学園黙示録 HYPER-BURST   作:ランディー55

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銃撃戦が書きたくなったので書きました。初投稿です(大嘘)
この話は世界観の説明なので、本格的な戦闘は次回からになります(ネタバレ)


1限目

「君は本当に勿体ないな」

 

 昼休み。校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下。

 人目の少ない場所を見つけて休んでいたというのに、この教師は何故か高確率で見つけ出してくる。

 

 金剛(こんごう) (すぐる)は食べ終わったパンの袋をゴミ箱に捨てながら心底面倒そうな顔をしていた。

 目の前に立つのは紫藤(しどう) 浩一(こういち)。藤美学園の社会科教師であり、多数の生徒を従える学園の有名人だ。

 整ったスーツ姿に穏やかな笑み。端から見れば理想の教師に見えるだろう。

 

「…何がです?」

 

 聞き慣れた声に傑はゆっくりと顔を向けた。

 死んだ魚のようとしか言い様のない黄色い瞳が紫藤の目を見つめる。

 整った顔立ちをしているにも関わらず、生気の欠片も感じられない目だった。

 長く伸ばした黄色い髪は後ろで一つに束ねられている。

 身長は183cm。学年でも頭一つ抜けた長身だ。

 そのせいで、目の前の相手を自然と見下ろす形になる。

 

 対する紫藤の身長は175cmほど。決して低くはない。

 だが傑と並ぶとどうしても小さく見える。

 それでも紫藤は一切気にした様子もなく、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「君の才能だよ」

 

 紫藤は断言した。

 政治家の息子らしい自信に満ちた口調。

 教師というより演説家のような話し方だった。

 だからこそ人が集まるのだろう。

 

「成績は上位。運動能力も悪くない。射撃部では優秀な成績を残している」

 

「…普通やと思いますけど」

 

「その普通が出来る生徒は案外少ない」

 

 また始まった。

 

 傑は内心でため息を吐く。

 このやり取りも今日で何度目だろうか。

 紫藤は事あるごとに声を掛けてくる。

 

 生徒会に入らないか。

 私の活動を手伝わないか。

 リーダーを目指さないか。

 

「……悪いですけど、俺そういうん興味ないんで」

 

 その一言に尽きた。

 傑は大の事なかれ主義だ。その上、やる気も向上心もない。

 平穏に生きられるならそれでいい。

 紫藤の語る理想も野望も、自分とは無縁の世界だった。

 面倒から逃げる。それが傑の基本的な行動原理である以上、傑が紫藤の誘いを受ける事は天地がひっくり返ってもあり得なかった。

 

 それに傑は紫藤の目が嫌いだった。

 穏やかに笑っているのに、その奥で別の何かを計算しているような目。

 上手く言葉には出来ない。

 だが、この男は信用してはいけない。

 傑は本能的にそう感じていた。

 

「それは知っている」

 

「なら諦めてくださいよ」

 

「断る」

 

 即答だった。

 思わず傑は顔をしかめる。

 

「はぁ…なんでです?」

 

「君みたいな人材は貴重だからだ」

 

 紫藤は笑った。

 まるで当然のことを言うように。

 

「自覚はないだろうが、君は人を見る目がある」

 

「そうですかね」

 

「あるとも」

 

 紫藤は傑と同じ様に手すりにもたれながら校庭を見下ろした。

 昼休みを満喫する生徒達。

 部活動に励む生徒達。

 談笑する教師達。

 平和な学園の光景だった。

 

「人は群れる。強い者に従い、弱い者を見下す。

 だが…君は違う。誰にも媚びないし、誰も見下さない」

 

「…面倒やから関わらんだけです」

 

「それでもだ」

 

 紫藤は楽しそうだった。

 まるで珍しい玩具を見つけた子供のように。

 

「君は将来、大物になるよ」

 

「ならんわ、絶対」

 

「そうかな?」

 

 断言する傑に対し、紫藤はくつくつと笑う。

 本当に面倒な男だった。

 

「失礼します」

 

 そこへ女子生徒が近付いてきた。

 耳のピアス。オレンジ色のショートヘアにカチューシャ。

 

 夕樹(ゆうき)美玖(みく)

 俗に言う“紫藤派”の一員であり、紫藤の右腕とも言われる女子生徒だ。

 学園随一とも評される美貌の持ち主であり、その容姿を利用しているだとか、教師や生徒を手玉に取っているだとか、黒い噂も絶えない。

 もっとも、傑には関係のない話だった。

 ――少なくとも、直々に色仕掛けを仕掛けられるまでは。

 あの時は流石に驚いた。まさか教師が生徒を勧誘するために、ここまで露骨な手段を使うとは思わなかったのだ。

 

 ここまでするか、紫藤は。

 

