あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「ここ、赤色でいいのよね?」
絵の具のツンとした匂いと、段ボールの埃っぽい匂いが入り混じる放課後の教室。床に広げられた古新聞の上で、絵の具のついた筆を手にした玲奈が、隣で作業する琴音に向かって尋ねた。
「うん、そうだよ。そこの壁は血しぶきが飛んでるみたいな感じにしたいから、少し掠れさせるように塗ってくれるかな」
「わかったわ。こうね」
琴音の指示に頷き、玲奈は白いシャツの袖をまくり上げて、手際よく段ボールの表面に赤黒い絵の具を擦りつけていく。
彼女たちのクラスは、目前に迫った『渋学祭』に向けて、出し物であるお化け屋敷の準備に追われていた。教室の机と椅子はすべて廊下や後ろのスペースに片付けられ、現在は段ボールと黒いビニール袋で作られた迷路の壁が、少しずつ形を成し始めているところだった。
「はいはーい! お化け通るよー、道あけてー!」
そこへ、由愛の底抜けに明るい声が教室の入り口から響いてきた。
振り返ると、由愛が両腕に大量の不気味な小道具を抱え込んで歩いてくるところだった。どこから借りてきたのか、首が異様に伸びたろくろ首のような人形や、理科室からこっそり持ち出してきたとおぼしき内臓むき出しの人体模型などを、落とさないように絶妙なバランスで抱えている。
「ちょっと由愛、それどこに置くつもりよ。あまり通路の真ん中に置くとお客さんが躓くわよ」
玲奈が筆を止め、呆れたようにため息をついた。
「大丈夫だって! この人体模型ちゃんは、あっちの曲がり角の死角に置いて、下からライトアップする作戦だから。絶対みんなビビるって!」
由愛はキャハハと笑いながら、お化け屋敷の暗がりを想定したコーナーへと意気揚々と歩いていった。
そんな賑やかな教室内で、優莉はただ傍観しているだけではなく、中心となって制作の指揮を執っていた。彼女の手には、クリップボードに挟まれた詳細なお化け屋敷の設計図が握られている。
中身は四十八歳の元・総務部長であり、現役の企業経営者でもある優莉にとって、文化祭の出し物の設計や動線管理など、ビジネスの運営シミュレーションに比べれば造作もないことだった。
「えーっと、そこの壁の配置なんだけど。それだと通路が狭くなっちゃって、お客さんが滞留する原因になるかな。万が一のパニック時の避難経路の確保も兼ねて、あと二十センチほど広く設計しようか」
優莉は設計図に赤ペンで修正を加えながら、迷路の骨組みを組み立てているクラスメイトに声をかけた。
「はーい、了解! こんな感じでどうかな?」
明るく応じたのは、背の高い元女子バスケ部の山本さんだった。彼女は力仕事も難なくこなし、優莉の指示通りに段ボールの壁をずらし、ガムテープでしっかりと補強し直した。
「うんうん、いい感じ。動線がスムーズになったよ。次はあっちの暗幕の設置だね。光が漏れないように、隙間を黒いガムテープで完全に塞いでしまおう」
優莉が的確に次の指示を出すと、山本をはじめとするクラスメイトたちは「オッケー!」「さすが佐藤さん!」と小気味よく作業を進めていった。
優莉たち五人が、こうして裏方である制作作業に精を出しているのには理由があった。
少し前、クラス内で渋学祭の役割決めが行われた時のことだ。文化祭のお化け屋敷といえば、当日の接客、案内、あるいはお化けとしての脅かし役といった花形のポジションと、事前の買い出しや教室の装飾、設営を担当する制作ポジションに分かれるのが一般的だ。
優莉たちは、受験勉強やバンドの練習、そして文化祭の軽音部ステージの準備など、ただでさえ抱えているタスクが膨大だった。そのため、「当日になるべく自由な時間の余裕が欲しい」という現実的な理由から、五人揃って事前の制作班に回ることを申し出ていたのだ。
しかし、これは本来であれば少々難しい要求のはずだった。
優莉、由愛、玲奈、琴音、雫の五人は、渋学の中でも群を抜いて目立つ美少女グループである。学校中から注目を集める彼女たちのビジュアルは、クラスの出し物の集客において最大の武器になる。普通に考えれば、クラスの男子や実行委員から「和服を着て受付をやってよ」「看板娘として宣伝に回ってほしい」と懇願され、当日の表舞台に立たされるのが文化祭のセオリーというものだ。
