ダリルは組んだ腕に皺の刻まれた顎をおき、重苦しい空気を纏いながら口を開いた。
「あの場にいた君たちは無論知っての通りだとは思うが……かの大聖女様の嘆願により、ズマとオックスの蘇生は、
ガブリエラは、大聖堂の祝祷の間で目の当たりにした光景を思い出し、表情を暗く曇らせた。
――確かに、彼らが負った傷のことごとくは癒えた。
だが、それはあくまで『肉体の修復』でしかなかったのだ。
宝箱の罠によって凄惨な死を遂げた
彼は至近距離で爆弾の炎を全身に浴びた時の想像を絶する苦痛と、その記憶に心を完全に壊されていた。
虚ろな目で天井を見つめ、意味を成さないうわ言と絶叫を繰り返すばかりで、もはやまともな意思疎通は不可能だった。
そして、仲間たちを庇って自らの頭部を吹き飛ばされた全身鎧のオックス。
彼は奇跡的に失われた頭部を取り戻したものの、これまで生きてきた一切の記憶、蓄積された経験――すなわち人格そのものがすっぽりと抜け落ちていた。
自分が何者であるかもわからず、屈強な肉体に似つかわしくない、まるで怯える幼子のようにガブリエラたちに執拗にすがりつくばかりであったのだ。
「――…………ッ」
声の方向にガブリエラが視線を向ければ、ヴァシリアが自らを責めるようにきつく下唇を噛み締めていた。
破れた薄皮から、一筋の血が白い顎を伝う。
隣に座るグレイスが、悲痛な顔でそっとヴァシリアの震える手に自分の手を重ねた。
ダリルは静かに言葉を継ぐ。
「ズマはいつの日か正気に戻る日が来るやもしれん。が、正直何年かかるかはわからぬ――十年以上かかるやも知れぬ。
そして、この件でキースとビルンは心が折れたのか、二度と迷宮には入らないと宣言し、クランの完全な裏方に回ることになった。
儂としてはもう少し頑張ればキースは魔術師として大成すると思っていたんじゃがなぁ。
まあ、つまり結果として、この場にいるヴァシリアとグレイスだけが、あの
「なるほど」
おそらく話の流れから察するに、キースは魔術師の少年、ビルンは
しばらく間を置いた後、ダリルは隣のヴァシリアとグレイスに視線を向けた。
「シドウ殿ならわかるとは思うが、力量的にも精神的にもふたりだけでは迷宮探索は難しい。
そこで……貴君らで、彼女らの面倒を見てもらいたいのじゃ」
ダリルの言葉に、ガブリエラは首を傾げた。
隣を見ればガブリエラ同様にシドウも腑に落ちないところがあるのか、わずかに眉を上げていた。
そのままシドウは質問をダリルに投げる。
「まず質問があります。……《黎明》傘下には、それこそ星の数ほどの
優秀な指導役も多いでしょう。クランの内部で彼女等の面倒を見ることはできないのですか?」
「……ああ、それは駄目なんじゃよ」
ダリルは深い溜息をつき、首を横に振った。
「オックスの人望が、些か以上に強すぎた。
奴は実は我がクランの古参での。冒険者としての強さや力量はそれほどでもなかったのじゃが、昔からひどく面倒見がよくての。
奴を慕う者は、《黎明》の中に数え切れぬほどおった。
皆、口にこそ出さぬが、今回の件で我が子等を深く恨んでいるのがわかるわい。
どの
その言葉に、ガブリエラは合点がいった。
ヴァシリア
だが、結果として、彼は一党を護る形で命を散らした。
最も非難されるべきのは、罠の解除に失敗したズマだろう。
だが、ズマは廃人同然となり、キースとビルンは引退した。
ゆえに消去法として、残されたクランの者たちが憎悪の矛先を向けるのは、未だ冒険者としてクランに籍を置くヴァシリアとグレイスたちに他ならない。
「それに今《黎明》におっては、すれ違う者の目線の先にオックスの幻影を見てしまう。
いつまでも過去の過ちを忘れる事はできまいて。
儂は、彼女らに一度環境を変えて、過去を清算させたいのじゃよ」
