あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第四十九話 「悪くない。いや、最高だろ」

「さあ、ビシバシいくよ」

 

十二月に入り、冷たい空気が東京の街を包み込み始めた頃。優莉の住むタワーマンションの広大なリビングは、いつもの和やかな雰囲気から一変し、殺伐とした空気が漂う「泊まり込みの地獄のスパルタ自習室」と化していた。

 

ビジネス面の仕込み――CM音源の納品や、ECサイトの構築、第二弾楽曲のスケジュール策定などをあらかた終えた彼女たちが次に取り組んだのは、由愛の「成績維持ミッション」である。

 

 期末テストまで、あと二週間。由愛は、音楽活動を続けるためのプロデビューの絶対条件として、両親と「成績を落とさないこと」を固く約束していた。

 

 しかし、ここ最近はレコーディングや学園祭の準備でスケジュールが立て込んでおり、彼女の絶対的な勉強量がガクッと減ってしまっていたのである。このままでは、成績低下を理由にプロデビューの道が絶たれかねないという、バンドにとって最大のピンチを迎えていたのだ。

 

「とりあえず、私と玲奈でこの二週間の学習計画を作成したから。これに従って進めてもらうね」

 

 優莉はタブレットを操作し、大型モニターに工程表を映し出した。科目ごとの学習時間、休憩、睡眠時間が色分けされ、完全にブロック化された完璧なスケジュールであった。

 

「えっ……待って待って。ちょ、無理無理無理、分単位でみっちりじゃん! 息継ぎする暇もないってぇ!」

 

 画面を見た瞬間、由愛が頭を抱えて悲鳴を上げた。

 

「当たり前よ。この数週間、由愛がどれだけ勉強をサボってたと思ってるの。その分の遅れを取り戻すためには、これくらいやらないと間に合わないわ」

 

 隣に座る玲奈が、冷酷なまでに冷静な声で告げる。学年上位の成績をキープする秀才の彼女にとって、これでもまだ甘いくらいのスケジュールなのだ。

 

「まずは、由愛が一番苦手としている理数系から底上げしていこう。雫、頼めるかな」

 

「……了解」

 

 合図を出すと、理数系においては国内最上位層である雫が、分厚い参考書とプリントの束を持って由愛の隣に座った。完全に「鬼のコーチ」の顔つきである。

 

「うぅ……雫、お手柔らかに……」

 

「……甘えは不要。まずは数学、複素数。この基礎公式の展開から」

 

「む、無理だよぉ! だいたいさ、虚数とかなに? 目に見えない数字でしょ? 大人になってから、一体なにに使うの!」

 

 由愛がシャーペンを放り出し、半泣きで抵抗を試みる。文系の学生が数学から逃げる時の常套句だ。しかし、雫の理数系脳にその言い訳は通用しない。

 

「……虚数は、電気回路の交流解析において位相の計算に必須。スマートフォン、パソコン、Wi-Fi、現代の通信インフラはすべて虚数を用いた信号処理の恩恵を受けている。つまり、由愛が毎日SNSを見るためにも虚数は必要不可欠」

 

「えっ、そ、そうなの……?」

 

「……さらに、量子力学のシュレーディンガー方程式にも虚数単位が含まれる。この世界を記述するためには不可欠な概念。理解できないなら、スマホを没収する」

 

「ひぃぃぃっ! やる、やります! だからスマホだけは許して!」

 

 雫の詳細かつ論理的すぎる解説(という名の脅迫)に、由愛は完全に白旗を揚げ、泣く泣くプリントに向かい始めた。

 

 それから数時間。暖房の効いたリビングには、シャーペンが紙を走る音と、玲奈や雫の容赦ない指導の声だけが響き渡っていた。

 

 元・総務部長としての優莉のタスク管理能力と、優秀なメンバーたちのサポート。これ以上ないほどの恵まれた学習環境だが、詰め込みすぎた脳への負担は凄まじい。

 

「まぢ……もう、無理……。頭から煙出そう……」

 

 ついに限界を迎えた由愛が、机の上にベチャッと突っ伏した。

 

ちょうどその時、キッチンの方からふわりと出汁のいい香りが漂ってくる。

 

「お疲れ様。みんな、夜食ができたよー」

 

 エプロン姿の琴音が、お盆に温かいお椀を乗せてやってきたのだ。

 

「わあぁっ、豚汁だぁ!」

 

 由愛がバネ仕掛けのように跳ね起きる。具だくさんの豚汁とおにぎり。琴音の作る家庭的で優しい料理は、殺伐としたリビングの空気を一瞬にして和ませる、唯一のオアシスであった。

