あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第六話 ドライヤー30分はタイパが悪すぎる――美少女(中身おじさん)の絶望

 健康診断という名の一大イベントが、区役所の集団検診レベルのドライさであっさりと終了した直後。若手社員の二人が、持ち込んだ大量の食料品や日用品を、キッチンの巨大な最新型冷蔵庫やパントリーへとテキパキと補充していくのを横目に、卓はひとまず安堵の息を吐いた。

 

「とりあえず、今日はこれを着てください。いきなり本格的な下着はハードルが高いでしょうから」

 

 リーダー格の女性社員・松田から手渡されたのは、胸の部分に柔らかいカップが縫い付けられたキャミソールと、シンプルなショーツ、肌触りの良いゆったりとしたルームウェアの上下だった。

 

 ダボダボのジャージとノーパンという極限状態からようやく解放される喜びに打ち震えながら、卓は別室で着替えを済ませた。

 

(おお……これが女性の衣服。ノーパンのスースー感からは解放されたけど、股間が布でピタッと覆われている感覚がすげえ落ち着かない……)

 

 ルームウェアの胸元がしっかりと膨らんでいるのを見て、改めて自分が美少女になってしまった現実を突きつけられる。しかし、贅沢は言っていられない。

 

 着替えを終えてリビングに戻ると、松田たち三人がズラリと立ち並び、どこか凄みのある笑顔を浮かべて卓を待ち構えていた。

 

「さて、佐藤さん。ひとまずの身の安全と生活環境は整いました。これより『女性としての常識・立ち振る舞いスパルタレクチャー』を開始いたします」

 

「スパルタ……」

 

「はい。期間は本日から四日間。この四日間で基礎を完全に頭と身体に叩き込んでいただきます。その後は週に三回、私たちが復習と新たな課題のチェックに伺うスケジュールです」

 

 その厳格な響きに、卓は背筋をピンと伸ばした。

 

 本来ならば「女の子のフリなんて、適当に高い声でも出しておけばいいんじゃないか?」などと甘えた口を叩きそうなものだが、卓は絶対にそんなことは言わない。いや、言えないのだ。

 

 なぜなら、彼は四十八歳の中間管理職。年下の女性社員たちに対して、そんなふざけた態度をとれば「佐藤部長、女性蔑視ですか?」「完全にセクハラですよね」と軽蔑されるのが目に見えている。コンプライアンス遵守の精神が骨の髄まで染み込んでいる卓は、ただひたすらに腰を低くし、「よ、よろしくお願いします。ご指導のほど、何卒……!」と、深々と頭を下げることしかできなかった。

 

 かくして、卓の長くて過酷な四日間が幕を開けた。

 

 彼女たちの指導は、ひたすらに『論理的』かつ『精神を削る反復練習』であった。

 

 第一日目。姿勢と動作、そして一人称の徹底矯正。

 

「佐藤さん、ソファに座る時は両膝を必ず接着させてください。……ああ、また開いていますよ。無意識に『おじさん座り』になっています。やり直しです」

 

「は、はいっ!」

 

「歩き方も違います。ドスドスと踵から歩くのではなく、膝を擦り合わせるように、一本の線の上を歩くように。……はい、やり直し」

 

 長年中年太りでガニ股歩きが染み付いていた卓にとって、常に膝を閉じ、内股気味に歩くという動作は、脳の処理領域を異常なほど圧迫した。

 

 しかし、驚くべきことに十五歳の圧倒的な健康体であるこの肉体は、どれだけ不自然な姿勢を強いられても、どれだけ歩き回らされても、筋肉痛や物理的な疲労を一切感じなかった。息一つ上がらないのだ。

 

しかし、その分、四十八歳の脳髄にかかる『精神の消耗』が凄まじかった。一瞬でも気を抜けばおっさんの所作が出てしまうため、常に自分を監視し続けなければならない疲労感で、夜には泥のように眠りに落ちた。

 

 二日目。未知の装備品との格闘。

 

「今日はブラトップから卒業し、本格的なワイヤー入りのブラジャーを着けていただきます。ホックは後ろで留めるんですよ」

 

 肩甲骨の柔軟性を試される未知の動作に四苦八苦し、ようやく着けられたと思えば、胸部を持続的な圧迫感が襲う。息苦しいわけではないが、常に胸部に異物がある感覚に精神が削られる。

