あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第六十二話 「えっ? いいの?」

「えっ? いいの?」

 

 七月も終わりに近づき、茹だるような真夏の熱気が窓の外を覆い尽くしている週末の午後。冷房が完璧に効いた、優莉の暮らすタワーマンションの広々としたリビングで、由愛の驚きに満ちた声が響き渡った。

 

 彼女たち『渋ガ』の五人は、いつものようにローテーブルを囲んでふかふかのソファに腰を下ろし、冷たい麦茶やアイスティーを飲みながらミーティングを開いていた。

 

 つい先日終わったばかりの国内最大級の夏フェス『FUJI PUNK』。あの五万人を動員した伝説的なライブは、大成功を収めたという事実以上に、メンバーそれぞれの心境に決定的な、そして不可逆的な影響を与えていた。

 

「いや、いいかどうかは……ずっと悩んでるんだけどね」

 

 琴音はグラスについた水滴を指でなぞりながら、伏し目がちに、しかしどこか熱を帯びた声で答えた。

 

 彼女の視線の先には、数日前に見たばかりの光景がまだ鮮明に焼き付いているようだった。観客の凄まじい熱狂、地鳴りのような歓声。自分たちの鳴らす音に合わせて五万人が一斉に飛び跳ねた時の、大地がうねるような振動。

 

 あの時、彼女たちは巨大な白い『紗幕』の裏側に立ち、自分たちの姿をシルエットとして投影することでステージを成立させていた。覆面バンドとしてのミステリアスな魅力を保つと同時に、将来の夢へのリスクヘッジとして「顔出しNG」を貫くための苦肉の策であった。

 

 しかし、そのすさまじい熱気と歓声を直接肌で浴びてしまった今、玲奈と琴音の心の中に、ある強烈な感情が芽生え始めていた。

 

 ――紗幕無しで、直接お客さんの顔を見ながらライブをしたい。

 その欲求は、日を追うごとに彼女たちの胸の中で大きく膨れ上がっていたのだ。

 

 弁護士や教員といった、お堅いとされる将来の職業を目指していた二人の心に、「この五人でずっと音楽を続けたい」「もっとダイレクトに、あの一体感と感動を味わいたい」というアーティストとしての純粋な欲求と、現実的な夢とのあいだで、激しい葛藤が生まれ始めていたのである。

 

「……正直に言うわ。あのライブを経験しちゃったら、あの紗幕はただの障害物でしかないわね。邪魔なのよ」

 

 玲奈が腕を組み、深くため息をつきながら本音をこぼした。彼女の整った顔立ちには、今までに見せたことのないような、音楽という麻薬的な魅力に完全に囚われてしまった者の熱が浮かんでいた。

 

「えーっと、確認だけど」

 

 優莉がアイスティーの入ったグラスをテーブルに置き、冷静な声で話を整理し始めた。

 

「玲奈は弁護士、琴音は学校の先生になりたいから、将来の就職活動やキャリアに影響が出ないように顔出しはしない、っていう方針だったよね?」

 

「そーいえば、なんで弁護士と先生になりたいと、顔出しでバンドやっちゃだめなの?」

 

 由愛がクッションを抱き抱えながら、純粋な疑問を口にする。彼女は生粋のアーティスト気質であり、最初から顔出しに何の抵抗もないタイプだった。

 

「いや、法律でだめって決まってるわけじゃないんだけどね……。弁護士っていうのは、何よりも『信頼感』ってものが大事なのよ。依頼人の人生を背負う仕事なのに、休日は派手なロックバンドでベースを弾いて飛び跳ねてます、なんて素性が知れたら、お堅いクライアントからは敬遠されるかもしれないでしょ? 事務所の面接だって不利になる可能性があるわ」

 

 母親である結城弁護士の背中を見て育ってきたからこその、玲奈の現実的でシビアな見解を述べる。

 

「それに……学校の先生、つまり公立学校の教員は地方公務員だから、原則として副業ができないの。音楽活動でこれだけの収入を得てしまっていることが教育委員会にバレたら、懲戒免職になっちゃうかもしれないし、そもそも採用試験で弾かれちゃうと思う……」

 

 琴音が不安そうに眉を下げた。一千五百万円という常軌を逸した上半期の報酬額は、公務員という安定した職業を目指す彼女にとって、もはや隠し通せるレベルの「お小遣い稼ぎ」の範疇を完全に超えていた。

 

