あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「そういえば、今年は由愛ちゃんは一緒じゃないのね」
大晦日の夜。少し古びた日本家屋の居間に、温かいほうじ茶の香りが湯気とともに漂った。
急須からお茶を淹れた母(戸籍上は祖母)が、優莉の向かい側に座りながら、ぽつりと呟くように言った。分厚いこたつ布団に潜り込み、ほっとしたように息を吐いている。
優莉は首までこたつに入り、ぬくぬくと温まりながら、みかんの皮を器用に剥いていた。居間のテレビからは、毎年大晦日の風物詩となっている国民的音楽番組が流れている。絢爛豪華なセットの中で、日本を代表するアーティストたちが次々とステージに立ち、今年を彩ったヒットソングを熱唱している。日本中が画面に釘付けになる時間帯だ。
「うん、年が明けたらすぐに受験だからね。由愛は、息抜きするわけにはいかないんだ」
優莉はみかんの筋を丁寧に剥きながら、母の方を向いて告げた。
「あら、そうなの? あんたの受験は大丈夫だって聞いてたけど、ほかの子達はあまり成績が良くないの?」
母が心配そうに眉を寄せる。優莉が模試で『東都大学理科三類A判定』という、もはや親でも理解が追いつかないような異次元の成績を叩き出していることは、電話で報告済みである。
「そんなことないよ。みんなしっかり勉強して、志望校はA判定出してるし」
優莉がみかんを一つ口に放り込みながら答えると、横で新聞のテレビ欄を眺めていた父(戸籍上は祖父)が口を挟んだ。
「なら、年末くらいそこまで頑張らなくてもいいんじゃないか? どうせ受かる成績なんだろう? 一日くらい休んだって罰は当たらんさ」
「甘いよ、父さん」
優莉はピシャリと即答し、四十八歳の元・ビジネスマンらしい厳しい眼差しを向けた。
「その油断が命取りになるんだから。A判定なんてあくまで確率の話であって、合格を保証するものじゃないの。特に由愛みたいに、ちょっと上手くいくと気を抜きがちな子は、ここで手綱を緩めたら一気にズルズルいっちゃうからね。最後までペースを守って走り切らせるのが、親友としての務めなんだよ」
その真剣な響きに、父は「そうか、そんなもんか。受験ってのは厳しい世界だな」と、少し圧倒されたように頷いた。
「でも、去年も一緒に来てたから、毎年来るもんだと思ってたわ。あの子がいると家の中がパッと明るくなるから、少し寂しいわね」
母が湯呑みを両手で包み込みながら、少し残念そうに笑う。
去年の大晦日も、由愛は一緒にこの実家へ帰省していたのだ。こたつで一緒におせちのつまみ食いをし、紅白のかまぼこを巡ってふざけ合い、家族団らんの空気を大いに盛り上げてくれた。由愛の底抜けに明るいギャルのノリは、七十代の両親にとっても孫のように愛らしく、すっかりお気に入りとなっていたのである。
「まあ、由愛は居るだけで周りを明るくする子だからね。天性のムードメーカーっていうか。……来年は、受験も終わって大学生になってるし、きっとまた連れてくるよ」
優莉は穏やかな声でそう言い、二つ目のみかんに手を伸ばした。
そうして和やかに家族の会話が弾む中、テレビの中の音楽番組は後半戦へと入っていく。その光景を眺めながら、優莉はみかんを噛み締めつつ、内心で密かにそろばんを弾いていた。
(そういえば、この番組からもオファーが来てたんだっけな……)
実は、『日本音楽大賞』だけでなく、今見ているこの大晦日の国民的音楽番組やさまざまな年末特番からも、出演打診の連絡が入っていたのだ。アニメタイアップの大ヒットと、夏のフェスでの伝説的なライブ。話題性という点において、今年の『渋ガ』はテレビ局が喉から手が出るほど欲しいコンテンツだったに違いない。
