死体回収屋が、無窮迷宮の最深部を目指す 作:エベレスト
「――あ、あの。し、シドウさん、少し待ってくれませんか。み、見失ってしまいそうで」
耳朶を圧する音の洪水、そして、一面見渡す限りの、人、人、人。
かすかな香辛料と獣脂、果実の匂いが鼻腔をくすぐる。
もはや怒鳴り声に近い客引きと、無秩序に歩く人々の濁流に押されながら、ガブリエラは迷宮都市の大通りのひとつを歩いていた。
一週間程安静にしていたこともあり、背に負った傷はまだ痛むものの、粗方完治している。
飾りのない黒衣の外套と長上衣、安物の脚衣という、年頃の娘としては眉を顰めるほどに質素な服装でありながらも、それでも相応以上に少女の美貌を引き立たせていた。
現に通りすがりの通行人から――行き交うのは血生臭い大剣を背負った荒くれ者や、怪しげな薬品を抱えた売人などほとんどは粗野な男たちだが――その好奇と好色混じりの昏い関心の視線を一身に集めている。
だがそれはそれとして、冒険者の端くれでもあるのにも拘らず、このような場が明らかに不慣れであるのか、時折転びそうな仕草を見せる。
王都の洗練された平穏とは対極にあるその熱気と殺気は、それだけで彼女の胸を圧迫し、呼吸を浅くさせるには十分すぎた。
先程も危うい場面が何度かあった。
「はぁ……おいおい大丈夫かよ」
ここまで先導して歩いていたシドウは足を止める。
これでも些か以上にガブリエラに気を遣っており、逸れないように歩幅を小さくして進んでいたシドウだったが、それでも不十分だったかと深く反省する。
あまり遠慮することなく、しっかりとガブリエラの腕を掴んだ。
細い。少し力を入れれば折れそうである。
明らかに最低限の筋肉しかついてなさそうな――過酷な迷宮を生き抜くには余りにも頼りない、箱入りだった貴人の少女の腕であった。
何が嬉しいのか、掴まれたことによる安堵からか頬を朱色に染める少女を尻目に、シドウは視線すら動かさず、
背後から不自然に忍び寄ってきたスリの指を逆方向に捻り、へし折る。
――ギチ、と鈍い骨の砕ける音が人混みの喧騒に掻き消された。
風貌からして世間知らずといった佇まいの、明らかにカモであるガブリエラを狙っていたのだろう。
彼女自身は実はほぼ一文無しであるのにも拘らず。
激痛にうずくまる哀れな
そもそも彼らが何故、この大通りを歩いているのか。
むべなるかな。ガブリエラの杖や探索用の道具を一式買い揃えるためであった。
まさかわたしの杖を買っていただけるのですか、と深く恐縮していたガブリエラだったが、そもそも杖のない魔術師など荷物以外の何者でもなかった。
彼女にはこれまでの金を返してもらうために、末永く迷宮に潜ってもらう必要があるのだから……。
途中で裏路地を何度か経由し、そのまま半刻ほど歩いただろうか。
やがて、古びた趣のある大きな店に辿り着く。
ひとつの星と、周辺を廻る星々を緻密に描いた、小洒落た看板。
恐ろしく流麗な筆致で『トゥバン・ポラリス魔術商店』、と綴られている。
シドウに顎で促され、少女は恐る恐る扉を開く。
足を踏み入れると店内から、乳香とも香木とも似つかない特異な香りが溢れ出す。
わあ、とガブリエラは翠緑の瞳を輝かせた。
壮観な風景、そして圧倒的な品揃えであった。
天井まで届く棚に所狭しと並べられているのは、古今東西から収集した無数の
さらに店の奥には、魔除けと商売繁盛の祝福が込められた龍神の像――ガブリエラは預かり知らぬが、東方世界に確かに存在するという九頭龍神を模した神像も、そこには幾つか存在した。
「凄いです、シドウさん。わたしの知らないものばかりです……」
「――ふむ、客かな」
甲高い少女の声で来店を察したのだろうか。店の奥――帳場より、のそのそとした足音が響いてきた。
やがて現れたのは、