優莉自身も、ある程度の抵抗や説得が必要になるだろうと覚悟して役割決めに臨んでいた。ところが、彼女たちが制作班を希望した際、クラスメイトたちの反応は予想外にあっさりとしたものだった。
『あー、そうだよね。佐藤さんたち、ステージあるもんね』
『準備大変だろうし、当日のシフトは少なめにしておくよ! こっちの設営、手伝ってくれるだけでもすごい助かるし!』
なぜか、クラスのみんなはすんなりと、むしろ気遣うような温かい態度で、五人を制作班に回してくれたのだった。おかげで事前の作業こそ忙しいものの、当日の接客シフトは最低限で済みそうであり、優莉としては願ったり叶ったりの状況に着地していたのである。
「よし、この区画の壁はあらかた終わったかな」
優莉が設計図を確認し、満足げに頷いた。作業の一段落がついたところで、優莉は教室内で作業していた四人を呼び集めた。
「みんな、お疲れ様。クラスの作業は一旦ここまでにして、そろそろ渋学祭実行委員会のところに行こうか。ステージの利用申請を出さなきゃいけないからね」
「おっ、いよいよだね! 手洗ってくる!」
由愛が埃を払いながら元気よく答え、玲奈や琴音、無言で作業していた雫も頷いて立ち上がった。絵の具や汚れを水道で洗い流した五人は、連れ立って教室を後にし、実行委員会が設置されている生徒会室へと向かって廊下を歩き出した。
放課後の校舎は、どこもかしこも文化祭の準備に追われる生徒たちで活気に満ちている。あちこちから電動ドリルで木材を打ち付ける音や、合唱の練習の声、ペンキの匂いが漂ってくる。
そんな喧騒の中を歩きながら、玲奈がふと不思議そうな顔をして口を開いた。
「ねえ、そういえばちょっと気になってたんだけど。私たち、ステージに出るってこと、まだクラスの誰にも言ってないわよね?」
「うん。だって、今から正式に利用申請を出しに行くんだし」
優莉が前を向いたまま答える。
「だよね。誰も他の人にいったりしてないわよね?」
玲奈が確認するようにみんなの顔を見回したが、由愛も琴音も雫も、首を横に振った。もちろん、優莉もわざわざ自分から口外した覚えはない。
「でもさ、役割決めの時、クラスのみんな、私たちがステージに出ることを完全に『前提』として扱ってなかった? 『ステージあるもんね』って。なんで誰も聞いてないはずの予定を知ってるのかしら。何か違和感があるんだけど」
玲奈の鋭い指摘に、優莉も足を止めて考え込んだ。
確かに、玲奈の言う通りだ。文化祭のステージ出演は、これから申請を出して初めて公式なものになる。優莉たちはあえて自分たちがバンドとしてステージに立つことを周囲にひけらかすようなことは一度もなかった。
それにもかかわらず、クラスメイトたちはまるで最初から知っていたかのように、五人のステージ出演を考慮してシフトを組んでくれたのだ。違和感があるが、その理由がまったくわからない。
「えー? 別にいいじゃん。去年も出たからじゃない?」
由愛が両手を頭の後ろで組みながら、全く気にする様子もなくケラケラと笑った。
「あー、なるほど。去年も五人で演奏したから、今年も当然出るものだって思ってくれてるのかな」
琴音もポンと手を打ち、由愛の楽観的な意見に同調した。
「……まあ、それならそれで、融通が利いて助かったからいいんだけどね」
玲奈は釈然としない様子だったが、これ以上考えても答えは出そうになかったため、小さく息を吐いて歩みを再開した。
やがて、五人は校舎の奥にある生徒会室の前に到着した。ドアには『渋学祭実行委員会 本部』と書かれた紙がデカデカと貼られている。
「失礼しまーす!」
由愛がノックと同時に勢いよくドアを開ける。生徒会室の中では、長机にノートパソコンを並べた実行委員たちが、せわしなく資料の整理やスケジュールの調整を行っていた。
部屋の奥でひときわ忙しそうに書類に目を通していた実行委員長の女子生徒が、ドアの音に顔を上げた。彼女は分厚いメガネをかけた、いかにも真面目そうな優等生タイプだ。
「ああ、八坂さんたちね。どうしたの? クラスの出し物で何かトラブル?」
実行委員長がペンを置いて尋ねてくる。
「ううん、違うよー! 今日は、ステージの利用申請に来ましたー!」
