あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「よろしくお願いしまーす」
十一月。優莉の住むタワーマンションの自室に、二人の男女が足を踏み入れていた。
彼ら――ベテランの中野と、若手女性アシスタントの高橋は、博王堂の相楽が手配してくれたプロのレコーディングエンジニアである。大手広告代理店からの紹介案件ということで、もとより気合を入れてやって来てくれたのだろう。しかし、案内された防音扉を開けた瞬間、高橋が「えっ……」と息を呑んで立ち尽くした。
無理もない。そこは、個人宅にもかかわらず、一千七百万という大金を投じて構築した、一切の妥協がないプロ仕様の防音レコーディングスタジオだったのだから。
「本日はよろしくお願いします。機材のパッチングも済ませてあります。ですがその前に、こちらへお二人のサインをお願いできますか」
彼らをリビングのテーブルへ促し、数枚の分厚い書類が差し出される。
『渋ガ』が顔出しNGの覆面バンドとして活動していく以上、関係者からの情報漏洩は何としても防がなければならない。そこで用意されたのが、玲奈の母親である顧問弁護士が作成した『違約金億単位の超・厳密な守秘義務契約(NDA)』である。
中野はもとより真剣な面持ちであったが、契約書のガチすぎるリーガルチェックの痕跡と、スタジオの尋常ではない機材レベルを目の当たりにして、顔つきが完全に『一歩も退けないプロの顔』へと変わっていった。
「……分かりました。責任を持って秘密を厳守し、最高の音を録らせていただきます」
こうして、最初の週末。土日を使って、まずは楽曲の土台となるリズム隊の構築からレコーディングがスタートした。
出番を迎えたのは、ドラムの琴音とベースの玲奈だ。
「あの、これ……昨日焼いてきたクッキーなんですけど、よかったら休憩の時につまんでください」
可愛らしいラッピングに包まれた手作りの差し入れが高橋に手渡される。昨夜、レコーディングの緊張感から寝付けなかった琴音が手作りしたものであった。
「わあ、嬉しい! これから集中するんで、ちょうど糖分が欲しかったところなんです。ありがとうございます!」
先ほどの厳密な契約でピリピリと張り詰めていたプロの現場の空気が、琴音のふんわりとした優しさと甘い香りで、一気に和やかなものへと中和される。
しかし、いざブースに入って録音が始まると、現実は甘くなかった。
『長谷川さん、今のテイク、サビ前のキックが少し走ってます。もう一度お願いします』
『結城さん。ピッチは完璧なんですが、もう少しドラムの裏に回るようなタメを意識してもらっていいですか』
一般的な高校生レベルでは全く気づかないような微細なリズムのズレを、中野と高橋のプロの耳が容赦なく指摘してくる。何度も何度もテイクを重ね、琴音は額に汗を滲ませ、玲奈も指先を赤くしながら必死に食らいついていた。
幾度もの厳しい指摘を受け、何十回目かのテイク。ついに二人の音が完璧に噛み合った瞬間が訪れた。
「……OK! 今のもらいましょう。素晴らしいテイクでした!」
中野が力強くサムズアップを送ると、ブースの中の二人はヘナヘナとその場に座り込んだ。プロの壁にぶつかりながらも、何とかリズム隊の録音を終えたのだ。難しいレコーディングであったが、彼女たちはこの一日で大きく成長した手ごたえを感じていた。
明けて、第二週。雫のギター録音の予定である。
曲構成の都合上難易度の高い雫のレコーディングだけで丸一日が割り当てられていた。彼女が弾くのは、細かいカッティングと複雑な運指が連続する難解なフレーズだ。
「神崎さん、このフレーズは相当複雑ですね。何テイクか重ねて繋ぎましょうか? そのほうがスムーズに済むと思いますが」
高橋がコントロールルームのマイク越しに、プロの現場でもよく行われる録音手法を提案した。しかし、ブースの中でギターを構えた雫は、ヘッドホン越しに静かに首を横に振る。
「……不要。一発でいける」
「えっ? でも、これだけ手数の多い曲をフルで通すのは……」
「……問題ない。録音、開始して」
雫の揺るぎない宣言に、中野と高橋は顔を見合わせつつも録音ボタンを押した。
――その直後、二人のエンジニアは言葉を失うことになる。
雫の指先は、まるで精密機械のように寸分の狂いもなく複雑なコードを捉え続け、それでいて圧倒的な表現力と熱量を伴って、完璧なギターサウンドを叩き出したのだ。頭から最後まで一切のミスがない『一発録り(ワンテイク)』の完了。
「嘘でしょ……」
高橋が両手で口元を覆い、信じられないものを見るように目を丸くしている。中野に至っては、持っていたボールペンをポロッと落とし、大きく息を吐き出していた。
「トッププロ級の腕前だ……いや、それ以上かもしれない」
中野が戦慄したように呟き、興奮を隠しきれない様子でコンソールを操作していた。当の雫は涼しい顔でピックを置いていた。
ちなみにこのレコーディング期間の合間には、シンガポールへの修学旅行があったが、特にトラブルもなく純粋に観光と研修を楽しむことができたことを付け加えておく。
そして迎えた第三週。楽曲の顔となる、ボーカル録音の週末だ。土曜日は、メインボーカルを務める由愛の出番だった。
