あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
突きつけられた三つの選択肢。
九条社長の真っ直ぐな視線を受けながら、卓は完全にフリーズしていた。元の男に戻る賭け、美少女のまま会社に再就職する道、そして手厚い支援を受けながら全くの別人として生きる道。四十八歳、小太り独身の総務部長の人生の岐路にしては、あまりにも極端で、あまりに現実離れしすぎている。
「……うぅむ」
卓は腕を組み、うーんと唸り声を上げた。美少女が眉間にシワを寄せ、小さく唸るその姿は愛嬌たっぷりで庇護欲をそそるものだったが、中身は必死に人生の損益分岐点を計算しているおっさんである。
「と言っても、詳しく聞かなければ判断もできまい」
考え込む卓を見て、九条は小さく苦笑を漏らし、静かに選択肢の解説を始めた。
「まず大前提として先ほど言った通り、どの道を選ぼうと我が社は君を最大限バックアップすることを確約しよう。状況にあった戸籍や経歴はしっかり用意するから安心するように」
その言葉は、温かい助け舟というよりは、巨大組織が一個人の運命を書き換えるという抗いようのない宣告のような響きを持っていた。
「第一の選択肢として挙げた『もう一度魔導具を使用する』だが……これは正直なところ、かなり危険な賭けになる。なぜなら、先ほども言った通り、あの魔導具が失敗作となったのは『性転換』と『若返り』という二つの強力な効果が分離できなかったからなのだ」
「危険……と言いますと?」
「もう一度あのスイッチを押せば、君の性別は再び反転し、男の身体に戻るだろう。だが、同時に『さらに三十歳前後若返る』という効果も発動してしまう」
卓はハッと息を呑んだ。
現在のこの美少女の肉体は、見た目からして十五、六歳といったところだ。そこからさらに三十歳若返るとなれば、計算上はマイナス十五歳。それでは、この世から卓の存在が消え去ってしまうのではないか。
「モルモットを使った動物実験では、魔導具を繰り返し使用した場合、存在が消滅することはなかった。性別が反転し、だいたい寿命の三十パーセントほどの若返りが見られ、最終的には生まれたばかりの赤ん坊の状態まで戻ってそこでストップした。人間で言えば、人生の『初期化ボタン』を押されるようなものだ」
「あ、赤ん坊……」
「そうだ。だが問題はそこからだ。人格や自我を保つことすらできない乳幼児の脳になった時、果たして元の人間の記憶や意識は残るのだろうか? ……実験に用いたモルモットは、迷路の解き方などそれまで身につけていた『学習効果』が完全に消失していた。つまり、記憶を失った状態になったのだよ」
背筋に冷たい汗が流れるのを卓は感じた。四十八年かけて築き上げてきた『佐藤卓』という自我が、完全にリセットされるリスク。運良く赤ん坊から人生をやり直せたとしても、今の自分の記憶が消えてしまえば、それはもう『死』と同義ではないのか。
「第二の選択肢についてだ。我が社が用意するセーフハウスで数年間潜伏し、その後、現在の地位と給与を保証された状態で再雇用される道。この選択では、数年間は不便を強いることになるが、生き方としては最も変化が少ないだろう」
「……」
卓は唾を飲み込んだ。第一の選択肢の恐ろしいリスクを考えれば、これは破格の厚遇だ。今のサージョトレーディングは世界トップの超巨大企業であり、入社難易度は東大やアイビーリーグ出身者でも軒並み落とされるほどの異常なレベルに達している。
卓自身、「会社が急激に拡大する初期のドサクサに紛れて偶然転職できただけ」という自覚があり、今の能力で一からやり直して入れるようなレベルの会社では絶対にない。それを、数年間の保護期間を経て、無試験でいきなり部長クラスの待遇で迎えてくれるというのだ。
(だが……別人として生きるのか? 今の同僚や部下に正体を隠して? それに、またあの胃の痛くなるような中間管理職の人生を、美少女の姿で繰り返すのか?)
「そして、第三の選択肢だ」
九条の声が、悩む卓の耳にスッと入ってきた。
「会社が用意する完璧な戸籍と経歴を持って、全く新しい人生を生きる。この場合、君がこれまで築き上げた資産は、形を変えてすべて新しい口座に引き継げるように手配しよう」
(資産……!)
卓の目が、美少女らしからぬ欲望でギラリと光った。
サージョトレーディングがただの採掘業から世界的企業に大化けしたおかげで、比較的古参である卓の持っている自社株のストックオプションは、現在とんでもない額に跳ね上がっている。ざっと見積もっても、四億円を優に超える資産があるはずだ。その金額ゆえに実はたまに会社を辞めようか悩むこともあったほどだ。
(十五、六歳の美少女の姿で、四億円以上の資産を持った状態で新しい人生をスタート……? それって、人生完全なイージーモードなのでは!?)
