あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第三十三話 大理石と赤外線温度計

「ねー、これであってる?」

 

 二月十三日の放課後。優莉の超高級タワーマンションの一室にある、無駄に広くてピカピカなアイランドキッチンにて。ボウルとゴムベラを手に、由愛が首を傾げていた。

 

 事の発端は、昨日の放課後に行われたバンド練習でのことだ。休憩中、琴音と由愛が「今度のバレンタイン、いつものメンバーでクラスのみんなに配る友チョコを一緒に作ろうよ!」と言い出したのである。

 

 女子高生のイベントとして定番中の定番である、バレンタインの友チョコ作り。優莉も当然「うちのキッチンを使っていいよ」と軽く提案し、今日、いつもの仲良し五人組で集まってチョコを作ることになったのだ。

 

 しかし、「やる」と決まったからには絶対に手を抜かないのが、中身が元・総務部長である佐藤優莉の恐ろしい性(さが)である。

 

(人に配る以上、コンプライアンス的にも品質的にも、妥協したものを出すわけにはいかない……!)

 

 そんな無駄に高いプロ意識に火がついてしまった優莉は、昨晩のうちにコンシェルジュと業者をフル活用し、製菓用の大理石プレート、赤外線温度計、パレットナイフ、そして最高級のクーベルチュールチョコレートなど、プロのパティシエが使うようなガチ機材と材料を特急で取り揃えてしまっていた。

 

 そうして現在、彼女たちが挑戦しているのは、大理石プレートの上に溶かしたチョコレートを広げて温度を下げる『タブリール法』という、極めて本格的なテンパリング作業である。チョコレートの結晶を安定させ、パリッとした食感と美しいツヤを生み出すための、難易度も高いプロ向けの技法だ。

 

「うーん……温度管理がシビアすぎるのかな。大理石の上で一気に冷やして、また素早くボウルに戻して温める……あれっ、少しモタついただけで大理石の上のチョコが固まっちゃう!」

 

 優莉はパレットナイフを握りしめ、額に汗を浮かべながら悪戦苦闘していた。

 

 四十八年に及ぶ一人暮らしの結晶として、ローストビーフから本格和食まで、一般的な料理の腕前であれば家庭的な琴音すら凌ぐ優莉であった。しかし、繊細な温度管理とスピード、そして独特の感覚が命となる『スイーツ作り』は完全に勝手が違ったのだ。

 

 パレットナイフを持つ手に力が入りすぎ、チョコレートが美しいツヤを失ってボソボソになりかけている。

 

「あーっ! あーしのチョコ、なんか分離してきたー!」

 

「私のもダメね……大理石の上で広げすぎたみたい。ああもう、イライラするわ」

 

「……理論上は完璧な温度変化のはずなのに、物理的な摩擦係数が合わない」

 

 由愛と玲奈が大苦戦し、理数系ギフテッドの雫すらも赤外線温度計を睨みつけながら物理的な作業でつまずいており、広々としたアイランドキッチンは早くも阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 

そんな中、ただ一人、涼しい顔で作業を完璧に進めている者がいた。琴音である。

 

「みんな、パレットナイフの角度はもっと寝かせて、手首のスナップを柔らかく使うの。広げたら、外側から内側へ素早く集める。こんな風にね」

 

 琴音はまるで熟練のショコラティエのように鮮やかな手つきで大理石プレート上のチョコレートを操っていた。彼女の手元にあるチョコレートだけが、まるで鏡のように滑らかで、美しいツヤを放っている。

 

「すっご……琴音、プロのパティシエじゃん……!」

 

 由愛が尊敬の眼差しを向ける。

 

「さすがだね。……よし、じゃあこの工程の主担当は琴音に一任するよ。私たちには前工程の湯煎と、後工程のトッピングとラッピングを任せて!」

 

 早々に自分の適性のなさを悟った優莉は、サラリーマン時代由来の的確な判断力で即座に人員配置を変更することに決めた。(くそっ……、いつか必ず完璧なテンパリングをマスターしてやる……!)と、謎のスイーツ特訓の決意を密かに胸に秘めながら。

 

