「走れ!!」
先頭の傑が叫ぶ。
一行は廊下を駆け抜けた。
傑が先導する。
AN-94を肩に構えたまま、迷いなく最短ルートを選んで進んでいく。
角を曲がった瞬間、一体のゾンビが飛び出してきた。
かつては男子生徒だったものだ。
顔面は血塗れで、焦点の合わない目を見開いている。
廊下の丁度真ん中にいる。避けられない。
傑は足を止めずストックを頬に食い込ませ、アイアンサイトで頭に狙いをつけて一発撃った。
時間は一秒にも満たなかった。
パン!
撃鉄が雷管を叩く音と、猫のくしゃみのような発砲音が廊下に小さく響く。
そしてゾンビは糸の切れた人形のように、そのまま床へ崩れ落ちた。
傑は立ち止まらない。
倒れた死体を飛び越え、そのまま走り続ける。
「金剛君、本当に撃てるんだな」
後方から冴子が声を掛けた。
「ハワイで静香先生のツレに散々やらされたからな。
つか今更やけど何でこいつレールあんのにドットサイト乗ってないねん…せめてケースに入れとけや…!」
傑は愚痴を言いながらも的確に二体目を撃ち抜く。今度は女子生徒だった。
頭部を撃ち抜かれ、その場へ崩れ落ちる。
冴子も負けていない。
手に持った金属ケースを金棒のように振り回し、近付いてきたゾンビを容赦なく殴り飛ばしていた。
ゴッ!!
鈍い音が響く。
顔面を直撃されたゾンビが横倒しになる。
さらにもう一体。
振り抜かれたケースが脇腹へ叩き込まれ、ゾンビは壁へ激突した。
「ふむ」
冴子は軽くケースを振った。
「思ったより使えるな」
「それ武器じゃないのよ!?」
後ろから沙耶が叫ぶ。だが冴子は気にしない。
再び飛び掛かってきたゾンビをケースで殴り飛ばした。
もはや凶器だった。
傑と冴子。
二人の突破力は異常だった。
ゾンビがいても止まらない。
避ける。撃つ。殴る。押し退ける。
その繰り返しで一直線に進んでいく。
結果として後続との距離がどんどん開いていった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!!」
沙耶が悲鳴を上げる。
「速い!! 速過ぎるのよあんた達!!!」
「高城さん頑張って下さい!!」
平野も息を切らしながら後を追う。
一方、静香は意外にも余裕そうだった。
私物や救急を詰めた巨大なバッグを抱えながらも軽快に走り、豊満な胸が上下に揺れている。
「遅いぞお前ら!! ほんで平野! もっと撃たんかい!!」
傑は振り返りもせずに叫んだ。
「金剛先輩がおかしいんですよ!! 何で全力疾走しながら当てられるんですか!?」
「構えて撃てばええやろが!」
「それが出来ないから言ってるんですよ!!!」
「どいつもこいつも…こんぐらい出来るやろ!? 好きでやっとるんとちゃうんけ!?」
「金剛君」
冴子が呆れたように言う。
「普通の人間はそこまで強くないんだ。それを理解した方がいい」
「はぁ? そう…なんか?」
傑は首を傾げながらも、前方から現れたゾンビの頭を撃ち抜いた。
倒れた死体の横をそのまま走り抜ける。
傑の厄介なところは、自分の異常さを全く自覚していない点だった。
普段は面倒臭がりで努力を嫌う。だが一度興味を持った事に関しては異様な速度で上達する。
そして本人は、それを特別な事だと思っていない。
何でも興味を持って少し頑張れば出来るようになる。
頂点に立てなくとも、それなりの水準までは誰でも辿り着ける。
本気でそう信じているのだ。
だが現実は違う、出来ない人間の方が圧倒的に多い。
平野はこれでも射撃部の中では優秀な部類だった。
釘打ち機とはいえ、走りながら相手へ命中させている。
普通なら十分凄い。
全力疾走しながらゾンビの頭をアイアンサイトで正確に撃ち抜いている傑の方がどう考えてもおかしかった。
「練習すりゃ出来るやろ普通…」
「いや、絶対おかしいですからね!?」
平野の叫びが校舎に響いた。
そのまま一行は校舎をいくつも駆け抜け、武道館へ続く渡り廊下へ飛び込んだ。
武道館はもう目と鼻の先だった。
「裏口から入るで! 中は避難した生徒のゾンビだらけかもしれん!」
「了解だ!」
冴子が即座に応じる。