昨日までの冴えないおっさん生活を捨てて、莫大な資産を持つ美少女として気ままに生きる。その甘美な誘惑に、卓の心が大きく揺れ動いた。
だが――。
「あの、社長」
卓は不意に、スースーするジャージの裾をギュッと握りしめ、顔を上げた。
「……うちには、七十代の両親がいるんです。地方で二人暮らしをしていて、数年後には本格的な介護も必要になるかもしれません。今まで散々心配をかけてきたから、これからは親孝行をして、少しでも恩返しがしたいんです。だから……私だけ縁もゆかりもない別の人生を歩んで、両親を捨ててしまうわけにはいきません」
莫大な資産よりも、気楽な人生よりも。四十八歳の不器用な息子としての愛情が、卓の決断にブレーキをかけていた。
その言葉を聞いて、九条は鋭い目元をわずかに和らげた。
「なるほど、それは心配だろう。……では、こうするのはどうだ? どの選択肢を選んだとしても、今の君は『性転換前の佐藤卓の子』という扱いで戸籍を作ろう。今の我が社の力なら、行政のデータベースを弄ってその程度の事実を作り上げるくらい、造作もないことだ」
「俺の、こども……」
「そうだ。そうして、『孫』として両親に孝行してあげるといい。まあ、赤ん坊に戻る選択をした場合には難しいかもしれんがね。それに、君の両親にだけと確約できるのであれば、この秘密を明かしてもらっても構わんよ」
「えっ、いいんですか!? こんな重大な機密を……」
卓が驚いて目を丸くすると、九条はフッと口角を上げた。
そういえば、と思い出す。以前、社内の式典で一度だけ遠目に見かけた、九条社長の奥さん。サージョトレーディングの副社長も務める彼女は、人間離れした美しさを持つ二十代半ばの銀髪の女性であった。彼女にはある噂があり、社内では誰も信じてはいないものの「彼女は異世界出身で、この世界の戸籍は会社が裏から手を回して取得した」という話があった。
(なるほど、もし例の噂の通りなら戸籍の件も機密の扱いも、社長からすれば今更ってことか……)
両親の問題がクリアになったことで、卓は大きく安堵の息を吐いた。
しかし、いざ障害がなくなってみると、今度は「どの道を選ぶべきか」という根本的な決断が余計に重くのしかかってくる。赤ん坊になるリスクを背負って男に戻るか、エリート社員の道を歩むか、悠々自適なイージーモードか。
「ううっ……決められません。どれも人生の舵を切りすぎですよ……」
頭を抱えてしゃがみ込みそうになる卓(ノーパンなのでギリギリで踏みとどまった)を見て、九条は鷹のような目を細め、静かに提案した。
「悩むのはわかる。四十八年の人生を今日明日で捨て去れというのは酷な話だ。だから、少し時間を置くのはどうだ?」
「時間、ですか?」
「そうだ。まず、佐藤総務部長は今朝から一ヶ月ほど『アメリカ支社へ極秘の出張に行っている』ことにする。その間、君には会社が用意したセーフハウスで生活してもらう」
「セーフハウスで……」
「今の君の姿は、どう見ても十五、六歳の少女だ。しかし、中身が四十八歳の男性のままでは、これから先の人生、どの選択肢を選ぶにせよボロが出るだろう。だからその一ヶ月間を利用して、女性として生きる上でのさまざまな口調、姿勢、服装の選び方、そして常識などを、この秘密を知る開発部の女性陣に教えてもらうというのはどうだろうか?」
九条はデスクの上で指を組み、卓を見据えた。
「選択は、一ヶ月後に聞かせてもらえればいい」
その言葉に、卓の心は一気に軽くなった。
(とりあえず、今日明日で人生を決めなくていいんだ! 直近の重大な決断から逃げられる!)
根っからのサラリーマン気質である卓にとって、「保留」ほどありがたい言葉はない。それに、社長の言う通り、どちらに転ぶにせよ決断を下すまでの一ヶ月間はこの美少女の身体で過ごさなければならないのだ。
ノーパンでジャージを履いて出社するような壊滅的な現状を思えば、女性陣から色々と教えてもらったほうが絶対にいい。
「……わかりました。そのご提案、お受けします」
卓は深々と頭を下げた。亜麻色の美しい髪が、さらりと肩からこぼれ落ちる。
「よろしい。では、グレイン本部長を呼んでセーフハウスへ案内させよう。女性陣には私から話を通しておく」
こうして、世界最大のエネルギー企業を巻き込んだ佐藤卓の壮絶な一日目は、思わぬ方向へと着地した。
男に戻るか、美少女として生きるか。究極の選択を保留したまま、超絶美少女(中身はおっさん)と、秘密を知る開発部女性陣との、ドタバタなセーフハウスでの『女の子レッスン生活』が、今まさに始まろうとしていた。
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