由愛が元気よく答え、代表者として記入済みの『ステージ利用申請書』のプリントを委員長に手渡した。実行委員長はプリントを受け取ると、視線を落として記載事項にサッと目を通した。
「はいはい、バンド演奏ね。代表者は八坂さんで、メンバーはこの五人……うん、機材の持ち込みも特に問題ないわね」
委員長は手元のバインダーに申請書を挟み込み、赤いペンでチェックマークを入れた。
「はい、承認しました」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
優莉が丁寧にお辞儀をする。
すると、実行委員長はメガネの奥の目を少しだけ細め、にこやかに微笑みながら付け加えた。
「出番は二日目の後夜祭前、大トリの枠になるから、しっかりよろしくね。みんな楽しみにしてるから」
――大トリ。その言葉に、優莉たちは一瞬だけぽかんとした顔を見合わせた。
「えっ、大トリですか? 私たち、今さっき申請を出したばかりなのに……もう順番が決まってるんですか?」
琴音が目を丸くして尋ねる。普通、ステージのタイムテーブルはすべての申請が出揃った後、実行委員会で調整や抽選を行って決定されるはずだ。
「ええ、そうよ。後で詳細なタイムテーブルは各クラスに配布するけど、あなたたちの枠はちゃんと確保してあるから安心して」
実行委員長はそれ以上深く語ることはなく、「それじゃ、準備頑張ってね」と再びパソコンの画面へと視線を戻してしまった。
これ以上長居をして邪魔をするわけにもいかず、五人は「失礼しました」と頭を下げて生徒会室を後にした。
生徒会室のドアが閉まり、静かな廊下に出た途端、玲奈がたまらず口を開いた。
「ねぇ、やっぱりおかしくない? 書類を提出する前から、ステージの順番が大トリに決まってたわよね?」
「……うん。しかも、委員長、『枠はちゃんと確保してある』って言ってた。まるで、私たちが申請に来ることを最初から知っていて、あらかじめ一番いい時間を空けて待っていたみたいに」
優莉も腕を組み、頭を捻りながら唸った。クラスメイトの『佐藤さんたち、ステージあるもんね』という謎の理解。そして、実行委員会の『大トリ枠の事前確保』。
点と点が繋がりそうで繋がらない。自分たちの知らないところで何かが動いているのか。中身が四十八歳のビジネスマンである優莉の危機管理センサーが、かすかにアラートを鳴らしている。
「うーん、なんかすごく気になるんだけどなぁ……。もしかして、どこかで私たちの正体が『渋ガ』だってバレてるんじゃ……」
「まさか。もしバレてたら、学校中が大パニックになってるはずよ。今のところ、そんな気配は全くないわ」
玲奈が冷静に否定する。確かに、今の『渋ガ』の知名度を考えれば、正体がバレていればこんな平穏な放課後を過ごせるはずがない。
「えー、じゃあなんでだろ? やっぱり、去年のステージがめちゃくちゃウケたから、伝説のバンドみたいに扱われてるとか?」
由愛が呑気な推理を披露する。
「伝説のバンドって……由愛ちゃん、いくらなんでも大げさだよ」
琴音が苦笑する。雫も「情報不足。推論不能」と首を振った。
全員で廊下を歩きながら頭を悩ませていたが、自分たちの教室の前に戻ってきた時だった。
「あっ、佐藤さん! 戻ってきた! ごめん、ここの段ボールの組み立て、設計図見てもちょっとわからなくて、教えてくれない!?」
教室の中から、山本さんが大声で助けを求めてきた。見ると、お化け屋敷の入り口部分のアーチの構造が複雑で、作業が完全にストップしてしまっているようだった。
「あ、うん! 今行く!」
優莉は条件反射で返事をし、教室へと駆け込んだ。
「あーしも手伝うっしょ! 人形の配置、もっと怖い場所思いついたし!」
由愛も元気に飛び込んでいき、玲奈や琴音、雫も慌ててその後に続いた。
絵の具の匂いと、段ボールの山。クラスメイトたちの活気ある声。再びお化け屋敷の忙しい準備作業の波に飲まれると、先ほどまで抱いていた違和感や疑問は、文化祭前の独特の熱気の中に溶け込み、いつの間にか彼女たちの頭の中からすっかり消え去ってしまっていた。
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