
「想定内ではありませんね」
「まあ、そうかも」
ミオは苦笑し、フブキはどこか満足そうに目を細める。
フブキの耳はまだ垂れたままで、ユウトが撫でるたびにピクリと小さく動く。
ミオの尻尾も、椅子の横でゆっくりと揺れている。
それらが視界の端に入るたび、ユウトはこの世界のことを少しだけ思う。
人間だけではなく、獣人やエルフ、悪魔や天使が当たり前にいる世界。
魔法があり、ダンジョンがあり、それでも日常は日常として流れていく世界。
その中でホロライブは、相変わらず賑やかで、自由で、少し手がかかる。
けれど、その自由さに救われる瞬間もある。
「ユウトくん?」
フブキの声を聞いて、ユウトは意識を戻した。
「はい?」
「また仕事以外の顔してましたよ?」
「どんな顔ですか、それ」
「ちょっと優しい顔です」
「……そうですか」
「うん」
フブキはそう言って、ユウトの頬をもう一度撫でる。
ミオもまた、隣で静かに微笑んだ。
「ユウトくんが穏やかそうなら、よかった」
「僕はいつも穏やかですよ?」
「それはどうかなぁ」
「少なくとも、今はそう見えるよ」
ミオの言葉にユウトは少しだけ黙り、それから困ったように笑った。
「……そうですか」
「そうだよ」
「なら、よかったです」
その返事に、フブキとミオは顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく小さく笑った。
ユウトはそんな二人を見ながら、画面に向き直る。
仕事はまだ残っていて、メールも、資料も、確認事項も、一つ片付ければまた次が出てくる。
けれど膝の上には白い狐がいて、隣には優しい狼がいる。
二人とも自由で、少し困ったところがあって、けれどユウトのことをよく見てくれている。
だからユウトも仕方がないと思いながら、片手でフブキの頭を撫でて、もう片方の手でミオの頭も軽く撫でる。
フブキは気持ちよさそうに耳を垂らし、ミオは少しだけ照れたように目を細める。
「……本当に、仕事中なんですけどね」
「知ってますよー」
「邪魔しないようにしてるから」
「十分邪魔ではあります」
「でも、進んでるでしょ?」
「……進んではいます」
「じゃあセーフ」
「その判定、甘すぎませんか?」
ユウトの言葉に、フブキとミオはそろって笑う。
スタッフルームの外からは、遠くで誰かが話す声が聞こえてくる。
廊下を歩く足音。
どこかの部屋で始まる打ち合わせ。
配信準備をするスタッフの声。
そのすべてが、ホロライブの日常だった。
ユウトは仕事を続けながら、膝上のフブキと、隣に座るミオの相手をする。
狐と狼に挟まれながら、少しだけ困った顔をして。
けれど、その表情はどこか穏やかで。
そうして、少しだけ緩いホロライブの時間は、ゆっくりと流れていくのだった。