「なるほど、確かにそれは道理ですね」
ガブリエラは、歴戦のクランマスターの顔に、不器用な親心のようなものを見て取った。
このままだと潰れてしまう彼女たちを、あえて外部に委ねることで、再生の道を探らせようとしているのだ。
「ただ、こちらも慈善事業をやっているわけではありませんし、新人を教育するほどの余裕があるわけでもない。報酬はどのように」
「彼女等の面倒を見るのであれば、ひと月に金貨七〇〇枚を出そう。
それとは別に、武具の修繕費など、必要な経費は別途要求してくれればすべてこちらで負担しようて」
その額を聞いて、ガブリエラは思わず息を呑んだ。
ひと月に金貨七〇〇枚。それは冒険者一人分の蘇生費用すら上回る金額――その金を毎月払おうというのだ。流石巨大クランの首領といったところか。
文字通り桁が違う――否、それほどまでにダリルは、二人の未来を重んじ、同時に彼女たちが背負う『業』を引き受けることの対価を正確に測っているのだろう。
「期限はどうされますか?」
「そうさな、クラン内のほとぼりが冷め、彼女らが自らの足で再び立てるようになるまでじゃのう……だが、しばらくは無理じゃろう。
とりあえず、一年ということで契約しておこうかの」
「なるほど」
シドウは顎を撫で、小さく息を吐いた。
「それで、返事はどうかの」
「――最後に、当事者である彼女等の意見を訊かせていただけますか」
シドウはダリルから視線をはずし、打ちひしがれたように座るヴァシリアとグレイスを値踏みするように見つめる。
報酬の高さではなく、本人たちに自らの足で歩く意志があるか。
それが彼の判断における、最後の材料なのだろう。
ヴァシリアはびくりと肩を震わせたが、やがてある種の覚悟を決めた顔で、シドウを真っ直ぐに見つめ返した。
彼女はふらつく足取りで立ち上がり、シドウに向かって深く頭を下げる。
「……ぼ、僕の……身勝手な判断が、オックスさんやズマたちの冒険者人生を終わらせてしまった。
どんなに謝罪を重ねても、どんな対価を支払っても、決して償えるものじゃない……。
クランの皆に嫌われて当然だ。
……だけど、だけど僕は、冒険者としてまだ剣を振るいたい……ッ」
血を流す唇を震わせ、ヴァシリアは心の底から絞り出すように言葉を紡ぐ。
「迷宮が恐ろしい。死が恐ろしい。
でも、このまま逃げ出したら、僕が彼らの人生を奪ったという事実だけが残る。
まだ……僕の中には、冒険者としての『飢え』があります。
彼らの闘いを無駄にしないために、もう一度迷宮に立ちたい。
シドウさん、どうか……どうか、お願いいたします」
「……恥ずかしながら、わたくしも、ヴァシリアと同じ気持ちですわ。
冒険者として全てを最初からやり直したい」
グレイスも立ち上がり、薄い紫紺の髪を揺らしてヴァシリアに並び、深く頭を下げた。
「なるほど。ある程度の気骨と気概はあるらしいな」
シドウは眉根を揉んだ。
椅子に深く腰掛けたまま、表情一つ変えず、ただ無言でダリルと二人の少女を見返している。
彼の中でいかなる損得勘定が働き、いかなる思惑が交錯したのか、長らく行動を共にしているガブリエラにすら到底推し量ることはできなかった。
――だけど、私はシドウさんとふたりだけで迷宮探索がしたいな。
不意に湧き上がったどろりとした女の情念を、ガブリエラは感情の奥底へ押し殺す。
かつて貴族社会で培った淑女の微笑みを貼り付け、完璧に隠しきった。
重厚な古時計の針が時を刻む音だけが響き、息苦しいほどの沈黙が、重く、長く、客間を支配する。
窓の外から差し込む傾きかけた西日が、彼らの間に落ちる影を、まるで拭い去れない闇のように長く引き伸ばしていく。
そして、長い沈黙の果てにシドウは了承したのであった。