「えっ? でも先生、本書いてるって言ってたよ?」

 

 重苦しい空気が漂いかけたその時、由愛が思い出したようにぽんっと手を打って言った。

 

「本?」

 

 優莉が訝しげに聞き返す。

 

「うん! うちらの担任だった山里先生いるっしょ? 実はあの先生、ペンネームで小説家としても活動してて、本も何冊か出してるんだって! こないだ廊下で会った時に立ち話してたら、教えてくれた!」

 

 由愛の口から飛び出した意外な事実に、リビングにいる全員が目を丸くした。相変わらず、誰の懐にも一瞬で入り込んで情報を引き出してくる由愛のコミュ力は、完全にお化けの領域に達している。

 

「小説家……? 副業規定はどうなってるのよ」

 

 玲奈が驚きの声を上げる中、優莉の脳内で高速で情報が処理され、一つの明確な答えが弾き出された。四十八年間、酸いも甘いも噛み分けてきた経験が、ここに来て見事に機能したのだ。

 

「……そっか。私たちの通ってる高校は『私立』だから、先生たちは公務員じゃない。あくまで学校法人に雇われている会社員と同じ扱いなんだ。だから、各法人の副業規定さえクリアすれば問題ないんだよ」

 

「えっ、そうなの!?」

 

 琴音が弾かれたように顔を上げる。

 

「今まで、学校の先生といえば無条件で『公務員』って頭で考えてたけど、私立校の教員なら地方公務員法の縛りは受けない。それに、これだけ多様な働き方が推奨されている今の時代、名前の売れている有名なアーティストが教壇に立つとなれば、学校側にとっても大きな宣伝になる。むしろ『どんどんやってほしい』って歓迎するところも、探せばいくらでもあるのかもしれないね」

 

 優莉の淀みない論理的な解説に、琴音の瞳にパッと希望の光が点った。顔を出してバンドを続けても、先生になれる道がある。その可能性が見えただけで、彼女の心は羽が生えたように軽くなっていた。

 

「おーっ! じゃあ、先生でおっけーなら、弁護士も大丈夫なんじゃないかなぁ?」

 

 由愛が無邪気に玲奈の方を向いて言う。

 

「簡単に言わないでよ。でも、そうね……。確かに、昔みたいなお堅い弁護士像だけが正解の時代じゃないのかもしれない。現役のトップアーティストが法律の専門家でもあるってなれば、逆にものすごい強みになるかもしれないし……。うん、一回、母さんにそれとなく業界の風潮を聞いて、調べてみるわ」

 

 玲奈も、固く閉ざしていた可能性の扉を少しだけ開いてみようという前向きな姿勢を見せた。

 

「うん、私の方でも、エンタメ法務に強い事務所の事例とか、私立学校の教員の副業事情について調べてみるよ。リスクヘッジの選択肢は多いに越したことはないからね」

 

 優莉がタブレットにメモを打ち込みながら答える。すると、今まで黙って二人のやり取りを聞いていた雫が、無表情のままスッと手を挙げた。

 

「……サージョは?」

 

「あっ」

 

 優莉はキーボードを叩く手を止めた。

 

 そうだった。雫の最大の目標は、世界最大のエネルギー企業である新興企業『サージョトレーディング』に入社し、そこで扱っている未知のエネルギー粒子『マナ・パーティクル』の原理を研究することである。

 

 優莉の性転換前の姿である卓(現在は行方不明扱いとなっている)は、まさにそのサージョの総務部長であった。そのため、優莉はサージョの就業規則で副業が可とされていることは熟知している。しかし、入社前の学生が派手なバンド活動で顔出しをしているという事実が、採用面接の場において人事部や役員にどう扱われるかまでは、確証が持てないため確認が必要だった。

 

「前にうちの父がサージョの社員だって言ったよね? そのツテを使ってちょっと会社の人に聞いてみるよ」

 

「……お願い」

 

 雫は安心したようにわずかに瞬きをし、小さく頷いた。

 

「やったー! もし全員おっけーだったら、これからもっともっと、みんなで本格的にバンド活動できるね! テレビにだって出られちゃうかも!」

 

 由愛がクッションを放り投げ、両手を挙げてテンションを最高潮に引き上げる。

 

「まだ喜ぶのは早いわよ。全部ちゃんと調べてみて、安全だとわかってからじゃないと動けないんだから。まあ、わからないでもないけどね」

 

