(准将というのは、なんと中途半端な地位か)
つい先刻、正式に帝国軍准将に昇進したばかりの金髪碧眼の美しい青年将校は、軍務省を出て帝都オーディンの空に視線を向けながら不満気に内心で独語した。
彼はまだ二五歳の青年であり、皇族どころか貴族としては最下位の
というのも帝国をめぐる情勢を鑑みるに、現時点において今少し高い階級が欲しいと思うところがあったのである。せめて自分がもう二、三年早く生まれていれば。無益とわかっていてもそんな想いが湧いてくるのである。
今後のことについて思案しながら歩を進めていると、一人の灰銀色の髪をした青年の大佐が駆け寄ってきて、敬礼した。
「准将への昇進おめでとうございます。ミューゼル閣下」
「たかが准将だぞ?」
ラインハルト・フォン・ミューゼル准将は少し悪戯気な表情を作ってそう返した。
「そう言うなよ。『
「フッ、そうだったな。トゥルナイゼン」
すると二人は笑みを浮かべながら、用意していた地上車へと乗り込んでいった。彼らは首都星オーディンの士官学校四八七年の首席卒業生と次席卒業生であり、当然のように同期の出世頭であった。
また彼らは若手将校集団『黒幇』の中心人物でもあって、そのためにブラウンシュヴァイク閥や軍上層部保守派からは“金髪の孺子”、“銀髪の孺子”と忌み嫌われていた。
言い換えればそのように忌み嫌われるほどに、彼らの存在は帝国軍内において無視できぬ存在感と影響力を持っているのであり、ある意味で彼らの権勢は階級に見合ったものとは言い難いところがあった。
「クーデターしてみようかと考えている」
車内でラインハルトは何気ない調子でそう言った。対するトゥルナイゼンも慣れたものである。
「流石に時期尚早じゃないか?」
たかが准将に昇進したばかりだろ、と、特にラインハルトをたしなめる風でもなく続けた。自分達の結束は強固であるが、まだラインハルトを除いて自分達同期戦友は佐官だ。公然と事を起こすのは躊躇われるものがある。
「俺ももう少し時間が欲しいんだがな。残念ながらそれほどは時間は残されていない。宰相閣下はもう随分なお歳だ。いつくたばってもおかしくはない」
「それはそうだな」
トゥルナイゼンは頷いて同意した。帝国宰相のクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵はもう今年で八〇歳のはずだ。摂政のブラウンシュヴァイク公爵と宮廷での鍔迫り合いを続けながら帝国政府を運営している激務ぶりを思うと、本当にいつ死んでもおかしくはなかった。
それにその高齢になっても引退せずに現役宮廷政治家として第一線を張り続けているというのは、安心して後事を託せる人材が宰相にはいないのではないか。少なくとも彼らにはそのような人材に心当たりがない。宮廷や軍部の複雑な派閥間の力関係の上で勢力を拡大してきた『黒幇』にとっても、それは由々しき懸念事項である。
自分達がブラウンシュヴァイク公爵とその派閥から嫌われている自覚は当然ある。帝国官界の頂点に君臨しているリヒテンラーデ侯爵が亡くなった時、中央政府の実務官僚閥が団結してブラウンシュヴァイク閥と対峙し続けられるかどうか。
それを思えばリスクを承知で打って出るというのも悪くはない選択肢であろう。そんなふうに考えているトゥルナイゼンにラインハルトは「それに」と視線を逸らして言った。
「かの偉大なるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムとて、准将の頃に海賊討伐を完遂して英雄としての名声を不動のものとしたのだ。それに比べれば、自分はそれほど不利な立場、というわけでもあるまい」
銀河帝国の開祖ルドルフを例にとっての発言に、トゥルナイゼンは大笑いした。将官になりたての身でなんたる傲岸な発言であろうか。しかしなればこそ、その言動は『黒幇』の指導者にふさわしいものであると思えた。
「なるほど。で、どこまでやる気なんだ?
