さて、そんな感じでしばらくボランティア活動に勤しんだ彼女だが、時も経てば、そろそろ出発かなという気持ちにもなってくる。
最初の頃は街へと出るたび『うわー!! エルフだ!?!』といった感じに驚かれ、ちょっとした騒ぎになったが……それも今は昔。
さすがに実際に宿に泊まって日にちも経てば人々も慣れてきて、一目見ようと宿屋へ出待ちする人もちょっとだけ減った。
中には呼び出しするお偉いさんも居たけど『エルフなんで分かりません』と白を切り続けたら、途中から来なくなった。
あんまりバカなことをするとエルフとして本気で戦いますよって言い返したからだろうか……なんにせよ、彼女の姿はすっかり『ログローンの街』ではお馴染みになっていた。
とはいえ、それも今日で終わりだ。
依頼があれば護衛任務で次の街に向かうが、無かったら徒歩で向かう。
ただ、その前に……だ。彼女はちょっと考えた。
それは、何時までも石鹸ばかり売っていないで、たまには違うモノを試したらよいのではというモノ。
そう、彼女は知っている。現代人の入浴は石鹸が必須といっても過言ではない。
同時に、必須なのは石鹸だけではなく『シャンプー』や『コンディショナー』や『リンス』やら……いわゆる、トリートメント系の道具もまた必須である。
そう、あまりにも有るのが当たり前過ぎて現代人はすっかり忘れているかもしれないが。
『シャンプー』などの髪用洗剤が販売されたのは歴史的に見てとても新しい方で、外国などでも19世紀までは基本的に洗わないのが普通であった。
水が豊富に取れる日本ですら、洗髪は1ヵ月に1回2回なんてのが普通で、米のとぎ汁などで洗っていた。
その代わり、植物などから抽出した薬液などを櫛に付けて髪に梳かして臭いを消したり汚れを落としたりはしていたが……とにかく、だ。
この世知辛い異世界ファンタジーには、いまだシャンプーと呼ばれる洗髪用洗剤が開発されていない。
それ用の薬液は売られているけど、現代商品のソレとは違ってテスターを活用してどうのこうのではなく、『なんか髪に効くぞ!』ってな感じで……なればこそ、だ。
「今度も『通販魔法』の出番だ……!!」
彼女は『通販』にて取り寄せたシャンプーやら何やらを……手作業にて小瓶に移し替える。
彼女は賢い、ボトルをそのまま売るとポンプのギミックやら材質やらを突っ込まれるから、この世界でもありふれている瓶に入れるのだ。
もちろん、石鹸と同じくそのまま売ると排水関係で土壌汚染待った無しなので、これも魔法にて石鹸と同じように細工をして……ヨシ!
完成したソレを箱に詰めて、いつものように姿を見せた使いの者に……石鹸と一緒に箱も渡す。
ちゃんと、中身と使い方を説明する。
石鹸以上にしっかり洗い落とすこと。ぬめりが残っていると感じたら、何度でもしっかり洗うこと。
人によっては合わない場合があるので、かゆみや赤みなどが出たら使用しないこと……等々など。
石鹸も洗い残しをするとかぶれたりするが、頭皮は他の部分の肌より弱く、より影響が残りやすい。
現代ならかぶれても医薬品などで治療が可能だが、この世知辛いファンタジー世界ではそんな薬は無いので……とにかく、手を抜くなよと念押しする。
「こ、こんな、こんなモノを気軽に渡されてしまったら、政争になりまする……!!!」
「大げさだなぁ、私も愛用しているやつだし、お試しで使ってみてよ」
「え、エルフ様も……??」
「そう、これぞ世界を嫉妬させる髪……いや、冗談だけど、ここらで手に入るやつよりは艶やかになると思いますよ」
シャランラ~……そんな感じに髪をサッと手で払えば、彼女の艶やかな長髪が、シャランラ~な感じにほどけて、まとまった。
ごくり。
一瞬の事とはいえ、あまりにも艶やかな髪の動きに、使いの者は唾を飲み込んだ。
それは欲情の意味ではない、畏怖の意味である。
それなりに長く煌びやかな世界に身を置いてきた(身分ではなく、仕事として)使いの者は、瞬時に理解したのだ。
コレは、淑女たちの中で争いになる、と。
言葉を交わす事こそほとんどないものの、貴族階級の女性たちの髪を始めとして、中間~富裕層の女性たちを見てきたからこそ、分かる。
コレは、別格だと。
そのうえ、売り出すのがあのエルフとなれば、コレ自体がある種のステータスになるわけで……うっ!