 それ以来、傑の中で紫藤を見る目は大きく変わった。

 交友関係が広い訳ではないが、周囲の人間全員が紫藤の息の掛かった人間なのではないかと疑いたくなる程度には堪えた。

 

「先生、準備終わりました」

 

「そうか」

 

「体育館で皆が待ってます」

 

 紫藤は満足そうに頷いた。

 

「では金剛君。また今度話そう」

 

「…もうええわ」

 

「……君だから特別に言うが、仮に私が望まなくても否が応でも“機会”が来る。

 いや、来ているんだ、すぐそこまで。“奴ら”はもうそこにいる。この学園に明日はない。

 …少し言いすぎたね。まぁいい、君だから。君が私の下に来る日を楽しみにしているよ」

 

 そう言い残し、紫藤は去っていく。

 夕樹は傑の死んだような黄色い目を睨んだ後、紫藤の後に続いた。

 二人の背中が見えなくなる。

 

「……勘弁してくれや」

 

 傑は大きくため息を吐いた。

 そして教室に戻ろうと廊下を歩き、階段を下りていたその時――

 

「随分と気に入られてるらしいな、金剛君」

 

「うわぁ! ビッ…くりさせんなや!?」

 

 思わず肩が跳ねた。振り返る。

 そこにいたのは毒島(ぶすじま)冴子(さえこ)だった。

 整った顔立ちと紫色の瞳、尻まで届く長い紫の髪。そして183cmという傑と同じ長身。

 学園内でも目立つ存在のはずなのだが、今の今まで全く気配を感じなかった。

 おそらく剣道で培ったものなのだろう。

 全国大会優勝を成し遂げた剣道部主将の気配は、恐ろしいほど自然に周囲へ溶け込んでいた。

 

「すまない。驚かせるつもりはなかったんだが」

 

 冴子は小さく肩を竦める。

 

「しかし君、ちゃんと表情筋は動くのだな」

 

「俺のこと何やと思っとるん?」

 

「無表情で感情のないただ生きてるだけの人間。酷く言うとゾンビだ」

 

「流石に酷ない?」

 

「すまない。でもそうとしか見えないんだよ、君は。だから意外だったんだよ」

 

 冴子は堪えきれなかったように小さく笑う。

 その様子を見て傑はため息をついた。

 

 傑と冴子は別に仲が良い訳ではない。

 ただ同じクラスで席も隣。それだけの関係だった。

 それだけの関係なのだが――なぜかこうして話す機会は多い。

 特に紫藤が絡むと尚更だった。

 

「また勧誘されていたな」

 

「はぁ…、見とったんけ?」

 

「途中からな」

 

 冴子は手すりに寄り掛かりながら答えた。

 

「相変わらず熱心だ」

 

「俺からすりゃ迷惑極まりない」

 

「ふふっ」

 

 冴子は喉を鳴らして笑った。

 どうやら本当に面白がっているらしい。

 傑はため息を吐く。

 

「そんなおもろいか」

 

「少しな」

 

 否定しなかった。正直な人だった。

 しかし…

 

「君も、紫藤先生を警戒しているのだろう?」

 

 その一言で、冴子の表情から笑みが消えた。

 

 だからこそ傑は、この人も自分と同じなのだろうと思っていた。

 確証はない。だが冴子もまた、紫藤の奥にある何かを感じ取っている。

 そんな気がしていた。

 

「……まぁ、な。ホンマ、なに企んでるやら。自分、何か知らへん?」

 

「知っていたら言っている。君は信用できるからな」

 

 冴子はあっさりと言った。

 あまりにも自然な言い方だったので、傑は一瞬言葉に詰まる。

 

「…それ、普通はもうちょい悩んで言うもんちゃうん?」

 

「そうか?」

 

「そうや」

 

 信用されるのは悪い気分ではない。

 だが、それを当然のように言われると何とも反応に困る。

 冴子は気にした様子もなく校庭へ視線を向けた。

 

「私も紫藤先生は少し気になっている」

 

「少しどころやないやろ」

 

「そうかもしれないな」

 

 否定はしなかった。それだけで十分だった。

 

 “紫藤派”。学園内でそう呼ばれる集団だ。

 正式な部活動でもなければ委員会でもない。だが実質的にはそれらに近い。

 教師である紫藤を中心に数百人規模の生徒が集まり、独自のコミュニティを形成している。

 

 学園祭や行事の運営。ボランティア活動。地域交流。

 表向きは立派な活動ばかりだ、だから教師達も強くは言えない。

 生徒達からの評判も悪くない。むしろ良い方だった。

 現に、彼らは歩道の端に溜まった大量の桜の花びらを掃除している。

 

 だが――

 

「正直、不気味や」

 

 傑はぼそりと呟いた。

 

「不気味?」

 

