あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「これでよしっと」
カチャカチャと小気味よくキーボードを走らせ、最後にエンターキーをターンッ!と叩く。
優莉(卓)は、新しく購入したばかりのハイスペックなノートパソコンの前で、ふぅ、と大きく安堵の息を吐き出した。
あの九条社長から、総額六億七千万円という途方もない数字が印字された通帳を受け取ってから、早くも二週間が経っていた。
最初の一週間ほどは、道を歩けば誰かに尾行されているのではないか、強固なセキュリティを誇るこの超高級タワーマンションにすらプロの強盗団が押し入ってくるのではないかと、小市民丸出しの被害妄想に取り憑かれて怯える日々を過ごしていた。だが、当然ながらそんなサスペンス映画のような展開が起きるはずもない。優莉の身の回りは平和そのものであった。
極度の緊張状態からようやく落ち着きを取り戻した頃、優莉の頭をもたげたのは「この巨額の資産をどうするか」という現実的な問題である。
六億七千万という大金を、ただ一つの銀行口座に預金として眠らせておくのは、元・世界企業の総務部長としての知識と経験が許さなかった。インフレによる貨幣価値の目減りや、万が一の銀行破綻リスクを考えれば、ただ貯め込んでいるだけではかえって不安になってしまうのだ。
「お金は働かせてこそ、心の平穏をもたらす……」
そう呟き、優莉は新しく複数の証券口座を開設し、パソコンの画面と睨めっこしながら、慎重に、かつ大胆に資産の分配(ポートフォリオの構築)を行っていたのである。
そして、その緻密な作業がようやく一段落したのが、今この瞬間だった。
六億七千万円の現金の使い道は、以下の通りに決定した。
まず、いざという時のための流動資産として『一億七千万円』を現金として複数の銀行口座に分散して残す。
次に、『三億円』を日本、米国、先進国、新興国の高配当株インデックスファンド等に均等に分配して投資。
さらに、安全資産の究極系として『五千万円』をゴールドバー(金地金)の現物購入に充てる。
最後に、『一億五千万円』を日本、米国、先進国の優良な国債・社債へと投じた。
「よし……これで完璧だ」
画面上の見事な円グラフを見て、優莉は深く頷いた。
高配当株と債券の利回りを保守的に見積もっても、これだけで何もしなくても毎年一千五百万円近い現金が、配当や利子として手元に入ってくる計算になる。税引き後でも毎月百万円、十分すぎる額だ。家賃、ではなく管理費と修繕積立金は二十年分前払い済みなので、まさに一生遊んで暮らせる不労所得システムの完成である。
「はぁーっ……疲れたぁ……」
一大プロジェクトとも言える大仕事をやり遂げた優莉は、額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
会社で働いていた時は、部署の予算としてこれよりもずっと大きな数十億単位の金額を日常的に動かしていたはずである。しかし、いざそれが「自分の完全な個人資産」となると思いのほか手が震え、マウスをクリックするのにも異常なほど慎重になってしまった。
他人の金と自分の金では、重みが全く違うのだと、優莉は変なところでサラリーマンの性を実感していた。
「ずっとパソコンに向かってたから、身体が凝り固まっちゃったな……」
首をぐるぐると回し、両腕を上に伸ばして背伸びをする。十五歳の瑞々しい肉体はしなやかに伸びるだけで、痛みの欠片もない。
「よし、ちょっとジムに行って汗を流してくるか」
優莉は立ち上がると、クローゼットからお気に入りのスポーツウェア――と言っても、動きやすさ重視のシンプルなジャージの上下――を取り出して着替えた。
実は優莉、一ヶ月ほど前からマンションに附設されている住人専用のフィットネスジムに通い始めていた。
四十八歳のおっさん時代は、メタボリックシンドローム予備軍として健康診断のたびに運動を勧められてはいたものの、仕事の疲れと腰の痛みを理由に全く運動していなかった。
しかし、この十五歳の美少女の身体になってからというもの、とにかく動くのが「楽」なのだ。階段を登っても息切れ一つせず、関節の痛みもなく、羽根が生えたように足取りが軽い。その圧倒的な身体の軽快さに感動した優莉は、すっかり身体を動かすことの楽しさに目覚め、運動習慣がしっかりと身についていたのである。
タオルとウォーターボトル(水筒)を持ち、エレベーターでマンションの共用フロアへと降りる。ガラス張りで最新鋭のマシンがズラリと並ぶフィットネスルームは、いつ来ても高級ホテルのような清潔感と静けさに包まれている。
ストレッチエリアで入念に準備体操を済ませた後、優莉はランニングマシーンに乗り、速度を時速九キロに設定して走り始めた。タッタッタッ、と軽快なリズムで走っていると、隣の空いていたマシーンに誰かがやってきて、同じように走り始めた。
「こんにちは」
不意に、隣のマシーンから涼やかな声がかけられた。
「あ、こんにちは」
走りながら優莉が挨拶を返し、チラリと横に視線を向ける。そこにいたのは、タオルを首にかけ、スタイリッシュなウェアを着こなした美しい女性だった。その整った顔立ちには見覚えがある。いや、見覚えがあるどころではない。昨日、ゴールデンタイムのテレビドラマで主役を張っていた、今をときめく超有名女優その人であった。
(テレビで見るより、ずっと顔が小さくて綺麗だなぁ……)
と、優莉は内心で呑気に感心していた。