 玲奈が冷静に釘を刺すが、その口元は微かに緩んでおり、顔出しへの期待を完全に隠しきれてはいなかった。

 

「さて、将来のキャリアプランとバンドの方向性についての擦り合わせは、とりあえずここまでにしておこうか。色々と調べる宿題もできたしね」

 

 優莉はパンと軽く手を叩き、場の空気を切り替えた。

 

「今日の本来の議題は、来週に迫った夏休みの旅行についてでしょ?」

 

「そうだね、早くその話を決めなくちゃ!」

 

 琴音が身を乗り出し、テーブルの上に広げられた旅行雑誌に目を落とす。

 

「今年はみんな、いっぱいお金もってるから、超豪華な旅行ができるね! 海外行っちゃう? ハワイ? それともモルディブ!?」

 

 由愛が目をキラキラさせて提案する。

 

「ああ、あのバグみたいなギャラね……」

 

 玲奈が遠い目をしてこめかみを押さえた。彼女たちには先日、高校生の金銭感覚を完全に破壊するには十分な額の報酬が振り込まれたばかりなのだ。

 

「私、いまだに怖くて全く手を付けられてないよぉ……。ATMで残高照会するたびに、心臓が止まりそうになるんだもん」

 

 琴音が両手で顔を覆って震える。

 

「……私、ギター買った。ヴィンテージのレスポール。経費」

 

 雫が無表情のまま、凄まじい事実をぽつりと投下した。

 

「ちょっと雫! あんた何百万するギターを勝手に……!」

 

 玲奈が目を剥いて驚くが、優莉は深く頷き、我が意を得たりとばかりに指を鳴らした。

 

「素晴らしい判断だね、雫。その通りだよ。商売道具である楽器は、減価償却資産として経費で落とせる。利益を圧縮して税金を減らすための、正しくて有効なキャッシュの使い方なんだ」

 

 優莉は立ち上がり、ホワイトボードの前に移動してマーカーを握りしめた。彼女の目には、元・総務部長としての、そして資本主義を生き抜く投資家としての怪しい光が宿っていた。

 

「いい、みんな。琴音のように、ただ銀行口座にお金を眠らせて貯めているだけというのが、実は一番よくないんだよ。日本は長らくデフレだったけど、これからはインフレの時代だ。物価が上がれば、現金の相対的な価値は目減りしていく一方だからね」

 

「スグ、また始まったっしょ……」

 

 由愛が呆れたようにため息をつくが、優莉の熱弁は止まらない。

 

「現金の価値を保全するためには、最低でも物価連動国債で運用するか、インデックスファンドに一定以上の割合で投資をして市場の成長に乗る必要がある。特に私たちのような十代の若年層なら、取れるリスク許容度は極めて高い。つまり、一時的な暴落を恐れず、期待リターンの高い『株式百パーセント』の強気なポートフォリオを組んでも、時間という最強の武器が複利効果を……」

 

 ホワイトボードに凄まじい勢いで資産運用のグラフと数式が書き込まれていく。

 

「あー、はいはい。優莉先生のありがたいビジネス&投資講座は後回しにして、まずは旅行の行き先を決めましょ」

 

 玲奈がパンパンと手を叩いて、暴走し始めた優莉を強制的にストップさせた。

 

「えっ? いや、これは私たちの将来の資産形成において非常に重要な……」

 

「温泉がいいなー! 露天風呂付きの超高級旅館!」

 

 由愛が優莉の言葉を完全に無視して、旅行雑誌のページをめくる。

 

「いいわね、美味しいご飯を食べてゆっくり休みたいわ」

 

「私も賛成。フェスの疲れもまだ残ってるしね……」

 

「……カニ、食べたい」

 

 メンバーたちは完全に優莉の投資講座をスルーし、キャッキャと楽しそうに旅行の計画を進め始めた。

 

 ホワイトボードの前でマーカーを持ったまま取り残された優莉は、「……せめて、新NISAの口座開設だけでも……」と小さく呟いたが、その声は楽しげな女子高生たちの笑い声に完全に掻き消されてしまった。

 

 やれやれと苦笑いしながら、優莉もマーカーを置き、メンバーたちの輪の中へと戻っていった。

 

 その数時間後。あーでもない、こーでもないと大騒ぎした末に、無事に全員が納得する国内四泊五日の旅行日程が、しっかりと決まったのであった。

 

 顔出しという新たな可能性、そして途方もない大金を手にした彼女たちの夏休みは、まだ始まったばかりである。




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