しかし、優莉はこれもすべて辞退している。サイレント・マーケティングを貫くという方針はもちろんのこと、もし受けていれば、今頃こたつでみかんを食べている場合ではなく、厳戒態勢の楽屋で出番を待っていたはずだ。
(もし来年、顔出し解禁した後にこっちの番組に出るようなことになったら……来年からはもう、大晦日に実家へ帰ってこれないかもな)
優莉は少し先の未来を想像し、来年からはこの穏やかな大晦日が過ごせなくなるかもしれないという、一抹の寂しさと、プロとしての覚悟を同時に抱いた。
番組が大トリに差し掛かり、時計の針が午後十一時を回った頃。
(……そろそろ時間かな)
優莉は心のなかでそう呟き、こたつからのっそりと這い出した。
「よっこいしょっと」
立ち上がり、壁に掛けてあった厚手のダウンジャケットを羽織る。さらに、顔の半分ほどが隠れるマフラーを巻き、深くニット帽を被り、念のために黒いマスクを装着した。国宝級の美少女が深夜に出歩くには、これくらいの完全防備が必要だ。
「あら、出かけるの?」
母が不思議そうに振り返った。
「うん。今年も二年参りに行ってくるよ」
優莉は玄関でブーツを履きながら答えた。
「一人で大丈夫か? 暗いし、変な奴もいるかもしれん。父さんが一緒に行ってやろうか」
父がこたつから顔を出し、心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫だって、そんな心配しないでよ。家のすぐ近くだし。ちょっと行ってくるね」
「気をつけるんだよ。冷えるからね」
「はーい」
優莉は母の気遣いに手を振り、ガラガラと玄関の引き戸を開けて、冬の冷たい夜の闇の中へと足を踏み出した。
吐く息は真っ白に染まり、肌を刺すような寒風が頬をかすめる。
実家から歩いて十数分ほどの距離にある小さな地元の神社。そこは、一昨年、そして去年と二年連続で由愛と一緒に二年参りに訪れた思い出の場所である。
参道に近づくと、赤々と灯る提灯の明かりが見えてきた。有名な大神社のような身動きが取れないような人混みではない。しかし、地元の人々が三々五々集まり、静かで穏やかな熱気に包まれている。
参道の両脇には、例年通りいくつか露店も出ているようだった。焼きそばのソースが焦げる匂いや、ベビーカステラの甘い香りが、冬の夜空に漂っている。
優莉はまず、境内の一角にある除夜の鐘の列に並んだ。ゴーン、と重厚な鐘の音が、冷え切った空気を震わせて響き渡る。並んでいるのは十数人ほどで、近所の家族連れや年配の夫婦が多い。
「はい、次のお嬢ちゃん、どうぞ」
しばらくして順番が回ってくると、半纏を着た地元の世話役のおじさんが、優しく声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
優莉はマスク越しに会釈をし、太い撞木(しゅもく)の縄を両手でしっかりと握りしめた。
(煩悩退散。来年も、良い年になりますように)
ぐっと力を込めて後ろに引き、勢いよく鐘を突く。
ゴォォォォン……!
腹の底まで響くような深い余韻が、優莉の身体を通り抜けていく。一年間に溜まった疲れや、ビジネスマンとしての打算、様々な迷いといった煩悩が、この鐘の音と共に浄化されていくような気がした。
鐘を突き終えた優莉は、ふらふらと屋台の並ぶエリアへと足を向けた。あれもある、あれも美味しそうだな、と視線を巡らせる。
(ん? 屋台の数、去年より少し増えたか?)
