あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第七十二話 由愛のA判定と戦略的沈黙

「いくよー、せーのっ」

 

 秋も深まり、東京の街路樹が色づき始めた十一月のある日のこと。広々としたリビングに、由愛の弾んだ掛け声が響き渡った。

 

 ローテーブルを囲むように座る五人の中心に、勢いづいた動作で差し出されたのは、十月後半に実施された冠模試の結果を知らせる成績表だ。冠模試とは、特定の難関大学の入試傾向を完全に再現し、実際の受験を想定して作られたハイレベルな模擬試験である。志望校に対する現在の実力と立ち位置が、残酷なまでに明確な数字として叩き出される、受験生にとっての大きな関門であった。

 

 裏返しにされた紙を、由愛が「えいっ」と気合とともに表に返す。

 

「……ガチ?」

 

 その紙面を覗き込んだ玲奈が、思わずといった様子で素の声を漏らした。

 

「うわー、すごいじゃない!」

 

 琴音が両手を胸の前で合わせ、パァッと顔を輝かせる。

 

 なんと、成績表の志望校判定欄――『恵応義塾大学 文学部』の横には、前回のB判定からさらに一段階上がり、堂々たる『A判定』の文字が印字されていたのだ。

 

「すごい!頑張った甲斐があったね!」

 

 優莉は保護者のような温かい眼差しで由愛を見つめ、心からの拍手を送った。特に小論文などは、ビジネスの企画書レベルのロジック構成を叩き込まれたことで、他の受験生を圧倒するほどの得点源へと成長していた。

 

「へへーん、言ったっしょ。あーしは、やればできる子なんだって!」

 

 由愛は胸を反らせ、鼻高々にドヤ顔を披露している。

 

「ちょっと判定が上がったくらいで調子に乗らない。本番で落ちたら元も子もないのよ」

 

 すかさず玲奈から容赦のないツッコミが入るものの、その声色には確かな称賛が混じっていた。由愛もツッコミを気にすることなく、着実に結果が出たことが本当に嬉しそうで、成績表を抱きしめながら飛び跳ねて喜んでいる。

 

 一頻り由愛を祝った後、優莉は他のメンバーの結果にも目を向けた。玲奈の志望する一ツ橋大学、琴音の志望する早田大学、そして雫が目指す東都科学大学。見渡してみれば、三人は以前と変わらず、盤石の安定感でA判定をキープしていた。

 

(みんな、バンド活動やら何やらでこれだけ忙しいのに、本当に要領がいいな……)

 

 優莉は改めて、この『渋ガ』のメンバーたちのポテンシャルの高さに舌を巻いていた。もちろん、すべてが要領の良さだけで片付くわけではない。例えば雫の場合、得意の理系科目は何もしなくてもトップクラスだが、苦手な国語や社会の暗記系科目に関しては、空き時間に無表情のまま年表を読み続けるなど、並々ならぬ努力を重ねていた。その血の滲むような努力の結果としての、A判定維持なのだ。

 

「……そういえば、優莉は?」

 

 ふと、自分の成績表を片付けた玲奈が、優莉の手元にあるプリントに視線を向けた。

 

「ああ、うん。これね」

 

 優莉は少し躊躇いながらも、机の上に自分の成績表を広げた。玲奈がそれを覗き込み、ピタリと動きを止める。

 

「……は? 理三?」

 

 玲奈の信じられないものを見るような声に、由愛と琴音が身を乗り出した。

 

 そう、優莉の成績表の志望校欄に書かれていたのは、恵応義塾大学商学部ではなく、『東都大学 理科三類』――通称『理三』であった。国内最高峰の大学の中でもさらに最難関であり、日本全国から集まる俊英たちのうち、わずか百人以下しか入学を許されないという、文字通りの極狭き門である。

 

「えっ、優莉ちゃん、恵応じゃなかったの?」

 

 琴音が目を丸くして尋ねる。自社の経営基盤をより強固にするため、優莉はビジネスに強い恵応大学の経済学部を本命にしていたはずだった。

 

「いや、本命は恵応だよ」

 

 優莉は苦笑しながら、成績表の端を指で掻いた。

 

「ただ、先生が『そっちは絶対受かるから、こっちも受けるだけ受けてみないか』って言うから、学校の付き合いもあって受けることになっちゃったんだよね」

 

「ふーん……。それで、結果は……」

 

 由愛が興味津々といった様子で、細かい文字が並ぶ成績表に顔を近づける。由愛より先に数字を読み取った雫が、無表情のまま淡々と事実を告げた。

 

「……四十七位。A判定」

 

「「「えっ」」」

 

 三人の声が見事に重なった。

 

「は? ガチで人外なんですけど……」

 

 玲奈が頭を抱え、信じられないというようにため息をつく。

 

「逆に怖いんだけど。スグ、実はサイボーグかなんかっしょ?」

 