()()は信者やで? 盲信しとるだけやないけ」

 

 あくまで個人的な感想だった。実際に危害を加えられた事はない。

 ただ、紫藤の周囲にいる人間達は、どこか熱に浮かされているように見えるのだ。

 

 教師。生徒。卒業生。

 気付けば皆、紫藤の話をしている。

 まるで中心に太陽でもあるかのように。

 

「…君らしい意見だな」

 

「そうか?」

 

「ああ」

 

 冴子は頷いた。

 

「大抵の人間は紫藤先生を優秀な教師だと思っている」

 

「実際優秀やろ」

 

「それも事実だ」

 

 だから厄介なのだろう。結果を出している人間は疑われにくい。

 人は成果に弱い。それは生徒も教師も同じだった。

 

 しばしの沈黙。

 

 廊下の窓からは藤美学園(ふじみがくえん)の広大な敷地が見える。

 ここは山と川に囲まれた広大な敷地を持つ全寮制の私立高校であり、数々の学科を抱え、生徒数は5000人を超える。

 学園都市と呼んでも差し支えないほどの規模を誇り、校舎、体育館、運動場、学生寮はもちろんのこと、武道館、図書館、研究棟、小さな商店街の購買街のそれら全てが一つの学校の敷地内に存在していた。

 

 傑はこの学園を歩き回るのが好きだ。

 特に深い理由はない。ただ単純に、景色を眺めながら散歩するのが好きだっただけだ。

 

 授業と授業の合間。放課後。休日。気が向けば学園中をふらついている。

 校舎裏のベンチ。屋上へ続く非常階段。図書館の奥。研究棟の周辺。寮の中庭。購買街。

 学園の人間でも知らないような場所まで含めれば、学園内で傑が足を踏み入れた事のない場所はほとんど無いだろう。

 だからあの渡り廊下を見つけられた。

 

 そして学園中を歩き回った結果、自然と様々な人間と顔見知りになった。

 生徒はもちろん、教師や警備員、果ては購買街の店員とまで。

 ……しかし、その積み重ねは想像以上に大きかった。

 どこで何が起きているのか。誰と誰が揉めているのか。どんな噂が流れているのか。

 気付けば傑の元には世間話として、学園中の情報が集まるようになっていた。

 

 転入生の癖に妙に顔が広い。学園の地理に異様に詳しい。どこからともなく噂話を持ってくる。

 その結果、生徒達の間では半ば冗談混じりにこう言われるようになっていた。

 

 噂話が聞きたければ金剛傑に聞け。

 

 そんな話が本人の知らない所で広まっている程度には、傑は情報屋として知られていた。

 しかも傑がこの学園に転入してきたのは今年の春、三年生が始まったばかりの頃である。

 普通ならば、まだ学園に馴染んでいる最中の時期だ。

 友人関係を築き、校舎の構造を覚え、教師の顔と名前を一致させる。

 それだけでも一苦労だろう。だが傑は違った。

 持ち前の観察眼と要領の良さで、1ヶ月にも満たない内に学園の構造と人間関係をほぼ把握してしまったのだ。

 

 もっとも、本人は面倒事を避けるために情報を集めているだけであり、情報屋などと呼ばれる事には全く納得していないのだが。

 だが、そのおかげで学園中の噂話は嫌でも耳に入ってくる。紫藤派もその一つだった。

 

「――そういや、聞いたか?」

 

 傑が不意に口を開く。

 

「……何をだ? また何か拾ってきたのか」

 

「旧研究棟の噂。気になるって言っとったやろ」

 

 冴子が僅かに眉を上げた。

 

 この学園には妙な噂が多い。

 立入禁止の地下通路。夜中に動く研究棟。消えた教師。存在しないはずの地下施設。

 どれも証拠はない。だからこそ噂として広まる。

 

 もっとも、傑自身もそういう話は嫌いではなかった。

 交友関係は広くない。だが世間話はよくする。

 教師や生徒はもちろん、警備員や購買街の店員と話す事も珍しくない。

 

 そして何より、傑は人の話を覚えている。

 誰が何を言ったのか、どこで聞いた話なのか。

 傑は無意識の内に整理してしまう癖があった。

 その結果、無自覚のうちに質のいい情報屋として機能している訳だ。

 

「よく覚えているな」

 

「そうか?」

 

「そうだ」

 

「ふーん。ほんで、その噂やけど…警備員の間で変な話が流れとる」

 

「警備員?」

 

「ん」

 

 傑は短く頷く。

 

「旧研究棟の近くを夜に見回っとった奴がおるんやけどな。何回か人影を見たらしい」

 

「人影か」

 

「最初は侵入者やと思ったらしいわ。けど、その人影なぁ…」

 

 傑は少しだけ声を落とした。

 