「今はそこまでできる兵力がないだろ。目的は正規軍の実権を掌握することだ」
将来的な簒奪の可能性を否定しないので、トゥルナイゼンはますます笑みを深めた。実際のところ、ラインハルトは自分が帝位を簒奪するかについては特に決めていない。しかしながら、今の皇帝の存在意義というものについて、疑問を感じているのだった。
今上の皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の姿を、ラインハルトはろくに見たことがない。いや、ラインハルトに限らず、帝国の大多数の人間がそうであろう。まだ幼少だからという理由で公的行事には顔を出すことがほとんどないのである。
そのような存在に対して忠誠心も敬意も抱けずにいるのが正直なところであった。自分の野心の邪魔になるようならば排除し、そうでないなら擁したままでもかまうまい。今と同じ状態のまま居続けてくれるのであれば、居ても居なくても大して変わらないであろうから、わざわざ干渉するだけ面倒というものである。
「ブラウンシュヴァイク公の出方次第では奴らとも一戦交える必要がある」
「出方次第って、あの帝国最大の門閥貴族が黙ってるわけないだろ。確実に内戦になるぞ。リッテンハイムの偽帝国が介入してきたら、収拾がつかなくなるぞ」
「やはりお前もそう思うか。だから偽帝国に介入する間を与えず一気にカタをつけなくてはならん。そのためには宮廷への配慮も怠れない。頼りにしてるぞ」
「へーい」
名門貴族出身だからこその役回りなのはわかるがねぇとトゥルナイゼンは肩をすくめた。それにしても、薄々予想がついてる連中もいるだろうが、ラインハルトの准将就任祝いのために集まってる同期の全員は過酷な任務を強いられるだろう。まあ、やりがいがあるのだから良いのだが。
ラインハルトは車窓から帝都の空を眺めやりながら思った。姉上やキルヒアイスに帝国軍の将官になったと告げる日はまだまだ先になりそうだな、などと。
自由惑星同盟と銀河帝国の惰性に等しい戦争が長々と続いていた人類社会の情勢が大きく変わったのは、やはり帝国暦四八七年に起きた一連の出来事を避けて説明することはできないだろう。この年の五月、同盟と帝国の境目に位置するイゼルローン回廊の難攻不落の要塞が、同盟軍のヤン・ウェンリー少将の手によって陥落したのである。
その勝利の余勢を駆って、自由惑星同盟のサンフォード政権は帝国領への大規模侵攻を決定した。イゼルローン要塞のためにここ三〇年ほど一方的な守勢に立っていた同盟市民たちの間で好戦的気分が沸き起こっていたことと、対帝国軍戦の画期的勝利によって低迷し続けている政権支持率を浮上させたいサンフォード政権の打算によるものであった。
八月から同盟軍による本格的な侵攻が始まったが、これに対する帝国軍の防衛行動は低調であった。というのも同時期に皇帝フリードリヒ四世が危篤状態に陥り、皇位継承をめぐる宮廷闘争が激化したのを受けて、帝国軍上層部が主力艦隊を首都圏から動かすことを厭ったからであった。
結果としてイゼルローン方面の帝国辺境星域は、いくつかの警備艦隊の散発的抵抗があっただけで、同盟軍の占領下――公式には解放区と呼称――となったのではあるが、遠征軍総司令部とサンフォード政権にとっては困ったことであった。帝国辺境の民衆を解放できたのはよいが、彼らが望んでいたのは対帝国軍艦隊戦での勝利とそれに伴う政権支持率浮上であったからである。
一〇月にサンフォード政権からの「さっさと対帝国戦での戦果をあげろ」という圧力に屈したラザール・ロボス元帥率いる遠征軍は地理に暗い不利を承知の上で無闇矢鱈な帝国首都圏への進軍を開始。対する帝国軍もこれに対しては黙っていられず、ミュッケンベルガー帝国元帥の指揮のもとに半包囲の陣形を組んで同盟軍を迎撃し、大損害を与えて撃退した。
