あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「お、おはよう、ございまぁす……」
サージョトレーディング本社ビル、管理部フロア。
おずおずとした、しかしフロアのピリッとした朝の空気を一変させるほど澄み切った可愛らしい声が響いた。
声の主は、サイズの合っていないゆるゆるの国内最大手衣料メーカーの無地Tシャツに、ダボダボのグレーのジャージを紐で無理やり縛って履いているという、ちぐはぐ極まりない格好をした十五歳ほどの超絶美少女である。
彼女——いや、中身は四十八歳のおっさんである佐藤卓は、首から下げた『頭頂部の寂しい小太り中年男性』の写真がプリントされた社員パスをゲートに震える手でかざし、ビクビクと管理部へと足を踏み入れた。
ここまで来る道のりは、卓にとって文字通り針のむしろだった。
マンションを出て最寄り駅に向かう道すがら、すれ違う老若男女が例外なく足を止め、ポカンと口を開けて卓を振り返った。駅のホームに立てば、対向ホームのサラリーマンたちから一斉に熱のこもった視線が突き刺さる。
極めつけは満員電車だ。普段の卓なら、汗ばんだ小太り中年として周囲から微妙に距離を置かれるのが常だった。
しかし今日は違う。卓の周囲だけモーセの十戒のごとく空間が空き、けれど乗客全員の目はチラチラ、いやガン見レベルで卓の全身を舐め回すように見ていたのだ。スマホをいじるふりをしてカメラを向けてきそうな若者までいて、卓は生きた心地がしなかった。
(ううっ……やっぱり見られてる。いくらなんでも、この格好は変だったか……!)
卓は周囲の視線を痛いほど感じながら、顔を真っ赤にして俯いた。彼には到底考えが及んでいないのだ。周囲の人間が驚愕しているのは、奇抜なファッションのせいではない。
陶器のように滑らかで透き通るような雪肌。光を反射して輝く亜麻色の髪。吸い込まれそうなほど澄んだ二重の大きな瞳と、すっと通った鼻筋、艶やかな桜色の唇。神話の女神もかくやという『現実離れした圧倒的ビジュアルの美少女』が、なぜかフラッと現れたことに度肝を抜かれているのだということに。
だが、卓本人が極度に怯え、内股気味にモジモジと歩いているのには、もう一つ致命的な理由があった。
このダボダボのジャージの下には、恐るべき秘密が隠されている。
――そう、ノーパンである。
朝、家を出る直前に気づいたのだ。四十八歳の中年太り用トランクスなど、今の華奢な腰回りには到底引っかからないことに。履いたそばからストンと落ちてしまうため、やむを得ず素肌に直接ジャージを着込んで出社してきたのである。
(股間がスースーして、すげえ心許ない……! 駅の階段登る時なんて、下から風が吹き上げてきて気が気じゃなかったぞ……!)
布一枚隔てた先はすぐ下半身という圧倒的な無防備さに、卓は涙目になるしかない。その姿がまた、周囲から見れば「見知らぬ場所に迷い込んだ小動物のような可憐な美少女」に映り、ただでさえ凄まじい破壊力を持つ容姿に、庇護欲を煽るという凶悪なバフをかけていた。
管理部のフロアに入っても、状況は同じだった。キーボードを叩く手が止まり、コーヒーをすする手が止まる。誰もが目を見開き、厳重なセキュリティを突破して入ってきた謎の超絶美少女を凝視している。
そんな異様な空気に包まれたフロアの奥から、ズシン、ズシンと重たい足音を鳴らして近づいてくる大柄な影があった。ハリウッドのアクション映画で屈強な傭兵役でもやっていそうな、がっしりとした体格のアメリカ人――卓の直属の上司である、管理部本部長のケーリー・グレインだ。
見慣れぬ美少女の登場にざわめきすら起きないフロアのド真ん中で、ケーリー本部長は鋭いヘーゼル色の瞳で卓を真っ直ぐに見下ろした。
「……おまえ、佐藤か? 詳しい事情は社長が説明してくれる。ついてこい」
流暢な日本語だが、腹の底に響くような威圧感のある声。卓はビクッと華奢な肩を揺らしながらも、「は、はいぃ……」と裏返った甘い声で答え、大人しく彼についていく。
「ほ、本部長! いったい、どうなってるんですか!? 私の身体、こんなことになっちゃって……何か知ってるんですか!?」
涙目で上目遣いに訴えかける超絶美少女(中身は部下のおっさん)。並の男ならその可愛らしさに即座に陥落しそうなものだが、ケーリーは太い腕を組み、深く顎を撫でただけだった。
「やはり佐藤なんだな。その社員パスといい、俺の目を見て怯えるその情けない態度は確かに佐藤のものだ。……そうか。」
有無を言わさぬケーリーの態度に、卓は混乱したまま再び歩き出す羽目になった。
社長室へと向かう静かで豪奢な廊下を歩いている道すがら、前を歩く大きな背中がふと振り返り、卓に尋ねてきた。
「佐藤。お前、昨日会社で『変なもの』を触らなかったか?」
「変なもの、ですか……?」
「ああ。こんな感じの……厚さ二センチほどの、板状のものだ」
ケーリーは大きな両手を使って、空中に四角い形を作ってみせた。卓はスースーする下半身を気にしながら歩きつつ、昨日の自分の行動を振り返る。
(板状のもの……? ああっ!)
「そういえば……! 昨日、開発部から備品庫にしまっておいてくれってダンボールを預かったんですが、その中を確認したときにそれくらいのサイズの板がありました!」
「ほう」
「ありましたよ! ええと、たしか……」
卓は足を止め、白魚のような美しい指先で小さな輪っかを作ってみせた。
「これくらいのサイズの、丸い出っ張りがあるやつですよね? 指で押すと、ペコンってへこむやつ!」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、ケーリーの目がわずかに見開かれ、やがて「やはりそうか……」と、何やらすべてのパズルのピースが埋まったかのように深く納得した様子で小さく息を吐いた。
(おいおいおい、勝手に一人で納得しないでくれよ! 俺には何がなんだかさっぱりなんだけど!?)
卓は美少女らしからぬ不満げな表情で唇を尖らせたが、ケーリーはそれ以上何も語ろうとはしなかった。
状況は全く読めないが、あの「押すとへこむ謎の板」がこのふざけた性転換の原因であり、ケーリー本部長や社長といった会社の上役たちは、その正体を知っているらしい。
そう確信したところで、二人の足は止まった。目の前には、最上階の最奥に鎮座する、サージョトレーディング社長室の豪奢な両開きの扉がそびえ立っていた。