死体回収屋が、無窮迷宮の最深部を目指す   作:エベレスト

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ウィザードリィ45周年、おめでとうございます!


灰と隣り合わせの冒険

 

遍満(へんまん)せし魔素よ、疾く灯となせ――《澄光(リュミア)》」

 

 どこか陰気で、ひび割れた声が呪文を紡ぐ。

 掌から生まれた青い光球が、終わりのない奈落にして、広漠無比と称される地下迷宮の暗闇をわずかに退けた。

 肌にまとわりつくような冷気と、千年の時をかけて降り積もった埃の匂い。

 光の届かぬ深淵からは、罪人の呻き声ともつかぬ低い重低音が這い上がってくる。

 その浅層の通路を、ひとりの男が歩いていた。

 

 特筆すべきことのない中肉中背。

 年季の入った黒い革鎧は、幾度も修繕を重ねた跡があり、大小のひっかき傷や黒ずんだ血の染みが染み付いている。

 腰には、装飾のない無骨な片手半剣(バスタードソード)を佩いていた。

 

 手入れされていない灰色の髪に、光を吸い込むような黒い瞳。

 年齢は二十代後半であろうか。

 だが、その顔立ちからは若々しい生気は微塵も感じられない。

 どこか飢えた狼のような、あるいは牢獄で全てを諦めきった囚人のような、酷く歪な印象を受ける風貌だった。

 

 がつがつ、と底の厚い戦闘靴が荒れた石畳を踏みしめる音が反響する。

 それは死と隣り合わせの迷宮探索というよりは、良く知った己の庭園の様子を確かめるような、あまりにも気負いのない足取りであった。

 床に仕掛けられた圧重式の罠を避け、壁の崩落箇所をなめらかに迂回していく。

 

「……」

 

 ふと、男はかすかに眉を上げた。

 迷宮の奥、淀んだ闇の向こうの空気の揺れを見てとったのか。

 

 男――カンザキ・シドウが、立ち止まることなくゆっくりと剣を抜いた。

 

 チリッ、と微弱な魔術の灯が、抜き放たれた冷たい剣身を照らし出す。

 外見のみすぼらしさに反するように、武器の手入れだけは完璧に行き届いていた。

 曇りひとつない白刃が、シドウの虚ろな瞳を鏡のように反射している。

 

 やがてたどり着いたのは、迷宮の壁面と一体化したような巨大な玄室の扉だ。

 表面にはとうの昔に意味を喪失した古代のレリーフが彫り込まれている。

 シドウは扉の隙間から漏れ出す、饐えた獣の臭いを嗅ぎとった。

 扉を開けてすぐ会敵する可能性がある以上、わざわざ手で開けて無防備な姿を晒すという愚は犯さない。

 シドウはわずかに歩幅を合わせると、一切の躊躇なく戦闘靴で蹴り込んだ。

 

 ドゴォン、という重々しい音ともに両開きの扉が内側へと弾け飛ぶ。

 

 開け放たれた空間から、濃密な死臭があふれ出した。

 一拍置いて、石畳を踏み砕く重い足音とともに、獲物を狙う獣どもの飢えた声が聞こえてくる。

 魔術の灯が照らし出す暗がりの奥から、ぬるりと姿を現したのは、三体の『魔物』だった。

 

「ああ。出迎え、ご苦労さん」

 

 シドウは剣を片手で下げたまま、彼らを冷ややかに見上げる。

 ギルドにおける正式な個体名で『狂鬼(マッドオーガ)』と呼ばれる彼らは、地上のどの獣とも似つかない、不気味に肥大した頭部を持っている。

 そこから伸びる首から下は、異様に発達した筋肉で覆われた人型の胴体だ。

 隆起した大胸筋と丸太のような腕には、不潔な体毛がびっしりと生えそろっている。

 身長は優に二メーティアを超え、太い指には迷宮内で犠牲者から拾い集めたとおぼしき錆びた大斧や、粗削りの鉄棍が握られていた。

 それらが突き出した顎から吐き出す呼気は、生肉が腐乱したような強烈な悪臭を伴い、迷宮の冷たく澄んだ空気をどろりと濁らせていく。

 