「懐中電灯を向けても反応せんかったらしい」

 

「……ほう」

 

「呼び掛けても無視。近付いても無視。ただ、ずっとフラフラ歩いとったんやと」

 

 冴子の表情が僅かに険しくなる。

 

「それで?」

 

「追い掛けたら消えた」

 

「消えた?」

 

「建物の裏に回ったと思ったらおらんかったらしい」

 

 沈黙が落ちる。昼休みの喧騒が遠く聞こえた。

 

「……夜中、ゾンビが出るという話か」

 

 冴子が静かに言った。

 

「それや。今はそういう話になっとる。

 前までは幽霊やったんやけどな、紫藤派の生徒曰くアレはゾンビや言うとった」

 

「君は信じているのか?」

 

「まさか」

 

 即答だった。

 

「ゾンビなんかおる訳ないやろ。どーせ紫藤先生がそれっぽい事言っとるだけや」

 

 そう言って鼻で笑う傑だったが、冴子は気付いていた。

 彼が本当に気になっているのはゾンビではない。

 複数の警備員が同じ証言をしているという事実の方だった。

 

「後…なんや、武器庫の噂もあるな」

 

「武器庫?」

 

「災害用の備蓄倉庫が実は武器庫やとか、体育館の裏口はシェルターに繋がっとるとか、校舎には秘密通路があるとか、部室棟の倉庫にはアサルトライフルが隠されてる部屋があるとか。他にも色々あんな」

 

 冴子が呆れたような顔をした。

 

「それは流石に漫画の読み過ぎではないか?」

 

「俺も思うわ」

 

 だが、そう言いながらも傑は少しだけ引っ掛かっていた。

 この学園は広過ぎる。そして金も掛かり過ぎている。

 普通の私立高校にしてはどこか不自然だった。

 しかし、そんな事を考えても答えなど出ない。

 この学園は数多の業界に数々の著名人を排出している。

 それら著名人の寄贈品と言われればそれまでだった。

 

「まぁ、ホンマやったとしても俺は関わりたない。

 噂話で終わるんが一番おもろいやろ、こう言うんは。な?」

 

 その言葉が傑の全ての答えだった。

 

「……そうだな」

 

 冴子が頷く。

 その時だった。

 

 突然、学園中のスピーカーから電子音が鳴り響いた。

 ピアノを思わせる二つの音が、一定の間隔で繰り返される。

 その音を聞いた瞬間、二人の目の色が変わった。

 二人は黙り、続いて放送が流れる。

 

『緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください』

 

 機械的な男性の音声。

 昼休みの喧騒が一瞬で止まった。

 

 校庭の生徒達が足を止める。

 窓際にいた生徒達が顔を上げる。

 教師達も空を見回し始めた。

 

 日本に住んでいれば珍しい事ではない。大なり小なり経験する。

 だが、速報が鳴るレベルの物は別だ。

 

 傑は階段の手すりを掴もうとしたその時、地鳴りが聞こえた。

 遠くの山の向こうから響いてくるような低い音。

 

「これシャレならんやつやん…!?」

 

 次の瞬間。

 

 ドンッ――!!!

 

 突き上げるような衝撃が校舎を襲った。

 窓ガラスが激しく震え、床が揺れた。

 …いや、揺れるという表現では足りない。

 校舎そのものが横殴りに叩き付けられたような衝撃だった。

 各地で悲鳴が上がる。校庭では立っていられなくなった生徒達が次々と転倒していた。

 

「壁から離れろ!」

 

「机の下に――!」

 

 教師達の怒鳴り声。どこかでガラスが割れる音。

 その直後だった。再び校舎が大きく揺れた。

 

「…っ!?」

 

 足元が横へ流れる。まるで船の上にいるような感覚だった。

 傑は咄嗟に手すりを掴もうとした。

 だが指先が触れるより早く床そのものが傾き、体勢を崩した。

 

「金剛君!」

 

 冴子が手を伸ばす。しかし、その冴子自身も揺れに耐え切れない。

 次の瞬間。二人の身体が同時に階段側へ投げ出された。

 

「っ!?」

 

 視界が回る。肩を打つ。背中をぶつける。足が宙に浮いた。

 気付けば階段を転がり落ちていた。

 

 ドンッ。ガンッ。

 鈍い衝撃が全身を叩く。

 

「いっ…!」

 

 流石の傑も顔をしかめる。

 冴子も受け身を取ろうとしたのだろうが、この揺れではどうにもならなかった。

 二人はもつれるように踊り場まで転げ落ちる。

 そして最後に――

 

 ぼすっ。

 

 柔らかい感触。

 

「……ん?」

 

 衝撃が妙に軽い。傑が顔を上げる。目の前には紫色の長髪。

 そして視界いっぱいに広がる柔らかな膨らみ。

 どうやら冴子を下敷きにして止まったらしい。

 