以前にも触れたかもしれないが、この青山の超高級タワーマンションは、その尋常ではない家賃と強固なセキュリティから、IT長者や有名タレント、実業家などが多く住んでいるのだ。優莉もジムに通う中で、テレビや雑誌で見かけるような顔ぶれとすれ違うことに、少しずつ慣れてきていた。
この女優とは、数日前にジムで初めて顔を合わせ、それから会うたびに何度か軽い挨拶や会話を交わすようになっていた。
とはいえ、初めて会った時の女優の反応は、今思い出しても少しおかしなものだった。隣で走り始めた優莉の顔を二度見、三度見した挙句、ランニングマシーンの歩調が乱れて危うく転びそうになり、「えっ、な、なにこの子……顔ちっさ! 肌きれっ! CG!?」と、プロの女優らしからぬ素っ頓狂な声で驚愕していたのだ。
優莉自身は、自分の姿を鏡で見ない限り「自分が国宝級の超絶美少女である」という事実を忘れてしまう四十八歳のおっさんメンタルであるため、いつも周りの人間が自分を見て目を見開いたり、固まったりする反応に「なんだなんだ?」と驚いてしまうのだった。
「今日も頑張ってるわね」
「はい。身体を動かすと、スッキリしますから」
女優と他愛のない会話を二言三言交わし、優莉は再び前を向いて走ることに集中した。
三十分ほど有酸素運動をこなし、じんわりと汗をかいたところで、優莉はマシーンを降りて奥のフリーウェイトエリアへと向かった。
ここからが、優莉のジムでのメインメニューである。
「よしっ……」
優莉はバーベルが置かれたパワーラックの前に立ち、気合を入れる。おっさん時代には腰痛が怖くて絶対に手を出せなかった、筋トレの王道である『BIG3』――スクワット、デッドリフト、ベンチプレスの三種目だ。
健康で靭帯も柔らかい十五歳の肉体ならば、正しいフォームさえ身につければ怪我のリスクも少ない。
まずはスクワット。両端に五キロずつのプレートを取り付け、女性が上げるにはそれなりにキツいが、スタイルの維持やヒップアップにはちょうど良い無理のない重さである三十キロに設定したバーベルを肩に担ぎ、足を肩幅に開く。
(股関節から曲げて……膝がつま先より前に出ないように……)
頭の中でフォームを確認しながら、ゆっくりと腰を深く沈め、そして息を吐きながら力強く立ち上がる。華奢な少女の身体に見えるが、毎日の地道なトレーニングの成果もあり、三十キロの重さにもブレることなく綺麗なフォームで十回を三セットこなした。
続いて、少し重さを足して四十キロに設定し、床に置いたバーベルを引き上げるデッドリフト。背中と太もも裏の筋肉を意識しながら、これも丁寧なフォームでクリア。
最後にベンチプレス台に仰向けになり、重りはつけず二十キロのシャフト(バー)のみをしっかりと握る。女性の初心者が胸まで下ろして持ち上げるには結構な重量だが、大胸筋を意識してしっかりと押し上げた。
「ふぅ―――っ、ふぅーっ……」
全てのメニューを終えた優莉は、全身の筋肉が心地よくパンプアップしているのを感じながら、満足げに息を吐いた。
ジャージ姿の可憐な美少女が、ガチのトレーニーが使うようなフリーウェイトエリアで黙々とBIG3をこなすという非常にシュールな光景であったが、優莉本人は自分の世界に入り込んでおり、全く気にする様子はなかった。
「あー、いい汗かいた!」
備え付けのタオルで顔の汗を拭い、優莉はシャワールームへと向かう。高級ホテルのような個室シャワーで汗を流し、サッパリとした気分でジムを後にした優莉は、自分の部屋である八億四千万の城へと帰っていった。
――優莉は知らない。
彼女が去ったあとのフィットネスジムが、いつも奇妙な熱気とざわめきに包まれていることを。
「ねえ……あの子、また来てたわね」
優莉の隣で走っていた有名女優が、ストレッチマットの上でマネージャーらしき女性とひそひそと囁き合っていた。
「どこの事務所の子か、分かった?」
「いえ、それが……どのツテを頼っても、あんな規格外のビジュアルの子なのに情報が一切引っかからないんです。大手なら絶対に囲い込んでるはずなんですが」
「だよねぇ……。あの顔の小ささ、バランス、おまけにあの透明感。もしあの子がデビューでもしたら、うちの若手女優陣、全員吹っ飛ばされるわよ……?」
このマンションに住む芸能人やモデルたちは、突如ジムに現れるようになった『名もなき超絶美少女』の存在に、自分たちの地位を脅かされるのではないかと密かに戦々恐々としていたのだ。
一方で、そんな芸能界の勢力図など知ったことではない一般の富裕層――ベンチャー企業のIT社長や、投資家のおじさんたちは、全く別の反応を示していた。
「いやあ……今日もいいものを見たな」
「ああ。あんなに可愛らしいお嬢ちゃんが、一生懸命バーベル上げてる姿……それだけで、今日の仕事の疲れが吹き飛んだよ」
「眼福、眼福」
ドリンクサーバーの前でプロテインを片手に、IT長者のおじさんたちはデレデレと頬を緩ませ、完全に『推しを見守るファン』の顔になっていた。
自分がジムに行くたびに、芸能界に激震を走らせ、日本の経済を回すおじさんたちに極上の癒やしを提供していることなど、優莉は知る由もない。
部屋に戻った優莉は、冷蔵庫からよく冷えた麦茶を取り出して一気に飲み干すと、「よし、明日は由愛とカラオケの日だな!」と、ご機嫌な顔で新しい人生のスケジュール帳を眺めるのであった。
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