太く屹立した二本の角が、薄暗い店内の灯を鈍く反射している。
豪奢な東方風の衣を纏い、威圧感と知性を同居させたその珍しい容貌に、ガブリエラは思わず口元を抑えた。
羊頭人身の男は視線を走らせ、シドウの存在を認めると明らかに相好を崩した。
「……おやおや、珍しいね。シドウ君。何年ぶりかな」
「ご無沙汰していました、トゥバンさん。約三年ぶりかと」
「もうそんなになるのか、月日が経つのは早いね。
どうだい、久しぶりに茶でも飲んでいきなよ。
東方の珍しい茶葉が手に入ったんだ。至高の一品だ。
確実に
「まだ営業時間のはずでは?」
シドウと店主は知り合いなのだろうか。
どこか長年の師弟を思わせるような、強固な結びつきが傍からも見て取れた。
親しげなふたりの関係性にガブリエラは、両眉を上げる。
トゥバンは、外界はおろか迷宮都市でも珍しい
放逐される前に学院で読んだ古代文献によると遥か昔において、西方大陸のほとんどを支配していた種族だった、との話だが。
「しかし随分と別嬪なお嬢さんを連れてきたものだね。
本業絡みかな。詮索はしないがね」
「気遣い痛み入ります」
「ふむ……」
ガブリエラの器量を見定めるように、トゥバンは瞳を細める。
書物でしか知らない少数種族に対し、ガブリエラは恥ずかしそうに低頭する。
――そんなつもりはないのだが、トゥバンに対し少し探るような視線をしていただろうか……初手で関係性の構築に失敗してしまったかもしれない。
妙な場の緊張を断ち切るように、シドウは一歩ガブリエラの前に歩み出た。
「トゥバンさん、彼女に杖を見繕っていただけませんか」
「……構わんとも。何がいいかね」
「もし在庫が残っているのであれば、世界樹系統で」
「ははっ、随分と彼女に期待しているのだね」
「まさに期待させてくれるような冒険者に、今からするつもりですので」
何かしら彼の琴線に触れたのだろうか、実に愉快だとばかりに手を叩いて、トゥバンは首肯した。
「では、こっちに来なさいお嬢さん。ちなみに名前を伺ってもいいかね」
先程よりも雰囲気が好意的な方に、明らかに和らいだトゥバン。
心のなかで自分に助け舟を出してくれたシドウに感謝し、ガブリエラは自覚的に微笑んだ。
上手く取り繕えているはずだと自分に暗示をかける。
「はい。トゥバンさん、わたしはガブリエラと申します。
……ご覧の通り若輩者ゆえに、遠慮なく御鞭撻いただければと」
「ははは、畏まらなくて結構。
私は素直で純粋な子なら誰でも好きだからね。
では、ガブリエラ君。こっちに来なさい」
トゥバンに手招きされ、ガブリエラはその長身のあとを追う。
やがてたどり着いたのは、硝子に覆われた一角であった。
明らかに一見さんお断りという雰囲気に、ガブリエラは萎縮する。
そこに飾られている杖には、どれも値札に信じられない額が記載されていた。
どう見ても桁が三つほど間違っているとしか思えなかった。
この中の杖五本だけでかつて失った屋敷と財産が余裕で買い戻せてしまう。
「迷宮深層から採取された世界樹の枝、そして宝玉に魔導巨人の心臓を使用している。
言わずとしれた天才職人キースガルムの作品群だ。
つい最近ではかの《天翼》のリーダー殿が購入したものだよ。
如何かね。少し触ってみなさい」
「あはは、す、凄いですね。なんというか、神々しいというか」
腕の震えを抑え、トゥバンから無造作に渡された杖をガブリエラは手にとった。
迷宮都市最高峰の職人が拵えたのであろう滑らかな肌触り。
杖から漂う
円曲した杖の先端には、一切の不純物のないサファイアに似た宝玉が埋め込まれていた。
怖い。まさに芸術品としても通用するような、ある種の凄みがあった。
この杖と比較するのであれば、かつて自分が生活苦で売り払った杖など、その辺で斬り落とされた街路樹の端材に等しかった。
