死体回収屋が、無窮迷宮の最深部を目指す   作:氷見崇瑞月

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投稿が遅くなり、大変申し訳ございません。


ギルドでの換金と探索準備

「……ね、眠いです……」

 

 数歩前を行く片手半剣(バスタードソード)()いたシドウの背中を追いかけながら、ガブリエラは誰に聞かせるでもなく小さなぼやきを漏らした。

 本音を言えば、まだあの硬いベッドと、毛布の温もりに包まれていたかった。

 

 前日は、シドウによる容赦のないマンツーマンの地獄じみた肉体鍛錬――重い樫の木剣を振らされ、息も絶え絶えになるまでの走り込み――に付き合わされた。

 さらに夜遅くまでは、地下三層までの地図の添削と精査作業をみっちりと絞られたのだ。精神も肉体も限界まで磨り減らした翌朝とあって、ガブリエラの身体は歩くたびにきしむような悲鳴を上げていた。

 

 だが、感傷に浸る時間は冒険者には与えられない。

 昨日、迷宮の底から命からがら持ち帰った、琥珀の指輪や魔石、銀貨といった戦利品を換金するため、ふたりは朝一番で迷宮探索ギルドへと向かっていた。

 

 冒険者の日常とは、ガブリエラが王都の書物で読んで想像していた以上に目まぐるしく、感傷に耽る隙すら与えてくれない。

 換金が終われば、明日からの新たな探索に備えて、食糧や諸々の消耗品の買い出しも今日中に済ませなければならないのだ。

 さらに言えば、今回の換金額の一部は、ガブリエラの借金返済――治療費と《玲瓏の月》の購入費の内金――としてシドウに回収されることになっていた。

 己の未熟さのせいでシドウの資産と信用を削っている事実に、ガブリエラはひどく申し訳ない気持ちを抱いていた。

 

(うわっ、相変わらずの威圧感……)

 

 都市の中心にそびえる聖堂の近く、総花崗岩造りの探索ギルド本部が見えてきた時、ガブリエラは無意識に気圧されて足を止めた。

 一週間前に何度か訪れていたとはいえ、やはりこの建物の威容には慣れない。

 それは相も変わらず剥き出しの権威主義の権化とでも言うべきものだった。

 要塞か、あるいは王都の最高裁判所を思わせる厳粛な佇まい。

 入り口には重厚な鉄格子が跳ね上げられ、鋭い眼光を光らせたギルド専属の完全武装の衛兵が、出入りする冒険者たちを値踏みするように監視している。

 

 一歩建物内に足を踏み入れると、ひんやりとした石の匂いと、膨大な書類が放つインクの香り、そして微かな血の匂いが鼻腔を突いた。

 高い天井には人々のせわしない足音や、羊皮紙を繰る音、冷淡なギルド職員たちの事務的な声が反響している。

 床は迷宮の血や泥が染み込まないように特殊な油で磨き上げられた黒い石畳であり、さらには壁面の一角には、文字通り死の宣告に等しい無数の『未帰還者一覧』や『危険区域の通達』が、整然とした冷たい筆致で張り出されていた。

 

 考えうる限り、娯楽や酒場といった要素を徹底して排したその空間は、ここが夢を追う英雄たちの集う場所などではなく、効率的に迷宮という巨大な資源採掘場を管理し、人間の生死をただの帳簿上の数字として記録するための、行政機関であることを雄弁に物語っている。

 当然、ギルドの敷地内で私闘を起こしたり刃物を抜けば、それだけで問答無用で厳罰に処される。

 

 シドウは周囲の荒くれ者たちを路傍の石のように無視し、事務的な足取りでフロアの最奥へと向かう。

 そこには、太い鉄格子で厳重に区切られた、いくつもの窓口が整然と並んでいた。

 迷宮での死闘の結果を、地上の冷厳な価値へと変換する、最も現実的な天秤が置かれた場所。

『迷宮探索ギルド鑑定所兼売却所』である。

 