そしてこのまま帝国領から同盟軍を完全に駆逐せんと意気込んだタイミングで、皇帝フリードリヒ四世が崩御。内情不安から帝国軍は辺境域奪還をひとまず棚上げして帝都へと帰還してしまったのである。
そして宮廷闘争の結果、エルウィン・ヨーゼフ二世の即位とブラウンシュヴァイク公令嬢エリザベートの婚約が発表された。そしてオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵が摂政に、クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵が宰相に就任することも併せて決まった。
宮廷闘争の敗者になったウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵とその一派であったが、彼らはあろうことか自由惑星同盟に接近した。当時の同盟では、暫定政権首班のヨブ・トリューニヒトと統合作戦本部長のシドニー・シトレが中心となって帝国領遠征の戦後処理に奔走しており、そこに自分たちを売り込む余地があると踏んでのことであった。
実際問題として、帝国軍に大敗したために、解放区の帝国人の間でも「同盟恐るるに足らず」といった空気が醸成されてしまい、暴動の類が頻発していて、同盟はせっかく手に入れた解放区を持て余していた。ならばいっそリッテンハイム閥の統治権を認めて、これを支援して民主化を促すといった方向にしたほうが良い。ある程度の軍事力展開や経済支援の必要はあろうが、その方が安上がりである、と、判断したのだ。
その結果、自由惑星同盟軍が解放した領域と元々のリッテンハイム閥の所領からなる将来の自由惑星同盟加盟国候補たるリッテンハイム朝立憲帝国が誕生し、初代皇帝としてサビーネ・フォン・リッテンハイムが即位した。これはオーディンに首都を置く本家銀河帝国からは“リッテンハイムの偽帝国”と称され、単なる売国奴集団の扱いを受けている。
こうして自由惑星同盟はリッテンハイム立憲帝国に駐屯させている一部の艦隊を除いてサジタリウス腕に引きこもり、オリオン腕ではリッテンハイム朝立憲帝国とゴールデンバウム朝銀河帝国が争いを続けている、といった構図へと変わったのである。
そんな経緯でオリオン腕の正統なる支配権闘争をしている一方の勢力である立憲帝国の統帥本部のオフィスにおいて、二人の上級大将が酒が入ったグラスを片手に酒を酌み交わしていた。
「なあ、ミッターマイヤー。ロイエンタール朝銀河帝国という概念に興味はあるか」
「酔いすぎだぞ」
リッテンハイム朝立憲帝国軍宇宙艦隊司令長官ウォルフガング・フォン・ミッターマイヤー侯爵は苦笑した。
「俺はかなり本気で言ってるんだがな。いや、別に卿が皇帝になりたいのならミッターマイヤー朝銀河帝国でもかまわんが」
「よしてくれ。それなら卿が皇帝の方が遥かにマシだ」
「そうか、なら言うがこの国の正規艦隊の指揮権は卿が握っているし、残りの警備艦隊や巡視艦隊といった実戦部隊は統帥本部長たる俺が握っている。つまりいつでも国を乗っ取ることが可能だとは思わんか」
「駐留している同盟軍の艦隊はどうする?」
ロイエンタールは鼻を鳴らして嘲笑した。
「自由惑星同盟か……あいつらは俺たちがオリオン腕でどんなことが起きていても気にもとめないのではないか? いや、本当に向こうのヨブ・トリューニヒト最高評議会議長閣下が日々主張しているような民主主義による全人類社会による統一なんてものに本心から関心があるなら、リッテンハイムめにもっと強硬に出て然るべきだろう。建国から五年も経過しているんだぞ」
「それは……そうだな」
立憲帝国の事実上の政治指導者であるウィルヘルム・フォン・リッテンハイム公爵は、現在オリオン腕で戦争中であることだし、抜本的な改革は難しいとして民主化を事実上棚上げしている。