 

「じゃあ、みんなで少し休憩にしよっか」

 

 玲奈がそう言うと、由愛は「やったー!」と歓声を上げ、豚汁の温かいお椀を両手で包み込んだ。

 

「はぁ〜、琴音の豚汁、マジで沁みる……。生き返るわぁ……」

 

「ふふっ、たくさん作ったから、おかわりもあるからね」

 

 微笑む琴音を見ながら、優莉は密かに(琴音がいなければ、由愛のメンタルは三日で崩壊していただろうな。彼女がいてくれて良かった)と安堵の息を吐いたのだった。

 

 ――そうして、地獄のような二週間と期末テスト期間が終了し、結果が返却された放課後のこと。タワーマンションのリビングに集まった彼女たちは、それぞれのテスト結果を報告し合う。

 

 優莉、玲奈、琴音、雫の四人は、いつも通りの成績をしっかりとキープしていた。

 

(みんな、レコーディングや今後の準備でほかのことでも忙しかっただろうに、本当に要領のいい奴らだな)

 

 優莉は内心で感心しながら、四人の成績表を見渡した。彼女に関しては、MIT首席レベルのサージョ開発部の社員にスパルタ特訓で学習し直したおかげだが、ほかの三人は純粋な地頭の良さと自己管理能力の賜物である。

 

「それで……由愛はどうだった?」

 

 恐る恐る尋ねると、由愛はもったいぶるように背中に隠していた成績表を取り出した。

 

「じゃーんっ! 見てよこれ!」

 

 バンッ、とテーブルに置かれた成績表。そこに記載されていた学年順位は、なんと『ちょうど真ん中』を一つ上回る数字だった。

 

「すごい! 由愛、今までで最高位じゃない!」

 

 玲奈が目を見開いて声を上げる。

 

「……努力の複利効果。見事な結果」

 

 雫も、珍しく口角を少しだけ上げて称賛した。

 

「やったね、由愛ちゃん! 頑張った甲斐があったね!」

 

 琴音が自分のことのように喜んで拍手をする。

 

「やったね。これなら、お母さんもプロ活動に文句は言わないでしょ」

 

 優莉が褒めると、由愛は照れくさそうに鼻の下をこすり、「えへへ」と笑った。

 

「まぁね! 私だって、やればできるんだよ!」

 

 得意げに胸を張る由愛の姿に、リビングは明るい笑い声に包まれた。これで、最大の懸念事項だった「学業優先」の条件もクリア。一切の憂いなくプロの世界へと足を踏み入れる準備が整ったのだ。

 

 無事に期末テストを乗り切り、学校が冬休みに入った直後のクリスマス。東京の街がイルミネーションで煌めく中、タワマンのリビングでは、ささやかながらも賑やかなクリスマスパーティーが開かれていた。

 

 ただし、今回、優莉はパーティーの準備に一切参加させてもらえていなかった。

 

『今年は、優莉には任せないから』

 

 玲奈にそうピシャリと言い渡されたのだ。

 

 無理もない。去年のクリスマス、彼女は資産(金)に物を言わせて、タワマンの天井に届くほどの巨大な本物のモミの木を手配し、高校生にはおよそ似つかわしくない超高級ホテルのような豪華なパーティーを主催してしまったという前科がある。

 

 結果として、四人をドン引きさせてしまった反省から、今年のクリスマスのプロデュースは琴音と玲奈に全権を委任することとなっていた。

 

「メリークリスマース!」

 

 五つのグラスがカチンと音を立てて重なり合う。

 

 テーブルの上には、琴音が腕によりをかけて作ってくれた、家庭的ながらも豪華な料理が並んでいる。ローストチキン、色鮮やかなリースサラダ、具だくさんのパエリア。そして、中央に鎮座するのは、イチゴがふんだんに使われた特大の手作りデコレーションケーキだ。

 

 去年の高級ケータリングとは違う、手作りの温かさがこもった食卓。こういうのも悪くないなと、優莉は素直に感じていた。

 

「琴音のご飯、ほんっとに美味しい! いくらでも食べられちゃう!」

 

 由愛がパエリアを頬張りながら満面の笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ありがとう。ケーキもたくさんあるからね」

 

 食事がひと段落し、いよいよメインのケーキが切り分けられる。優莉の目の前にも、真っ白な生クリームと艶やかなイチゴが乗った大きめのカットケーキが置かれた。

 

(美味そうだ……。しかし、今は十時過ぎに生クリームとスポンジという炭水化物と脂質の塊。こんなものを食べれば凄まじい血糖値スパイクを引き起こし、明日の朝には確実に脂肪として蓄積される。カロリー計算的に絶対にアウトだ……!)