「Wooooo……」

 

 喉の奥で嗤うような、あるいは小賢しい侵入者を威嚇するような低い唸り声が岩壁に反響する。

 ある程度練達した下位冒険者のパーティが束になって、ようやく退けられるかどうかの厄介な存在が、三体。

 すなわち中堅冒険者の位階(レベル)に達した熟練の戦士であっても、相応以上に手こずり、一歩間違えれば命を落とす相手である。

 

 だが、シドウの顔に怯懦(きょうだ)の色はない。

 ただ、ひび割れた乾いた唇の端を、ほんのわずかに陰鬱気味に歪めただけだった。

 

「……来いよ、獣ども」

 

 静かな挑発。それに呼応するように、狂鬼(マッドオーガ)たちの眼球がどす黒い血走りに染まった。

 先陣を切ったのは、中央に陣取っていた最も巨大な一体だった。

 迷宮の硬い岩床を蹴り砕くほどの強烈な踏み込み。

 巨体に似合わぬ爆発的な速度で距離を詰めると、手にした大質量の鉄棍を、轟、と恐ろしい風切り音とともにシドウの脳天めがけて振り下ろしてきた。

 

 初手で迎撃は選択しない。

 剣の切っ先を下段に下げたまま、半身を滑らせるように引いてその一撃をやり過ごす。

 轟音。鉄棍がシドウの鼻先寸前を通過し、床を打ち据え、青光りする迷宮苔ごと岩の破片を散弾のように撒き散らした。

 頬を掠めた鋭利な破片が細い血の筋を作る。

 シドウが回避のために後退したその隙を突くように、左右から残る二体が挟撃を仕掛けてきた。

 

 右からは風を切り裂く大斧の横薙ぎ。左からは、丸太のように太い腕そのものを凶器とした鋭い鉤爪の刺突。

 巨躯の魔物による、逃げ場のない完璧な包囲網であった。

 

 シドウは片手半剣(バスタードソード)の柄を両手で握り締めると、姿勢を極端に低く沈め、ほとんど地を這うような前進で右の大斧使いの懐へと潜り込んだ。

 頭上のわずか先を髪の毛を払うように、大斧の重い刃が通り過ぎていく。

 それと同時に、左からシドウを串刺しにしようと迫っていた鉤爪が、空を切り、あろうことか味方である右の狂鬼(マッドオーガ)の無防備な脇腹を浅く抉った。

 巨体ゆえに生じる視界の死角。そして狂暴性ゆえに攻撃を途中で止められない連携の粗さ。それらを狙った同士討ちの誘発であった。

 

「Woooooッ!?」

 

 思いがけない痛苦に一瞬だけ怯み、動きを止めた右の狂鬼(マッドオーガ)

 その隙を見逃すはずもなく、がら空きになった硬い膝関節の裏側に、流れるような動作で剣の切っ先を深々と突き立てた。

 鋭い刃が分厚い皮膚を裂き、靭帯と筋繊維をごそりと断ち切る確かな感触が両腕に伝わる。

 獣の絶叫が迸り、巨体が支えを失ってバランスを崩し、ドスリと大きな音を立てて片膝をついた。

 

 そのまま首を刎ねようと剣を引き抜いた瞬間、シドウの背後から凄まじい殺気が膨れ上がった。

 最初に床を叩き割った巨大な一体が、すでに体勢を立て直し、シドウの胴体を真っ二つにへし折ろうと鉄棍を横薙ぎに振り抜いてきたのだ。

 

「……」

 

 この状態で完全な回避は間に合わない。

 シドウは即座に片手半剣(バスタードソード)を引き戻し、剣身を盾にして自ら鉄棍の軌道へと身を捩った。

 ガァンッ!! という鐘を叩いたような耳障りな金属音が弾ける。

 鋼の剣身がひしゃげんばかりにたわみ、中肉中背のシドウの身体は、鉄棍の持つ圧倒的な破壊力によって、まるで木の葉のように玄室の奥へと吹き飛ばされた。

 

 だが、それすらも受け流し(パリィ)の範疇だ。

 衝撃を殺すため空中で態勢を丸め、シドウは背後の迷宮の壁へと足裏から着地する。

 壁面に対して直角に立つような体勢。膝のバネを極限まで沈み込ませ、圧縮された筋力を一気に解放する。

 

 ダンッ!!

