死体回収屋が、無窮迷宮の最深部を目指す   作:氷見崇瑞月

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遭遇

 地下一層を超えて、地下二層。

 薄暗い石造りの玄室に、少女の澄んだ、されど冷徹な響きを帯びた声がこだまする。

 

『――沸き立て、我が魔力よ。形成せしは大気を縛る凍てつく吐息、すなわち白銀にして傲然たる霊獣の牙』

 

 詠唱に応じ、ガブリエラが両手で握りしめた《玲瓏の月》の宝玉が鮮烈な光を放った。

 凛然(りんぜん)と立つ魔術師と相対するのは、錆びた鉈や汚らしい棍棒を構えた十数匹の小鬼だ。

 美しくも愚かな侵入者に対し、凌辱を行うべく殺到した魔物の集団は――異常な冷気にたじろぎ、その醜悪な顔に本能的な恐怖を浮かべた。

 恐懼に駆られ逃げようと短い足を反転させる者もいたが、その判断はあまりにも遅すぎた。

 

『《氷牙(アイス・ファング)》よ、穿て――ッ!』

 

 詠唱が終わり、魔術式が完成する。

 ガブリエラが鋭い呼気とともに杖を振り抜いた瞬間、虚空から鋭利な氷の杭が六本、同時に顕現した。

 それらは白銀の尾を引いて空を切り裂き、弾丸のような速度で小鬼の群れへと殺到した。

 凄惨な破砕音。

 最前列にいた小鬼数匹が氷牙に胸を貫かれ、絶叫を上げる間もなく全身を瞬時に内側から凍結させられた。

 さらに余波として発生した絶対零度の吹雪が玄室内部を吹き荒れ、後続の小鬼たちをも巻き込んでいく。

 数秒後、猛吹雪が晴れた回廊に残されていたのは、様々な姿勢のまま完全に凍りつき、前衛芸術もかくやの美しい氷像と化した小鬼たちの姿だった。

 ピキィ、と微かな亀裂の音が鳴ったかと思うと、氷像は限界を迎えたガラス細工のように一斉に砕け散り、微細な粒子となって虚空へと溶けて消えていった。

 

「……ふぅ」

 

 ガブリエラは白くなった息を吐き出し、杖を下ろした。

 杖がもたらす暴力的なまでの魔力増幅に振り回されることなく、見事に制御しきった証だった。

 

「――まあ、上出来だな。魔力の指向性は安定している。これなら囲まれても自爆はしないな」

 

 少し離れた後方で腕を組んでいたシドウが、重々しく頷いた。

 この段階ではまだ、愛剣の片手半剣(バスタードソード)をまだ抜く必要はないと判断しているのだろう。

 ふと、小鬼たちが消滅した部屋の奥――苔むした祭壇のような場所に、黒光りする鉄帯で補強された古びた木箱が鎮座しているのが見えた。

 

「あ、宝箱ですね。シドウさん」

 

 ガブリエラは翠緑の瞳を輝かせ、思わず駆け寄りそうになるが、直前でシドウから叩き込まれた教えを思い出し、ピタリと足を止めた。

 

「もちろん安易に開けてはだめですよね。何か恐ろしい罠が仕掛けられているかもしれませんから……」

 

 警戒して杖の先を向ける少女に、シドウはかすかに口の端をあげて宝箱の前に立った。

 

「ああ、そうだな。

 宝箱の状態をみるに俺たちより先にここの探索を完了した一党(パーティ)が見つけたもののように見える。

 だが、あいつらの内に宝箱の罠を安全に解除できる人員がいなかったんだな。

 無理に開けて死人が出るのを嫌い、諦めて放置していった。

 そこに、後から湧いた小鬼どもが棲み着いていた、というわけだ」

 

 シドウはそう解説しながら、背負っていた背嚢を下ろし、中から革製の小さな包みを取り出した。

 紐を解くと、中には大小様々な形状をした細い金属のピックや鉤状の道具、鋏がずらりと並んでいた。

 

「俺も解錠や罠外しの専門じゃないが、浅層程度の宝箱をこじ開ける最低限の技術はある」

 

 シドウは宝箱の前に片膝をつき、慣れた手つきで鍵穴の周辺を細長い金属棒で探り始めた。

 

「いいか、よく見ておけ。本物の宝箱を見つけたからといって、すぐに鍵穴に道具を突っ込むな。

 まずは箱の裏側、底面、そして蝶番の隙間を調べろ。

 そこに毒を塗った極細の針が仕掛けられていることが基本的に多い」

「は、はい……っ」

 

