あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「えっ、もう一回言ってくれる?」
目の前にある通帳と、会社印が押された仰々しい書類の意味を、脳が全力で理解を拒否しているのだろう。自宅のリビングで、由愛の母は引きつった笑みを浮かべながら聞き返した。
事の始まりは、支払通知書が渡されてから数日が経った今日の夕食後のことだった。上機嫌でリビングにやってきた由愛が、「お母さん、これ見て!」と、振り込まれたばかりの真新しい通帳と支払い通知書をドヤ顔で見せてきたのだ。
「だーかーらー、今年の上半期のあーしの報酬が、一千八百万円ってこと!」
その途方もない桁数を耳にした瞬間、母はふらつく足取りで後ずさりし、力なくダイニングチェアに座り込んだ。
数ヶ月前、玲奈の母親である結城弁護士から直々に説明を受け、娘が友人で優等生の『佐藤優莉』という少女が設立した会社と、業務委託契約を結ぶことには確かに同意していた。相手が身元のしっかりした弁護士であったため、変な詐欺や大人のトラブルに巻き込まれる心配はないだろうとハンコを押したのである。
だが、正直なところ、母はそれを『高校生のバンド遊びの延長』くらいにしか思っていなかったのだ。確かに最近、有名な自動車のCMから娘の歌声が聞こえてきたときは腰を抜かすほど驚きもしていた。
しかし、彼女たちはテレビの音楽番組にも出なければ、実店舗でCDも売っていない。親世代の古い感覚からすれば、ネットで少し話題になった程度の活動で、大金など稼げるはずがないと高を括っていたのだ。
「プロの世界なんてそんなに甘くないという話だし……まさか本当に、こんな大金が振り込まれるなんて……」
母の頭を真っ先に過ったのは、由愛が知らない間にたちの悪い大人に騙されているのではないかという、強い不安と恐怖だった。
母は由愛の歌手活動にずっと反対をしていたが、それは娘の将来を心から思ってのことだ。娘がプロになると言い出した時、夜遅くまでネットや本で音楽業界の厳しさを調べてもいた。だからこそ、生半可な気持ちなら絶対にやめておけと強く反対したのだ。
「由愛、お母さん知ってるのよ? 確か、ちょっと売れてる歌手だって、身を削ってコンサートをして、CDを何万枚も売らなければ、三百万もいかない厳しい世界なのよ! それが一千八百万なんて……絶対に裏があるわ!」
疑惑と焦りの眼差しを向ける母に対し、由愛はあっけらかんと笑い飛ばした。
「あはは! えっとね、そこはスグが上手くやってくれてて。ホントは、普通にやってたらこんなに稼げないんだってさ」
「スグって、あなたがよく言う優莉ちゃん? えっと、佐藤さんだったかしら、あの優等生の」
「そうそう! 間に大人の事務所とかが入ってなくて、スグが作った会社が原盤権を百パーセント持ってるから、中抜きゼロの自己資本モデルが実現してるんだって!」
「げ、げんばんけん……? 自己資本モデル……?」
普段は「マジヤバいっしょ」や「ウケる」しか言わない娘の口から、やけに流暢で専門的なビジネス用語が飛び出し、母は目を白黒させた。
「それにね、スグが『振り込まれた額の約四割は、来年の住民税と所得税、国保で持っていかれるから絶対に手を付けるな』ってすっごい怖い顔で口すっぱく言ってたから、明日ちゃんと納税用の別口座作ってお金移すよ。あ、あとこれからはコンビニでペン一本買う時も『宛名付きで領収書』もらうから、お母さんも捨てないでね。経費で課税所得を圧縮するから!」
「……え? ……は?」
累進課税の恐ろしさと、青色申告による節税対策の徹底。大人でさえちゃんと理解している人が少ない税務と経理の知識を、スラスラとそらんじる娘を見て、母は深くため息をつき、額を押さえた。
