あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
十二月の初旬。カレンダーが最後の一枚に変わると、途端に街はせわしなさを帯びてくる。
私立渋谷学林中学高等学校、通称『渋学』に通う優莉の日常もまた、息をつく暇もないほど充実し、瞬く間に過ぎ去る日々が続いていた。
放課後はタワマンの自室に作った防音スタジオでバンドの練習をし、休日はみんなで楽器屋や服屋へ買い物に出かける。おまけにボーカル担当の由愛は、ほとんど毎日のように優莉の家へ入り浸り、「スグ、今日も特訓だー!」と歌の練習をしていく始末であった。
そして進学校である渋学では、一年生であっても容赦なく全国規模のハイレベルな模擬試験が実施されていた。しかし、優莉にとって、学業はむしろ無双の場でしかない。
(ふふふ……東大(東都大学)、京大(西京大学)、見事にオールA判定、か……!)
スマホの画面に表示されたWeb成績表を見つめながら、優莉は内心でご機嫌な笑みを浮かべていた。
男だった過去では、血の滲むような思いで勉強してようやく有名国立大学にギリギリ滑り込んだに過ぎなかった。しかし、サージョトレーディングの開発部のバケモノ研究員たちによってスパルタ教育された『理数系アルゴリズム』と、四十八年間の人生経験で培われた『大人の読解力』のハイブリッドは伊達ではない。三十年前の大学受験の苦労は何だったのかと思いつつも、チート級の頭脳を手に入れた全能感は、素直に優莉の心を弾ませていた。
だが、そんな上機嫌な優莉の気分を削ぐものがあった。
――寒さ、である。
十二月に入り、朝の冷え込みは一段と厳しさを増している。マフラーに顔を埋めながら通学路を歩いていると、女子生徒がスラックス(ズボン)制服で登校する光景を頻繁に見かけるようになっていた。いつもスラックスを格好良く穿きこなしている玲奈だけでなく、純粋な寒さ対策として選んでいる生徒も多いようだ。
(昔の女子高生は『オシャレは我慢』とか言って、真冬でも短いスカートで生足を出して雪の中を歩いてたもんだが……いやはや、時代は変わったもんだな。無理せず防寒と実用性を重視するなんて、実に合理的でいいことだ)
優莉は昭和・平成の記憶を引っ張り出し、まるで保護者のような視点で感心しながら学校の門をくぐった。
一年C組の教室に入ると、すでに玲奈と琴音が席について談笑していた。
「おはよう、二人とも」
優莉は自分の席に荷物を置き、二人のもとへ歩み寄る。
「あ、おはよう優莉ちゃん。今日も冷えるねー」
琴音が両手をこすり合わせながら微笑む。
「ホント、最近急に冷え込んできたね。……はぁ」
同意しながら、優莉は思わず深いため息をついた。「どうかしたの?」と首を傾げる玲奈に対し、優莉はここ最近ずっと抱えていた『女子特有の苦労』を吐き出した。
「いやね……冬って、こんなに身体のメンテナンスが大変だったっけって思って。お風呂上がりとか、やること多すぎない?」
優莉のその言葉の裏には、おっさん時代の切実な記憶があった。
(男だった頃の冬なんて、風呂上がりは適当に安い化粧水をバシャバシャやって、フリース着て終わりだったぞ!? かかとに保湿クリームでも塗っときゃ上出来だったのに……!)
ところが、今の優莉は十五歳の華奢な超絶美少女である。まず、この身体は『末端冷え性』がひどいのだ。手先や足先が常に氷のように冷たくなり、夜はゆたんぽがないと眠れないほどに冷える。
しかし、それ以上に性転換した時点から備わっている、この『国宝級の透き通るような白い肌』を維持するための労力が尋常ではないのだ。
入浴後、三分以内に導入美容液を叩き込み、高保湿の化粧水、乳液、美容液、そして全身にくまなくボディクリームを塗りたくる……。乾燥肌を防ぐための手順自体は冬前と変わらないものの、より念入りに、信じられないほどの手間と時間をかけなければならない。ちょっとでも気を抜けば、粉を吹いたりカサついたりしてしまうだろう。
中身は元おっさんとはいえ、これほど圧倒的な美貌を与えられた以上、やはり少しでも外見が劣化するのは気になってしまうのだ。
「毎日毎日、保湿保湿って……ほんと、冬の女子って過酷すぎるよね」
優莉がうんざりした顔で愚痴をこぼすと――。
ピタッ、と。玲奈と琴音の動きが止まった。
「…………は?」
玲奈の声が、かつてないほど低くドスが効いていた。
「す、優莉ちゃん……?」
琴音の目からいつもの聖母のような優しさが消え去り、濁った光が宿っている。
「えっ?」
「優莉。あんた、自分がどれだけ恵まれた肌してるか分かってて言ってるわけ?」
玲奈がジリジリと距離を詰め、優莉を壁際に追い詰める。
「あのねえ、優莉ちゃんのその毛穴一つない、陶器みたいな真っ白な肌……私たちがどれだけ羨ましいと思ってるか、分かってない……?」
琴音がねっとりとした声で続く。
「ちょっと手入れが面倒なくらいで文句言うなんて、全国の女子を敵に回す発言よ。あんたのその肌、少しでもサボったらすぐにボロボロになるんだから。絶対にサボるんじゃないわよ!」
「ひぃっ、ご、ごめんなさい……!」
(……うおぉ、昔総務部に乗り込んできた過激な個人株主より怖いぞ……!)