「…………」

 

「…………」

 

 一瞬、沈黙が流れる。揺れはまだ続いている。

 だが二人ともそれどころではなかった。

 

「す、すまない…」

 

 先に口を開いたのは冴子だった。

 珍しく僅かに気まずそうな声だった。

 

「あ? あぁ…うん。アレは誰も耐えられんやろ…」

 

 傑も即座に視線を逸らす。正直、それどころではない。

 今の地震はそんな色気のある状況を吹き飛ばすほど異常だった。

 

「んで…、やっとこさ収まった…か?」

 

 ようやく揺れが弱まっていく。校舎の軋む音だけが残った。

 地震発生から一分ほど経っていた。体感ではもっと長かった気もする。

 日本人として地震には慣れているが、今のは別格だった。余震も来るだろう。

 

 傑は手すりを掴んで立ち上がった。冴子も髪を払って体勢を整える。

 流石に顔面から胸へ突っ込んだ事について何か言われるかと思ったが、そんな空気ではなかった。

 校舎全体が軋んでいる。天井からは細かな埃が舞い落ち、どこか遠くで警報機が鳴り続けていた。

 廊下では教師達が生徒の安否確認を始めていた。

 

「怪我人は!?」

 

「慌てるな! エレベーターを使うな!」

 

「窓から離れろ!」

 

 怒号が飛び交う。昼休みの穏やかな空気は完全に消えていた。

 

「はぁ…。こりゃ、午後の授業は中止け?

 しかも圏外やんけ、電波棟やられたか?」

 

 傑は自身のスマホの警報を確認した後、踊り場から校庭へ視線を向ける。

 グラウンドには転倒した生徒達が何人もいた。

 教師達が駆け回り、倒れた生徒を助け起こしている。

 ごく普通の光景。巨大地震の直後なら当然の光景だった。

 ……だから、最初は気付かなかった。

 

「――あ?」

 

「どうした?」

 

「いや…アレ…」

 

 傑が目を細める。

 校庭の中央付近。一人の男子生徒が倒れている。

 その上に、別の男子生徒が覆い被さっていた。

 助け起こしているのだと思った。だが違う。

 周囲の生徒達が後退して、教師が慌てて駆け寄っている。

 

 そして――

 

 覆い被さっていた男子生徒の肩が、不自然に上下していた。

 何かを食っているように。

 

「おい! 何をして――」

 

 教師が男子生徒の肩を掴んだ次の瞬間だった。

 男子生徒が振り向くと、口元が真っ赤だった。

 服も赤い。血だった。遠目からでも分かるほど大量の血だ。

 教師の言葉が止まる。周囲の生徒も固まる。

 男子生徒の顎から赤い液体が糸を引いていた。

 

「は?」

 

 誰かが呟いたその直後、男子生徒が教師の首筋へ飛び付いた。

 

「きゃあああああああっ!!!」

 

 悲鳴。絶叫。血飛沫。

 校庭の空気が一変する。

 教師が倒れ込む。

 周囲の生徒達が蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。

 

 傑の死んだような目が少し見開かれる。

 冴子も表情を消していた。

 

「…金剛君」

 

「皆まで言うな。分かるから、聞きたない」

 

 傑はそう言って顔を両手で覆った。

 

 二人は同時に理解した。あれは喧嘩ではない。事故でもない。

 そして、旧研究棟のゾンビの噂を思い出す。

 つい数分前まで笑い話だったものが、今まさに校庭で人を襲っていた。

 

『この学園に明日はない』

 

 傑の頭に紫藤の言葉が半数し、顔から僅かに血の気が引いた。

 冴子もまた校庭を見つめたまま動かない。

 校庭では、もう二人目が噛まれていた。

 

 その時だった。

 

 ガガッ――

 

 学園中のスピーカーからノイズが流れた。続いて放送が始まる。

 

『全校生徒に連絡します』

 

 男性教師の声だった。

 普段の落ち着いた口調ではない、明らかに焦っている。

 

『現在、校庭にて原因不明の暴力事件が発生しています。生徒は速やかに――』

 

 言葉が止まる。数秒の沈黙。

 何かを確認しているようだった。

 

『おい、鍵閉めろ! 早く!』

 

 別の声。慌ただしい足音。椅子を倒す音。

 何かがおかしい。そう誰もが理解した。

 

『繰り返します! 生徒は直ちに教室へ――』

 

 ガンッ!!

 

 大きな衝撃音。教師の声が止まる。

 

『なっ!? 誰だ!?』

 

 ガンッ!! ガンッ!!

