あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「さっむー……」
分厚いマフラーに顔をうずめ、玲奈が手袋越しに手を合わせてこすっている。吐く息は真っ白に染まり、空からは大粒の雪がひらひらと舞い落ちていた。
今日は、全国の高校三年生たちにとって最初の大きな壁となる、大学入学共通テストの実施日である。受験会場となる近隣の私立大学の正門前には、優莉、玲奈、雫の三人が集まっていた。
周囲には、同じように防寒着に身を包み、緊張した面持ちで参考書を握りしめる受験生たちの姿が溢れている。引率の高校教師や予備校講師たちが「落ち着いて頑張れよ」と声をかける光景もあちこちで見られた。
「共通テストの日は雪が降るってよく言うけど、本当に降るなんてね。ジンクス通りだわ」
玲奈がマフラーの隙間から恨めしそうに灰色の空を見上げた。交通機関への影響を考慮してかなり早めに家を出たため、まだ試験開始までは時間があるが、ただ立っているだけでも足元から冷えが這い上がってくる。
「まあ、天気はどうにもできないから。自然現象なんだから、しょうがないと割り切るしかないよ」
優莉は落ち着いた声で返し、ホッカイロを握りしめた。中身が四十八歳の元・ビジネスマンである優莉にとって、コントロール不可能な外部要因に苛立っても無意味だというのは長年の経験で培われた鉄則である。
「雪、好き」
そんな二人の会話の横で、雫はベンチに積もった新雪を両手で集め、無表情のまま器用に小さな雪だるまを量産していた。すでに彼女の周囲には、小さな雪だるまが五つほど整列している。
「ちょっと雫、手袋もつけずに何やってんの! 手がかじかんで鉛筆握れなくなったらどうするのよ」
玲奈が慌てて雫の手から雪を取り上げた。
「……ん。芸術の冬」
「今は受験の冬でしょ。もう、ここにいつまでも居たら本当に風邪引いちゃうわ。中に入りましょう」
玲奈は世話焼きの母親のように雫の腕を引っ張り、暖房の効いた大学の校舎へと向かって歩き出した。雫は引っ張られながらも、自分が作った雪だるまの列を名残惜しそうに振り返っている。
優莉も小さく苦笑しながら、二人の背中を追う。
ちなみに、いつもの五人組のうち、由愛と琴音の姿はここにはない。
由愛の本命は恵応義塾大学、琴音の本命は早田大学であり、二人とも私立大学に絞った「私立専願」の受験戦略を取っている。共通テストの点数を利用しない彼女たちは、この週末も自宅にこもり、私立大学特有の難解な個別試験に向けてひたすら過去問と向き合っているはずである。
暖房がしっかりと効いた校舎内に入ると、受験番号によって振り分けられた教室案内の掲示板があった。自分の受験番号と照らし合わせた優莉は、小さくため息をついた。
(……それにしても、見事に教室がバラバラになったな)
同じ高校から受験していても、受験教室が分かれるのはよくあることだ。三人が完全に別の教室になってしまったことを心の中で嘆きつつ、「お昼は各自で集中しよっか」とだけ言葉を交わし、三人はそれぞれの教室へと向かった。
指定された教室に入り、自分の受験番号が貼られた机に着席した優莉は、改めて周囲を見渡した。
暖房の効いた広い大教室には、何十人もの受験生が等間隔に座っている。試験開始までまだ三十分以上あるというのに、誰もが無言で参考書や単語帳に向き合っており、ページをめくる音と、咳払いだけが静かに響いている。
張り詰めた、針を落としただけでも響きそうなほどの緊張感。人生の分岐点に立つ若者たちの、焦燥と祈りが入り混じった独特の空気だ。
(……昔、佐藤卓としてセンター試験を受けた時も、こんな空気感だったっけな)
優莉は目を閉じ、三十年以上前の記憶をうっすらと思い返した。あの時は自分もプレッシャーに押し潰されそうになりながら、必死に英単語を暗記していたものだ。
しかし、今の優莉に焦りはない。中身は数々の修羅場をくぐり抜けてきた元・総務部長であり、日々の学習は完璧なマネジメントのもとに完了している。おまけに冠模試では東都大学理科三類でA判定を叩き出しているのだ。ここでパニックになるような精神構造は持ち合わせていなかった。
やがて時間になり、教室の前のドアが開いて試験官が入室してきた。
「はい、時間になりました。机の上は、受験票、黒鉛筆、消しゴム、時計など、指定された筆記用具だけにしてください。参考書やスマートフォンは鞄の中にしまってください」
試験官のよく通る声が響き、教室内に一斉にガサガサと荷物を片付ける音が広がる。優莉も指示通りに机の上を整理し、スマートフォンの電源を完全に切って鞄の奥底にしまった。
「それでは、問題用紙と解答用紙を配布します。指示があるまで開かないでください」
分厚い問題用紙が、前から順に配られていく。机の上に置かれたその冊子を見つめながら、優莉は静かに深呼吸をした。
時計の秒針が、定刻を指す。
「始め」
試験官の鋭い掛け声が、教室内に響き渡った。
その瞬間、何十人もの受験生が一斉に問題用紙をめくり、鉛筆を走らせる音が、まるでスコールのように教室中に降り注いだ。優莉もまた、ビジネスマンの冷静さと高校生の集中力を研ぎ澄ませ、問題用紙へと視線を落とし、猛然と問題を解き始めた。
そうして二日間にわたる共通テストの全日程が終了した日曜日の夜。
「ただいまー……」
優莉はタワーマンションの自室のドアを開け、重い鞄を玄関に下ろした。