「……佐藤さん(優莉)の、入れ知恵ね?」
母は、娘から聞かされていた優莉の規格外の噂を思い出した。あの超進学校である渋学で学年上位五パーセントに君臨し、東大・京大もA判定というバケモノじみた超優等生。あの結城弁護士でさえ、彼女の有能さを手放しで高く評価しているという話しだった。
その事実を思い出し、ひとまずは娘が犯罪に巻き込まれたわけではないと納得した母は、酷使した脳を休めるようにこめかみを揉んだ。
「わ、わかったわ。私も急な大金で少し混乱しているし……この話の続きは、明日にしましょう」
翌日の昼休み。初夏の風が吹き抜ける学校の屋上のベンチで、由愛はメンバーたちに昨晩の出来事を報告していた。
「って、ことがあってねー。お母さん、ガチで腰抜かしてたっしょ!」
ケラケラと笑いながらお弁当の卵焼きを頬張る由愛に対し、周囲の反応はシビアだった。
「えっと……それ、大丈夫なの?」
琴音が心配そうに眉を下げ、お弁当の箸を止める。
「もう一回、ちゃんと説明したほうがいいんじゃない?」
玲奈が、サンドイッチを囓りながら的確な指摘をした。親の理解が得られなければ、未成年の活動には常にリスクがつきまとう。
「そうだね。今日、私が由愛の家に行って一緒に説明してくるよ」
優莉が自ら名乗り出ると、由愛は目を丸くした。
「えっ、スグが来てくれるの? いいの?」
「うん。ステークホルダーへの説明責任は代表の私にあるからね。ほかのみんなは、親とトラブルになってない?」
優莉の問いかけに、玲奈は肩をすくめてみせた。
「うちは問題ないわ。母が顧問弁護士だし、最初から事業構造は全部分かってるもの。ただ、私の取り分を見てちょっと呆れてたけど」
「うちはすごくびっくりしてたけど、優莉ちゃんが作ってくれた内訳の資料をちゃんと見せながら話したら、なんとか納得してくれた感じかな。……税金の額には、やっぱり悲鳴を上げてたけど」
琴音がその時のことを思い出したように胸をなでおろす。
「平気」
雫に至っては、短い一言のみである。彼女の親は放任主義なのか、あるいは娘の異常な音楽の才能と、二千万円を超える通帳の額を前に、もはや何も言えなかったのかもしれない。
「よし。それじゃあ放課後、由愛の家にお邪魔させてもらうよ」
優莉は元・総務部長としての交渉スキルをフル稼働させるべく、内心で静かに闘志を燃やしていた。
そうして放課後。八坂家のリビングでローテーブルを挟み、優莉と由愛の目の前には由愛の母が座っていた。ここで親に強硬に反対されては、今後のライブ活動やメディア展開が大きく制限されてしまう。優莉は制服のシワを伸ばし、気合を入れて話し合いに臨んだ。
「佐藤さん、今日はわざわざ来てくれてありがとう」
「いえ、突然お邪魔して申し訳ありません」
優莉は深々と、非の打ち所のない美しいお辞儀をした。
最初は無難な学校生活の話や、由愛の底抜けの明るさにバンド全体がいつも助けられているといった話をして、和やかに場を温めていった。優莉の高校生離れした落ち着きと礼儀正しい言葉遣いに、母の警戒心も少しずつ解けていく。
「さて、本題なのですが」
頃合いを見計らい、優莉は背筋を伸ばし、経営者の顔つきへとスイッチを切り替えた。そして、事前に用意していたタブレットを開き、メンバーにしたのと同様の『収益分配レポート』の説明を始めた。
CMタイアップの強気な契約構造、自社で原盤権を保有しているためプラットフォームからの収益が丸取りできること、さらには税理士を入れた法人としての税金対策まで。数字とロジックに基づいた理路整然としたプレゼンテーションに、由愛の母はただただ感嘆の溜め息を漏らすしかなかった。
おおよその事情と、一切の違法性がないことを完全に飲み込めた母は、やがて由愛に向き直って言った。
