堀北さんは俺の想像より遥かに不器用な人間だった。
櫛田さんの協力もあって無事に勉強会にこぎつけたのだが、勉強会に参加した須藤たちを堀北さんがボロクソに貶して怒らせてしまったんだ。当然、怒った須藤たちは付き合っていられないと帰ってしまった。大失敗だ。
「堀北さんの口が悪すぎる……」
「私が悪いと言いたいの?」
「須藤たちを怒らせるようなことを言った堀北さんが悪いに決まってるでしょ」
須藤たちが全く勉強ができないのは事実だが、それをあげつらって罵倒するのは話が違う。ただ堀北さんが気持ち良くなって、相手が不愉快になるだけの不毛な行為だ。
「普通に勉強を教えればいいのになんで須藤たちを馬鹿にするようなことを言うの? 俺は堀北さんの教え方が悪かったと思うよ」
「私は事実を言ったまでよ。それで怒る須藤くんたちの方に問題があると思うわ」
「例え事実でも言っていいことと悪いことはあるよ」
ハゲの人にハゲって言ったら怒るじゃん。
小学生じゃないんだから、そういうことを言わない気遣いは社会では大事。
「確かに私は間違っていたようね」
おや? もしかして俺の言いたいことが堀北さんに伝わ――。
「不毛なことで余計なことをしたと痛感したわ」
――ってない。これっぽっちも伝わっていなかった。
しかも須藤たちを足手まといと言って切り捨てるとまで言い出した。
だが、須藤は粗暴なところが目立つし頭も悪いが身体能力はずば抜けている。高円寺と並んでこのクラスのツートップだ。
池は運動も勉強も苦手だが意外と面白い奴で憎めない。クラスのムードメーカーで池がいると空気が明るくなる。堀北さんには到底できない所業だ。
山内は……。山内は……。……どうしてあいつが高育に入れたのか謎だ。
とにかく、須藤と池を勉強ができないからと切り捨てるのは間違っていると思う。
堀北さんはこの様子だとあてにならないし、俺がフォローをする必要があるな。
「櫛田さん。あなた本当は何をしに来たの。私の邪魔をするために来たの?」
「……なにそれ。意味わかんないよ。どうして堀北さんはそうやって敵を作るようなこと平気で言えちゃうの? そんなの、私、悲しいよ……」
俺が須藤たちのフォローについて考えている間に、堀北さんは今度は言葉の刃を振りかざして櫛田さんに切りかかっていた。
今回の勉強会、須藤たちを集める協力をしてくれた相手なのにこの言い草である。
しかも櫛田さんが邪魔をするまでもなく、自分で勉強会をぶっ壊したのに……。こいつ無敵か。
□
日課のランニングを終えて寮に戻ってきたら綾小路を見かけた。
自販機の前でジュースを買おうとしていたのに、なぜか綾小路が寮の裏手に向かっていく。
なにかあったのか?と思ってその後を追いかけると、建物の影から覗き込む綾小路の姿と、男女が声が聞こえてきた。片方が堀北さんだが、どうも様子がおかしい。
綾小路が俺に気がついたが、二人で並んで黙って様子を伺う。男は堀北さんの兄らしいが、どう見ても異常だ。
――おい、堀北さんを押さえつけて、何しようとしている?
「またお仕置きが必要か」
――堀北兄が堀北さんに向かって手を上げようとした瞬間には、俺は飛び出していた。
「は、晴柀くん?」
「……堀北さんを離せ」
堀北兄の手を掴むと俺を睨んできた。
「やめて、晴柀くん……」
弱々しい、初めて聞いた声を出す堀北さんの姿に、更に怒りがこみ上げてくる。
「こいつが堀北さんを解放するのが先だ」
「に、兄さん……あの……」
「……いいだろう」
堀北兄が堀北さんから手を離したのを確認して、俺も掴んでいた手を離した。
――そして、堀北兄は何の警告もなしに、いきなり腕を振るって裏拳を叩き込もうとしてきた。
やはりクズ野郎だ。
スローモーションのようにゆっくりと迫ってくる裏拳を片手で受け止める。
メキメキメキ……!