一行は渡り廊下を駆け抜けた。
武道館の巨大な建物が目前まで迫る。
幸い、周囲を徘徊しているゾンビは少なかった。
大半が体育館や校舎へ流れたのだろう。
傑は真っ先に裏口へ飛び込み、そのままドアノブを捻った。
鍵は掛かっていない。勢いのまま扉を押し開ける。
「おらん! 入れ!」
全員が雪崩れ込むように武道館へ飛び込んだ。
最後尾の平野が慌てて扉を閉める。
重い扉が閉じられた瞬間、外の喧騒が少し遠くなった。
「助かったな」
冴子が小さく息を吐く。
「しかしほんまに誰もおらんな」
傑は周囲を見回した。
武道館裏手の搬入口。
備品置き場や倉庫が並ぶ関係者用の区画だ。
人影はない。だが静か過ぎる訳でもなかった。遠くから唸り声が聞こえる。
壁の向こう、武道館中央のアリーナ側だ。
「こりゃ多分、表のアリーナに溜まっとるな。裏口から入って正解や」
「ここは普段生徒が立ち入る場所ではない」
冴子が周囲へ警戒を向ける。
「だが職員が逃げ込んでいた可能性はある。
成れの果てがいても不思議ではない。気を付けろ」
「ん」
傑は短く返事をし、AN-94を浅く構えた。
「装備保管室探すぞ。高城、場所は分かるな?」
「当たり前よ」
沙耶が即答する。
「舐めないでちょうだい。ちゃんと覚えてるわ」
そう言うと壁際へ歩み寄った。
そして迷いなく指を伸ばした。
「――ここね」
一見すると何の変哲もないコンクリート壁。
だがよく見ると、壁の通気穴に紛れるように小さな押しボタンが埋め込まれていた。
沙耶は躊躇なく順番に押していく。
カチ。カチ。カチ。
一瞬の静寂。次の瞬間――
ゴゴゴゴゴ……
低い駆動音が響いた。
目の前のコンクリート壁が左右へスライドし始めたのだ。
埃が舞い、隠されていた空間がゆっくりと姿を現す。
その奥には地下へ続くコンクリート階段。
そして脇の壁には小さな金属プレートが取り付けられていた。
そこには簡潔にこう刻まれていた。
三装備保管室、と。
「…けったいな仕組みやな。映画かいな?」
「全部映画ならよかったのに……」
沙耶はぽつりと漏らした。
誰も反論しなかった。
もし映画なら、エンドロールが流れれば終わりだ。
だが現実は違う。
校庭にはゾンビがいて、学園の地下には武器庫がある。
冗談にもならなかった。
沙耶はスマホのライトを点灯させ、地下へ続く階段を照らした。
白い光が闇を切り裂く。
コンクリートの階段は思ったより新しい。
埃も少なく、定期的に使われているように見えた。
「…ほんまに地下施設やん」
傑は呟きながら後に続く。AN-94を肩付けし、周囲を警戒する。
後方には冴子。さらにその後ろを静香と平野が続いた。
階段を下りるたびに外の喧騒が遠ざかっていく。
代わりに聞こえるのは自分達の足音だけだった。
やがて階段は終わる。
その先には分厚い金属製の扉があった。
「これね」
沙耶がドアノブへ手を掛ける。
鍵がある扉ではなかった。
重い音を立てて扉が開く。
中は真っ暗だった。
沙耶は壁を探る。
「えっと…」
指先がスイッチへ触れた。
次の瞬間。
パッ――
天井の照明が一斉に点灯した。
眩しい光が地下室を照らし出す。
「――え」
最初に声を漏らしたのは静香だった。
そして。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
平野が叫んだ。
誰も責められなかった。
そこに並んでいたのは――武器だった。
壁一面を埋め尽くすアサルトライフル。整然と並べられた弾薬箱。
防弾チョッキ。ヘルメット。無線機。ナイトビジョン。
さらにはグレネードランチャーや手榴弾らしき物まで見える。
まるで軍の兵器庫だった。
「………」
冴子が無言になる。
沙耶も絶句していた。
静香は口をぱくぱくさせている。
唯一動いていたのは平野だけだった。
「すごい…」
ふらふらと吸い寄せられるように歩き出す。
「すごいすごいすごいすごいすごい…!」
目が輝いていた。
完全に危ない人だった。
「…おい平野」
「先輩見てください! M4ですよM4! しかもこっちはHK416!?