 ガブリエラも屈んで、シドウの作業を微に入り細を穿って観察する。

 正直見るだけではまったくわからず、少女は内心音を上げそうだった。

 

「あーまさにこういうところだな」 

 

 シドウは慎重に箱の側面を撫で、微かな出っ張りを確認すると道具の柄で押し込んだ。

 スイッチの一種だったのか、カチッ、という小さな音が鳴る。

 

「これで外部箇所の連動罠は死んだ。

 次は鍵穴だが……よし、開いたぞ。

 だが、解錠を終えても絶対にすぐには開けるな。一呼吸置いて、身体を横に逸らしながら慎重に開けたほうがいい」

 

 シドウの言葉に従い、ガブリエラも宝箱の正面から退避した。

 既に抜剣した片手半剣(バスタードソード)の剣先を使って、ゆっくりと宝箱の蓋をわずかに押し上げる。

 

 ――ヒュッ!!

 

 風を切る鋭い音と共に、宝箱の内部から黒い影が勢いよく飛び出した。

 それは、短い鉄矢だった。

 矢はシドウが先程まで顔を置いていた空間を通り抜け、背後の石壁に深々と突き刺さった。

 

「……このように、開けた瞬間に顔面を貫きにくる仕掛けが定番だ」

「ひっ……!」

 

 ガブリエラは青ざめ、思わず短い悲鳴を漏らした。

 もし正面に立って嬉々として開けていたら、今頃自分の顔面は矢に貫かれていただろう。

 

「まだ終わりじゃない。中を覗き込むなよ」

 

 シドウはピックを使い、宝箱の隙間からそっと差し込んだ。

 宝箱の蓋の裏側と底面を繋ぐように、髪の毛よりも細い透明なガラス糸が張られているのを見つけ出したのだ。

 

「蓋を全開にすると、このワイヤーが引っ張られて底にある揮発性の小瓶が割れて、中身の宝ごと爆散する。

 初心者殺しの二段構えだ」

 

 シドウはピックで慎重にワイヤーの張力を保ちながら、もう片方の手で小型の鋏を使い、見事に細い線を断ち切った。

 

 ふう、と短く息を吐き、ようやく宝箱の蓋を全開にする。

 中に入っていたのは、古びた銀貨が数十枚と、魔力を帯びた小さな琥珀の指輪だった。命懸けの罠の対価としては、いささか寂しい代物だ。

 

「……浅層の宝箱なら、この程度の古典的な罠だから、その気になれば俺たちでも解除できるかもしれない。

 だが、それ以降の宝箱は、専門の盗賊(スカウト)の連中に任せたほうが無難だな。

 あいつらは罠の気配を嗅ぎ分ける天性の鼻と、繊細な指先の感覚と技術を持っている。

 素人が手を出せば、一党(パーティ)ごと塵になる」

「な、なるほど……。迷宮の宝は、文字通り命と等価交換なのですね……」

 

 ガブリエラは神妙な面持ちで頷き、シドウが銀貨と指輪を革袋に仕舞うのを見届けた。

 

 その後もいくつか小規模な戦闘とマッピングの訓練を繰り返し、ふたりは地下二層の最奥――地下三層へと通じる、巨大な螺旋階段のある広間まで到達した。

 迷宮内の時間は地上とは異なり正確にはわからないが、肉体の疲労感が、相当な時間が経過していることを告げていた。

 

「今日の攻略はここまでだ。地下三層に降りる前に、この階段前の玄室で野営とする」

 

 シドウの宣言に、ガブリエラは安堵のあまりへたり込みそうになった。

 

 玄室の四隅にある石柱を囲むように、シドウは荷物から取り出した銀製の『聖印』を配置していく。

 さらに、小さな小瓶に入った『聖水』を、円を描くように石畳に撒いた。

 聖水が迷宮の邪気に触れると、微かに青白い燐光を放ち、空気中の澱んだ淀みを浄化していくのがわかる。

 

「これでいい……これだけで、下級の魔物は本能的に嫌悪感を抱いて近づいてこない。

 上位の魔物が来たら気休めにすらならないが、浅層のこの場所なら、一時の休息をとるには十分だ」

 

 シドウは火打石を使い、鮮やかな手際で持参した薪に火をつけていく。

 不器用な駆け出しの冒険者はこの簡単な作業でも割とてこずるのだが、死体回収屋のそれは一切の淀みもない、数万回と繰り返してきたかのような、手妻であった。

 ガブリエラも慣れないながらも食事の準備を手伝う。

 元高位貴族としてはほとんど無用なものではあったが、ガブリエラもこの迷宮都市に来るまでに多少料理の何たるかを学んでいた。

 ただ、不器用なのは否めず、シドウの足を引っ張ったり、作業を何度か中断することになりながら――少し時間が経って料理が完成した。

 

