あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「君の力を借りたい」
久しぶりに訪れたサージョトレーディング本社ビルの最上階。重厚なマホガニーのデスク越しに、世界最大のエネルギー企業を育て上げた生ける伝説・九条智社長が放った第一声が、それだった。
高校二年生としての生活もすっかり板についてきたある日の放課後、優莉はコンシェルジュからの伝言を受け、ハイヤーで本社へと呼び出されていた。
かつて四十八歳の小太り中年だった頃は、この部屋に入るだけで胃が縮み上がるようなプレッシャーを感じていたものだが、国宝級美少女の姿になり、さらに莫大な資産を得て図太くなった今の優莉は、高級な革張りのソファに深々と腰を下ろしながら、落ち着いた声で問い返した。
「私の力、ですか? 社長がわざわざ直々に私を呼び出して頼むようなことが、今の私にできるとは思えませんが……」
九条は小さく息を吐き、手元のタブレットをデスクに置いた。
「佐藤くん……いや、今は優莉くんの方が良いかな。単刀直入に言おう。我が社の大規模製造委託先である『東都マニュファクチャリング』との包括契約の更新が、三ヶ月後に迫っているのだ」
「東都マニュファクチャリング……ああ、インフラ設備の外装を製造してもらっている最大手の企業ですね」
優莉の口から、スラスラと総務部長時代に培った企業情報が出てくる。
「そうだ。今回の更新は、今後のサージョの事業展開を左右する極めて重要なフェーズになる。……だが、現在交渉にあたっている担当役員から、泣きが入ってね。先方の反応がどうにも芳しくなく、交渉が暗礁に乗り上げかけている」
「はあ。それが私とどのような関係が?」
「当時、あの企業との基本契約をまとめ上げ、窓口として先方の重役たちと直接やり取りをしていたのは、他でもない総務部長時代の君だ。……そして、君は諸々の事情から十分な引継ぎができないままでいる」
その言葉に、優莉は「あっ」と小さく声を漏らした。
無理もない。優莉(佐藤卓)は、ある日突然想定しない魔導具の使用によって十五歳の美少女になってしまった。そうしてそのまま「戸籍上は佐藤卓の娘」という裏工作を経て、なし崩し的に会社からは行方不明として処理されてしまっているのだ。
当然、後任への真っ当な引き継ぎ期間など一日たりとも存在しなかった。
「……企業の人間関係や力関係、そして『誰が本当のキーマンなのか』といった、属人的な情報ですね」
「その通りだ」
九条が重々しく頷く。日本の大企業同士の契約において、書面上の条件やロジックだけで物事が進むことはまずない。
(先方のA専務はB常務と派閥争いをしていて犬猿の仲だから、先にB常務の顔を立てないと案件がポシャる。実質的な決定権を持っているのは社長ではなく、裏で糸を引いているC会長だ。C会長を落とすには、彼が可愛がっているD部長を経由してゴルフ接待に持ち込むのが一番の近道だ……)
そういった、組織図には決して載らない泥臭い『人間関係の機微』や『根回しのルート』。それこそが、元・総務部長である佐藤卓が四十八年の人生で培ってきた、血と汗の結晶とも言える強力な武器だったのだ。
「いくら我が社が世界最大のエネルギー企業とはいえ、相手もプライドのある歴史的企業だ。手順や根回しを間違えて、へそを曲げられては面倒なのだよ。君の急な退職で、そのあたりの属人的な情報が完全にブラックボックス化してしまった。その弊害が、今になって出てきたということだ」
「なるほど……。状況は理解しました」
優莉は顎に手を当てた。確かに、自分が突然消えたことで会社に迷惑をかけたという負い目はある。
「そこで頼みだ、優莉くん。君も学業で忙しいとは思うが、リモートでも構わない。君の頭の中にある、東都マニュファクチャリングに関する属人的な情報、派閥図、キーマンの攻略法をまとめて、担当役員に報告書として提出してくれないか?」
九条からの直々の依頼。しかし、優莉は即答を避け、少しだけ眉をひそめて戸惑いを見せた。
(困ったな……。今の私は、学校の授業に加えて、バンドの練習、さらにはプロのボーカルを目指すための自主練で、スケジュールがかなりタイトなんだ。それに、この国宝級の美肌と髪を維持するための、死ぬほど時間のかかる入浴&保湿ルーティンもある。……正直、他人の仕事の尻拭いをしているような暇はあまりないんだが)
高校生としての青春、そして見つけたばかりの『夢』。それらを犠牲にしてまで、かつての会社員時代のタスクを背負い込むべきか。優莉が沈黙していると、九条は鋭い観察眼で優莉の心情を見透かしたように口を開いた。
「君は現在、会社が譲渡したタワーマンションに住み、十五億という十分すぎる資産を持っているな。……金銭的な報酬では、君のモチベーションは上がらないだろう。金では解決できないか」
「えっ? いや、そういうわけでは……」
「では、こうしよう」
九条はデスクの上で両手を組み、世界を牛耳るトップの顔で、静かに、しかし絶大な重みのある提案をした。
「この依頼を受けてくれれば、将来、君が何かを望んだ時……サージョトレーディングの社長として、できる限りの要求を一つ飲む。これでどうだろうか?」
――ドクン、と。優莉の胸の奥で、総務部長の心臓が大きく跳ねた。
(せ、世界最大のエネルギー企業の社長の『白紙小切手(なんでも言うことを聞く権利)』だと……!?)