 

『やめろ!!』

 

 怒鳴り声。悲鳴。何かが倒れる音。

 スピーカー越しでも分かるほどの混乱だった。

 

『開けるな!! 開ける――』

 

 そこで言葉が途切れた。

 次の瞬間。

 

『ぎゃあああああああああああッ!!』

 

 耳を劈くような絶叫が学園中へ響き渡る。

 続いて聞こえたのは複数人の悲鳴。

 机の倒れる音。何かを叩く音。肉を切り裂くような音。

 

『た、助け――』

 

 声が途切れた。しかし放送は続く。

 誰かが泣いている。誰かが叫んでいる。何かを必死に殴っている。

 そして……

 

 ブツッ――

 

 放送が途切れた。

 そして校舎中から叫び声と足音が聞こえてくる。

 上の階。下の階。隣の校舎。

 あらゆる場所から誰かが逃げている。

 誰かが追われている。誰かが叫んでいる。

 校庭だけではない、もう学園全体で何かが始まっていた。

 

「あー……」

 

 傑は頭を掻いた。

 そして校庭で人を喰らう化け物達を見下ろす。

 

「なんつーか、終わったな。色々と」

 

 その呟きに冴子は何も返さなかった。

 代わりに、掃除用ロッカーから取り出した一本の箒を傑に渡した。

 冴子の手にも箒は握られていた。

 だがこちらは既に先端が捻じ切られ、金属部分が簡易的な槍へと姿を変えている。

 

「あ?」

 

「君の事だ、いい場所を知っているだろう?

 まさか…このまま死ぬとは言うまいな。だとしたら私は一人で行く」

 

「……はぁ」

 

 傑は面倒そうにため息を吐いた。

 

「――保健室。下の一番端。静香先生がおる」

 

「鞠川校医か。真っ先に名前を出す程の中なのか?」

 

「ん。ちょっと色々工面してもらった事があんねん。

 保健室が安全かは知らんが…少なくとも、階段の踊場より安全やと思う」

 

「ふっ、そうだな。保健室までどれくらいだ?」

 

「階段下りて廊下真っ直ぐ。最短なら1分もかからんけど、今は無理やろ。ほれ」

 

 傑は階段下の廊下を顎で示した。

 避難しようとした生徒達が各所で将棋倒しになり、その集団へ化け物達が群がっていた。

 

 悲鳴は今も続いている。

 助けを呼ぶ声。泣き叫ぶ声。逃げ惑う足音。

 学園全体が巨大なパニック状態に陥っていた。

 

「遠回りすりゃ行けん事はないけど、どうする?

 屋上行って非常階段から降りんねん」

 

「案内は任せていいか?」

 

「嫌やけどな」

 

「なら任せよう」

 

「人の話聞けや」

 

 冴子が小さく笑う。

 こんな状況なのに余裕そうだ。

 

 一方の傑は不思議と落ち着いていた。

 いや、落ち着いているのではない。怖がっている暇がないのだ。

 

 傑は箒を軽く振って感触を確かめた。

 頼りない、木刀以下だ。

 だが素手よりは遥かにマシだった。

 

「ほな行くで。自分第一でな」

 

「…ああ」

 

 そう言って階段へ足を向けると、傑は一気に駆け上がった。

 階段には既にゾンビや腰を抜かした生徒達がいたが構わず走り抜ける。

 助けている余裕などなかった。

 

 冴子もすぐ後ろを追う。

 数十秒後、傑は屋上へ続く扉を勢いよく蹴り開けた。

 屋上には大勢の生徒が集まっていた。

 下が危険だと判断し、避難してきたのだろう。

 ――そして、その中には既にゾンビも混じっていた。

 

 悲鳴が響く。

 逃げ惑う生徒。転倒する生徒。それに群がる化け物達。地獄だった。

 

「突っ切るで!」

 

 傑は箒を横薙ぎに振るい、進路を塞ぐならゾンビだろうと生徒だろうと無理やり押し退けた。

 冴子も槍代わりの箒で牽制しながら続いた。

 二人は屋上の反対側にある非常階段へ飛び込むと、一気に駆け下りる。

 目指すのは二階、保健室だ。

 息を切らしながら階段を下り切った傑はそのまま保健室の扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていた。

 

「静香先生! おるか!? 俺や!?」

 

 傑は乱暴に扉を叩きながら叫んだ。

 普段の無気力な様子からは想像も出来ないほど切羽詰まった声だった。

 

「傑君!? ちょっと待って!」

 

 すぐに返事が返ってくる。

 そしてガチャリ、と鍵の外れる音。

 扉が僅かに開き、中から静香が顔を覗かせた。

 

「早く!」

 

 二人は保健室へ滑り込む。

 直後、静香は扉を閉めると素早く鍵を掛けた。

 念を押すように近くの棚を倒し、即席のバリケードを作る。

 

「とりあえず…はぁ…、安全、やな?」

 

