「す、すごい……っ!」
歓喜に震える声が、重厚な鉄を打つ音が絶え間なく響き渡る工房内にこだました。
早くも六週間が経っていた。
ヴァシリアたち――三人娘は今、これまでにない深い感動の渦中にいる。
言わずもがなシドウに連れられて再び足を踏み入れたのは、肌を焼くような熱気とむせ返る煤煙にまみれた職人街の一角――
「へへん、どうっすか!」
過労で寝込んでいる親方バンガンに代わり、本日の接客と最終調整を取り仕切っている助手のベティが、煤で汚れた顔に満面の笑みを浮かべ、これ見よがしに胸をそらした。
もっとも、前回の来訪において気付かされていたことではあるが、彼女の胸元は見事なまでに平坦――絶壁そのものであった。
大変失礼ながら、同年代の少女たちの中でも控えめな部類に属する魔術師のガブリエラでさえ、『私の方がまだ幾分か女性らしいのでは……?』と密かな優越感を抱いてしまうほどの見事な平原ぶりである。
「いや……本当に、すごいですね……!」
無論、ヴァシリアが言及しているのはベティの胸部装甲の薄さに対してではない。
今まさに自身の身体を包み込んでいる、真新しい防具の仕上がりに心を奪われていたのだ。
彼女の華奢な体躯、そして豊かな胸の曲線に合わせて緻密に採寸され、一から仕立て直された真新しい
幾重にも重ねられた上質な亜麻布と、部位ごとに計算し尽くされて詰められた綿などの緩衝材は、それ単体でも鈍器による打撃の衝撃を減衰するほどの確かな厚みを持っている。
――そして何より、その上から纏った特注の
肌越しに伝わるひんやりとした鉄の冷感と、ずしりと両肩にのしかかる確かな質量。
しかし、以前に既製品の
「あのね、ヴァシリアさんと……そっちのグレイスさん。
よーく聞くっすよ。胸がデカい――つまり貴方たちみたいな爆乳や巨乳クラスの人間はね、ただ単純に
ベティは「ちッ、ちッ、ちッ」と人差し指を左右に振りながら、生粋の職人としての真剣な眼差しを向けた。
ここからは、彼女の職人としての矜持に満ちた、そして誰得な蘊蓄講義の始まりである。
「――まず胸の下を通るウエストベルトを、通常の男の剣士よりもかなりキツく締め上げる必要があるっす。
そうやって、分厚い鎧下ごと『デカ乳』と『上からのしかかる鉄鎖の重み』を、下から物理的にガッチリ支える構造を作らなきゃいけないんすよ。
もしこの工夫を怠ったら、迷宮でどういう末路を辿るか想像がつくっすか?
結果としてあっという間に呼吸困難に陥り、さらには肋骨周辺に強烈な圧迫痛を引き起こして、探索の途中で一歩も動けなくなるっす」
「こ、呼吸困難に……?」
「あー、さらに実戦での恐ろしい実態を教えるならっすね」
ベティは指を一本立て、戦慄に顔を引きつらせるヴァシリアとグレイスの顔を順番に覗き込んだ。
「自分の体型に合っていない、その辺の粗悪な武具屋で叩き売りされてるような雑な
結果、ほんの少し駆け足をしただけで、乳房は内出血を起こすっす。
さらに、その悲惨な状態で重い剣やメイスを力任せに振ればどうなるか。
乳房の揺れと、
迷宮の魔物と刃を交えるよりずっと前に、自分の身体の重みと防具の構造的欠陥に殺されるっすよ」
「「…………っ!」」
あまりにも解像度が高く、生々しい痛みまで伝わってくるような解説に、ヴァシリアとグレイスは顔を真っ青にしながら幾度も深く首肯した。
豊かな胸を誇る前衛のふたりには、ベティが語る痛烈な苦痛と、それがもたらす戦闘時の致命的な隙の予感が、まるで実体験のように容易に想像できたからだ。
一方、後衛であるガブリエラだけは、「はえー、大きい人は色々と大変なんですねぇ」と、どこか対岸の火事を見るような、全くピンと来ていない虚無の呟きを漏らしていた。
「おおっと、ガブリエラさん、なに沈痛な面持ちになってるっすか……胸の大小に貴賤はない……そう思うっすよね、シドウの兄貴?」
「俺に振るなよ」
工房の隅の木箱に腰掛け、新しい長剣の柄に革紐を巻きつけて手入れをしていたシドウは、心底呆れたように肩を竦めた。この手の不毛で危険な議論に関わる気は一切ないらしい。
「ヴァシリアさんの本命である鋼の
「あ、ありがとうございますわ……!」
ベティが奥の棚から持ち出してきたのは、油脂で硬く煮染められ、ヴァシリアの複雑な胸部曲面に合わせて立体的かつ滑らかに成形された特製の
ちなみにこれは、本格的な鋼の鎧が完成するまでの繋ぎとして、シドウが追加の金貨を弾み、おまけとして注文してくれた品である。
仕立て直された鎧下と
ギィィ……ッ!
