死体回収屋が、無窮迷宮の最深部を目指す   作:氷見崇瑞月

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捲土重来の迷宮探索

「……また、来てしまったのですね、ここに」 

 

 怯懦(きょうだ)とも高揚ともつかぬ言葉を魔術師の少女は漏らした。

 腰の帯には分厚い硬革で念入りに補強された図囊(ずのう)を吊り下げ、さらに両肩には無骨で大きい背嚢を背負っていた。

 歩みをひとつ進めるたびに、背嚢の中に詰め込まれた治癒の貴石や霊薬の小瓶、スクロール、携帯用の干し肉、野営のための布地などが擦れ合いと微かな音を立てる。

 その重みは、かつて貴人の令嬢にとっては、肩の骨が軋むほどの苦痛を伴うものだった。

 しかし、ガブリエラの意識の大部分は、背中の重圧ではなく、右手で握りしめているそれに注がれていた。

 先日、『トゥバン・ポラリス魔術商店』でシドウから買い与えられた――世界樹の枝から作り出された例の杖:《玲瓏の月》である。

 迷宮都市特有の淀んだ朝靄のなかであっても、杖の先端に埋め込まれた魔導巨人の心臓たるサファイアに似た宝玉は、空恐ろしいほどの透明度と玲瓏(れいろう)な輝きを放っている。

 ただ掌で触れているだけで、彼女の内に眠る魔力が歓喜に震えるのがわかった。

 ある種の暴力的なまでの魔の引力が、そこにはあった。

 

(……頑張らないと、わたし)

 

 再びの、迷宮探索であった。

 前回は、無知な少女たちによるもはやごっこ遊びに近い自己満足の冒険であった。

 だが、今回は違う。彼女自身が冒険者として迷宮の摂理を学び、生き残り、金を稼ぎ、シドウに借金を返し、そして自らの目的を果たすための基礎を徹底的に叩き込むための、本格的な探索行だった。

 当然のことながら、今回の迷宮探索にはシドウも同行している。

 ただし、彼はガブリエラを保護する過保護な護衛としてではなく、あくまで彼女を一人前の探索者に仕立て上げるための指導者として後ろを歩いていた。 

 階層の正確なマッピング方法から、致命的な罠の避け方、魔物の生態、そして宝箱の安全な開け方等、迷宮で長く生き残るための血生臭いノウハウの数々を、今日一日で可能な限りガブリエラに教え込むつもりであった。

 

「……緊張しているのか、ガブリエラ」

「いえ、まさかそのようなことは」

 

 完全に図星だった。

 頬を強く張って、美貌の少女魔術師はこれからの戦いにむけて意識を調整していく。

 シドウは微笑ましいものを見るように、ガブリエラが気炎を燃やす様子を見つめていた。

 

 そのままふたりは、迷宮が鎮座する巨大遺跡へと足を踏み入れた。

 既に五層以降を突破した冒険者たちは、遺跡の大広間に設置された巨大な昇降機を使用し、一気に下層へと向かう。 

 時間と体力の節約のためであり、上層の魔物と罠を可能な限り回避したいためだ。

 しかし、シドウは冒険者たちでごった返す昇降機のある大広間を素通りし、遺跡最奥にぽっかりと開いた、古く巨大な縦穴へとガブリエラを導いた。

 

「今日は歩きだ。地下一層から順番に下る」

「えっ……あの、昇降機は使わないのですか?」

 

 神に愛されているとしか思えないほどの強烈極まる運と幾度ものまぐれの連続により、ガブリエラが所属していた元一党(パーティ)は、実力不相応ながら地下五層まで到達している。

 そのため彼女のギルド証を使えば、地下五層まで道中を短縮することが可能なのだ。

 無論だが、シドウのギルド証を使っても同様のことはできる。

 

 ガブリエラの問いに対し、シドウはかぶりを振った。

 

「普通ならそうするが、今回は経験を積むことが主軸だ。

 まだ君の位階(レベル)なら、最初から丁寧に探索したほうがいい。

 それに地下五層はじっくりと探索のノウハウを学ぶのに向いていない」

 

 シドウは陰鬱げな声で告げると、縦穴に続く巨大な螺旋階段を顎でしゃくった。

 

 底知れぬ暗闇の深淵へと続くその階段を見て、ガブリエラは小さく息を呑んだ。

 わずかだか確かに這い上がってくる冷気が、ローブの裾を不気味に揺らす。

 ガブリエラがこの螺旋階段を使うのは、初めてではない。

 だが、相も変わらぬ迷宮の空気が、強姦されかけたあの事件の記憶を強く少女に思い出させた。

 恐怖で足がすくみそうになるのを、ガブリエラは奥歯を噛み締めて堪えた。

 一段、また一段とガブリエラは迷宮の顎門(あぎと)へと降りていく。

 遺跡最奥から地下一層へと降りていく間、聞こえるのは自分の荒い息遣いと、革靴が段差を擦る音だけだった。 

 天からの祝福が消えるかのごとく上層からの光は次第に小さくなり、やがて完全な漆黒がふたりを包み込んだ。

 