一応、憲法を制定してこそいるものの……その内容はというと、皇帝(あるいはその代理人)に巨大な権限があり、これを支える議会は貴族階級の互選により選ばれた議員による貴族院と皇帝の指名よって選ばれた議員による枢密院による二院制という、ぶっちゃけゴールデンバウム朝の宮廷政治の様相に共和主義的装いを施して正当化しているような代物である。
同盟の良識家から批判を受けているが、ウィルヘルムは言を左右してまともに取り合っていないのが実情である。
(第一、リッテンハイム朝と主張しながら当主のウィルヘルムではなく、母方から先代皇帝フリードリヒ四世の血を引くサビーネを帝位につけている時点で、この国の貴族どもの本音はあまりにも明瞭ではないか)
それに自由惑星同盟の政治家どもが気づいていないのだとすれば、奴らは度し難い無能である。ロイエンタールはそう確信していた。
「一部の理想主義的な主戦派となると、また話が違うのかもしれんが、少なくとも今のトリューニヒト政権は間違いなくその類だ。それになりゆきで俺たちは自由惑星同盟に亡命し、そして今ではこんな傀儡国家の貴族様とやらになったが、別に卿も貴族になりたかったわけではあるまい?」
「当然だ」
クロプシュトック侯の叛乱鎮圧時のゴタゴタで帝国内での身を危うくしたミッターマイヤーは、ロイエンタールの助けを借りて家族と共に自由惑星同盟へと亡命した。その亡命経緯から自由惑星同盟は二人を好意的に扱い、同盟軍少将の階級と
が、実際のところは同盟軍の実戦部隊に配属するにはポストが埋まっていて同盟軍としては二人の扱いに困っていたのだった。なのでリッテンハイム朝立憲帝国が成立すると、これ幸いと二人の意思を確認すらせずに立憲帝国軍へと所属変えを行い、以来立憲帝国軍人として軍の育成に励むことになってしまった。
さらにミッターマイヤーとしてはいささか不快なことだったのだが、ウィルヘルムは自由惑星同盟にとってお気に入りの二人をこちらに融通してくれたのだから、それなりの待遇を示さねばならぬと侯爵位を二人にプレゼントしてきた。おかげで貴族社会のお付き合いなどというものもしなければならなくなったのであった。
「貴族とは度し難いもの。滅ぼしてしまうべきではないか」
瞳の奥に隠しきれぬ嫌悪感を滲ませながらそう語るロイエンタールに、ミッターマイヤーの心の天秤も傾きつつあった。
『
そしてちょうどその年に発生したイゼルローン要塞陥落から始まる一連の顛末と帝国の分裂。これに憤った帝国軍の若手将校は多かった。彼らは皇帝に直属する軍部が、宮廷の都合に振り回されたために、本来回避し得たはずの帝国分断を招いたのだと主張し、現状の軍部刷新を求める秘密結社的な同志会が軍部内でいくつも立ち上がったのである。
ラインハルトやトゥルナイゼンもこの流れに乗っかり、四八七年卒業生同期の有志を結集して『黒幇』が成立した。ただ他の類似組織と『黒幇』が違ったのは、彼らは当時のミュッケンベルガー元帥をはじめとした軍上層部を宮廷の混乱に振り回された被害者であるとして穏便な正規軍改革を主張していたこと、そして何より誰もが暗黙のうちに学年首席卒業生であるラインハルトの主導権を認め、固く結束していたことである。
軍上層部は『黒幇』の存在を指揮系統に混乱をもたらすと忌避感を抱きはしたが、帝国軍の将来を担う士官学校出身の俊英たち中心とした結社であるだけに『黒幇』は相反するようだが秩序だった存在でもあり、他の類似組織を切り崩して穏健化させる側面もあったので、軍上層部としては利益の方が大きいとして利用する方向へといった。
また帝国宰相のリヒテンラーデ侯爵としても、ブラウンシュヴァイク閥による正規軍の支配を牽制する意味合いもあって、『黒幇』に所属する青年将校たちを厚遇した。かくして『黒幇』の青年将校たちは、各々の武勲や功績もあって、出世街道を爆走したのである。
独自の軍事力保持に難があったリヒテンラーデ侯爵としては、可能であれば『黒幇』を自派色に染め上げて取り込みたかったのであろうが、『黒幇』はリヒテンラーデ閥や軍上層部と協調しつつも独自性を保ちながら拡大を続け、今や帝国軍全体に少なからぬ影響力を持つ大派閥のひとつとなっているのであった。