 由愛が引いた目で優莉を見る。

 

「はえー、すっごい……」

 

 琴音はただただ感嘆の声を漏らすばかりだ。

 

 東都大理三の冠模試で全国五十位以内に入るということは、本番でよほどのミスをしない限り、実質的に合格が保証されたようなものである。しかも優莉の場合、バンド活動や会社経営と並行してのこの成績だ。一般的な高校生から見れば、まさに異次元のバケモノに映るのは当然であった。

 

 しかし、優莉の内心は複雑だった。彼女の中身は、酸いも甘いも噛み分けた四十八歳、巨大企業の元・総務部長である。長年のビジネス経験で培われた論理的思考力と、二度目の高校生活という圧倒的なアドバンテージがある。

 

(二回目の受験生生活で、なんかズルをしているような気分なんだよな……)

 

 純粋な高校生であるメンバーたちから褒められたり感心されたりしても、素直に喜べず、優莉は少し後ろめたい気持ちになっていた。

 

「はいはい! じゃあ、模試の話はこれで終わり!」

 

 優莉は誤魔化すようにパンパンと手を叩き、強引に話題を切り替える。

 

「今日集まってもらった本題のミーティングに入るよ」

 

 優莉が手元のタブレットを操作すると、リビングの壁に設置された大型モニターの電源が入った。そこにデカデカと映し出されたのは、黒い背景に白抜きで書かれた極太の明朝体文字だ。

 

『渋ガ、活動休止!』

 

「えっ……」

 

 あまりにも唐突で衝撃的な文字に、四人は息を呑んだ。

 

 静まり返るリビングで、優莉は立ち上がり、プロデューサーとしての真剣な顔つきで宣言した。

 

「本日から、二月の受験がすべて終了するまで……渋ガの新規活動を完全に休止します」

 

「な、なんで!? 休止ってどういうこと!?」

 

 由愛が慌てて立ち上がる。

 

「えっ、私たち、忘れられちゃわないかな……」

 

 琴音も不安そうに眉を寄せる。

 

「せっかくフェスで勢いがついて、SNSのフォロワーも毎日増えてるのに。ここで完全に動きを止めるのは、さすがにリスクが大きすぎるんじゃない?」

 

 玲奈が冷静に、しかし焦りを滲ませて指摘する。

 

 インディーズバンドにとって、忘れられることは死を意味する。特にネット発のアーティストは、常に新しいコンテンツを供給し続けなければ、すぐにアルゴリズムの波に飲まれ、大衆の記憶から消え去ってしまうのが現代の残酷なシステムなのだ。

 

 しかし、優莉は動じることなく、自信に満ちた笑みを浮かべた。

 

「大丈夫。これは受験の準備というのが第一だけど、『サイレント・マーケティング』の一種でもあるんだ。あえて情報を遮断してファンの飢餓感、つまり渇望を極限まで高めることで、再開時の大きな話題とすることができる」

 

 優莉の瞳の奥で、元・総務部長としての冷徹な計算が光っていた。

 

「どちらにしても、受験まではあまり活動できないでしょ? 中途半端なものを出すくらいなら、いっそ完全に沈黙した方がブランド価値は高まる」

 

「……なるほど。言われてみれば、それもそうね」

 

 玲奈が腕を組み、納得したように頷く。

 

「本分は学業だもの。ここで受験から逃げて、バンドに逃避して失敗でもしたら後悔が残るだけよね」

 

「その通り」

 

 優莉は玲奈の言葉に頷き、言葉を続けた。

 

「ネット上ではすぐに『方向性の違いか』とか『失踪説』、あるいは『解散説』なんて無責任な憶測が出てくるだろうけど、一切無視して反応はしないように。沈黙こそが、次に私たちが動く時の価値を最大化するんだからね」

 

「なるほど……。でも、スグってたまに黒幕みたいな顔するよね」

 

 由愛が少し引き気味に言うが、「そういうことなら」と琴音とともに腑に落ちた顔を見せた。不安に駆られて中途半端に動くより、今はやるべきことに集中するという方針は、彼女たちにとっても非常に合理的で納得のいくものだった。

 

「もちろん、勉強の息抜きにスタジオで演奏するのは構わないよ。それに、受験が終わった瞬間に最高のパフォーマンスが出せるように、腕を鈍らせないようにしないといけないしね」

 

 優莉が明るい表情に戻って微笑むと、全員の顔にも安堵と闘志が戻った。

 

「うんっ! 息抜きは絶対必要っしょ!」

 

 由愛が元気よく返事をする。全員が活動休止という戦略的沈黙に納得したところで、ミーティングは終了した。ここからは、それぞれの未来を掴み取るための戦い。

 

 『渋ガ』のメンバーたちは、高校生活最後の、そして最も過酷な受験勉強のラストスパートへと、迷いなく突入していくのだった。




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