「おや、どうしましたか?」
「いえ、なんでも……」
想像したせいで痛みが走ったお腹を摩る。
彼女から向けられる心配の声に、使いの者は素知らぬ顔で箱を受け取ると、何度も頭を下げてから馬車へと乗り込み……たかたかと、遠ざかって行った。
……。
……。
…………さて、そんなわけで彼女は続いての街へと向かう。
護衛任務が無かったので徒歩だ。
護衛任務は新鮮だけど、のんびり自由気ままに行くのも良いかなって思って……ちなみに、だ。
エルフの一人旅というのは、普通に盗賊などから狙われる。
見方を変えたら、宝石がたっぷり入った袋をこれ見よがしに担いで歩いているようなものだから。
光あるところには影あり、光がなくとも影はある。
ただでさえ噂が広まりに広まりまくる目立つ容姿をしているというのに、それでブラブラと護衛もつかず歩いていたら、どうなるか。
答えは、事前に動きを察知して待ち伏せをする、である。
なので本当に何も考えずにいたら、気付いたら囲まれていてリンチからのR-18指定展開待った無しなのだが……しかし、忘れてはいけない。
伊達に、彼女もこの世界で半年以上暮らしてはいない。
この世知辛いファンタジー世界は、日本とは比べ物にならないぐらいに危険が溢れ、死が溢れている。
ここほど大きな街ならともかく、地方の小さな村なんかではモンスターに襲われて何人も死んだという話はけっこうあるらしく。
この街でも、モンスターに襲われて命からがら戻ってきたはいいが、治療が間に合わなくて命を落とし。
四肢が欠損して激痛に悶える姿とか、なんなら死体を何度も目撃している子どもだって、そう珍しくはないのだ。
ましてや、相手がモンスターとは限らない。
街の中でも人さらいの話は聞くし、夜道にて襲われ命を落としたなんて話を聞くのは1度や2度ではない。
なにせ、この街に限らず、定住せず次から次の街へと移動する人の割合が圧倒的に多い。それこそ、バレないうちに街を離れてしまうだなんて事がそれなりに起こっている。
そんな世知辛い世界で、いちおうは生活しているのだ。
わざわざ話す事でもないので語らずにいたが、実際のところ、スリをしようと近付いてきたり、刃物をちらつかせて寄ってきた者も……まあ、うん。
さすがの彼女も、初期インストールの影響もあって、前世の平和ボケ思想からはとっくに解き放たれていた。
すなわち、『殺される前に殺せ、臆せばこちらが死ぬぞ』の精神が備わっていて……突き詰めれば、先手必勝である。
「闇夜に紛れている人たち、こっちを見ている人たち、そのまま何もしなかったら私からは何もしません」
「ただし、武器に手を掛けたり、道具を取り出そうとするのであれば、撃ちます」
それでも、いちおうは声を掛けておく。
さすがに間違いで殺傷は避けたいし……これで本当に不幸な勘違い同士であれば、双方が戦いを避けてそれっきり……なのだけど。
闇夜に……木々に隠れながらこちらに向かって弓矢を構えているのを察知した彼女は、一つため息を吐くと。
そいつよりも速く、魔法を使用して矢の軌道を先読みし、振り返ると同時に──魔法の矢を放つ。
彼女の放つ矢は魔法のアシストを経て、少しのけ反った程度では避けられない──その結果、すさまじいカーブを描いた矢はそいつを絶命させた。
異変に気付いた他の仲間たち──彼らを逃がすつもりは欠片も彼女にはなかった。
……そうして安全を確保させた後は、そのまま足を止めることなく前へと進む。
盗賊の後片付けなんて面倒くさいことをするつもりはない。
どんな理由があったにせよ、刃物をちらつかせた以上は命を奪われても仕方がない……というのが、この世界の常識である。
街のすぐ近くならば衛兵が確認のために出てくるかもだが、彼女の現在の位置は、中途半端。
盗賊たちのように闇夜に紛れて……といった事情が無い限り夜はどこも静かで、動き回るのはモンスターや獣ぐらいなもので。
小一時間も放置しておけば死体は勝手に掃除されるので……これもまた、世知辛いファンタジー世界の現実であった。
(……はあ、嫌な気持ちだなあ)
そして、世知辛いと分かっていながらも、やっぱり誰かを傷つけて平気な顔で過ごすのはまだ無理だなあ……と、彼女はちょっと落ち込んでいた。
本当は傷つけずやり過ごしたいのだけど、そういうわけにもいかない。
ここで魔法を使ってやり過ごせても、彼らはまた別の誰かを狙う。彼女のように抵抗できる力が無ければ、命を奪われてお終いである。
おとなしく金を差し出せば許されるだなんてのは甘いのだ。