「よーし! いっくよー!」
修学旅行の楽しい余韻をそのまま残したような、明るく弾けるような笑顔でマイクの前に立つ由愛。彼女は持ち前のエネルギーを爆発させ、『青のオーバーライト』が持つ「等身大の青春の疾走感」を全開にして歌い上げた。
「すごい! 伸びがいい、太陽みたいな良い声です!」
高橋が身を乗り出して絶賛し、中野も「ええ、車のCMにぴったりな、文句なしのボーカルだ」と興奮気味に何度も頷いていた。
続く日曜日。いよいよ優莉のボーカルとコーラスの録音である。
静かにブースに入り、ヘッドホンを装着する。由愛が吹き込んだ、十六歳の向日葵のように明るく希望に満ちた歌声が耳に流れ込んでくる。優莉はその声に寄り添い、時に反発し、そして絡み合うように声を重ねていく。
由愛の歌声が『十六歳の青春』なら、彼女の歌声のテーマは『二度目の青春で、過去の冴えない自分を上書き(オーバーライト)する』ことだ。ただ純粋に、その歌詞の情景に感情を込めて歌い上げようとしていた。
しかし――曲に深く入り込めば入り込むほど、優莉の中にある『四十八年間の冴えないおっさんとしての過去の哀愁』や『二度目の人生にかける情念』といった重たい情感が、どうしても隠しきれずに声の端々から溢れ出てしまう。
透き通るような声の奥底に、得体の知れない泥のような執念と哀愁が混じり合う。
「…………っ」
録音が進むにつれ、コントロールルームの空気が異様なほどに張り詰めていくのを感じた。コンソールの前に座る中野は、モニター越しの私を見つめたまま、完全に手を止めていた。隣の高橋に至っては、腕をさすりながら鳥肌を立てているのがガラス越しに見える。
「……なんだこの声は。十六歳がどういう人生を送れば、こんな深い情感が出せるんだ?」
中野が混乱し、畏怖すら混じった声で震えるように誰にも聞こえない声で呟いていた。
第四週。平日放課後を利用した、ミックスダウン作業。録音したすべての楽器とボーカルの音量バランスや音質を整え、ひとつの楽曲として完成させる最終仕上げの工程だ。
これまでのプロジェクト管理では優莉が細かく口を出してきたが、ここはプロのエンジニアである中野たちにすべて任せることにしていた。
音響のプロフェッショナルが持つ専門技術に対し、素人が下手に手を出して口出しするよりも、全幅の信頼を置いて任せた方が、結果として遥かに速くて品質が良いものができることを知っていたからである。
「できました。……私たちのキャリアの中でも、間違いなく最高の仕上がりです」
中野が誇らしげに提示してくれたのは、非の打ちどころのないクオリティの『青のオーバーライト』だった。
優莉は深く頭を下げ、すぐさま完成した「マスター音源」を博王堂の相楽へと送信した。
納期通りに最高品質のデータを納品することに成功したのだ。これであとは、クライアント側からリテイクが出なければ、CM用音源はついに完成となる。
数日後。相楽からリテイクなしの返答を受け取った優莉たちは、タワーマンションのリビングでプロ初仕事の完成を喜ぶ打ち上げを開いていた。
今回はエンジニアの中野と高橋も交えての宴だ。コンシュルジュに豪華なケータリングを頼み、テーブルの上には彩り豊かな料理が並んでいる。
「カンパーイ!!」
由愛の元気な発声とともに、グラスがカチンと鳴る。
「あの、本当にすごい経験でした! 中野さん、高橋さん、コツとか歌いまわし方とかいっぱい教えてくれてありがとうございました!」
由愛が満面の笑みで二人に話しかける。
「こちらこそ。君たちの才能と熱量には本当に驚かされました。一生忘れられない経験になりましたよ」
中野も、すっかり毒気を抜かれたような穏やかな笑顔で応じている。
「完成した音源、鳥肌が立ちました。私と琴音の苦労した土台の上に、あんなすごいギターとボーカルが乗るなんて」
「うんうん! 何回もやり直して大変だったけど、頑張ってよかったよね!」
玲奈と琴音も、それぞれの感想を充実した表情で語り合っている。
「CM楽しみだね! 早くテレビで流れないかなぁ!」
由愛が身振り手振りを交えながらはしゃいでいる。他の三人も、「いつ頃放送なんだろうね」「テレビから私たちの音が流れるなんて信じられない」と、未来の映像に期待を膨らませて盛り上がっていた。
やり遂げた達成感と、未来への期待に満ちた、温かい空間。
しかし。みんなが楽しそうに笑い合うその輪の中で、優莉だけは、一人静かにグラスの炭酸水を揺らしながら、次の一手をすでに考えて動き始めているのだった。
放映されれば、世界最大手自動車メーカーのCMだ、一定程度は世間で話題になるだろうことは確定しているといっていい。そのトラフィックをどう利益に変換するかを考えていた。
社長である優莉にはその責任があるのだ。自社直営のグッズ販売の仕込みや、話題性が冷めないうちに投下する『第二弾楽曲』の制作スケジュール……。
十六歳の美少女の皮を被った四十八歳の元・総務部長の脳内では、仲間たちの笑顔を守り抜き、この夢を本物の『ビジネス』として成功させるためのロードマップが、緻密に組み上がりつつあった。
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