恐れ入りますが、今後とも何卒宜しくお願い致します。
「――よくやった、ガブリエラ。見事な魔術だった」
「……あ、ありがとうございます、シドウさん」
剣に血振りをくれた陰気な男の声が、血生臭い広間に響く。
ガブリエラにとって狂信に近い尊敬を抱いている男からの労いの言葉に、少女は頬を紅潮させた。
だが、激戦の余韻に浸る暇など微塵も与えられなかった。
呼吸を整える間もなく立ち上がり、ガブリエラたちは深淵へと続く螺旋階段を降り、迷宮のさらに深い地下階層へと足を踏み入れた。
――しかし、この階層において、ガブリエラが魔術を紡ぐことはなかった。
なぜならば、今までの隊列を変更し、
天井の闇から音もなく奇襲を仕掛ける
そして、岩陰に紛れて不意打ちを狙う
それは戦闘というよりも、屠殺そのものであった。
ガブリエラには朧気ながら理解できた。
シドウに身体強化用の魔術や、神官による剛力の奇跡はかけられていない。
ただ純粋な技術と肉体のバネを利用した剣閃のみで、魔物たちを塵芥のごとく薙ぎ払っているのだ。
――……あまりにも立つ場所が違い過ぎる。
あるいは地下四層での死闘で、ガブリエラの経験の蓄積はすでに十分果たされたという、彼なりの判断によるものだろうか。
息の乱れすらないその背中に、ガブリエラはおろかヴァシリアたちも畏怖を抱いた。
やがて彼らは、昇降機が座す玄室へと辿り着く。
シドウとともに玄室に踏み入れたガブリエラは、恐怖に瞳を大きく見開いた。
――昇降機の鉄籠の前には、魔物が一体だけ存在していた。
つまりはシドウが警告していた
鼓膜を割るような咆哮が地下空間を震わせる。だが――。
「邪魔だな」
シドウが短い呟きを漏らす。
残影すらも見えない踏み込みとともに――虚空を剣閃が走った。
大剣を振る間もなく、
武器を取り落とした上に腕から間欠泉のように血を吐き出し、
残った左腕で拳を振り上げ応戦しようとするも――戦いの趨勢は既に見えていた。
さらに数度の斬撃を喰らった
その圧倒的な剣技をヴァシリアは羨望と憧憬、そして悔悟のようなものが宿る眼差しで見つめていた。
シドウが探索ギルドの認識証を台座に翳すと、太古の仕掛けが重い金属音を響かせて目覚めた。
ガブリエラたちが乗り込むと鉄の籠が軋みを上げながらゆっくりと上昇を始め、ガブリエラたちを絶望と死臭が漂う迷宮から、光ある地上へと引き上げていく。
なにごともなく遺跡の地上部へと昇降機が止まる。
だが、当然ながら今回の冒険はここで終わりではない。
死体を蘇生させるために大聖堂に行かなくてはならないのだが――遺跡から迷宮都市の正門までは、それなりの距離を歩かねばならない。
――ああ、都市までが遠い……!