完全に笑える話ではないのだが。
「ガブリエラ君、失礼な話で誠に申し訳ないのだか、君の魔術適性について教えてもらえるかね。
答えにくかったらいいのだが」
「ええと、こ、《氷》です」
ガブリエラの返答に、トゥバンは横長の瞳をさらに細め、深く感心したように顎の髭を撫でた。
「ほう、氷……。熱を簒奪し、万物の歩みを止める絶対の拒絶。
一見して華やかなその瞳の奥に、それほどまでに昏く冷たい深淵を飼っているとはね。
ならば、これは天の配剤といっていいだろう。
先程この杖の宝玉には、魔導巨人の心臓を使用しているといったね。
何を隠そうこの魔導巨人は、生前その悪辣なる《水》と《氷》の魔術にて、冒険者を苦しめたと聞いている。
であるならば、この杖は君の魔術行使において大いなる助けとなるはずだ」
「な、なるほど、確かに適性が合致しているのであれば、ある程度上揺れの『作用』は期待できそうですね」
特筆すべきことのない有名な話ではあるのだが、魔物の素材をこのような魔術系統の素材として転用する場合、『生前』魔物が使用していた魔術に従って、完成品の魔術的属性が『染められる』という話が理論的に
つまり、所有者が得意とする魔術に合致する形で武具を選定したほうが、魔術的な補助・出力的な増加が見込めるため、戦闘的利点が大きい、という端的な話だ。
試しに少しだけ魔力を流してみなさい、と促され、ガブリエラが恐る恐る杖に意識を向けると、先端の宝玉から白銀の冷気がチロチロと立ち上った。
周囲の空気が一瞬にして冬のように澄み渡る。
「決まりましたか、トゥバンさん」
その辺の外壁に背を預けながら、これまでの一部始終を眺めていたシドウが伸びをする。ごきごきと男の肩が鳴った。
「ああ、まさに最適な一品が見つかったよ。
ガブリエラ君の終生の相棒となることは間違いないだろう。
これさえあれば、彼女の冒険者としての成功はもはや保障されたようなものだっ!」
「トゥバンさん、じゃあそれ買わせてもらいます」
何故かやけに高揚したトゥバンに対し、どこか気だるげにシドウは購入の意思を伝える。
ガブリエラはぐらついた体を渾身の意志力で押し戻す。
この場で転倒しなかった自分を褒めてやりたかった。
え、本気で買うんですか、この杖を!と翠緑の目で強く訴えかけるも、当のシドウはどこ吹く風といった佇まいであった。
意識して黙殺されたような気がする。
「流石に分割払いでいいですか。
俺の『死体回収屋』としての信用と資産をある程度担保にしますんで。月毎に指定口座に送りますよ」
「ははは! 君の信用か。いいだろう、シドウ君。長期分割での支払いを認めようじゃないか」
パチン、とトゥバンが指を鳴らすと、どこからともなく空間が歪み、羊皮紙の契約書が実体化する。それは浮遊しながら、静かにシドウの手元に収まった。
こうしてガブリエラの細い首にはまたひとつ、重い巨額の債務という鎖が幾重にも巻き付けられた。
杖の放つ神々しい冷気よりも、己が払うことになる借金の総額にガブリエラの血の気は完全に引いていた。
いつの間にか白い猫が、ガブリエラの足元に蹲っていた。
そのオッドアイの瞳が、じっと新参者の少女を見上げている。
放心状態のガブリエラは屈みこむと、現実放棄するように白い毛並みを撫でた。
猫はいい。欠落した感情も心も満たしてくれる。
「これこれ、ポラリス嬢。
まだご飯には早いよ。いやはや、すまないね」
「……あーポラリスさんに土産持ってき損ねたな。
いい干物が手にはいったんだが」
シドウが近づくと、猫は敵意を露わに警戒するようにぐるると唸り声を上げ、そのまま店の奥へと消えていった。
新調された最高峰の杖を胸に抱きしめながら、ガブリエラは誓った。
もし最終的に金を返しきれなくなった場合は、迷わずこの体をシドウに捧げようという誓いを。