 シドウが迷わず選んだのは、一番端にある、比較的混雑の少ない窓口だった。

 鉄格子の向こう側には、無数のルーペや計量器、怪しげな鑑定用薬剤の瓶が理路整然と並べられている。

 

「ラインハルト、換金に来たぜ」

「……誰かと思えば、君か。シドウ・カンザキ」

 

 鉄格子の向こうから応じたのは、どこか神経質そうな顔立ちをした、片眼鏡(モノクル)の男だった。

 ガブリエラは預かり知らぬ事実であったが、このラインハルトという男は、かつてシドウやジェイクとともにスラム街で生き抜いてきた、仲間のひとりだった。 

 気が遠くなるほどの労苦と執念、そして持って生まれた観察眼の果てに、ギルド所属の鑑定士にまで上り詰めた傑物である。

 

 ラインハルトはシドウの手元から、その背後に佇むガブリエラへと冷徹な視線を走らせ、片眼鏡(モノクル)の奥の瞳を僅かに細めた。

 

「ふむ……。彼女は確か、しばらく前に何度かここに小鬼(ゴブリン)の魔石と、今にも折れそうな安物の鉄剣を持ち込んできた一党(パーティ)のひとりだったはずだな。……あのときの仲間はどうしたのかね?」

 

 毎日、何百人もの薄汚れた冒険者を相手にしているはずの鑑定士が、自分の顔と所属していた一党(パーティ)、さらには何を持ち込んできたのかを克明に覚えている。

 その異常な記憶力にガブリエラは内心で慄然(りつぜん)としながらも、取り繕うように、どこか乾いた苦笑を漏らすことしかできなかった。

 

「まあ、色々あって解散したんだとよ」

 

 返事に詰まらせるガブリエラを庇うように、シドウが感情の起伏のない声で短く切り捨てる。

 ラインハルトはそれ以上深く詮索することなく、なるほどねとだけ言って首肯した。

 

「で、今の君が、彼女を直々に面倒を見ていると」

 

 ラインハルトの視線が、ガブリエラが胸元に大切に抱える《玲瓏の月》の杖へと注がれる。

 杖に使用された木材、円曲した先端に埋め込まれたサファイアに酷似した宝玉。

 長年の経験と知識を持つラインハルトが、それが迷宮都市で最高峰にして最も偏屈な店『トゥバン・ポラリス魔術商店』の商品であることを見抜くのに時間はかからなかった。

 ラインハルトはシドウを見やり、呆れたような、あるいは合点がいったような複雑な笑みを浮かべた。シドウがこの世間知らずの元令嬢に対し、どれほど手厚い『介護』――いや、破格の庇護を与えているかを、その杖一本からすべて察したのだ。

 

 シドウは背嚢を下ろすと、手際よく物品を取り出し、カウンターの木製トレイへと無造作に置いた。

 地下三層で影法師が惨殺した狗人(コボルト)の死骸から、シドウが完璧な手際で抉り出した、複数の灰色の魔石。

 そして、宝箱から手に入れた古い琥珀の指輪と、いくつかの古銀貨。

 

「さて、どれどれ」

 

 ラインハルトは片眼鏡の位置を直すと、ルーペを取り出してピンセットで指輪を摘み上げ、手早く、だが極めて精密に鑑定を始めた。

 いくつかの魔導計器に魔力を通し、針の振れ幅を確認する。

 

「指輪は素晴らしい代物だね。旧時代の遺物だ。保存状態もいい。これならギルドの即金買取でも、金貨二十枚はくだらないんじゃないか」

「魔石と銀貨は?」

「狗人の魔石は質が並だが、君の剥ぎ取りは相変わらず綺麗だ。銀貨と合わせて、いいとこ金貨十枚といったところかな。……合計で、金貨三十枚だ」

「渋いが、だいたいそんなものだろうな」

 

 シドウは提示された額に眉一つ動かさず、同意のサインを羊皮紙に走らせた。

 金貨三十枚。

 それは、今の冒険者としてのガブリエラにとっては間違いなく大金だ。

 平民が三ヵ月は暮らせるだけの額が、トレイの上にジャラジャラと重々しい音を立てて並べられていく。

 シドウはその中から、正確に金貨十五枚を数え上げると、自身の懐へと仕舞い込んだ。

 