そして繰り返すが『黒幇』は士官学校四八七年卒業生を中心とした派閥なのであり、現在でも士官学校四八七年卒業生が派閥の中枢を占めている。つまり、彼ら同期生の会合は、そのまま『黒幇』の幹部会の様相を程するのである。
「たしかにどこかで軍の実権を完全に握る必要は感じていたが」
「流石に現状だと厳しいものがあるくないか?」
「俺たちも大きくなったとはいえ、これでは更に国を割りかねん……」
ラインハルトの准将昇進祝いの席で、その祝う対象から帝国軍部の掌握を成し遂げんとするクーデターの意向を告げられて、青年将校たちは揃って難しい表情をした。現段階ではかなりの難題であるように思われたのだ。
『黒幇』に好意的な軍将官、有力貴族との伝手はある。それに加えて『黒幇』を問題視しているが、それ以上にブラウンシュヴァイク閥のことを嫌っているお偉方とて少なくはない。それを思えば、クーデターによりブラウンシュヴァイク閥の影響を排して、自分達が軍部を掌握するというのは、そこまで非現実的な話ではない。彼らが気にしているのはその後だ。
そんなことをすれば、確実にブラウンシュヴァイク公は激怒して自分達を潰そうとするだろう。そしたら国が割れる。『黒幇』の青年将校たちは、ブラウンシュヴァイク閥の軍部での専横を嫌っていたが、それ以上に彼らを嫌うのは、リッテンハイム閥との無益な宮廷闘争により祖国を割ったからであった。
またそうした感情的問題を乗り越えるにしても、ブラウンシュヴァイク閥の軍勢と争いながらリッテンハイムの偽帝国への対応もしなくてはならない。それで祖国を維持していくことができるだろうか? 青年将校たちは、少なくとも本人たちの自認としては愛国者であり、主観的にはすべては銀河帝国の繁栄につながると信じて行動してきたつもりなのだ。
そうした同期戦友たちの心情は、ラインハルトも理解するところであった。だが、その上で押し通す必要があるとラインハルトは思っていた。
「皆、聞いてくれ。皆が不安に思っていることはわかる。だが、このままでいいのか。だれもが実は内心思っているだろう。俺たちが士官学校を卒業したその年に、無為無能を晒していた軍上層部の風下に何故立たねばならないのか、と」
自分達が軍上層部に融和的であるのは、軍内で『黒幇』が影響力を拡大していくための政治的方便にすぎない。奴らが皇位継承をめぐる宮廷闘争にあそこまで拘泥しなければ、帝国領内に侵攻してきた同盟軍を容易く撃退し、
「皆、思っているだろう。幼き頃、自分達が聞かされてきた帝国秩序の守護者たる銀河帝国軍の栄光は何処にありや、と。五〇〇年に渡ってあまねく人類を征し、まつろわざるをまつろわせてきた人類社会の力の象徴たる軍は、何処にありや、と! 今俺たちが所属している軍は、幼き頃に聞かされてきた帝国軍と本当に同じなのか、と!」
リッテンハイムの偽帝国との分断が起こる前であっても、帝国軍の在り方はあまり誉められたものではないとラインハルトはこれまで見聞きしてきた情報から知ってはいたが、今は事実が重要ではない。今必要なのは、失われている理想であり、自分達が何のために単なる士官学校同期生の仲というものを超えて結束しているのかの再確認である。
それに……ラインハルトが幼き頃に憧れた帝国のプロパガンダ上の銀河帝国軍と、現実のそれとは、度し難いほどに差がある代物であるというのは、本当のことである。
「俺たちが、光輝ある銀河帝国の軍を立て直すのだ! そのために蹶起しなくてはならない時が迫っている。そうではないか!?」
「
トュルナイゼンは勢いよくワイングラスを掲げて賛同した。ここに移動してくるまでの車内での会話で、ラインハルト自身時期尚早と感じているが、情勢を考慮した上でのリスクを承知しての決断であることを知っている。そうであればこそ、第一の親友である自分が揺らぐことなき支持を表明することが、全体の意思決定を行う上で重要だと感じていた。
