あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第十七話 高校物理は「息抜き」です

「やばい、やばいやばい……っ!」

 

 八億四千万の超高級タワーマンションの一室。その広々としたリビングで、優莉(卓)は頭を抱えて悲鳴を上げていた。大理石の立派なダイニングテーブルの上には、近くの書店で買い込んできた高校生向けの参考書や問題集、そして真新しいノートが乱雑に散らばっている。

 

 事の発端は、数日前に由愛の友人たち(玲奈、琴音、雫)とファミレスで顔合わせをした時のことだった。

 

 彼女たちとの会話の中で、優莉は遅ればせながら気づかされたのである。自分が二学期から通う『渋谷学林中学高等学校(渋学)』の編入試験を通ることが、世間一般の高校生から見てどれほど「ヤバい」ことであるのかを。

 

 会社が寄付金と圧倒的権力でねじ込んでくれたため、優莉自身は試験らしい試験を受けていない。つまり、完全なる『裏口編入』である。あの時は「私の学力ならなんとかなるだろう」と高を括っていたが、いざ授業が始まって最初のテストで赤点でも連発しようものなら、「なんだあの転校生、あの学力でどうやって渋学に入ったんだ?」と一発で裏口がバレてしまう。

 

 それに焦った優莉は、後日すぐに高校の参考書を全教科ドサッと買い込み、現在の自分の学力の棚卸しを始めたのである。

 

 やってみると、一部の科目は驚くほど簡単に解けた。

 

 現代文は、複雑な契約書や稟議書を毎日読み込んでいた元・総務部長の読解力にかかれば、筆者の意図など手に取るようにわかる。英語に関しても、サージョトレーディングという会社の半数が外国人で社内公用語が英語と日本語だったこともあり、ビジネスレベルの長文読解や英作文など造作もない。政治経済や現代社会に至っては、四十八年の人生経験と実社会でのビジネス経験そのものであり、高校三年生レベルの模試であってもほぼ満点が取れそうだった。

 

「よしよし、この辺りは全く問題ないな。さすが俺」

 

 と安心したのも束の間。問題は、それ以外の科目だった。

 

「えっと……サイン、コサイン、タンジェント……? 微分積分の、極限……? アボガドロ定数って、なんだっけ……?」

 

 数学、化学、物理。

 

 四十八年の人生で、大学受験を最後に全く使うことのなかった公式や解法は、優莉の脳内で見事なまでに虫食い状態になっていた。

 

 基礎的な計算力や論理的思考力はあるため、解説を読めば「あー、こんなのあったな」と思い出せる部分は多い。できるところはかなりできるのだが、忘れているところは本当にさっぱり、一片の記憶も残っていないのだ。

 

「うーん……これ、右辺をどう展開するんだっけ……ああもう、全然思い出せない!」

 

 シャーペンを握りしめたまま、優莉はテーブルに突っ伏した。

 

 二学期が始まるまでの残りの期間で、なんとか復習を行わなければならない。暗記科目はもともと得意なので、歴史などの文系科目は後回しにすることにした。まずは積み重ねがモノを言う数学と理科系科目(物理・化学)に集中的に取り組む必要がある。

 

 しかし、独学で虫食い状態の記憶をパッチワークのようにつなぎ合わせるのは、ひどく効率が悪かった。

 

「……仕方ない、頼れるものは会社だ」

 

 優莉はスマホを手に取り、直属の元上司であるケーリー本部長に「高校の勉強で少し手詰まりになっている」と相談のメッセージを送った。家庭教師でも紹介してもらえないかという淡い期待だった。

 

 すると翌日、タワーマンションのインターホンが鳴り、優莉の部屋にやってきたのは――以前、美少女化の経過観察や女性化スパルタ特訓を担当してくれた、サージョトレーディング開発部の白衣を着たエリート研究員の松田たちだった。

 

「お困りのようですね、優莉ちゃん! 本部長から直々に命を受けて、家庭教師に参りました!」

 

「えっ、開発部の人たちが!? いやいや、皆さんのような超エリートに高校生の勉強を教えさせるなんて、恐れ多すぎますって!」

 

 優莉が慌てて辞退しようとするのも無理はない。彼女たちは、MITやハーバードを首席レベルで卒業し、世界トップクラスの頭脳が集まるサージョの開発部で日夜未知のエネルギー研究をしているバケモノたちである。優莉自身よりも、余程の高学歴なのだ。

 

 しかし、彼女たちはニコニコと笑いながら優莉を強引にテーブルに座らせ、参考書を開いた。

 

「優莉ちゃん、難しく考えすぎですよ。都内有数の進学校といっても、恐るるに足りません。高校レベルの数学や物理なんて、この世界の現象を読み解くための基本的なルールセットに過ぎないんですから」

 

「は、はあ……ルールセット……」

 

「ええ。私たちが普段扱っている業務からすれば、これらは息をするのと同じくらい当たり前の基礎ツールです。難しく考えず、パズルを解くようにサクッと片付けちゃいましょう!」

 

 彼女たちの言葉には、高校の勉強を下に見るような嫌味は一切なかった。ただ純粋に、この世の真理を探求する彼女たちにとっては、これくらいできて当たり前の呼吸のようなものという、圧倒的な天才ゆえの感覚がそこにあった。

 

 こうして、世界最高の頭脳集団による、優莉の高校準備(スパルタ学習)が幕を開けることとなる。

 

 彼女たちの教え方は、まさに『合理的』の一言に尽きた。

 