 

「階段やエスカレーターを登る時は、こうして鞄でスカートの裾を軽く押さえるか、手でガードしてください。下から、あるいは背後からの視線を防ぐためです」

 

「えっ……俺、今まで階段で前の女性が鞄を後ろにやってるの、ただの癖だと思ってました……」

 

「無防備すぎます。女性の社会は常に視線の脅威に晒されていることを自覚してください」

 

 さらに、ストッキングの着脱訓練では、力任せに引き上げて初見で伝線させてしまい、「ああっ! 佐藤さん、それ一足三千円もするんですよ!」と怒られ、貧乏性な卓は「さ、三千円の布を秒でゴミに……!」と青ざめて平謝りすることになった。

 

 三日目。美容と身だしなみの時間泥棒っぷりに絶望する。

 

「洗顔後は時間との勝負です! すぐに導入美容液、化粧水、乳液、そしてクリームで蓋をします!」

 

「ぜ、全部顔に塗る液体ですよね!? どれか一個じゃダメなんですか!?」

 

「この国宝級の雪肌を乾燥させる気ですか! 手は抜かせません!」

 

 言われるがままに顔面を保湿され、さらに肩まである美しい亜麻色の髪を洗って乾かすだけで、なんと三十分以上もドライヤーを振り続ける羽目になった。肉体的な疲労はないが、ただ髪を乾かすだけという作業に奪われる『時間』に、タイパを重視するおっさんの精神はゴリゴリと削られていく。

 

「次はアイメイクの練習です、ビューラーでまつ毛を挟みますよ」

 

「ヒィッ! 目の前に金属のハサミみたいなのが! 目ん玉刺さる、拷問、これは拷問だ!」

 

 そして迎えた、四日目。

 

 四日間の精神的拷問とも言えるカリキュラムをなんとかこなし、付け焼き刃ながらも「お淑やかな美少女」のガワを被れるようになった卓に、松田たちから最終テストが言い渡された。

 

「それでは本日は、これまでの総仕上げとして、私たちと一緒に外を歩く実践訓練を行います」

 

「そ、外……」

 

「はい。行き先は表参道です。最新のファッションに身を包み、実際に人混みを歩いていただきます」

 

 女性陣に見繕ってもらった、十五歳にしては少し大人びた、しかし清楚さを残す絶妙なコーディネート。もちろん下着もストッキングも完璧に装備済みだ。

 

 セーフハウスを出て、表参道の並木道を歩き始めた瞬間、卓は己の置かれた状況の『異常性』を肌で感じ取った。

 

 視線が、痛い。

 

 会社に向かった変異初日も、確かに周囲から凄まじい視線を浴びていたはずだ。だが、あの時はノーパンで外を歩くという尊厳の危機と、突然自分の身体に起きた異常事態へのパニックで気が動転しており、周囲の視線の意味にまで注意を払う余裕が全くなかったのだ。

 

 しかし、冷静に「女性としての振る舞い」を意識して歩く今、自分に突き刺さる無数の視線の重さに改めて戦慄することとなった。すれ違うほぼ全ての人間が、老若男女問わず卓を振り返る。女性たちは羨望や驚愕の目を向け、男性たちは熱を帯びた視線を送ってくる。

 

 だが、卓の容姿があまりにも『圧倒的』すぎるため、一般の男性たちは恐れ多くて近づけず、遠巻きに見ることしかできない。まるで美術館の国宝を眺めるように距離を置いているのだ。

 

 しかし、それが逆に厄介だった。そんな見えないバリアを平然と踏み越えてアプローチしてくるのは、己の容姿やステータスに絶対的な自信を持つ『過剰な自信家』か、あるいは『仕事として声をかけてくるプロのスカウト』に限られるからだ。

 

「あ、あの! そこの君!」

 

 不意に、卓の目の前に一人の男が立ち塞がった。見上げれば、身長一八〇センチは優に超えるであろう、二十代前半の俳優かモデルのような自信に満ちたイケメンだった。仕立てのいいジャケットを着こなし、人懐っこい笑顔を浮かべている。

 

「えっ……?」

 

「突然ごめんね。あまりにも綺麗だったから、思わず声かけちゃった。君、モデルとかやってない? もしよかったら、少しだけお茶でも――」

 

 男はそう言いながら、卓との距離をスッと詰めてきた。

 

 ――近い。

 

 見上げるような身長差。見下ろしてくる男の大きな身体が、一五〇センチ台の卓の視界を黒く覆い尽くす。

 

 パーソナルスペースに、無遠慮に侵入された瞬間。

 

(ひっ……!)