じゃがバターに、フランクフルト、りんご飴。定番のラインナップの中に、見慣れない屋台が一つ混ざっていた。肉の塊を回転させながら削ぎ落としている、ケバブの屋台だ。
「あっ、ケバブもある。……由愛なら絶対、『あーしケバブ食べたいっしょ!』って言うだろうな」
優莉は思わずクスリと笑みをこぼした。以前の大晦日は、ここで由愛と一緒にベビーカステラを頬張り、熱々のたこ焼きをハフハフと冷ましながら食べたのだ。由愛の食欲と好奇心は底なしで、あれもこれもと目移りしていたのを思い出す。
ふと、強烈なたこ焼きのソースの匂いに胃袋を刺激され、優莉はたまらずたこ焼きを一つ購入した。
境内の端にある木製のベンチに一人で腰掛け、パックを開ける。湯気を立てる熱々のたこ焼きを爪楊枝で刺し、火傷しないようにフーフーと息を吹きかけてから、小さくかじりついた。
「……美味しい」
外はカリッと、中はトロトロ。鰹節の風味が口いっぱいに広がる。
しかし。
一人でベンチに座り、黙々とたこ焼きをつついていると、急に冬の寒さが身に染みてきたような気がした。
(一昨年、去年と二年連続で一緒に二年参りに来たんだもんな……やっぱり、由愛がいないと寂しいな)
隣で「熱っ! スグ、お茶お茶!」と騒ぐ由愛がいた。その賑やかさが当たり前になっていた分、一人で過ごす時間が妙に静かに感じられてしまう。
四十八歳のおっさんだった頃は、一人酒も一人飯も平気な孤独なビジネスマンだったはずだ。しかし、この『二度目の青春』は、優莉の心を確実に変えていた。仲間と過ごす時間の温かさを知ってしまった今、孤独は少しだけ持て余すものになっていたのだ。
優莉はコートのポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタップすると、ロック画面の時計が『23:59』と表示されている。
いよいよ、年越しの瞬間だ。
優莉はたこ焼きのパックを膝に置き、じっとスマホの画面を見つめた。秒針の表示はないが、心の中でカウントダウンを刻む。
5、4、3、2、1……。
――『0:00』
スマホの時計が切り替わったその瞬間。
「あけましておめでとう!」
「今年もよろしくね!」
境内のあちこちから、明るく朗らかな新年の挨拶が聞こえてきた。除夜の鐘の音はまだ続いているが、人々の声にははっきりと『新年』を迎えた喜びと活気が満ちている。
優莉もマスクの下で小さく微笑み、「あけましておめでとうございます」と、誰にともなく小さく呟いた。
同時に、スマホがブルッと震え、メッセージアプリの通知が次々とポップアップした。
『スグ! あけおめー! ことよろっしょ!』
『あけましておめでとう。優莉、今年もよろしくね』
『あけましておめでとうございます。初詣、暖かくして行ってね』
『謹賀新年。本年もよしなに』
離れていても、同じタイミングでメッセージを送ってくれるメンバーたち。優莉は画面を見つめながら、心がぽっと温かくなるのを感じた。
たこ焼きを平らげ、ゴミを所定の箱に捨てた優莉は、本殿の前の参拝の列に並んだ。年が明けたばかりの神聖な空気の中、列は静かに、ゆっくりと進んでいく。
少し待つと優莉の順番が回ってくる。彼女はコートの内ポケットから、丁寧に折りたたんだお札を取り出した。それは、真新しい『渋沢栄一が描かれた一万円札』であった。
賽銭に一万円。高校生としては破格もいいところだが、優莉は現役の企業経営者であり、数億円規模の金を動かす社長である。神様への感謝と、これからの事業(バンド活動)の成功を祈願する手付金としては、むしろ安いほうだというのが彼女のビジネスライクな感覚だった。
優莉は新札の渋沢栄一を賽銭箱の隙間から滑り込ませた。ヒラリと落ちる音はしなかったが、確かな重みを感じる。
深く二回お辞儀をし、パン、パンと冷たい空気の中で柏手を打つ。優莉は目を閉じ、手を合わせて静かに祈りを捧げた。
(神様。去年はバンドが大成功し、会社も予想以上の利益を上げることができました。本当にありがとうございます。……今年は、みんなの大学受験がどうか無事に終わりますように。そして、三月のワンマンライブでのバンドの再始動と顔出し解禁が、大成功を収めますように)
優莉の祈りは、どこまでも具体的で実践的だった。メンバー全員の合格と、サイレント・マーケティングからの爆発。プロデューサーとしての責任と重圧を背負う彼女にとって、これは絶対に負けられない戦いなのだ。
しかし、そこで優莉はふと一度開けた目を閉じ直した。
頭に浮かんだのは、さっきスマホに送られてきた由愛からの「あけおめー!」というスタンプ付きの能天気なメッセージ。そして、去年ここで一緒に笑い合った記憶。
優莉は少し間をおいて、最後に、心の中でそっと付け足した。
(あと……今年は、由愛とまた一緒にここに来れますように)
利益や成功といった打算的な願いではない、十五歳の少女としての、ただ純粋でささやかな願い。
祈りを終え、深く一礼をして本殿から下がる。
心がふっと軽くなったような気がした。
参拝を終えた優莉の足は、自然と社務所の横にあるおみくじのコーナーへと向かっていた。ここは普段は無人で、大晦日や三が日の間だけ地元の人たちが世話をしているような小さな神社だ。
赤い布が敷かれた台の上に、おみくじがたくさん入った木箱がポツンと置かれている。一回百円を納め、優莉はその箱の中に手を入れた。
(行くぞ。今年の運勢、見極めてやる……!)
