あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「なんじゃこりゃー!!」
都内の閑静な住宅街にあるマンションの一室。朝の清々しい空気を切り裂くように、悲痛な叫び声が響き渡った。
その叫び声を上げたのは、洗面所の鏡の前に立つ一人の美少女であった。
陶器のように滑らかで透き通るような雪肌に、光を反射して輝く亜麻色の髪が肩のラインで美しく揺れている。吸い込まれそうなほど澄んだ二重の大きな瞳は、見る者の心を瞬時に奪うような引力があり、すっと通った鼻筋と艶やかな桜色の唇が、まるで一流の芸術家が精魂込めて造り上げた彫刻のような黄金比を形成している。
国民的アイドルグループの絶対的センターを連れてきても裸足で逃げ出すであろう、現実離れした『圧倒的』な美少女だ。十五歳ほどに見えるその姿は、神が細部まで妥協せずに創り上げた最高傑作としか言いようがなかった。
しかし、その超絶美少女の行動は、可憐な容姿とはかけ離れたものだった。
彼女は着ていたブカブカのスウェットを乱暴に脱ぎ捨てると、下着すら身につけていない素っ裸の状態で、自らの全身をベタベタと弄り回し始めたのだ。
「うおっ、なんだこの柔らかいふくらみは……! って、胸か!? それに腰が細い! 肌がツルツルだ! いや待て、それよりも重大な問題が……ない! 俺の、俺の長年連れ添った相棒がないぃぃっ!?」
股間をまさぐり、あるはずのモノがないことに絶望的な表情を浮かべる美少女。
「こ、こんなことがあるのか……」
ペタンと床に座り込み、美少女の口から漏れたのは、その美麗な姿には到底似つかわしくない、枯れたおっさんのような重苦しい呟きだった。それもそのはずである。なぜなら彼女は、いや『彼』は、昨日までは正真正銘、紛れもないおっさんであったからだ。
彼の名は、佐藤卓(さとうすぐる)、四十八歳。
世界最大のエネルギー企業『サージョトレーディング』で、総務部長という重職に就いているサラリーマンである。
とはいえ、彼自身にエリートと呼べるほどの並外れた才能があるわけではない。この会社は近年急速に事業を拡大しており、卓は偶然にもその拡大初期に転職で滑り込むことができたのだ。会社の異常なほどの成長という波に運良く乗り、創業期メンバー特権のような形で気づけば今のポストに収まっていたため、自身の能力は「悪くはないが、まあそこそこ」だと自覚している。
私生活では独身をこじらせ、体型は不摂生が祟って小太り。おまけに最近は頭頂部の砂漠化が著しく進行しており、毎朝鏡の前でため息をつくのが日課の中年男であった。
そんな卓が、なぜこんな姿になってしまったのか。
今朝、ベッドで目を覚ました時、彼は強烈な『違和感』を覚えた。いつも着ているスウェットがまるで毛布のように大きく感じられ、視界の高さも明らかに違う。何より、体が信じられないほど軽く、寝起きの慢性的なだるさが一切なかったのだ。
あまりの調子のよさに嫌な予感がして、慌てて洗面所の鏡の前に駆け込んだ結果……そこに映っていたのは、ハゲ散らかした小太りのおっさんではなく、見知らぬ超絶美少女だったというわけである。
「嘘だろ……夢なら覚めてくれ……」
己の頬をつねってみるが、痛みはしっかりと感じる。もちもちした柔らかく弾力のある頬の感触は、現実以外の何物でもなかった。
しかし、混乱の極みにある一方で、卓の脳の片隅では妙に冷静な分析も始まっていた。
(……それにしても、なんて体のキレだ。いつもなら朝起きるだけで三十代から患っている腰が悲鳴を上げるのに、全く痛くない。肩こりも消え失せているし、視界もクリアだ。なんだこの圧倒的な健康体は……!)
試しにその場で軽く屈伸をしてみる。滑らかに動く関節。羽のように軽い身体。長年背負ってきた四十代の重りが嘘のように消え去っていた。健康的な身体の素晴らしさに、思わず感動の涙が出そうになる。
「って、感動してる場合じゃない!!」
卓は我に返り、頭を抱えた。どうしてこうなったのか、原因は全くわからない。昨日変なものを食べた記憶もなければ、怪しい光を浴びた記憶もない。いつ、どうすれば元の小太りのおっさんに戻れるのか、それすらも完全に謎だ。
途方に暮れる卓。
(このままだったら、俺はどう生きていけばいいんだ……? 四十八歳、総務部長が、今日から十五歳の美少女になりましたなんて、誰が信じる? 戸籍はどうなる? 年金は!?)
現実的な問題が次々と押し寄せてくる。その時、ふと洗面台の端に置かれた時計が目に入った。
『8:30』
「――っ!?」
サージョトレーディングの始業時間は九時である。普段なら、とうに出勤の満員電車に揺られている時間だ。完璧な遅刻である。
「や、やばい!! 出社時間だ!!」
己が美少女になったことすら一瞬忘れ、長年のサラリーマンの習性が卓を突き動かす。彼は混乱に拍車を掛けながらリビングに駆け込み、テーブルの上に放り出されていたスマートフォンを手に取った。
連絡先から会社を引き出し、通話ボタンをタップ。
『プルルルル、プルルルル……はい、サージョトレーディング管理部です』
「あっ、おはようございます! 総務部の佐藤ですが!」
電話に出たのは、卓の直属の上司にあたる管理部本部長だった。いつも通りに報告しようとした卓だったが、そこではたと気づく。自分の口から飛び出したのは、野太いおっさん声ではなく、鈴を転がすような高く可愛らしい少女の声だったのだ。
(しまった! 声まで変わってるじゃないか! これじゃイタズラ電話だと思われる!)
慌てて言い訳を捻り出そうとした卓だったが、電話の向こうの本部長は、沈黙のあと、なぜか冷静な声でこう言った。
『……佐藤、か?』
「えっ?」
卓は目を丸くした。声が全く違うのに、なぜ本人だと気づいたのか。
「ほ、本部長? どうして俺だと……いや、その、私が佐藤だとおわかりで……?」
『……とりあえず、電話では話せん。社長にはこちらから話を通しておく。遅刻しても構わん、お前はそのまま出社してこい』
「えっ!? 出社!? いや、あの、私今、信じられないことになってまして——」
『いいから来い。待っているぞ』
ツーツー、と無情な通話終了の音が鳴り響く。本部長のどこか艶のある低い声が、耳の奥に不思議な余韻を残していた。
「なんなんだよ、いったい……」
スマホを握りしめたまま、卓は呆然と立ち尽くした。
声が変わっているのに、なぜ本部長は俺だと気づいたのか。それに「社長に話を通しておく」という異常なほどの理解の早さと対応。
もしかして、本部長はこの性転換について、何か知っているのだろうか?疑問にまみれ、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
しかし、上司の命令は絶対である。社長にまで話が通っているなら、行かないわけにはいかない。
卓は覚悟を決め、出勤の準備をするためにクローゼットを開けた。
そして、三秒で硬直した。
そこに並んでいるのは、小太りの中年男性用の、地味で大きなスーツの群れだけ。今の十五歳ほどの華奢な美少女の身体に合う服など、一着たりとも存在しないのである。
「……まず、何を着ていけばいいんだ?」
世界最大のエネルギー企業に偶然滑り込んだ男、佐藤卓の、美少女としての前途多難な一日が、今まさに幕を開けようとしていた。