 かくして、琴音の神がかったテンパリングと、残り四人の連携作業により、色鮮やかなドライフルーツやナッツがたっぷりと乗った、宝石のように美しい『マンディアンチョコ』が大量に完成した。

 

「琴音、本当にお疲れ様。一番大変なところをやってもらっちゃったね。あとは私たちがラッピングするから、そっちのソファで休んでて」

 

「うん、ありがとう。可愛く包んでね」

 

 優莉が淹れた温かい紅茶を飲みながら休む琴音をよそに、優莉、玲奈、由愛、雫の四人は、百円ショップで買ってきた可愛らしい透明の小袋に、完成したチョコを一つずつ丁寧に詰めていった。

 

「よしっ、完成ー! これ、絶対クラスのみんな喜ぶよ!」

 

 山積みにされたラッピング済みのマンディアンチョコを見て、五人はハイタッチを交わして完成を喜んだ。

 

 二月十四日。バレンタインデー当日。

 朝のホームルーム前、一年C組の教室は、一年で最も浮き足立った空気に包まれていた。

 

 優莉、由愛、玲奈、琴音の四人は(雫は他クラスのため別行動である)、紙袋を提げて、手分けしてクラスメイトたちに昨日作ったマンディアンチョコを配って歩いていた。義理チョコ、あるいは友チョコという名目であるため、男女関係なく平等に配っていく。

 

「はい、これ昨日みんなで作ったの。ハッピーバレンタイン!」

 

 女子生徒たちは「わぁ、すごい本格的! お店のみたいじゃん! ありがとう!」と普通に喜んで受け取るのだが、問題は男子たちであった。

 

「おっ、俺、佐藤さんから貰っちゃったよ! 一生食べずに神棚に飾っとくわ!」

 

「俺は八坂からだぜ、めっちゃラッキー!」

 

「くそーっ! 結城さんや長谷川さんから貰えるのも最高だけど、やっぱり俺は『佐藤さんから直接手渡し』されたかったんだよぉ!」

 

「おい、交換しろ! 俺の弁当のおかず一週間分やるから佐藤さんのチョコ寄越せ!」

 

 教室の隅で、由愛や玲奈たちから貰えて喜ぶ男子たちと、国宝級美少女である優莉から『直接』受け取れたさらに幸運な男子とで、醜い争いが勃発していた。

 

「……あんたたち、私たちが四人で作ったただの義理チョコなんだから、誰から貰っても中身は同じでしょ。まったく騒がしいわね、静かにしてなさいよ」

 

 玲奈が氷のように冷たい視線を向けて一蹴したが、男子たちの興奮は収まる気配がなかった。女子生徒たちも、そんな男子たちの様子を「バカじゃないの」と呆れたような、冷ややかな目で見ていた。

 

 しかし、優莉の受難はクラス内だけにとどまらなかった。昼休み。お弁当を食べようと準備をしていた優莉の元へ、ひっきりなしに来訪者が現れたのだ。

 

「あの……佐藤先輩! これ、受け取ってください!」

 

「佐藤さん、文化祭の時からずっと憧れてました! 良ければ食べてください!」

 

「こないだの体育のバスケ、すっごくかっこよかったです……! これからも応援してます!」

 

 次から次へと、他クラスの女子や、中等部の後輩女子生徒たちが、頬を赤く染めながら優莉の元へ手作りチョコや可愛らしくラッピングされた市販のチョコを持って訪ねてきたのである。

 

 その数、およそ十名。

 圧倒的な美貌に加え、文化祭のミスコンで見せた伝説のIR風スピーチでのギャップ、そして最近「最適化」によって覚醒したチート級の身体能力で見せた体育での大活躍。優莉は今や、渋学の女子生徒たちにとって「高嶺の花」であり「憧れの目標」のような存在になりつつあったのだ。

 

(えええっ……女子からこんなに貰うのか!?)