硬く分厚い革が軋む低い音と、鎖帷子が擦れるジャリッという金属音が工房に響き渡り、わずかにたわんでいた鎖帷子が一切の遊びをなくして、ヴァシリアの身体にピタリと吸い付くように密着した。
「……えっ?」
少女が声を上げて驚くのも無理はないだろう。
今までヴァシリアの肩口を圧迫していた鉄の重みが、まるで嘘のように、魔法でもかけられたかのように腰回りへと劇的に分散されて逃げていったのだ。
豊かな胸元は一切の揺れを許さないほど強固に、それでいて決して痛くない絶妙な圧力で包み込まれている。
締め紐に縛られ、胸郭を広げて息を吸うことは物理的に叶わなくなったが、代わりに深く腹式呼吸を繰り返すたび、革特有のしなやかな弾力が肋骨の動きに追従し、心地よく支えてくれるのがわかった。
「
だけど、その上から緻密に計算された革胸甲を重ねて紐を締め上げることで、重量の分散が行われるっすよ」
「す、すごい……全然、重くない。身体の芯からガッチリと支えられているみたいです……!」
「へへっ、でしょ? これが迷宮都市の第一線で魔物と殺し合う冒険者たちの命を預かる、ウチの工房の誇り高き仕事っすよ」
職人の確かな技術と積み重ねられた知見の深さに、彼女は再度感嘆の息を吐いた。
隣ではグレイスも、愛用の重いメイスを軽く素振りしながら、その完璧な重心バランスに満足そうに頷いている。
ただひとり、ガブリエラだけが、
――と、その時。
熱気がこもる工房の入口に掛けられた、分厚い防塵の革カーテンが乱暴にめくり上げられ、ひとりの男が豪快な足音とともに踏み込んできた。
「よっ! 来たぜ、親方!」
野太く、腹の底からビリビリと響くような大音声。
前開きの獣皮衣を纏った、思わず見上げるような巨漢だった。
赤銅色に日焼けした分厚い筋肉はそれ自体が天然の鎧のようであり、野性味溢れる顔立ちは獰猛な肉食獣を思わせる。
シドウの古い腐れ縁である半巨人の冒険者、ジェイクであった。
「いないみてえだな、親方……お、ベティちゃん!
今日も相変わらず見事な絶壁で可愛いな!
頼んでおいた大鉄斧の受け取りに来たぜ。あとどうだ? 今日の仕事が終わったら、俺と酒場で一杯デートとしゃれこまねえか? 飛び切り美味い飯を奢るぜ?」
「う、うわぁあ……さ、最悪……な、何度も言ってるじゃないっすか、ジェイクさん!
アタシは可愛くて柔らかい女の子しか恋愛対象として見れないんすよ!
ましてや、暑苦しくてむさ苦しいジェイクさんとなんて、金をもらっても絶対にお断りっす!」
うんざりした顔で、ベティがシッシッと野犬を払うように手を振る。
「おととい来やがれ」と言わんばかりの、見事なまでの徹底した拒絶ぶりであった。
「つーか……おいおい、ちょっと待て。シドウ!」
ジェイクはベティの冷たい対応などとうに慣れっこなのか全く気にした様子も見せず、ふと工房の奥へと視線を巡らせた。
そして、そこで真新しい防具の試着を行っているヴァシリアたち三人娘の存在に気づき、カッと目を血走らせて叫んだ。
「なんだその見目麗しいお嬢さんたちはっ!?
テメエ、まさかまた俺に隠れて新しい女を侍らせてるのか!?」
「詳しいことは言えないが、色々あって面倒を見ているのさ。
下衆な勘繰りをしてくれるなよ……」
工房の隅の木箱に腰掛けたまま、シドウは顔も上げずに極めて冷淡に言い放つ。
「くそっ! なんでこいつだけが、いつもいつもこんなに可愛い女の子たちと縁があるんだ……! 世の中の摂理が根本から間違ってるだろ!! 神は俺に筋肉しか与えてくれなかったのか!!」
本気でこの世の終わりに直面したかのように、ジェイクはその場にガックリと膝をつき、大袈裟に天を仰いだ。
その巨躯から発せられる暴力的な威圧感と、情けなすぎる叫びの凄まじいギャップに、ただでさえ緊張していたヴァシリアたちは完全に呆気を取られて固まっていた。
すると、膝をついて嘆くジェイクの背後から、音もなく現れた影が呆れたように声をかけた。
あまりの気配の希薄さに、全くその存在に気付いていなかった三人娘は、弾かれたようにビクリと背を震わせた。
「大将、みっともないから諦めてさっさと帰りましょうぜ。
大将のその下手糞極まるナンパが成功する時があるとすれば、それは間違いなくこの迷宮都市が魔物の大群に呑まれて滅亡する日でさぁ」
「誰が猪首で脳筋で下手糞で莫迦極まるナンパ師だこの野郎!」
「明らかに誰もそこまではいってないかと……」
ガブリエラの冷静な突っ込みに、なにか勘違いしたのか、ジェイクは歯を輝かせて強烈なウィンクを放った。
ときめきではなく、純粋な恐怖にガブリエラの心臓が高鳴った。
「ほらみろ、俺には溢れんばかりの漢の色気ってもんがだな……!」
「はいはい、漢の色気じゃなくてただのむせ返る獣臭ですから。さっさと斧を受け取って行きますよ。ベティさん、そこのやつですよね」
「はい、そうっす」
「くそ、ふざけんな。アベルっ」
背の倍ほどもある大鉄斧を軽々と背負い、ぎゃあぎゃあと子供のように騒ぎ立てるジェイクの腕の関節を器用に極め、彼を物理的に引きずって連行しようとする長身痩躯の男。
だが、工房を去る間際、一瞬だけ。
長身痩躯の男の瞳が鋭く細められたのを、ヴァシリアは確かに見た。その視線は間違いなく、ヴァシリアの姿だけをじっと捉えていたのだ。
――なんだろう。
哀しみと
その視線の本当の意味を知るのは、少女にとってまだはるか先になる。