うわ、SCARにHK433まである!? 何ですかここ!? 夢ですか!?」
「落ち着け、現実やから」
「無理です!!!」
即答だった。
平野は既に武器棚へ張り付いている。
傑はそんな後輩を見ながらため息を吐いた。
「あかん」
「何がだ?」
「平野が帰って来ん」
冴子は珍しく苦笑した。
「しかし、これどうする?」
平野が弾薬箱を抱えてはしゃぐ様子を横目に、傑は冴子へ視線を向けた。
「どうする…とは?」
「確かに物はある。あるけどな」
傑は武器庫を見回した。
素人目に見ても異常な量の武器が並んでいる。
「こんなん全部持ち歩けんやろ」
傑は肩を竦めた。
「それにここ武器庫や。シェルターちゃう」
壁を軽く叩く。
コンクリートに囲まれた地下室。
頑丈ではある。
だが、それだけだった。
「トイレもない。風呂もない。飯も無い。
一日二日ならともかく、籠城する場所やない」
「……確かにな」
冴子も周囲を見回した。
「マニュアルには他にもシェルターがあるって書いてあったけどな、この様子やと…既に誰かが逃げ込んどる可能性が高い。下手したら先客と銃撃戦や」
「笑えんな」
「ん、笑えへん」
実際問題としてあり得る。
生き残った人間が全員善人とは限らない。
銃がある場所を確保した人間が、それを手放す保証もない。
武器を手に入れたからこそ、逆に警戒すべき相手が増えた。
「それなら案があるわ」
沙耶が口を開いた。
その後ろで静香がしれっと拳銃をバッグへ滑り込ませていたが、誰も気付いていなかった。
「警備室よ」
「警備室? 電波棟近くの?」
「ええ。幼馴染みが向かったのを見たの」
沙耶は即答した。
「あいつら、真っ先にそこへ行ったの。多分、監視カメラで学校中を見れるとか思ってたんでしょうね」
「信用できるんか?」
「少なくとも紫藤よりは」
迷いのない返事だった。
「グループが出来てても受け入れてくれると思う。
あいつ、そういう奴だから」
「なるほどな。んで…一応聞くけど、紫藤先生は?」
「論外」
即答だった。
「やろうな」
「私はあんな奴の所に行きたくない」
「俺も。何考えとるか分からんしな」
「分かってるじゃない」
沙耶が少しだけ口元を緩めた。
「そういや毒島」
傑は冴子へ振り返る。
「真剣がどうとか言っとったけど、今はええんか?」
「いや」
冴子は首を横に振った。
「やはり欲しい」
即答だった。
「私には銃は使えん」
そう言って武器庫のライフルへ視線を向ける。
「強力な武器である事は理解している。
だが、使いこなせないなら無いのと同じだ」
「まぁせやな」
「剣道場の上だ、大会用の真剣が保管されている。
金剛君、ついて来てくれるか?」
「ん」
傑はAN-94を肩に掛けた。
「ほな行くか」
そう言って踵を返す。
武器庫を後にした二人は階段を上り、再び静まり返った武道館へ戻っていった。
その頃。
武器庫に残された静香は誰にも気付かれないようバッグの中を覗き込む。
そこには先程こっそり確保した拳銃のMk.23が収まっていた。
それを見て小さく笑い、そして何事もなかったかのようにバッグを閉じた。
傑と冴子は武道館の中を進む。
先頭を歩くのは冴子だった。
武道館の構造を把握している彼女は、人の集まりやすい場所を避けながら迷いなく進んでいく。
傑はその半歩後ろ。AN-94を肩付けし、周囲へ視線を走らせる。
途中で何体かのゾンビと遭遇した。だが脅威にはならない。
角を曲がった瞬間に現れた一体は額を撃ち抜かれ、通路の先から現れた一体は喉元から後頭部まで貫かれて倒れた。
サプレッサー越しの乾いた発射音だけが静かな館内へ響く。
「相変わらず当てるな」
冴子が感心したように言う。
「練習したらこんなモンよ」
「それが出来ないから皆苦労するんだ」
「そうなん?」
「そうだ」