 

 壁の石が砕け散るほどの踏み込みとともに、シドウの身体が矢のように空を裂いて射出された。

 狙うのは、鉄棍を振り抜き体勢を崩している巨大な狂鬼(マッドオーガ)の背後。

 重力と加速、そのすべてを乗せた片手半剣(バスタードソード)が、月光のような冴え冴えとした弧を描く。

 

 致命的な一撃(クリティカルヒット)

 断頭である。

 

 硬い頸椎の骨を断ち割る不気味な感触とともに、大木ほどもある狂鬼(マッドオーガ)の首が、噴水のように黒濁した血潮を噴き上げながら宙を舞った。 

 ズドォン、と遅れて首のない巨体が床に沈む。

 

「残り、二体」

 

 空から降り注ぐ血の雨を浴びながら、シドウは床に着地するや否や回るように反転した。

 眼の前には、同士討ちの傷と膝の腱を断たれて怒り狂う狂鬼(マッドオーガ)が、大斧を振りかぶっている。

 大振りのモーション。シドウからすれば止まっているも同然だった。

 踏み込み、下段から逆袈裟への斬り上げ。

 銀閃が奔り、狂鬼(マッドオーガ)の武器を握っていた右腕が、肘の関節から綺麗に切断されて宙を舞う。

 己の腕がなくなったことを理解する前に、シドウの刃は翻り、今度は左腕を肩口から斬り落とした。

 

「ガ、ァ……ッ?」

「いい加減眠れ」

 

 両腕を失い、血だるまになってよろめく狂鬼(マッドオーガ)の眉間に、無造作に剣を突き刺す。

 脳漿を貫かれた怪物が痙攣して絶命したのを冷たい目で確認し、シドウはすぐさま剣を引き抜いた。

 

 最後の一体。鉤爪を持つ狂鬼(マッドオーガ)が、恐怖とも怒りともつかない咆哮を上げて突進してくる。

 だが、圧倒的な力任せの突進など、流石に芸として見飽きている。

 シドウは紙一重で身を躱すと同時に、すれ違いざま、狂鬼(マッドオーガ)の太い首の動脈を撫でるように斬り裂いた。

 ドバッ、と壁一面に新しい血の華が咲き乱れ、三体目の魔物は自らの血溜まりの中で溺れるようにして床に倒れ伏した。

 痙攣が数度続き、やがて玄室に完全な静寂が降りてくる。

 

「……やれやれ」

 

 低くぼやきながら、シドウは片手半剣(バスタードソード)を軽く振るい、刃にこびりついた脂と血糊を腕に挟んで拭きとる。

 顔に付着した生温かい血を手の甲で拭い、息を一つ吐く。

 

 狂鬼(マッドオーガ)を全て始末した玄室の奥。

 死臭と腐臭の発生源であるそこにあったのは、凄惨に犯され、食い散らかされた冒険者たちの死体であった。

 

 真新しい鎖帷子を着た若い剣士。杖を握りしめたまま事切れている魔術師。

 相当腐敗が進んでいるものの、それでも恐怖と絶望に歪んだ彼らの顔が十分に見て取れた。

 彼らもまた希望と野心を胸にこの迷宮に足を踏み入れたのだろう。

 

「……運がなかったな、お前ら」

 

 シドウの黒い瞳には、憐憫も、悲哀も浮かばない。

 ただ事実としてそこにある迷宮の日常を淡々と見下ろすだけだ。

 シドウは背嚢から死体袋を取り出し、慣れた手つきで冒険者の骸を収めていった。

 

 この陰鬱で救いのない異世界にきてから、既に十年が経過していた。

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