 やがて、足裏に硬い石畳の感触が伝わる。

 そこは、太陽の光が完全に絶たれた地下世界であった。

 相変わらずの、肌にまとわりつくような不快な湿り気。 

 そして、何百年、何千年と蓄積された古くさった黴の匂いと、微かな血の匂いが混ざり合った、迷宮特有の死の香りが鼻腔を突く。

 

「ガブリエラ、灯の呪文は唱えられるな」

「はい」

 

 精神を集中させるために少女は瞳を閉じた。

 深く息を吸い、トランス状態に入る。

 丹田を意識し、体内から魔力を汲み上げ、術式として編んでいく。

 

『――沸き立て、我が魔力よ。巡り、疾く灯となせ――《澄光(リュミア)》』

 

 極小の魔術式が杖の先端に発現し、やがてそれは蒼い光球となった。

 重力のくびきから解き放たれたように、それはガブリエラの頭上を浮遊する。

 この魔術を使う度にガブリエラは複雑な気持ちになる。

 外界において、誰もが見事と称賛したこの魔術は、迷宮都市においては、誰もができる最低階梯の術でしかないと聞いたときは愕然としたものであった。

 が、今では既に迷宮都市の常識に慣れてしまった。

 外界の天才は、迷宮都市における凡人。十分に理解していたはずだった。

 

 ガブリエラの詠唱に思うところがあったのか、シドウは頬をかいた。

 

「なるほど、オド系統ね。魔力量に自信があるわけだ……羨ましい限りだな」

「ええと、何か変でした?」

「いや、なんでもないさ」

 

 ガブリエラの追求に対し、シドウは手を振って問題ないと告げる。

 シドウの対応にやや釈然としないガブリエラだったが、闇の奥から響く異音に表情を引き締めた。

 

 魔術による光に吸い寄せられるように、じめじめとした苔むす石回廊の先から、ずるり、ずるりという奇妙な水音が聞こえてきた。

 

 まず現れしは、迷宮の掃除屋とも呼ばれる魔物、粘性獣(スライム)である。 

 

 体長一メーティアほどの、半透明の緑色をした粘液の塊。

 確固たる知性はなく、ただ本能と反射のままに有機物を溶かして喰らう。 

 体液は強い酸性を帯びており、不用意に触れれば装備ごと肉を溶かされる。 

 冒険者になりたての若者が最初に出会い、そして油断や慢心をした冒険者が頻繁に命を落とす、初心者狩りの代表格とも言える低級魔物だった。

 

「さて、俺は今回原則的に戦闘に手を出さない」

 

 シドウは剣帯に吊った片手半剣(バスタードソード)を抜くこともなく、壁際に腕を組んで寄りかかった。

 完全に傍観者の構えだ。

 

「お手並み拝見だ。新しい杖の感触を確かめてみろ――ただし、魔力の出力調整には気をつけろよ」

「……はいっ!」

 

 ガブリエラは図囊が揺れるのも構わず、素早く《玲瓏の月》を構えた。

 これまでの彼女であれば、魔物を前にして焦りと恐怖で声が震えていたかもしれない。 

 だが、今は違った。手の中にある《玲瓏の月》が、彼女の恐怖を吸い上げ、代わりに研ぎ澄まされた氷のような冷静さを与えてくれていた。

 ガブリエラの桜色の唇から、流れるように紡がれる詠唱。

 

『――沸き立て、我が魔力よ。形成せしは大気を縛る凍てつく吐息、すなわち白銀にして傲然たる霊獣の牙』

 

 自身の魔力を使い、魔術式を構築していく。

 それは、かつて学院で習った最も基礎的な氷属性の魔術――迷宮都市においては第二階梯魔術《氷牙(アイス・ファング)》を形成するための呪文であった。

 本来であれば、大腿骨ほどの氷の杭を一つ射出する程度の魔術だ。

 杖の先端の宝玉が、燦然たるほどの青白い光を放つ。

 《玲瓏の月》がガブリエラの術式の出力と密度を瞬く間に増加させていく。 

 

『《氷牙(アイス・ファング)》よ、穿て――ッ!』

 

 ガブリエラが杖を振り下ろした瞬間。

 バキィィィィィンッ!!という、轟音が石回廊に響き渡った。

 生成されたのは、通常の氷牙などではなく。 

 大の男の背丈ほどもある巨大で鋭利な氷の杭が、空中に数本同時に顕現し、弾丸のような速度で粘性獣(スライム)へと殺到した。

 ドガァッ!という衝撃音と共に、粘性獣(スライム)の身体は抵抗する間もなく完全に貫かれた。

 そのまま瞬時に粘性獣(スライム)は芯まで凍結し、次の瞬間には石畳ごと派手に爆散した。

 周囲にはダイヤモンドダストのような極低温の氷の粒子が舞い散っている。 

 粘性獣(スライム)だったものは微細な氷の欠片となって消え、巨大な陥没穴(クレーター)だけが残された。

 

「…………え?」

 