二人の底知れぬ美への執念と、粘着質なプレッシャーに、優莉は若干引き気味になりながらも平謝りするしかなかった。(女の美への執念、マジで怖い……!)とおっさんの魂が震え上がったその時である。
「セ――フッ!!」
ガラッ!と勢いよく教室のドアが開き、時間ギリギリに由愛がスライディング気味に飛び込んできた。そのままチャイムが鳴り響き、朝のホームルームが始まる。二人から解放されて、優莉は心底ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
そして、お昼休み。いつものように机をくっつけての、昼食の時間である。優莉はコンシェルジュに手配させた、相変わらず暴力的なまでに豪奢な『高級弁当』の蓋を開けた。A5ランク黒毛和牛の仕出し弁当だ。
「ほえー、相変わらずスグのお弁当は輝いてるねー! あーしの卵焼きと、そのお肉交換してっ!」
「うん、いいよ」
由愛は一切の遠慮なく、由愛母の手作り卵焼きと数千円の和牛を交換してバクバクと食べている。しかし、由愛以外は一人だけおかずのレートが違いすぎるため、箸を持ったまま躊躇して取りづらそうにしていた。
「気にしないで取ってよ。私一人でこんなの食べてても味気ないし、みんなが食べてくれた方が私も気が楽だからさ」
優莉が苦笑しながら三人に勧める。その屈託のない気前の良さに、三人はほだされたように「じゃ、いただきます」と手を合わせた。
「そういえばさ、もうすぐ期末テストだね」
琴音がふと話題を変えた。「うわー、現実突きつけないでー……」と由愛が頭を抱える。
「勉強会、今度はどうする? またファミレスにする?」
玲奈が尋ねると、優莉は「あ、それなら」と手を挙げた。
「今回はうちの家使っていいよ。リビング広いし、疲れたらそのままスタジオに入って演奏してリフレッシュできるし」
「えっ、マジ!? あの最強スタジオ付きタワマンで勉強会!? テンション上がるー!」
由愛が歓喜の声を上げるが――。
ジッ……。
その由愛の顔を、斜め向かいの席から、雫が眼鏡の奥の鋭い瞳で無言のまま見つめていた。
――まさか、スタジオがあるからって勉強から逃げられるとは思ってないだろうな?
一言も発していないのに、雫の視線からはそんな強烈なプレッシャーが放たれていた。由愛は慌てて立ち上がり、四人に向かって、深々と低姿勢で頭を下げた。
「……今回も、皆様の多大なるご支援とご指導鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げますッ!」
「もう、しょうがないなぁ、由愛ちゃんは」
「赤点なんて取って、親御さんに『歌手を目指すのはやめなさい』って言われたら困るんでしょ。徹底的に計画立ててやるわよ」
玲奈がビシッと言い放ち、雫も無言で腕をまくる。さっそく、由愛のための地獄のスパルタ勉強計画が練られ始めていた。
「あーし、今度の期末は真ん中より上の順位狙うぞー! おーっ!」
由愛が気合を入れて拳を突き上げる。
「由愛ちゃんがそこまで上がってくるなら、私もウカウカしてられないね。気合入れ直さなきゃ!」
学年上位四十パーセントに入り、手堅く平均点以上をキープしている琴音も、由愛の勢いに微笑みながら姿勢を正した。
昼食の後半は、そのまま『冬の乾燥対策』や『冷え性改善のためのメンテナンス』など、女子特有の話題で持ちきりになった。
「ボディクリームの前にオイルを塗ると保湿力が違うのよ」
「生姜をたっぷり入れたスープ飲むと末端まで温まるよ!」
そんなたわいもない女子トークに花を咲かせながら、優莉はふと、窓の外で吹き荒れる冷たい木枯らしに目を向けた。
(……身体は冷え性でキツいし、手入れは死ぬほど面倒だけど)
優莉は、机を囲んで笑い合う四人の顔をぐるりと見渡した。
(この子たちと一緒にいると、この季節でも……なんだかすごく、あったかいな)
冷え切った十五歳の少女の手足の先まで、じんわりと温かい血が巡っていくような感覚。四十八歳のおっさんの心は、冬の寒さなど忘れるほどの心地よい熱に、静かに包まれていた。
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