迷宮に入る前と今とでどのくらい時間が経ったのだろう。
見上げれば太陽はすでに傾き、血のような朱色が空を染め上げていた。
ガブリエラは泥のように重い足を引きずった。
隣のシドウが背負う二つの死体袋――歩を進めるたびに、肉と骨がすれ違う嫌な音が響く。
少女は憂鬱な気分になりながらも、ただ黙々と迷宮都市への帰路についた。
都市へ戻るや否や馬車に乗り、ガブリエラたちは回収した仲間の死体の『蘇生』を求めて、都市の中央に聳え立つ白亜の大聖堂へと向かった。
夕闇が迫る大通りには、これから夜の歓楽街へと繰り出す陽気な冒険者たちや街角に立つ娼婦たち、今日の買い出しを終えて温かい家路につく市民たちの姿が見えた。
つい先ほどまで迷宮を這いずり回っていた自分たち――その過酷な迷宮探索行とこの光景との凄まじい落差に、ガブリエラは強烈な眩暈のようなものを覚えた。
馬車が停止するや否や大聖堂前の階段を昇り、静謐な大理石の回廊を抜ける。
案内された巨大な薔薇窓が存在する厳かな祝祷の間には、シドウの顔なじみであるという龍人の高位神官――レティシアが立っていた。
「――シドウ・カンザキ様、その様子ですと蘇生の依頼でしょうか」
「ああ、レティシア、悪いが二人分の奇跡の嘆願をしてくれないか」
頭部に優美な龍の角を持ち、純白の神官服に身を包んだ美貌の少女――レティシアは、運び込まれた二つの不気味な死体袋と、ボロボロになった生存者たちの姿を一瞥した。
そのまま死体袋を開いて中身を検めると柳眉を寄せ、悲痛な面持ちでゆっくりと首を横に振った。
「……酷い状態ですね。二人の遺体、特に頭部が欠けた方に関しては蘇生は難しいでしょう――成功したとしても人格に影響が残る可能性があります」
「あの、いくら掛かっても構いません! 僕が所属しているクランからお金を借ります! どうか、どうか二人を助けて……!」
ヴァシリアが、未だ指が欠損したままの痛々しい手で冷え切った石床に突伏し額をすりつけながら、血を吐くような声で哀願する。
シドウが迷宮内で提示した金貨二百枚の護衛契約には、当然ながら蘇生の費用など含まれていない。
大聖堂が執り行う『蘇生の奇跡』の嘆願には、それ自体に絶大な寄付金が必要となる。
そして成功云々に拘わらず、彼らの財産を売り払うか、クランに頭を下げて金を拈出しなければならないのだ。
まあ、前提として金貨二百枚にしても相当な大金である――それは中堅の冒険者パーティでもすぐには拠出できない金額だ。
ガブリエラはヴァシリアたちの置かれた苦しい状況に心痛を感じ、眉根を寄せた。
――重々しい沈黙の中、神聖な儀式が静かに執り行われる。
祭壇近くの白大理石の台座に並べられた、夥しい血と焦げ跡に塗れた二つの遺体。
レティシアが乳香を焚くが、それでも遺体から立ち昇る死臭は完全には消えない。
輝龍神アモンに対して蘇生の奇跡の嘆願のための聖句を朗々と紡ぎ始める彼女の声が、静寂の空間に響き渡る。
『――掛けまくも畏き世界の調停者にして、いと尊き輝龍神アモンに願い伏して奉る。迷宮の底にて朽ち果てし、この哀れな者たちに、今一度、冥界からの帰還の御許しを与え給え』
レティシアの指先から放たれた黄金の光が、祭壇近くの台座に並べられた死体を柔らかく包み込んだ。
死体が淡く発光を始める。光の糸が幾重にも紡がれ、千切れた血管を繋ぎ、失われた肉を編み込むようにして、ゆっくりと元の形へと修復されていく。
しかし、肉体という器が元通りに直ったところで、すでに冥府の門を叩いた魂がそこに帰還するかどうかは全くの別問題である。
魂を失った肉体は、ただの人形に過ぎない。
ガブリエラは胸の前で強く手を組み、白く関節が軋むほど握りしめたまま、ただ祈るような心地で眼前の光景を見つめていた。
ヴァシリアもまた、瞬きすら忘れて祭壇を凝視している。
生き返ってほしい。
あんな悲惨な目に遭い、冷たい地下で無念にも命を散らした彼らが――どうか元の姿で目を覚まして、再び仲間の手を取ってほしい。
鼓動が早鐘を打ち、息をするのすら忘れるほどの静寂の中、光に包まれた
激しく損傷していた全身鎧の男の頭部も修復され、青ざめた肌に、微かな血の気が戻っていくように見えた。
やがて、網膜を焼くような眩い光が、蝋燭の火が落ちるようにゆっくりと収まっていく。
冷え切った静寂が、恐ろしいほどの重圧を伴って祈りの間を包み込んだ。
果たして奇跡の嘆願の結果は――。