 自分の放った魔術の異常な威力に、ガブリエラは驚愕し、翠緑の瞳を丸くして硬直していた。

 

「……過剰な上に無駄が多いな」

 

 シドウは飛んで来た氷の粉を手で払いながら、呆れたようにため息をつく。

 

「言っただろう、出力調整に気をつけろと。

 粘性獣(スライム)一匹にそこまでの威力は必要ない。

 常に最小限の力でもって事を為す。冒険者の哲学だ。

 魔術式の構築速度だけは、褒めてやるが」

 

 放心したかのようにガブリエラは、《玲瓏の月》を見つめていた。

 

「す、すごいです、この杖……! わたしの魔術が、こんなに……」

「はしゃぐのは後だ。魔物を倒したら、すぐに周囲を警戒しろ。

 血や魔力の匂いを嗅ぎつけて別の魔物が寄ってくるのが迷宮の常識だ。ここからが本番だぞ」

 

 シドウの鋭い声にハッとして、ガブリエラは杖を構え直し、気を引き締めた。

 

「……迷宮で人を殺すのは、魔物だけじゃない。むしろ、環境と罠に殺される新米の方が多い」

 

 シドウは歩き出し、ガブリエラに羊皮紙と羽筆を取り出させた。

 

「まずはマッピングだ。

 歩測で距離を測れ。一歩を何セトルとするか、自分の中で正確な基準を作れ。

 曲がり角、扉、玄室の位置、すべてを記号化して書き留めろ。

 迷宮の構造は生き物のように変化するが、それでも基準となる地図がなければ、逃げることも帰ることもできずに干からびるだけだ」

 

 ガブリエラは真剣に頷き、シドウの歩みに遅れないようにしながら、必死に紙に線を引いていく。

 

 それから半刻ほど、地下一層の複雑な通路を歩き回る中で、シドウの過酷な実地訓練は続いた。

 

「止まれ」  

「は、はい!?」

 

 シドウの短い命令で、ガブリエラはピタリと足を止める。

 

「君の三歩先。空間が僅かに歪み、周囲の塵と埃が不自然に舞い上がっていない部分があるのがわかるか?」

 

 ガブリエラが目を凝らすと、確かに言われた通りの不自然な空気の淀みがあった。

 

「『転移罠』だ。

 踏めば迷宮のどこか、大抵は魔物の巣のど真ん中に飛ばされる。

 これは周到な観察でしかわからない。はじめはとにかく空間の違和感――大気の歪みを目視で探れ」 

「な、なるほど……」

 

 さらに歩を進めると、シドウは再び足を止めた。

 

「次だ。あの石畳の色が少しだけ薄く、周囲よりわずかに窪んでいるのがわかるか?」

「ええと……はい、見えます」

「『落とし穴』だ。

 古典的だが、この下には大抵、糞尿と毒を塗った槍の山が待っている。

 目で見るだけでなく、足裏の感触、石の軋む音、下から上がってくる空気の冷たさで察知しろ。

 迷宮の罠は、必ずどこかに構造的な不自然さを残している」

 

 シドウはそこらの小石を拾い上げ、勢いよくその窪みに投げ入れた。

 鈍い機械音と共に石畳が真っ二つに割れ、底知れぬ暗い穴がぽっかりと口を開けた。

 ガブリエラは青ざめ、思わず一歩後ずさる。

 

 さらに奥の通路に進むと、シドウは壁の一角を指で指し示した。

 

「壁に無数の細かい横線が入っているだろう。

 そして、石畳には古いが、拭き取りきれていない血痕の染みがある。

 これは典型的な『回転罠』の痕跡だ」

 

 シドウは背嚢から適当な長さの棒を取り出し、血痕が残る石畳を強く突いた。

 轟、と壁の隙間から回転する巨大な鉄の刃が飛び出し、通路の横幅を丸ごと薙ぎ払った。

 風を切る凶悪な音に、ガブリエラは思わず首をすくめた。金糸のような髪が揺れる。

 

「さ、殺意高すぎませんか」 

「――これでもまだましな方だ。

 言いたいことはわかるな。このように床だけに注意を払えばいいわけじゃない。

 己の五感すべてを使って空間上のあらゆるものを疑え」

 

 次から次へと洗礼のように浴びせられる、迷宮の底知れぬ悪意と、それを回避するための残酷なまでの生存術。

 ガブリエラはシドウの言葉はひとつたりとも聞き漏らすまいとメモを取り、そのすべてを記憶に刻み込んでいった。

 

「迷宮を舐めるな。だが、恐れすぎるな。

 知識と経験、そして冷静な観察眼があれば、不条理な死の確率は確実に低減できる」

 

 先を歩くシドウの背中は、言葉以上に雄弁にそう語っていた。

 ガブリエラは薄暗い迷宮の中で、己の手の中にある杖の冷たさを強く握り直し、決して弱音を吐かないと固く心に誓った。 

 彼女の冒険者としての本当の第一歩が、いま、この黴臭い地下の底で確かに刻まれ始めていた。

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