全力で握りしめた俺の手の中で、クズ男の腕の骨が悲鳴が上げる。痛みに顔を歪ませるが、その程度で許すわけがない。
掴んだ腕を振り上げ――
「――っ!!」
受け身を取ったようなので怪我はないだろう。ただ衝撃でしばらく息が詰まっているだけだ。
「兄さん!! ――!?」
「静かに。場所を移そう」
クズ男に駆け寄ろうとした堀北さんを抱きかかえて口を塞ぐ。寮の裏で騒いでいたら誰かが来てしまうかもしれない。
「綾小路、悪いがこれを運んで俺の部屋までついてきてくれ。部屋で話そう」
「……わかった」
一部始終を目撃していた綾小路にも手伝ってもらって、二人を部屋まで連れて来た。
俺の目の前には床に正座したクズ。埃塗れで汚れているのに目には力があり、今にも飛びかかってきそうな威圧感がある。もちろんその時は俺が何回でも返り討ちにしてやるつもりだ。
背後にはベッドに腰を掛けて不安そうな顔の堀北さん。綾小路は玄関の方に移動してじっと静かに俺たちを見つめている。
「俺がなんで怒っているか。理解しているか?」
「……俺がお前に攻撃をしかけたからか?」
「それもある」
もちろん、いきなり殴りかかられて怒っているのも理由の一つだが、本題はそれじゃない。
「……鈴音に学校をやめるように言ったことか?」
「もっと他にあるだろうが。本当にわからないのか?」
俺の問いに本気で心当たりがなさそうなクズ。堀北さんもわかっていないようだ。綾小路はいつもどおりのぼんやり顔。
もしかしてこの場で俺しか理解していないのか。
「俺が怒っているのはお前が堀北さんに暴力を振るおうとしたことだ」
「それは……」
「違うの晴柀くん! 兄さんは悪くない、私が至らないせいで昔から兄さんを困らせていて……」
「
「え? どういう、こと?」
「その堀北さんの態度に納得がいった」
このクズが言った『また』『お仕置き』という言葉。
「お前はずっと堀北さんに暴力を振るってきた。俺はそれを怒っているんだ」
「言い訳はさせないぞ――
DV。ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力。
呼び方はいろいろとあるが、要するに家族に対して日常的に暴力を振るう行為を示す言葉だ。
「お前はこの学校に入ってから二年間堀北さんとは連絡も取っていないし会ってもいない。つまり、二年前の時点ですでに堀北さんに常習的に暴力を振るっていた」
二年前、まだ堀北さんが中学一年生だった時や、あるいは小学生だった時からこの男はDVを行っていた。
「ディ、DV……? 違う、兄さんは、私がダメな妹だからお仕置きを……」
「『しつけ』『教育』『お仕置き』。DVを行う人間が好んで使う言葉だ。ただの暴力を正当化し、被害者に対して『お前が悪い』という罪悪感を植え付けることで言いなりにさせる。よくある手法だよ」
「そ、そんな……」
ショックを受けている堀北さんには悪いけど、その反応もDV被害者の典型的なパターンだ。
「DV被害者は繰り返し行われた暴力によって『相手が怒っているのは自分のせいだ』『全部自分が悪い』『自分はダメな子なんだ』という思考をするようになる。まさに今の堀北さんのように、暴力を振るわれてる被害者なのに、その責任は自分にあると考えてしまう。一種の『洗脳』だよ」
「せん……のう……」
「これで俺の言いたいことがわかっただろ?」
クズに向かって俺は言った。
「お前が堀北さんにしてきたことは絶対に許されないことだ。だから俺は怒っているんだよ」
――床の上で正座しているDV男の姿が、先ほど比べてとても小さく見えた。
自分の考えを何も説明せず教育と称して妹に暴力を振るう男、堀北・DV・学。