「約束通り、半分はこれまでの貸付と杖の頭金として回収する。文句はないな」

「はい……! もちろんです。ありがとうございます、シドウさん」

 

 ガブリエラは残された金貨十五枚の袋を胸に抱きしめた。

 半分に減ったとはいえ、これは自分が死線を越えて手に入れた、紛れもない最初の報酬だ。

 あの天文学的な借金の総額から見れば、砂漠に水を撒くような微々たる前進でしかなかったが、それでも自分の力で返済しているという実感が、彼女の心にささやかな誇りを与えていた。

 

 精算を終え、シドウが背嚢を担ぎ直して去ろうとしたその時。

 鉄格子の向こう側から、ラインハルトが僅かに声を潜めて呼びかけてきた。

 

「シドウ。……ひとつ、事務官としての領分を越えた忠告だ」

「なんだ」

 

 シドウが足を止める。ラインハルトは片眼鏡(モノクル)の奥の神経質そうな目をさらに細め、周囲に他の冒険者が聞き耳を立てていないかを確認してから、囁くような声で言った。

 

「あくまで、未確定の噂話の段階なのだがね。……ここ最近、都市内部での中堅以上の冒険者の『不自然な失踪』が比較的多いらしい。誰かに殺されたにしては、遺留品も見つからないとのことだが……君の実力なら大丈夫だとは思うが、妙な影には気をつけたまえよ」

「……ああ、肝に銘じておく」

 

 シドウは短く応じると、片手を軽く振って、ラインハルトの窓口を後にした。 

 冒険者の失踪。

 その不穏な響きの言葉が、ガブリエラの胸に冷たい澱のような不安を落とす。

 未帰還者が絶えない迷宮の底だけでなく、冒険者たちが羽を休めるはずの迷宮都市という魔都そのものが、底知れぬ危険を孕んでいるのだと改めて自覚させられた。

 

 ギルドの重厚な鉄格子をくぐり外へ出ると、太陽は既に中天近くに差し掛かっていた。

 大通りの喧騒は、これから迷宮へと向かう冒険者たちの熱気で、さらにその密度を増している。

 

「シドウさん、あの、ラインハルトさんが言っていた失踪の話ですが……」

「気にするな。もしかすると都市内部での死体回収屋の仕事が増えるかもしれない、というだけの話だ。

 それよりも、さっさと買い出しを終わらせるぞ。もたもたしていると日が暮れる」

 

 シドウはガブリエラの不安を一蹴するように歩を進める。

 その冷徹なまでの徹底した現実主義に、彼女はむしろ救われるような思いがした。

 

「次の探索は五層までを目指す……食糧もそれなりに必要だ。加えて、狂鬼(マッド・オーガ)との遭遇も大いに有り得る。十分に気を引き締めてくれ」

「はい……っ!」

 

 痛む筋肉を奮い立たせ、ガブリエラは新調された黒衣の外套を翻してシドウの隣へと並んだ。

 一抹の不安を抱えながらも、ガブリエラはシドウを信じ、迷宮に潜ると決めている。

 

 午後の買い出しは、想像以上に過酷な行程だった。

 想像以上に多い食糧、野営用の防寒具など、増えていく荷物の重みがガブリエラの細い肩に容赦なくのしかかる。

 

 ようやくクランハウスに帰り着いた頃には、日はすっかり落ちていた。

 夕食に温かいスープを啜り、張り詰めていた緊張が解けると、抗いがたい強烈な睡魔がガブリエラを襲った。

 

(明日は、五層……絶対に足を引っ張らないようにしなきゃ……)

 

 彼女にとってある意味因縁である階層の探索向けて気炎を燃やしつつも、もはや立っていることすら困難になったガブリエラは、逃げ込むように自室へと戻った。

 

 干し草を粗い麻布で包んだだけの硬いマットレスに身を沈め、毛布を被る。

 彼女は、その日いつもよりずっと早く、泥のような深い眠りに落ちていくのであった。

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