 肩で息をしながら、傑は鞠川(まりかわ)静香(しずか)を見上げた。

 金色の瞳に膝まで届く長い金髪。そして200cmという規格外の長身。

 183cmある傑ですら、こうして見上げる形になる。

 

 そんな彼女でも今は流石に余裕がないらしい。

 髪は少し乱れ、白衣にも埃が付着していた。

 

「えぇ。この子達がいるぐらいよ」

 

 静香が視線を向ける。

 二人もそちらへ顔を向けた。

 

 保健室のベッドには五人の生徒が身を寄せ合っていた。

 額に包帯を巻いた者。腕を固定されている者。擦り傷だらけの者。

 皆、不安そうな顔でこちらを見ている。

 

「……噛まれてないな?」

 

 冴子が静かに尋ねた。

 一人の背の低い女子生徒の肩が跳ねる。

 

「ええ。地震の時に運び込まれてきた子達だから、その時の怪我だけよ」

 

 幸か不幸か、負傷者として保健室へ運ばれていたおかげで、彼らは校庭の惨劇に巻き込まれずに済んだらしい。

 

「ほな大丈夫か。…にしてもひどい有り様やの」

 

「これでも大分直したほうなんだけどね…」

 

「仕方あるまい、あれだけの揺れだ。棚ぐらいは簡単に倒れるだろう」

 

 室内も酷い有様だった。

 床には薬品やカルテが散乱し、椅子は倒れ、棚の引き出しも半分以上開いている。

 

「しかしまぁ、何か探しとったん? 棚とか引き出したまんまやんけ。地震ちゃうやろこの辺」

 

「え? あぁ…そうなのよ! 薬品棚が倒れちゃって、予備を探してて……」

 

「……歯切れが悪いな、鞠川校医。何か隠してるのか?」

 

「い、いや! 散らかしちゃってちょっと恥ずかしいなってだけだから…ね?」

 

「この人こう言う人やから。紫藤先生とはちゃう」

 

 噂をすればなんとやら。

 突然、学園中のスピーカーからノイズが流れた。

 

 ガガッ――

 

 保健室にいた全員が反射的に天井を見上げる。

 そして聞こえてきたのは、傑にとって聞き慣れた男の声だった。

 

『――紫藤浩一です。全校生徒に連絡します』

 

 その声は驚くほど落ち着いていた。

 先程のパニック放送とはまるで違う。

 まるで全てを把握しているかのような口調だった。

 

『現在、校内各所で暴徒化した生徒による襲撃事件が発生しています。

 教職員による安全確保が進められていますが、校舎内は極めて危険な状態です。

 生徒諸君は決して単独行動を取らず、速やかに第一体育館へ避難してください』

 

 第一体育館。紫藤派の本拠地だ。

 傑と冴子が顔を見合わせる。

 

『現在、第一体育館は安全が確保されています。

 負傷者の受け入れも行っています。食料、水、毛布も確保済みです。

 繰り返します。生徒諸君は速やかに第一体育館へ避難してください』

 

 そこで一度声は途切れた。

 しかし数秒後、再び紫藤の声が流れる。

 

『安心してください、私が必ず皆さんを守ります』

 

 穏やかな声だった。その言葉には不思議な説得力があった。

 現に、今この瞬間も校内のどこかで生徒達は体育館へ向かい始めているだろう。

 紫藤浩一とはそういう男だった。

 

 放送が終わる。

 しばしの沈黙。

 

「……胡散臭っ」

 

 真っ先にそう言ったのは傑だった。

 

「君は相変わらずだな」

 

 冴子が呆れたように笑う。

 

「いや、だってタイミング良すぎるやろ」

 

「それは否定できない」

 

「それに第一体育館て、思いっきり紫藤派の本拠地やん。

 あの口ぶりといい、絶対何か確実に企んどる」

 

「だな」

 

 冴子も即答した。

 あの会話を聞いていたのだ、無理もない。

 

 一方で静香はどこか考え込むような顔をしていた。

 そして小さく呟く。

 

「……でも、今の状況なら一番安全なのも事実でしょうね」

 

 その言葉に保健室の生徒達がざわついた。

 最初に口を開いたのは、ベッドに座っていた男子生徒だった。

 

「た、体育館…安全なんですよね?」

 

 その一言を皮切りに空気が変わる。

 

「行こうよ……」

 

「ここにいても危ないだろ」

 

「先生達もいるんだろ?」

 

 不安そうだった生徒達の表情に、僅かな希望が戻っていた。

 当然だった。恐怖に支配された人間は、安全だと言ってくれる場所を求める。

 そして今の放送は、そのための言葉として十分過ぎた。

 

「…私は行きます」

 

 背の低い女子生徒が立ち上がる。

 

「あ、有瀬(ありせ)ちゃっ――」

 

「私も」

 

「俺もだ」

 

 一人が動けば後は早い。静香の声をかき消すように続いた。

 保健室に残っていた生徒達は次々と立ち上がった。

 

「まだ外の状況が――」

 

 静香が止めようとする。

 しかし生徒達は聞かなかった。

 

「でも先生! ここにいたって安全じゃないじゃないですか!