そんな会話を交わしながら進み、やがて目的の部屋へ辿り着く。
武道館二階。会議室。
大会運営や来賓の応接に使われる部屋だった。
「ここだ」
冴子が扉を開く。
幸い中に人影はない。
静まり返った室内の中央には、一つのガラスケースが置かれていた。
博物館の展示品のように厳重に保管されたケース。
その中には二振りの日本刀が収められていた。
一振りは太刀。もう一振りは脇差。
それだけだ。だが――
「……」
傑の足が止まった。
視線が自然と刀へ吸い寄せられる。
綺麗だった。異様なほどに。
学園は地震で半壊し、今なおゾンビが徘徊している。
それなのに、この刀だけはまるで別の時間を生きているかのようだった。
刃には曇り一つない。まるで昨日打たれたばかりのような輝きを放っている。
「どうした?」
「いや。何か…嫌やな」
「嫌?」
「上手く言えへんけど」
刀から目を離せない。
見た目は綺麗だ。むしろ格好良い。
男なら一度は憧れる類の代物だろう。
だが、近付きたくない。触りたくない。
本能がそう告げていた。
「猛獣見た時みたいな感じや」
傑は眉をひそめる。
「襲われる訳でもないのに、近寄ったらアカン気がする」
冴子は刀へ視線を向けた。
しばらく見つめた後、小さく呟く。
「私は逆だな」
「あ?」
「妙に落ち着く」
「は? 落ち着く?」
「ああ。初めて見た時からそうだった。
握ってもないのに、不思議と手に馴染みそうだと思った」
「いや待てや、絶対アカンやつやろそれ」
「そうか?」
「そうやろ」
冴子は苦笑する。
「剣道部でも皆、君みたいな反応をしていたさ」
「ほら見ろ」
「だが私は好きだ」
「はぁ…」
傑は額を押さえた。
冴子はケースに手を伸ばす。
「名家に代々受け継がれていた刀…らしいがな、戦後の混乱で記録が消失していて詳しい事は分からない。昔の所有者も製作者も、制作された年代も不明だ」
「なんやそのロマンの塊」
「否定はしない」
冴子は肩を竦めた。
「ただ、名前は分かっている。太刀の方は村雨、脇差は白露だ」
「カッコええ名前やん」
「そして…切れ味は本物だ」
「へぇ」
「試し斬り用の畳束を切った事がある。
…怖いほど斬れたよ。床を傷付けそうになった。
あれが人なら文字通り真っ二つだっただろうな」
「それ毒島の実力ちゃうん?」
「周りもそう言ってたな」
冴子はポケットから鍵を取り出した。
静かな音が響き、ケースの鍵が外れる。
その瞬間。
ゾワッ――
傑の背筋を冷たいものが走った。
空気が変わった。
理由は分からない。だが確実に変わった。
部屋が妙に静かだった。
外では今もゾンビが徘徊している。
どこかで悲鳴も聞こえる。
それなのに、この部屋だけ別の空間になったような感覚があった。
まるで――何か恐ろしいモノが解放されたような。
「……なぁ」
「何だ?」
「やっぱやめへん?」
冴子は答えない。
静かに太刀の柄へ手を伸ばす。
そして、握った。
瞬間、冴子の表情から僅かな迷いが消えた。
まるで最初からそこにあるべき物だったかのように。
自然に、あまりにも自然に。
刀が彼女の手へ収まる。
「……ああ」
冴子は小さく息を吐いた。
その声には微かな安堵すら混じっていた。
「やはり、しっくり来るな」
ゆっくりと刀を鞘にしまう。
それでも確かな存在感がそこにあった。
「全然しっくり来てへんの俺だけなんか?」
冴子は答えず、ただ静かに深呼吸した。
「……まぁええわ」
傑は無理やり思考を切り替えた。
刀の事を考えても仕方がない。今は生き残る事が先だ。
「鍵あれば車動かせるな。
……お? 35GTRおるやん。金持ってんなー、誰やろ?」
傑は窓際へ歩み寄り、武道館の駐車場を見下ろした。
下には職員用の軽自動車やワゴン車が並んでいる。
趣味なのか、中にはスポーツカーも混じっていた。
「この際や。軽でも五人と荷物ぐらい無理やり載せたる。