 

 おっさんだった頃は、バレンタインといえば「職場の女性社員から配られる、義務感丸出しの事務的な義理チョコが数個」が関の山だった優莉である。自分の机の上に次々と積み上げられていく可愛らしいチョコの山を前に、優莉は完全にフリーズしていた。

 

「スグ、マジですごいね。クリスマス前も告白ラッシュだったし、男女問わずモテモテじゃん!」

 

 由愛が自分のお弁当の卵焼きをかじりながら、感心したように言う。

 

「……モテる女は辛いねぇ」

 

 琴音もクスクスと笑いながらお弁当の唐揚げをつついている。

 

 さらに放課後に至っては、勇気を振り絞った他クラスの男子三名からも呼び出され、ストレートな告白と共に本命チョコを貰ってしまった優莉。当然、お祈りメール構文を駆使した丁寧な言葉遣いで交際はお断りしたものの、チョコ自体は「せっかく用意してくれたのだから」と、無下に突き返すこともできずに受け取ってしまっていた。

 

 両手いっぱいの紙袋を抱えて、タワーマンションの自室へと帰宅した優莉。スタジオに続くリビングのソファにドサッと大量の戦利品を置き、深い深い大きなため息をついた。

 

「……はぁ。これ、全部にお返し(ホワイトデー)しなきゃいけないのか……」

 

 優莉の頭の中を占めていたのは、モテすぎる美少女としての悦びなど欠片もなかった。

 

「一人一人、好みやアレルギーの有無をリサーチするところから始めないといけないし、予算管理も……ああ、まずはリスト化して、調達のスケジュールを引かないと……!」

 

 完全に「ホワイトデーというプロジェクトのタスク処理」に思考が支配されていた。総務部長としての『お返しはキッチリしなければならない』という本能と責任感が、モテすぎる美少女の苦悩となって優莉を激しく苛んでいるのだ。

 

(……念のためスプレッドシートで管理表を作るか。項目は『氏名』『所属』『推定予算』『アレルギー』『備考』……)

 

 無意識のうちに、顎に手を当てて「ふむ」と小さく唸った。効率的な資材調達ルートを頭の中で練っているのだ。

 

「優莉、あんたまた変なこと考えてるでしょ」

 

 スタジオに入る準備のため、ベースをギグバッグから取り出していた玲奈が、ジト目で優莉を睨んだ。

 

「あんたのそのバグ散らかした金銭感覚で、後輩の女子たちに高級ブランドのコスメとか、男子にハイブランドの小物とか返そうとしてないわよね? 言っとくけど、お返しは貰った物と同額程度が高校生の常識だからね! それ以上やったら逆に引かれるわよ!」

 

「えっ? そ、そんなことしないよ!」

 

 優莉は少しだけ唇を尖らせて反論した。

 

(いくらなんでも、女子高生の義理チョコや友チョコのお返しにデパコスなんか選ばないさ。ちょっといい有名店のマカロンか、千円台の可愛いハンドクリームくらいが妥当なラインだ。会社員時代に散々お返しは手配してきたから、相場感覚くらいちゃんと分かってるのに……なんで玲奈たちには、俺が金銭感覚の狂った成金バカみたいに思われてるんだ?)

 

 誕生日プレゼントの一件以来、すっかり「資本主義の権化」扱いされていることに、優莉はちょっとだけへこんでしまった。

 

「まあまあ、ホワイトデーのことは来月考えればいいじゃない。ほら、練習の前に、昨日みんなで作ったチョコ、私たちも食べよっか」

 

 琴音が空気を変えるように、タッパーに入れておいた自分たち用のマンディアンチョコを取り出した。

 

「やったー! あーし、お腹ぺこぺこ!」

 

 学校から直行してきた雫も加わり、いつもの五人で丸く円になる。アンプやドラムセットに囲まれたスタジオの中で、サクサクとしたナッツと、琴音が完璧にテンパリングした甘く滑らかなチョコレートを口に放り込む。

 

「……うん、美味しい」

 

 雫が、珍しく口元に微かな笑みを浮かべて呟いた。

 

 モテすぎるがゆえの苦悩も、ホワイトデーの過酷なリサーチ業務のプレッシャーも、今は一旦忘れて。

 

 防音スタジオの中には、甘いチョコレートの香りと、少女たちの楽しげな笑い声だけが、温かく響いていた。優莉もまた、自分が淹れたブラックコーヒーを片手に、仲間たちと過ごすこの平和で甘い時間を、心の底から愛おしく感じていた。




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