外はすっかり暗くなり、底冷えのする寒さが続いている。二日間にわたる長丁場の試験。さすがの優莉も、脳のエネルギーを極限まで消費したためか、首や肩にずっしりとした疲労感を感じていた。
「ふう……とにかく終わった。さて、自己採点をしなくちゃ」
優莉はコートを脱いでハンガーに掛け、手洗いうがいを済ませてから、リビングのテーブルに向かった。鞄の中から、自分が解答をメモしてきた問題用紙を取り出し、予備校のウェブサイトで公開されている解答速報をプリントアウトした。
共通テストは、終わってからが本当の勝負の始まりである。この自己採点の結果によって、出願する国立大学の最終決定を行わなければならないのだ。
優莉は赤ペンを握り、各科目と順番に自分の解答と照らし合わせていった。静かなリビングに、赤ペンが丸をつけるシュッ、シュッという音だけが響く。たまにバツがつくこともあるが、優莉の表情は落ち着いていた。元・総務部長としての緻密な計算と、徹底的な反復練習の成果が、解答用紙に確実な軌跡として残っていることを実感していた。
「……よし、これで終わりっと」
優莉はすべての科目の採点を終え、電卓を叩いて総合得点を計算した。画面に表示された数字を見て、優莉は満足げに頷き、赤ペンをテーブルに置いた。
その自己採点終了とほぼ同時のタイミングで、テーブルの上に置いていたスマートフォンの画面が明るくなり、通知音が短く鳴った。メッセージアプリの、バンドメンバー五人のグループチャットだ。
画面を開くと、今日は自宅学習をしていたはずの由愛からのメッセージが飛び込んできた。
『共通テスト、お疲れー! どうだった?』
その文字の下には、首を傾げて「できた?」と尋ねているような、可愛らしい象のキャラクターのスタンプが添えられている。由愛らしい、気遣いながらも好奇心を隠しきれないメッセージだ。
すると、数秒も経たないうちに、雫から短い返信があった。
『840点』
文字だけで、スタンプも絵文字もない、いかにも雫らしい無機質な報告である。
(おお、思ったより良かったじゃないか。これなら問題ないな)
優莉は心のなかで安堵した。近年の共通テストは新課程への移行に伴い、情報科目が追加されて1000点満点になっている。840点ということは、得点率にして84パーセント。雫の志望する東都科学大学は理系最高峰の難関国立だが、この点数であればボーダーラインを十分に上回っている。
続いて、玲奈からも返信が入ってきた。
『885点』
その文字の横には、「できた!」という看板を誇らしげに掲げた猫のスタンプが添えられていた。玲奈の志望校である一ツ橋大学は共通テストでの取りこぼしは命取りになる。得点率88.5パーセントは、一ツ橋志望としては極めて優秀な、安全圏と言えるスコアだった。
すぐさま、待機していた由愛と琴音からリアクションが飛んできた。
『大義であった』
由愛から、殿様がふんぞり返っている風の、どこで見つけてきたのかわからないスタンプが送られてくる。
『二人とも、本当にお疲れ様! よくできました』
琴音からは、花丸が描かれた温かいスタンプだ。
受験を直接受けていない二人も、こうして仲間を労い、共に戦っている空気を共有してくれている。優莉はそのやりとりを微笑ましく見ながら、画面のキーボードをタップした。
『二人ともお疲れ様。いいスコアだったね。私はこれくらいだったよ』
優莉はそう打ち込み、先ほど電卓で弾き出した自分の得点を送信した。
送信ボタンを押して数秒後。
優莉のスマートフォンが、けたたましい着信音を鳴らし始めた。画面には「由愛」の文字が大きく表示されている。メッセージアプリの通話機能だ。
「あれ、由愛だ」
優莉は少し驚きながら、通話ボタンをスワイプしてスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし、由愛? どうしたの?」
『どうしたのじゃないって!!』
スマートフォンのスピーカーが割れんばかりの、由愛の絶叫が鼓膜を打った。
『なに975点って!? 1000点満点っしょ!? ほぼ満点じゃん! どんだけ落としてないの!? やっぱスグ、AI積んでるっしょ!!』
電話の向こうで、由愛が喚き散らしている。
「うるさっ……。そんな化け物なわけないでしょ。ただ、過去問を徹底的に分析して、解き方に慣れてただけだよ。結局のところ共通テストは情報処理能力と時間配分のテストだからね」
優莉がスマートフォンを耳から少し離しながら、至極真っ当な理由を説明する。
『いや、んなわけないでしょ!! 処理能力で満点近く取れるなら、全国の受験生みんな苦労しないっつーの!』
由愛がすかさず激しいツッコミを入れる。言われてチャット画面を確認すると、玲奈からも『……同じ人間として自信をなくすから、そういうのやめてもらえる?』という呆れ半分のメッセージが届いていた。
「あはは、まあまあ。とにもかくにも、これで国立組は第一関門突破だね。この勢いで、二次試験と私立の個別試験も乗り切ろう」
『うんっ! あーしも絶対、恵応受かって見せるっしょ!』
由愛の力強い声に、優莉も笑って答えた。
大学受験という長く苦しい戦いの、第一関門である共通テスト。プレッシャーと寒さの中で戦い抜いたメンバーたちは、互いの健闘を称え合いながら、順調な結果を手にしてそれぞれの夜を過ごしていたのだった。
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