ビジネスにおいて、運の要素は軽視できない。優莉は「これだっ!」と強力な念を送りながら、箱の中から薄い紙切れを一枚引き抜いた。
境内の明かりの下で、優莉はその文字を食い入るように見つめた。
一番上には、太い文字で『大吉』と書かれていた。
「よしっ」
優莉は思わず小さくガッツポーズを作った。幸先がいい。さらに細かい項目に目を滑らせていく。
『学業:普段通りやれば良し』
(よし、東都大学理三も恵応も、このままのペースでいけば問題ないということだな。メンバーの受験も安心だ)
『商い:大きな波に乗り発展する』
(完璧だ。春のワンマンライブからの再始動、そして夏に向けたタイアップや新規事業展開……すべてが大きな波になるというお墨付きだ)
『待ち人:来たれり』
(来たれり……か。私にとっての待ち人って、なんだろうな。新しいビジネスパートナーか、それとも強大なライバルか)
『願い事:強く願えば叶う』
(強く願えば、か。望むところだ。私の執念と計算を舐めてもらっちゃ困る)
これ以上ない最高の結果に、優莉の胸の内で熱いものがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。去年一年に負けないほど、今年もとんでもなく騒がしい年になりそうな予感がしていた。
優莉はおみくじを丁寧に折りたたみ、財布の奥深くに大切に仕舞い込んだ。
ふと、帰路につこうとした優莉の目の前を、一組の家族連れが通り過ぎていった。
(ん? 誰だ? どこかで見たことあるな……)
すれ違いざまに横顔を見て、優莉の足がピタリと止まる。
(……そうだ。中学生の時、一緒にここで二年参りをした……神田秋人だ)
記憶の中の少年の面影を残しつつも、すっかり年相応の草臥れたおじさんになった神田の隣には、同年代の少しぽっちゃりとした優しそうな妻と思しき女性と、そして、今の優莉とちょうど同年代であろう女子高生の娘が並んで歩いていた。
「ほら、お父さん、早くお参りしよ」
「わかってるよ。お前、おみくじ引くお金持ってるか?」
そんな何気ない家族の会話が聞こえてくる。神田の視線がチラリと優莉の方を向いたが、何の感情も浮かべずにすぐに前へと戻された。
当然だ。こちらの中身は同級生の『佐藤卓』だとしても、今は性別も変わり、三十歳も若返った『国宝級の美少女』なのだ。かつての悪友に気づくはずもない。
彼らと、昔のように他愛もない話をして、友人として過ごすことはもう二度とできないのだ。
(そうか。お前らとはもう、生きている時間が違うんだな……)
優莉は、すっかり大人になり、家庭を築いたかつての旧友の背中を見送りながら、大きな時の流れと、自分が歩んでいる『二度目の人生』の特異性を改めて実感した。
三十年という時間を飛び越え、自分だけが過去から切り離されたような奇妙な孤独感。
しかし、その孤独感が胸をよぎった瞬間、優莉の脳裏には由愛、玲奈、琴音、雫の四人の笑顔が鮮明に浮かび上がってきた。
過去の友人たちとは、もう交われないかもしれない。でも、だからこそ、今この瞬間に苦楽を共にし、同じ夢を追いかけている現在の友人たちが、たまらなく愛おしく、かけがえのない存在に思えてきたのだ。
優莉はマフラーに顔を埋めながら、夜空を見上げた。
星々が冷たく、しかし確かに輝いている。
二度目の青春の、高校生として迎える最後の新年。元・ビジネスマンの美少女は、これから始まる未知なる戦いへの期待に胸を膨らませながら、静かな歩みで家路に就くのであった。
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