警備員の所まで結構距離あるしな」
「移動手段の確保か」
「せや」
藤美学園は広い。
校舎群だけでなく研究棟や体育施設まで存在するため、教職員が車で移動する事も珍しくなかった。
自販機補充用のトラックが走る事もある。
車が使えれば移動速度は段違いだった。
「問題は鍵やな」
「これか?」
「――は?」
冴子が鍵束を渡した。
「そこのロッカーに入ってたぞ」
「なんでやねん」
思わずツッコミが出た。
鍵にはそれぞれプレートが付いている。
武道館倉庫。放送室。管理室。
そして――
『社用車』
「あるやんけ」
「あるな」
「いやあるやんけ」
「あるな」
「なんでや…」
傑は頭を抱えた。
冴子は小さく笑う。
「来賓対応用の部屋だからだろう。大会の日は職員も出入りする」
「いや理屈は分かる」
傑は鍵束を受け取った。
「分かるけど、都合が良すぎる」
「ゾンビだらけでシェルターや銃がある学園でか?」
「それ言われたら反論出来へんやんけ」
傑は鍵束をポケットへ突っ込み、AN-94を肩に担ぐ。
「ほな地下に戻って車確保して、そのまま警備室行くで」
「異論はない」
冴子は刀を腰に差した。
その動作は妙なほど様になっていた。まるで最初からそこにあったかのように。
それを見た傑は少しだけ眉をひそめたが、何も言わなかった。
今は生き残る事が先だ。違和感の正体を考えるのは、その後でいい。
二人は地下の保管庫へ戻った。
「お帰りなさい」
静香が出迎えた。
平野は未だに武器棚の前で目を輝かせている。
沙耶は呆れたような顔で学園の地図を確認していた。
「結局、車がないと話にならんな、これは」
「だな」
二人は床へ並べられた装備を見ながら呟いた。
厳選したとはいえ量が多い。
人力で運べる量などたかが知れている。
武器庫を見つけたところで、運び出せなければ宝の持ち腐れだった。
「でも私の車は第三校舎の駐車場よ? 保健室まで戻るの?」
静香が不安そうに言う。
「いや、さっき鍵見つけたんや。静香先生連れてそこの駐車場探しに行こう思っとってん」
そう言って傑は鍵束を取り出した。
管理用と思われる大量の鍵。
その中から三菱のエンブレムが付いたスマートキーを外し、静香へ渡す。
「これや。しかし三菱の社用車って何やろな?」
「それは見てからのお楽しみじゃない?」
静香は鍵を受け取る。
平野と沙耶に留守番を頼み、三人は駐車場へ向かった。
静香を中央に置き、前を傑、後ろを冴子が固める。
武道館裏口から慎重に外へ出た。
駐車場周辺にいるゾンビは少ない。
あの混乱だ。大半は校舎や体育館へ流れたのだろう。
「助かるわね~」
「せやな」
傑はAN-94を肩に当てた。
パンッ。
乾いた発射音。駐車場を徘徊していた一体の頭部が弾け飛ぶ。
さらに二体、歩く速度を一切落とさず撃ち抜いていく。
ゾンビ達は近付く事すら出来なかった。
冴子は隣を歩きながら露骨に不満そうな顔をしている。
「…………」
「なんや」
「いや」
冴子は腰の刀へ手を添えた。
「少しぐらいは私にもやらせてくれ」
「危ないやろ」
「試さねば分かる物も分かるまい」
「安全第一や」
「……そうか」
かなり残念そうだった。
そんなやり取りをしながら駐車場へ到着する。
そして静香が鍵のボタンを押した瞬間――
ピッ。
電子音が鳴った。
一台の車がハザードを点滅させる。
全員の視線がそちらへ向いた。
「まぁ…」
静香の目が見開かれる。
そこに停まっていたのは、黒いデリカD:5だった。
車高の高い車体。無骨なフロントマスク。どう見ても普通の送迎車ではない。
「社用車にデリカて…」
「どんな車なんだ?」
冴子が首を傾げる。
「ガチのオフロード走れるミニバン。正直、今の状況なら理想的やな。
山道でも雪道でも走れるし、人も荷物も積める。山岳救助隊も使う物やから性能は本物や」