 体育館には他のみんなもいるんでしょう!?」

 

 有瀬と呼ばれた背の低い女子生徒のその言葉に静香は押し黙る。

 否定できなかった。

 

「……ほれ、なんもないよりマシやろ。

 体育館行くならそこの非常階段下りて校舎の隙間を歩け。そうすりゃ近道やから」

 

「え? あ、ありがとうございます…」

 

 傑は自身の箒を有瀬に渡した。

 そして冴子に目合図し、箒を男子生徒に渡させた。

 

「……気を付けて行くのよ」

 

 静香も結局そう言うしかなかった。

 生徒達は何度も頷く。そして保健室を後にした。

 

 扉が閉まる。静寂が戻った。

 保健室に残ったのは傑、冴子、静香の三人だけだった。

 

「行かせてよかったのか?」

 

「止めても行ったやろ。それに俺らは紫藤派とは馬が合わん。

 さっさと武器渡して行かせるんが互いの為や、ちゃうか?」

 

「…そうだな」

 

「それに…、今の状況で一番安全なのが体育館っていうのは、私は本当だと思うの」

 

 静香の言葉に傑は眉をひそめる。

 

「気に食わんが、やろな。

 しかし…ホンマ何考えとるんや? 紫藤先生は」

 

「金剛君が知らないなら私も知らないな」

 

「やなぁ、何言っても妄想の域を出ぇへん。

 スマホは圏外で繋がらんしや、ったく……」

 

「それで…金剛君、これからどうする? 具体的に」

 

「まず学園からの脱出が最終目標やな。

 ゾンビどもが彷徨いとる中そう簡単に出られるとは思えんけど」

 

「あ、駐車場に私の車があるわ」

 

「ならまず駐車場まで行く方法考えなな。

 流石にあの中素手は無理よ。武器の箒は2本とも渡してもうたし。

 静香先生、保健室になんかない?」

 

「なんかって言われても……」

 

「やんなぁ。強いて言うならベッドけ?

 分解すれば鉄の棒に――出来ひんな。そもそも分解する手段がない」

 

「つまる所手詰まり…か」

 

「……とりあえず保健室漁ってみぃひん?

 マジでゾンビ出たんや、もしかしたら噂通り隠し通路がホンマにあるやもしれん」

 

「だな。このまま干からびるのは後免だ」

 

「……そうね」

 

 静香が引きつった笑みを浮かべた。

 その反応を見た瞬間。

 

「あるな?」

 

 傑が言った。

 

「え?」

 

「隠し事」

 

「な、ないわよ?」

 

「あるやろ」

 

「ないない」

 

「ある」

 

「ない」

 

「ある」

 

 沈黙。静香の視線が泳いだ。

 傑と冴子は顔を見合わせる。

 

「あるな」

 

「あるな」

 

「なんでそうなるのよぉ!?」

 

 静香が涙目になった。

 

「だって先生、嘘つく時めっちゃ分かりやすいやん」

 

「そ、そんな事ないわよ!」

 

「今もや」

 

「今もだな」

 

「うぅ……」

 

 静香が言葉に詰まる。そして……

 

 ――ガタン。

 

 冴子が倒れた棚を持ち上げて退かした。

 

「あ」

 

 静香が固まる。

 棚の裏の壁。本来なら見えないはずの壁面。

 そこに電子ロック付きの金属扉があった。

 

 沈黙。

 

「静香先生?」

 

「し、知らないわ?」

 

「先生」

 

「本当に」

 

「静香」

 

「……」

 

 静香は観念したように肩を落とした。

 

「バレちゃったぁ……」

 

 ピッ。

 静香が電子ロックへ暗証番号を入力する。

 ガコン。

 重い音を立てて扉が開いた。

 

 静香は金庫の中から細長い黒いケースを引き抜き、取り出した。

 そしてケースを机に置き、留め具を外して蓋を開けた。

 

「……は?」

 

 中に収められていた物を見た瞬間――傑の目が初めて大きく見開かれた。

 

「ほう」

 

 冴子も目を細めた。

 

「えっとね? 説明すると長くなるんだけど……」

 

 静香は気まずそうに笑う。

 

「いや、待てや」

 

 静香の言葉を待たず、傑はそう言ってケースの中身をゆっくりと持ち上げた。

 金属の重みが手に伝わる。

 

「――なんで保健室にAN-94があんねん…!?」

 

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