 

 卓の全身の産毛が逆立ち、心臓が恐怖で冷たく跳ねた。それは純粋な『生物学的な恐怖』だった。男の体格の良さ、骨格の違い、そして明確な下心を持った視線。もしこの男が力ずくで自分を押さえ込んできたら、今の華奢な肉体では絶対に抗えないだろう。己が絶望的なまでの「弱者」の側に立たされているという絶対的な現実が、本能に警鐘を鳴らしたのだ。

 

(な、なんだよこれ……怖ぇっ……!)

 

 足がすくみ、声が出ない。卓の脳内では、四十八歳のプライドが激しく葛藤していた。

 

(冗談じゃない! 俺は四十八歳だぞ!? こんな若造、普段なら「今時の若者は」と説教してやるところじゃないか! なのに……なんで俺は、こんなガキ相手に本能レベルで怯えてるんだ!?)

 

 大人の男としての自我が、屈強な若者の接近に震え上がる自分の脆い肉体を激しく呪う。顔面は蒼白になり、大きな瞳には恐怖で涙が浮かんでいた。

 

「すみません、この子急いでますので!」

 

 間一髪。後ろに控えていた松田がサッと卓の腕を引き、男と卓の間に割って入ってくれた。

 

「あ、いえ、お姉さんたちもご一緒に……」

 

「結構です。行くわよ、佐藤さん!」

 

「は、はいぃっ……!」

 

 強引に腕を引かれ、足早にその場を離れる卓たち。

 

 男の姿が見えなくなった路地裏で、卓はその場に立ち尽くし、両手で顔を覆った。果てしない屈辱感と葛藤が、胸の中で渦巻いている。たかだか二十代そこそこの若造に距離を詰められただけで、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。俺はもう、男としての尊厳すら失ってしまったのか。

 

「……佐藤さん、聞いてください」

 

 松田が静かな、しかし真剣な声で告げた。

 

「今の佐藤さんの容姿は、ああやって男性を惹きつけてしまう力を持っています。そして、力のある男性、自分に自信のある男性ほど、その魅力を武器にして無遠慮にパーソナルスペースに踏み込んでくるのです」

 

「……はい」

 

「怯えるのは当然です。身体の作りが違うのですから。外を歩くということは、常にあの視線と、あの距離感でのアプローチによる脅威に晒されるということです。自分の身を守るための『警戒心』と『心の距離の取り方』。これも立派な、女性としての防衛術です」

 

 松田の容赦のない現実の突きつけに、卓は顔を覆ったまま何度も頷くしかなかった。

 

 女として生きるというのは、こんなにも恐ろしく、そして精神を削る戦いの連続なのか。逃げるようにして青山のタワーマンションへと帰還した卓は、玄関のドアが閉まり、堅牢なオートロックのセキュリティに守られたプライベート空間に入った途端、その場に力なくへたり込んでしまった。

 

「……っ、はぁぁぁっ……疲れた……」

 

 ひんやりとした大理石の床に手をつき、荒い息を吐く。十五歳の肉体は全く息切れなどしていないし、足腰もピンピンしているというのに、中身の四十八歳の精神はフルマラソンを完走した後のようにボロボロだった。

 

「……さて。これで四日間の集中スパルタレクチャーは終了です」

 

 松田がパンッと手を叩き、空気を変えた。

 

「なんとか最低限の『ガワ』は装えましたね。ですが、まだまだ油断は禁物です。明日からはペースを落とし、週に三回、私たちが復習と新たな課題のチェックに伺います。一ヶ月後の社長への回答の日まで、気を抜かないでくださいね」

 

「……はい、よろしくお願いします……」

 

 卓は、冷たい玄関の床に這いつくばったまま、ただ力なく返事をするのが精一杯だった。かくして、世界最大のエネルギー企業の総務部長・佐藤卓(四十八歳)の、じわじわと精神を摩耗させていく過酷な『美少女休業ライフ』は、絶望と葛藤に満ちた本格的なスタートを切ったのである。




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