「……由愛。お母さん、あなたがここまで本格的に結果を出すなんて、本当に思っていなかったわ。立派な実績ね。すごいと思う」
「でしょでしょ! あーし、やっぱり歌の才能あったんだよ! それに、いーっぱい練習頑張ったしね!」
無邪気に喜んで両手でピースサインを作る由愛を見つめ、母は少しだけトーンを落とし、顔を曇らせて続ける。
「でもね、由愛。お母さんがいつも『歌手なんてやめて、いい大学に行きなさい』って言っていたのは、あなたに将来苦労してほしくなかったからなの。音楽の世界で一生食べていけるのは、本当にほんの一握りよ。今は良くても、何年後もこの人気が続く保証なんてどこにもないの」
親としてのリアルで切実な心配。それは、娘を愛しているからこその重い言葉だった。しかし、由愛は「あはは」と底抜けに明るく笑い飛ばした。
「お母さん、スグと全く同じこと言ってる」
「え?」
「スグもね、『一発屋で終わるリスクは常に計算しておかないとダメだよ。だからこそ、高学歴というブランドと学歴のセーフティネットは絶対に必要だ。絶対に全員、第一志望の大学に現役合格する』って、いっつも言ってるの。だから、あーし、ちゃんと大学行くよ。音楽もやるけど、勉強も絶対手ぇ抜かない」
その言葉に、母はハッとして由愛の横に座る優莉へ視線を移した。優莉は、由愛の母の不安を払拭するように、深く静かに頷いた。
自分が何年もかけて娘に言い聞かせようとしていた「現実的な将来設計」と「学歴の重要性」。それを、目の前にいる超優等生の少女は、すでに完璧なロジックで娘に叩き込み、しかも納得させていたのだ。
「佐藤さん。高校生のあなたに言うのは間違っているかもしれないけれど……うちの子を、どうかよろしくお願いします」
母はテーブルに両手をつき、涙を浮かべながら優莉に向かって深々と頭を下げた。
「あっ、いえ! もちろんです。責任を持ってお預かりします。万が一、何かあったときには私が一生養うので心配はいりません」
優莉は慌てて頭を下げ返した。
(まあ、私個人の投資の配当金だけでも年間一千五百万は手堅く入ってくるし、バンドメンバーくらいなら、路頭に迷っても余裕で養っていけるだろう)
優莉としては、自身の莫大な資産状況を前提とした、ごく軽い『事実の羅列』としての返事であった。しかし、由愛の母はそれを『人生を懸けた重い決意の表れ』だと勘違いしてしまった。
(このお嬢さんも、音楽活動とこのバンドに自分の人生のすべてを懸けているんだわ。自分が一生面倒を見る覚悟で、うちの娘を……。なんて強い絆なの。この二人を、応援してあげないと)
見事にすれ違う思惑の中で、母は完全に納得の表情を浮かべ、目尻の涙を拭った。
「……わかったわ。由愛がそこまでしっかり考えて……というか、佐藤さんが完璧に考えているなら、お母さんはもう何も言わない。音楽も、受験も、思う存分やりなさい」
「やったーっ! お母さん大好き!!」
由愛が立ち上がり、母の首に抱きつく。こうして由愛の母は、遂に由愛がプロとして夢を追うことを心から許してくれたのだった。
翌週。最近、母が音楽活動を完全に許してくれたからか、由愛のテンションは絶好調だった。渋ガとしても、先月レコーディングした新曲をネットで配信したり、次作のレコーディング準備があったりと、多忙ながらも充実した日々が流れていく。
「こんばんわー、始まりました。渋ラジ。今週もまったりやっていきましょう」
学校帰り、優莉のタワマンの防音スタジオで、定期的に行われている音声配信の収録がスタートした。専用のマイクを囲み、五人がリラックスした様子で座っている。
優莉の落ち着いたタイトルコールの後、用意していた企画を一通り済ませて、いつものリスナーからの質問コーナーへと移る。
「えーと、今日の質問は……『クールなイメージの玲奈さんや雫さんの意外と可愛いところを、他のメンバーから暴露してください!』とのことです」