「なるほど。十中八九この事態を見据えて置かれたんだろうな」
「やろなぁ…」
傑はため息を吐いた。
三人はデリカへ乗り込んだ。
静香は運転席へ、傑と冴子はスライドドアから二列目へ乗り込む。
スタートボタンを押すと、ディーゼルエンジンが低い唸り声を上げた。
「8人乗り仕様か。三列目倒したら相当積めるな」
「ルーフボックスにも入れたらまだまだ載せられそうね」
静香はそう言いながらハンドルを切り、武道館裏口へ車を回した。
待っていた平野と沙耶は、すでに装備をまとめ終えている。
「平野、荷物はこれだけか?」
「地下にまだまだあります。これでも厳選したんですけど…」
「まあええわ、何とか乗るやろ」
「あ、そうだ。金剛先輩」
平野が何かを思い出したようにバッグを漁る。
そして取り出したのは小型の照準器だった。
「これを」
「ん?」
傑は受け取る。
「ホロサイトか」
「折角レールがあるんです! 載せないと勿体ないですよ!」
平野の目が輝いていた。
完全に趣味の顔である。
「せやな。忘れる前に付けとこか」
傑はAN-94の上部レールへ取り付け、電源を入れた。
試しに構える。視界中央へ照準マークが浮かび上がった。
「おぉ」
「どうです!?」
「やっぱ見やすいな。頬が浮くけど、どうせ至近距離やしこれがええか」
「でしょう!?」
平野は満面の笑みを浮かべた。
まるで新しい玩具を自慢する子供である。
「アンタ状況忘れてんじゃないでしょうね?」
沙耶が呆れたように呟く。
「忘れてませんよ!?」
「顔が完全にオタクなのよ」
「否定出来ないな」
冴子まで頷いた。
平野が目に見えてへこんだ。
「荷物頼むわ。俺、その辺でサイト調整してくる」
「気を付けてね?」
静香の言葉に、傑は軽く手を上げて応えた。
残された四人は武器や弾薬をデリカへ積み込んでいた。
全てを積み終えた頃、ちょうど傑が戻ってきた。
肩にガンケースを担ぎ、いつもの死んだ目の気怠そうな顔をしている。
「終わったわ」
そう言ってリアゲートからガンケースを放り込む。
そして助手席に回って腰を下ろした。
「それで、ルートは?」
「私が立てておいたわよ」
沙耶がスマートフォンを掲げる。
「学園の外周を使う遠回りルート。
人が集まる場所は避ける。
ゾンビも出来るだけ避ける方向よ」
「ん」
傑は短く頷いた。
「じゃあ行くわよ?」
静香がアクセルを踏み込む。デリカは静かに動き出した。
窓の外には、つい数時間前まで平和だった学園の風景が流れていく。
人気のない道路。放置された自転車。遠くから聞こえる悲鳴。
その全てが、日常の終わりを物語っていた。
道中で現れたゾンビは数体だけだった。
傑は助手席の窓から身を乗り出す。
パンッ。
乾いた発射音。
一体、また一体と的確に撃ち抜く。
ホロサイトの照準は完璧だった。
「どうです!?」
後部座席から平野が身を乗り出す。
「ええ感じや」
傑は短く答えながら、再び引き金を引いた。
その時だった。
「――ん?」
傑の目が細くなる。
学園の外周道路。
校舎と校舎の隙間、その僅かな空間に人影が見えた。
教師でも生徒でも用務員でもない。
黒い装備。防弾ベスト。ヘルメット。
そして肩に担がれた長い銃。
ただの避難民なら、そんな格好はしていない。
相手もこちらに気付いたらしい。
一瞬だけ視線が合うが、次の瞬間には建物の陰へ消えた。
「――静香先生、少し飛ばせ。後そこ右」
傑の声色が変わる。
「どうしたの?」
「ええから踏め。
多分、校門のスナイパーの仲間がおった。このままやと鉢合わせる」
傑はホロサイト越しに前方を睨んだ。
この学園の中には明確な敵がいる。
ゾンビだけではない。人間もまた、自分達を殺そうとしていた。
傑は改めてそれを認識した。
デリカは速度を上げ、警備室へ向かって走り去った。