これはただの報酬ではない。九条智という男の権力と財力をもってすれば、国家規模のプロジェクトを動かすことすら可能だ。その価値は、十億や二十億というはした金で推し量れるものではない。
優莉の脳内で、凄まじい速度でソロバンが弾かれた。
(情報自体は、タワマンの書斎に保管してあるおっさん時代のアナログ手帳を見返せば、すぐに引っ張り出せる。隙間時間を使って報告書にまとめるだけなら、一ヶ月もかからないタスクだ。……それで、この世界最強の『切り札』が手に入るなら、投資対効果(ROI)は無限大……っ!)
「――謹んで、お受けいたします」
優莉はソファから立ち上がり、十六歳の美少女らしからぬ、完璧な四十五度のお辞儀を決めた。
「そうか、助かるよ」
九条もふっと表情を和らげ、背もたれに深く寄りかかった。
「さて、仕事の話はここまでだ」
九条は秘書が淹れてくれた紅茶を一口飲み、まるで娘の近況を尋ねる父親のような、穏やかな声に変えていった。
「最近はどうだね、優莉くん。新しい生活には慣れたか?」
「はい。学業の面は、開発部のあのMIT首席レベルの天才三人組から叩き込まれた、短期集中スパルタ教育のおかげで極めて順調です。懸念されていた肉体の不具合も全くなく、春には身体能力も完全に馴染んで最適化され、体育祭のクラス対抗リレーで無双してしまいました」
「ほう、それは頼もしいな」
「それに……」
優莉は自分の両手を膝の上で見つめ、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「目標となる『夢』ができたんです。バンドの仲間たちと一緒に、プロのボーカルになるという夢が」
その言葉を聞いた九条は、少し驚いたように目を見開いた後、心底嬉しそうに目尻を下げた。
「そうか……。四十八歳で突然全てを失い、どうなることかと思ったが。充実した青春を過ごしているようで、私としても本当に嬉しいよ」
九条は優莉を単なる元部下や実験体としてではなく、数奇な運命を背負わせてしまった一人の人間として、密かに案じていたのだ。
「そうだ。プロを目指すというなら、君が望めば今回の報酬(権利)を使って、うちの資本力で大手のレコード会社やメディアに掛け合い、君たちを強力にプッシュしてデビューさせても構わんが?」
世界最大の企業のトップによる、強大すぎるコネクションと資本力を使った『チート・デビュー』の提案。あらゆるインディーズバンドが、喉から手が出るほどに欲しがるであろうその申し出に、優莉はしかし、静かに首を横に振った。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが……プロを目指しているのは私と由愛の二人だけで、玲奈、琴音、雫の三人には、それぞれ別に叶えたい立派な夢があるんです」
優莉の脳裏に、あの春のライブハウスで、五人全員で音を重ね合わせ、観客と一体になったあの圧倒的な高揚感が蘇る。
「それに、今の五人で組んでいるこのバンドは、私たち全員にとってかけがえのない青春そのものです。だからこそ、大人のコネや資本力に頼って変に近道をするのは、少し違う気がするんです。まずは今の仲間たちと一緒に、自分たちの力でどこまでいけるか、泥臭く頑張ってみたいと思います」
優莉は真っ直ぐに九条を見据え、そしてニヤリと悪戯っぽく笑い込んだ。
「……まあ、どうしても無理だったり、理不尽な壁にぶつかった時には、社長のその権利を存分に頼らせてもらうかもしれませんけどね」
「はははっ! いいだろう、君の思う通りにするといい」
九条は愉快そうに声を上げて笑った。その姿は、かつて見上げていた恐ろしいカリスマ社長ではなく、若者の挑戦を温かく見守るパトロンそのものだった。
「さて、引き止めて悪かったな。今日はもう帰っていいぞ」
「はい、失礼いたします」
優莉が立ち上がり、一礼して社長室のドアノブに手をかけた時、九条が思い出したように声をかけてきた。
「ああ、そう言えば。開発部が『たまには顔を見せに来てほしい。新しいデータを取らせろ』と騒いでいたぞ。帰りに寄ってやってくれ」
「……げっ」
優莉は思わず、美少女の可憐な喉からはおよそ発せられるべきではない、潰れた蛙のような濁った声を漏らした。
(また、あの変態……もとい、優秀な女性研究員たちの巣窟に行くのか。どうせまた、身体の診断とか言いながら、恥ずかしいコスプレ衣装を山のように着せられて、写真を撮られまくるに決まってる……)
エレベーターで開発部フロアへと向かいながら、優莉は重いため息をついた。しかし、エレベーターの鏡の壁に映る、圧倒的な美貌を持つ自分の姿を見つめているうちに、優莉の唇がほんの少しだけ弧を描いた。
(……まあ、正直に言えば。あの人たちが用意してくれる服、ブランド物の新作だったり、めちゃくちゃセンスが良くて可愛いんだよな。由愛たちと出かける時の私服の参考にもなるし……ちょっとくらいなら、着せ替え人形になってやっても悪くない、か)
中身は四十八歳のおっさんであるはずなのに。
可愛い服を着て、チヤホヤされることに少しずつ喜びを見出し始めている自分に気づき、優莉は「いかんいかん、精神まで完全に女子高生に引っ張られてるぞ」と苦笑しながら、開発部へと続く重い扉を開くのだった。
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