青年将校たちは静まり返って逡巡していたが、そのうち一人の青年将校が机の上に置いてあったワインボトルを手に取ってラッパ飲みをはじめた。そして勢いよく机にワインボトルを叩きつけた。
「俺もミューゼルの意見に賛成だ」
酒精で少し顔を赤くしながらその青年将校はそう言った。
「俺の実家は代々の軍人貴族の家門だ。先祖の勇名を汚すだけの今の帝国軍の現状には我慢ならん。たとえ一時国を割ることになろうとも、精強さを取り戻した帝国軍が、ブラウンシュヴァイク閥をその力で叩き潰してやれば何も問題はないッ!」
その青年将校は今度はワイングラスに酒を注いで、ワイングラスを掲げた。
「俺は覚悟を決めたぞミューゼル。男ならひとつやってやろうじゃないか」
他の青年将校たちは互いに顔を見合わせ、視線を交わした。やがて彼らは黙ってワイングラスに酒を注ぎ合い、グラスを掲げた。
「異論はないようだな」
ラインハルトは涼しげにそう微笑むと自身もワイングラスに酒を注ぎ、
「では、改めて。映えある銀河帝国の繁栄と未来のために。われわれはひとつだ!」
「「「「われわれはひとつだ!」」」」
青年将校たちは一斉にグラスをあおった。彼らは自分達の高揚感が、酒によるものか、それとも今後帝国の歴史に刻まれることになるかもしれない一ページの一員になれたからなのか、判別がつかなかった。
「遍く
我らは輝ける未来を告げる者、安寧の時代を告げる鐘を鳴らす者」
グラスの中の酒を飲み干すとトゥルナイゼンは滔々と歌い始めた。銀河帝国の国歌である。
青年将校たちは一瞬戸惑ったものの、今の自分達の心境を表すにぴったりな歌ではないかと思い、一緒になって唱和し始めた。
「たとえ祖国が今、虚実により支配されていようとも
すべての背徳と口舌の徒を駆逐し、銀河に秩序を齎さん
人類の繁栄のため、恐れず進もう同胞たちよ」
銀河帝国国歌には皇帝や優良な血統を崇拝するような文句は存在しない。なぜかというと、もともとは連邦末期にルドルフが率いた国家革新同盟の党歌であり、皇帝や貴族階級が存在しなかった頃に作られた歌だからということもあり、安定と繁栄といった普遍的内容を中心に歌詞が構築されている。
それゆえか、精強な帝国軍の再建、ひいてはそれを実現するための帝国改造を志向する『黒幇』の青年将校たちに視点から見る銀河帝国の現況と自分達の使命を謳っているかのように思えるところがあったのだ。
「
我らは良き時代を築く者、闇夜を照らす黄金の夜明けを目指す者
たとえ祖国が今、分断の苦しみに喘いでいようとも
すべての街頭に我らの旗が翻り、混迷に終止符が打たれん
人類の統一のため、恐れず進もう同胞たちよ」
また別の理由もある。彼らは同期のラインハルトのことを、自分達とは次元が違う偉大な人物であると見ている節があり、この混迷の時代を立て直す者がいるとすれば、それは将来のラインハルトであろうとする心情があった。
ラインハルトの背後に、思い思いの帝国の歴史上の英傑を重ねて、ラインハルトという存在をそれに連なる存在であると確信していたのである。
「宇宙の真理によって結束し、かつてない繁栄と平和を齎す国家革新の道へ
身も心もすべて捧げ、祖国を永遠永久に守護し、溢れるほどの栄光で輝かせ続けよう
我らはたしかな未来をこの手に掴みとるのだ!」
あるいは、もう一歩進んで。
自分達のことを連邦末期に“鋼鉄の巨人”ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに付き従った国家革新同盟の幹部党員に擬えられるような存在であると考え、同期の輝く星であるラインハルト・フォン・ミューゼルのことを偉大なる銀河帝国開祖の姿を重ねて見ているという、とんでもなく不遜な認識をいている者たちも、いるのであった。
帝国国歌の歌詞と設定は自作『リヒテンラーデの孫』からの流用です