相手にその気が無かっただけで、気が変わったらすぐに殺される……盗賊に襲われるというのは、そういう事なのだ。
それならば、自分が泥を被ろうと彼女は思ったわけだ。
常人とは比べ物にならない力を手に入れた以上、そうするのもまた己の責務なのかもしれない……と、密かに思っているからこそ、彼女は逃しはしないのである。
さて、そんな感じで、だ。
街から街へと渡り歩き、えっちらおっちら歩くこと……それなりの月日が経った頃。
その頃になると、けっこう街道というか、景色というやつが少しずつ変わってきているのを彼女は感じ取っていた。
おそらく、『王都』に近付いているからだろう。
時々見かける人たちの服装もちょっと変わってきていて、馬車の数も豪華さ具合も、ちょっとずつ増えたり良くなってきているような気がする。
まあ、ほとんど気のせいだろう。
下手に豪奢にして威嚇になるのは対人間ぐらいなもので、モンスターからしたら目立つ獲物でしかないわけで。
ただ、エルフの噂が王都にも届いていたようで、王都に近付くにつれて『うわー!! エルフだ!?!』以外の反応をされる頻度が増えたのは事実である。
中にはいきなり商談を持ち掛けてくる者もいたが、個人的なそういう事はしないとだけ告げてお断りした。
こういうのは一人に甘い対応をしてしまうと連鎖的に俺も私もと続いてしまうし、それで逆恨みされても困るし。
もちろん、中には『そんな態度を取っていいの?』みたいな感じでニヤニヤしながら脅しを掛けてくる者もいたけど。
『あなたの顔と、あなたの後ろに居る家の事は覚えましたから』
そういうやつに対しては、だいたいそう答えれば途端に顔色を悪くしてそそくさと離れていくので、特にトラブルになるような事はなかった。
そんなこんなで、えっちら、おっちら、と。
ついにお次は王都だぞというところまで来た彼女だが、その日はちょっと早めに『家』を出して休むことにした。
理由は、風の中に雨の臭いをうっすら感じ取ったからである。
雨の臭いとは、風に混じって感じ取れる湿気の臭い……どこか遠くから伝わってくる雨の気配みたいなものだ。
それはあくまでも経験則なのだけれども、雨の臭いがした時は高確率で雨が降る。
それは前世でも今生でも変わらず、雨が近付いてくる時は雨の臭いがして、その臭いがした時は素直に『家』などに引きこもって雨雲が過ぎ去るのを待つ。
というのがいつもの流れになっていて、それはこの日も変わらず、アイテムボックスより取り出した『家』の中でのんびり時間を潰していた。
「……中々の雨だなぁ」
ガラス窓より見える外の光景……雨粒が当たって弾ける様を眺めながら、彼女はズズズッと湯気立つ紅茶を啜る。
マナー違反なのだろうけど、誰も見ていないし聞いてもいないのだ。自由に音を立てて飲む、これもまた、わびさび。
ちなみに、この紅茶はノンカフェイン。夜に飲んじゃうと目が覚めちゃうので、夜に飲む時はノンカフェイン。
それはそれとして、今日はかなり強く降っているようだ。
この『家』はけっこう防音性に優れているが、雨の音がうっすら聞こえるぐらいなのだから、豪雨と呼べるほどだろう。
……ふと、考える。
もしも自分が『家』を持っていなくて、他の人たちのように野宿あるいは簡易のテントみたいなモノでしのごうとしていたら、どうなっていたか。
おそらく……悲惨な状況になっていただろう。
運良く高い位置にテントを張れていたり、雨水が流れ込んでこない地形を抑えられていたらマシになっていただろうが、あくまでも、マシな程度。
運が悪かったら起きた時にはもう水浸し、下手したらテントが壊れるし……最悪、朝になるまでずっと立ちっぱなしで我慢なんてのも。
まあ、それは本当に運が悪い時じゃなければだけど……とはいえ、こうして呑気に雨を眺められるのは贅沢だなあ、と彼女は思った。
(……ん?)
そうして夜も深まり、紅茶も飲み終わったのでトイレを済ませて寝ようかなと思った、その時であった。
彼女が張り巡らせている魔法のセンサー、『家』を囲う様に設置してあるソレに、何かが引っ掛かった。
思わず、エルフの長い耳がピクピク動く。エルフの長い耳は、意外と音を聞き分けるのだ。
最初はモンスターの類かと思ったけど、感触からして獣ではない。あと、なんか数が多いというか……これは、人と馬車か?
(……甲冑の音がするな)
『家』は街道より少し外れて、誰かの通行の邪魔にならない位置に設置してあるのだが……足音というか、気配が近付いてくる。
そして、『家』の前で止まり……少しの間を置いてから、ドンドン、と玄関扉が叩かれたのであった。