「公式を丸暗記しようとするから忘れるんです。物理の公式は基本的にこの根本的な法則から派生しています。この一つのアルゴリズムさえ理解していれば、あとは試験中に自力で導き出せます」

 

 松田は手に持ったペンで、ホワイトボードに鮮やかな数式のツリーを描き出した。複雑な公式が、たった一つの単純な定義から枝分かれしていく様は、まるで洗練されたプログラムのソースコードのようだ。

 

 彼女は戸惑う優莉を置き去りにしたまま、間髪を容れずに隣の化学のテキストを広げた。その瞳には、非効率な暗記作業を許さない「教育係」としての厳しい光が宿っている。

 

「化学の反応式も同じです。電子の動きのルールという要件定義をまず理解しなさい」

 

 無駄な暗記を極力省き、物事の根幹となる理屈と法則だけを脳にインストールさせる。ビジネスの構造理解にも似たそのアプローチは、元・大企業管理職である優莉の思考回路に恐ろしいほどピタリとハマった。

 

 ただし、その要求レベルと進むスピードは容赦のないスパルタであった。

 

「はい、じゃあ今の理屈を使ってこの応用問題十問、三分で解いてください」

 

「えっ、三分!? 無理無理無理!」

 

「できます。手を動かして!」

 

 ――そうして二週間後。

 

「……できた」

 

 優莉は、高校二年生までの範囲の物理の難問を解き終え、シャーペンを置いた。それに開発部の研究員が赤ペンでササッと丸をつける。

 

「完璧ですね。素晴らしい理解力です」

 

「ふふん、これで二年生の範囲までは完全にマスターしたかな」

 

 優莉は満足げに余裕の表情を浮かべた。

 

 もとより有名国立大をストレートで卒業した地頭の良さがあった。そこに、世界一の家庭教師陣の合理的な指導が加わった結果、優莉の学力は凄まじいスピードで回復――いや、現役時代以上に向上していた。

 

 何より優莉自身が驚いていたのは、自分の脳の吸収力と効率だった。一度聞いた理屈が、乾いたスポンジが水を吸うようにスルスルと定着していくのだ。

 

(これが、十五歳の若返った脳の力か……。おっさん時代は、昨日の晩飯のおかずすらおぼつかなかったのにな)

 

 身体だけでなく、脳細胞まで若返っている効果を実感し、優莉は感動を覚えていた。

 

「この調子だったら、二学期までに三年生の範囲まで全部終わらせちゃおうかな」

 

「その意気です。私たちも、とことんサポートしますよ」

 

 ――ちなみに、優莉はこの時、大きな落とし穴に気づいていなかった。

 

 得意だからと後回しにしていた「歴史」などの暗記科目。実はこの三十年の間に、歴史の研究が進み、教科書に載っている年号や国名、歴史上の人物の名前(例えば「鎌倉幕府の成立年」や「リンカーン」の表記など)が大幅に変わっていることなど、四十八歳のおっさんは知らなかったのだ。その罠に気づいて優莉が阿鼻叫喚の悲鳴を上げるのは、もう少し先の話である。

 

「いやあ、本当に助かりました。皆さんのような重要な研究をしている方々の、貴重なお仕事の邪魔をしてしまって、本当にすみません」

 

 その日の指導が終わり、帰り支度をする開発部の三人に、優莉は深々と頭を下げて謝罪した。すると、リーダー格の女性研究員はニコッと笑って首を振った。

 

「いいえ、とんでもない。高校の数式って、条件さえ揃えば必ず『正解』が一つに決まるじゃないですか。普段、正解のない未知のエネルギー法則ばかり相手にしている私たちからすると、すごく綺麗なパズルみたいで、頭のいい息抜きになるんですよ」

 

「…………えっ?」

 

 優莉の顔が引きつった。

 

(あ、あの、東大受験生でも泣き出しそうな難易度の応用物理の問題が……息抜き……だと?)

 

 改めて、彼女たちの住んでいる次元の違いに戦慄する優莉。

 

「ああ、そうだ」

 

 玄関に向かいかけた研究員が、ふと思い出したように振り返った。

 

「優莉ちゃん、今度うちの研究室で、簡単な健康診断をさせてくださいね」

 

「健康診断、ですか?」

 

「ええ。魔導具の影響で身体が変化してから数ヶ月経ちますし、今は何もないと思いますが、後から何かあるといけませんから。念のため、三ヶ月に一度は私たちのところで定期検査をしましょうね。約束ですよ?」

 

「あ、はい。わかりました。お気遣いありがとうございます」

 

 優莉は素直に頷き、彼女たちを笑顔で見送った。

 

 バタン、と玄関のドアが閉まる。廊下を歩きながら、開発部の三人はホクホクとした顔を見合わせていた。

 

「やったわね。これで三ヶ月に一度は、合法的に優莉ちゃんを研究室に呼べる口実ができたわ」

 

「ええ。もちろん魔導具による変化のサンプリングをしたいのも事実だけど……あんなに可愛くて素直で、教え甲斐のある優莉ちゃんとの関係を、ここで絶ちたくなかったのよね」

 

「次はどんな可愛い検査着を着せましょうか。ふふふ……」

 

 彼女たちの本当の目的が、純粋な医学的見地からの心配半分と、「ただ単に国宝級美少女である優莉を愛でたい」というオタク的な欲望半分であったことに、純朴な元・おっさんの優莉は気づくはずもなかった。




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