「いや、やめなさいよこういうの」
玲奈が即座に腕を組み、嫌そうな声を上げる。
「可愛いところかぁ」
琴音がふふっと笑いながら、マイクの前で天井を見上げた。
「玲奈、可愛い物めっちゃ好きだよね。スマホで猫の動画見て、ほっぺゆるゆるになってる時あるよ」
由愛がニヤニヤしながら容赦なく暴露する。
「確かに、玲奈は動物好き」
雫が端的に同意した。
「そ、そういう雫だって、琴音の作ったお菓子食べるといつも頬が緩むじゃない。ほんの少しだけど」
顔を真っ赤にした玲奈が、反撃とばかりに雫へと矛先を向ける。
「あー、あれは嬉しいな」
琴音が両手を頬に当ててふんわりと微笑む。
「雫は、興味あることにはめっちゃ目が動くのかわいいよね。あと、玲奈は……」
由愛がさらに話を広げようと言いかけたところで、玲奈が強引に遮った。
「はい、もういいでしょ。次の質問!」
「じゃあ次に行くね」
優莉は手元のタブレットをスクロールさせ、用意していたある質問を読み上げた。
「『曲のクオリティが高すぎるのと、優莉さんの言葉選びが大人っぽすぎるので、実は中身は全員おじさん説を提唱しています。否定してください!』……だってさ」
実はこの質問をあえて選んだのは、優莉の戦略であった。あえて自ら「おじさん説」を取り上げて笑い飛ばすことで、リスナーに『中身がおじさんであることを悟らせない』という、一種の心理的ブラフである。
「否定してくださいって、提唱してたんじゃないの?」
「玲奈ちゃん。真面目に受け取らなくってもいいんじゃないかなぁ」
「ははは。現役女子高生がおじさんなわけないじゃないか」
優莉はマイクに向かって、余裕たっぷりの笑い声を響かせた。完璧な火消しだ、と内心でガッツポーズをする。
「確かにおじさんってことはないけど、でも優莉はたまに『おじさんぽいとこ』あるよね」
玲奈の何気ない一言が、導火線に火をつけた。
「あー、わかる! スグ、熱いお茶飲むとき『あぁ〜』って声出すよね!」
「い、いや、それは単にお茶が美味しかったからで……」
「あと、ソファから立ち上がるとき、無意識に『よっこいしょ』っていってるよね。こないだ肩を回しながらゴキゴキ鳴らしてたし……」
「琴音、それはちょっと事務仕事をやりすぎたせいで……!」
「……スマホのフリック入力が遅い。時々、人差し指で画面を叩いている。あと、健康診断の数値をやたらと気にしている」
「雫、それは経営者としての健康管理だ!」
優莉が冷や汗をかきながら必死に弁解するが、メンバーからの愛ある追撃は止まらない。
「こないだなんて、テレビのニュース見てて『最近の若いもん』って言いかけて誤魔化してたわよね? あんたも十分若いんですけど」
「ち、違う! あれはただの言葉の綾で……!」
四十八歳まで生きた中高年の習性が、ここに来て次々と暴露されていく。優莉の額から滝のように冷たい汗が流れ落ちた。これ以上深掘りされれば、リスナーに「あ、こいつマジでおっさんだ」と確信されかねないと危機感を抱いていた。
「結論! 渋ガはナウくてヤングなJKです!」
優莉はマイクに向かって大声で叫び、強引に話を打ち切った。
「「「ナウくてヤング……?」」」
しかし、優莉が無意識に繰り出した完全なる昭和の死語に、メンバー全員の頭にハテナが浮かび、スタジオに奇妙な静寂が訪れた。
「はいっ、次の質問行くよ!」
自らの首を絞める結果になった優莉は、顔を真っ赤にしながら無理やりコーナーを進行させた。
今日もこうして、渋ラジは女子高生たちのわちゃわちゃとした混沌に包まれたまま、楽しく収録されていくのだった。
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