 

 彼女の中の「四十八歳のおっさんの理性」が、危険信号をガンガンと鳴らしている。

 

 元・総務部長として、自己管理は基本中の基本。(それでも小太りではあったが)ここで一口でも食べれば、明日からの過酷なカロリー調整が待っている。

 

「スグ、食べないの? すっごく美味しいよ!」

 

 由愛が不思議そうに私を覗き込んできた。

 

「い、いや……私は、カロリーが……。夜遅くだし、糖質を制限して……」

 

 必死に理性を保とうとしていると、由愛が自分のフォークでケーキを大きめに切り取り、優莉の口元へとスーッと差し出してきた。

 

「えー、今日くらい気にしなくていいじゃん! テストも終わったし、レコーディングも頑張ったんだし! スグはいつも頑張りすぎなんだから、たまには甘えていいの! はい、あーん!」

 

 いつもは優莉が保護者のように面倒を見ている由愛から、珍しく甘やかされるような言葉とシチュエーション。差し出された生クリームの甘い香りが、私の鼻腔をくすぐる。

 

 この美少女の身体になってからというもの、彼女の脳は「甘いものの圧倒的魅力」に対して極端に脆弱になってしまっていた。

 

(だ、だめだ……! しかし……今日くらいは……いや……)

 

 頭の中で激しい葛藤が繰り広げられたのは、ほんの数秒だった。

 

「……っ」

 

 優莉はギュッと目を閉じ、由愛が差し出したフォークのケーキをパクリと口に含んでしまった。

 

 瞬間、口いっぱいに広がる上質な生クリームの滑らかな甘さと、イチゴの甘酸っぱさ。そしてフワフワのスポンジ。

 

「……美味すぎる……!」

 

 完全に陥落だった。おっさんの理性など、女子高生の身体が発する甘味への渇望の前では、いとも容易く粉砕される。私は自らフォークを握りしめ、猛然と自分の皿のケーキを食べ進め始めた。

 

「あはは! スグ、すっごい幸せそうな顔してる! 可愛いー!」

 

 由愛がケラケラと笑い、琴音も「まだまだあるからね」と優しく微笑んでいる。幸福の絶頂だった。

 

 しかし、そんな平和な空気を切り裂くように、隣から深刻そうな声が聞こえてきた。

 

「でも、確かに夜遅くケーキでたっぷりと脂肪分と糖分を摂っちゃったわね。肌荒れ対策として、今夜はいつものスキンケアルーティンに加えて保湿パックを十分間追加して、明日以降の食生活で調整しなきゃ……」

 

 一緒にケーキを食べていた玲奈が、ふと我に返ったようにボソリと自戒の言葉を呟いたのだ。

 

「うっ……!」

 

 その言葉を聞いて、優莉はハッとした。

 

 ニキビでもできたらどうしよう、という女子高生としてのリアルな恐怖と、面倒すぎる追加のスキンケアを思い出し、フォークを咥えたままガックリと肩を落とすのであった。

 

 それを見て、リビングに再び大きな笑い声が響いた。

 

 日付が変わる頃、クリスマスパーティーはお開きとなり、四人はそれぞれの家へと帰っていった。

 

 静まり返ったタワーマンションのリビング。優莉は一人、片付けを終えたソファに深く腰を下ろし、窓の外に広がる東京の夜景をぼんやりと眺めていた。

 

「……今年も、そろそろ終わりか」

 

 炭酸水の入ったグラスを傾けながら、小さく呟く。四十八年間の人生の中で、今年ほど早くて、濃密で、目まぐるしい一年はなかった。

 

 去年、女子高生の身体で目覚め、バンドを組み、今年は曲を作り、初めてライブに出て、そしてプロとしてのビジネスを立ち上げた。プレッシャーのかかるレコーディングも、地獄のような期末テストも、すべてを五人で乗り越えてきた。

 

 最初はただ由愛から紹介された友人だった彼女たちが、今では同じ目標に向かって進む、かけがえのない「戦友」になっている。冴えない中年男性だった『卓』は、今のこの輝かしい日々をどう思っているのだろうか。

 

(……悪くない。いや、最高だろ?)

 

 グラスの氷がカランと音を立てる。

 

 来年には、『渋ガ』の曲がテレビから流れ、世界に向けて発信される。どんな波乱が待ち受けているかは分からないが、この五人なら、どんな困難でも論理と熱量で突破していけるはずだと確信していた。

 

 深まる冬の夜。優莉は戦友たちとの確かな絆を胸に刻み、静かに目を閉じるのだった。




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