 

 

 

 

 

 迷宮食糧ならぬ迷宮飯(ダンジョンめし)は、驚くほどまともなものだった。

 迷宮内で食べるものといえば、石のように硬いパンと、保存のために過剰に塩をかけた干し肉、雑菌が湧いた革袋の水が相場だとガブリエラは本で読んでいた。

 が、しかし、焼き上げられた携帯用の黒パンは温かいスープに浸すと程よく解れ、香草で丁寧に燻された干し肉は塩気も丁度良く、噛めば噛むほど上質な脂の甘みが口の中に広がる。

 添えられた乾燥無花果は程よい酸味で疲労を和らげてくれた。

 さらに、シドウの持つ特殊な革袋の魔法効果のおかげで、水は氷水のように冷たく、汲みたてのような鮮度が保たれていたのだ。

 

「美味しいです……。もっと酷い食事を覚悟していました」

「食事の美味さは士気に関わる。

 それに回収屋は死体相手の陰鬱な仕事だからな。

 せめて飯くらいは美味いものを食わないと精神が死ぬ。

 それに、元貴族の女に下手なモノを出すわけにはいかないからな」

 

 つまらなそうな顔でシドウは干し肉を食い千切った。

 

「気を遣っていただき、恐縮です……」

 

 結界の中で飲む冷たい水は、極度の緊張から解放されたガブリエラの細胞の隅々にまで染み渡り、生きているという実感を強烈に喚起してくれた。

 

 数時間の仮眠を取り、体力と魔力を回復させたふたりは、いよいよ第三層へと足を踏み入れた。

 野営を終え、長く続く階段を降りきった先は、第二層とは明らかに空気が異なっていた。

 石造りの通路に満ちる湿気はより濃く、肺を満たす空気には強烈な獣の体臭と、饐えた血の匂いが混じっていた。

 

「気を引き締めろ。三層以降から狗人(コボルト)が出現する。

 浅層の死神たる狂鬼(マッドオーガ)の遥か足元にも及ばない魔物だが、小鬼とは膂力も生命力も比較にならない」

 

 シドウの警告に、ガブリエラはごくりと唾を飲み込み、世界樹の杖を強く握り直した。

 

 しかし――奇妙だった。

 地下三層に立ち入ってからしばらく歩を進めても、狗人(コボルト)の姿はおろか、魔物と遭遇する気配が一切ないのだ。

 それどころか、迷宮の壁や床には、執拗に切り刻まれたような狗人(コボルト)の肉片や、大量の黒い血痕が点々と残されていた。戦闘の跡というよりは、一方的な蹂躙、あるいは解体後の残骸に近い。

 

「……シドウさん。なんだか、嫌な予感がします」

「ふむ」

 

 不穏なものを感じ取ったのか、シドウも片手半剣(バスタードソード)のグリップに手を添えていた。

 

 その時だった。

 前方から続く薄暗い曲がり角の奥から、ピチャ、ピチャ、と足音が近づいてくるのが聞こえた。明らかに普通の魔物の足音ではない。

 

 澄光(リュミア)が届く境界線から、ぬるりと『それ』が現れた。

 

 ガブリエラは、自分の目を疑った。

 現れたのは、優男じみた風貌の男だった。

 魔物が徘徊する迷宮の地下三層であるにもかかわらず、男は上半身に一切の防具を着けていない。

 蠟のように青白い筋肉、そして、その筋肉の隙間を埋めるように、全身が返り血で真っ赤に染まっている。

 

 そして何より恐ろしいのは、双眸だった。

 極度に拡張した瞳孔が、焦点の合わない狂気の光を宿してガブリエラたちをねっとりと見つめている。

 

 男は首をコキリと傾げると、顔面を歪ませて甘ったるい笑みを浮かべた。

 

「―――おや、おやおやおやおやおや? この甘く澄み切った香り、これはまさしく極上の処女だねえ」

 

 男の低くしゃがれた声が、通路に反響する。

 彼は血塗れの両手をワナワナと震わせながら、自身の胸筋を掻き毟るように擦り上げた。

 

「……すまない、そこの可愛らしいお嬢さん……。僕のためにその美しい身体を捧げてくれないかい?」

 

 ガブリエラの背筋を、狗人(コボルト)の気配よりも遥かに悍ましい、圧倒的な恐怖の悪寒が駆け抜けた。

 迷宮の底で出会ったのは、未知の魔物だった。

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