あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第七十八話 「もう、バグじゃん」

「よし、いくっしょ!」

 

 二月中旬。まだ身を切るような冷たい風が吹き抜ける中、由愛の気合に満ちた声が響き渡った。

 

 ここは、国内屈指の難関私立大学として名高い『恵応大学』のキャンパスである。歴史を感じさせる重厚なレンガ造りの校舎群を背景に、分厚いコートやマフラーで完全防備した数え切れないほどの受験生たちが、緊張した面持ちでそれぞれの試験会場へと吸い込まれていく。

 

 その人の波の片隅で、コートのポケットに手を突っ込みながら闘志を燃やしているのは、優莉、由愛、琴音の三人であった。

 

 普段ならどこへ行くにも五人一緒の『渋ガ』メンバーだが、今日この場に、同じく恵応大学を併願受験する予定だったはずの玲奈と雫の姿はない。

 

 その理由は、極めて簡単で、そして喜ばしいものであった。

 

 数日前のことだ。いつものように優莉のタワーマンションのリビングに集まり、静寂の中で赤本と向き合っていた。

 

「……やった!」

 

 突然、沈黙を破って玲奈が立ち上がり、両手で顔を覆った。普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、その声は大きく上ずっていた。

 

「えっ、どうしたの玲奈!?」

 

 驚いて顔を上げた由愛たちに対し、玲奈は震える手でスマートフォンの画面を提示した。そこには、第一志望である国立大学の合格発表ページの『サクラサク』という文字が踊っていた。

 

 同じタイミングで、隣に座っていた雫も無言のまま、自分のスマートフォンをすっと由愛たちの前に差し出してきた。

 

 画面には、雫が志望していた東都科学大学の合格通知がはっきりと映し出されている。

 

「ええっ!? 二人とも、もう受かったの!?」

 

 パニックになる由愛に対し、優莉が微笑みながら説明した。

 

「二人は、学校推薦型選抜……いわゆる推薦入試を受けるって言ってたでしょ。共通テストの自己採点結果と、高校三年間での十分な評定、それに面接や小論文などの結果を総合して、私たちよりも一足早く、第一志望の合格を決めたってわけだね」

 

 玲奈の勤勉さと、雫の理数科目における天才的な成績があれば、推薦入試の厳しい基準をクリアすることは十分に可能であった。

 

「すごいっしょ! 玲奈、雫、本当におめでとう!」

 

 由愛が自分のことのように大喜びで二人に飛びつき、琴音も「本当によかったねぇ……」と涙ぐみながら拍手を送った。

 

 そうして見事に受験戦争からいち早く抜け出し、「上がり」を迎えた二人からは、今日の朝、それぞれの個性あふれる「頑張ってきてね」という応援メッセージがグループチャットに届いていたのである。

 

「じゃ、行こうか。由愛ちゃん」

 

 琴音が、マフラーの襟元を正しながら由愛に声をかけた。

 

「うんっ! あーしらも二人に続くっしょ!」

 

 由愛と琴音が受験するのは、恵応大学の『文学部』である。同じ学部を志望する二人は、並んで同じ試験棟へと向かっていく。

 

「それじゃ、二人とも落ち着いてね、ケアレスミスが一番怖いんだから。あと、問題文は最後までしっかり読むこと。小論文は私が教えたフレームワークを思い出せば、絶対大丈夫だから」

 

 優莉が保護者のような口調で最後のアドバイスを送ると、二人は力強く頷き、人混みの中へと消えていった。

 

 優莉自身が受験するのは、自社の経営基盤を強固にするための知識を得るという目的から、ビジネスに直結する『商学部』である。試験会場は別棟となるため、優莉もまた一人、冷たい冬の空気を吸い込んで自分の戦場へと足を踏み入れた。

 

試験開始を告げる無機質なチャイムが、大教室に鳴り響く。

 

 一斉に問題用紙がめくられる音が、まるで夕立のように広がった。優莉は手元の問題用紙に目を落とし、シャーペンを握る。

 

(ふむ……今年の英語の長文は、昨今の経済情勢を反映したテーマか。総務部長時代に嫌というほど読まされた海外のビジネスレポートに比べれば、語彙のレベルも構成も平易だな)

 

 中身が四十八歳の酸いも甘いも噛み分けた元ビジネスマンにとって、大学入試の現代文や英語の読解は、もはや日常的な情報処理作業の延長に過ぎなかった。ひっかけ問題の意図も、出題者が受験生に求めているロジックも、透けて見えるように理解できる。

 

 優莉は一切の焦りも迷いもなく、マシーンのように正確かつ高速で解答欄を埋めていった。

 

 長い一日が終わり、夕闇が東京の街を包み込む頃。優莉、由愛、琴音の三人は、疲労感を漂わせながらも、どこかやり切ったような晴れやかな表情で、タワーマンションのリビングへと帰還していた。

 

 コートを脱ぎ、温かい紅茶を淹れて一息ついたところで、優莉が口を開く。

 

「それじゃ、自己採点しよっか」

 

「ううっ……心臓に悪い時間だね……」

 

 琴音が胸を押さえ、由愛もごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 有名難関私立大学である恵応の場合、試験終了から数時間もすれば、各予備校がインターネット上で解答速報を次々と公開し始める。自分がメモしてきた解答と照らし合わせることで、その日のうちにほぼ正確な得点率が判明してしまうのだ。

 

 優莉がリビングの大型モニターに解答速報のウェブサイトを映し出し、三人はそれぞれの問題用紙を広げて赤ペンを握った。

 

 沈黙の中、丸をつけるシュッ、シュッという音と、時折漏れる小さなため息だけが響く。

 

 三十分後。すべての科目の採点と計算が終了した。

 

「……終わった?」

 

 優莉が確認すると、由愛と琴音がこわばった顔で頷いた。

 

「せーの、で点数見せ合おうか。……せーのっ」

 

三人が同時に、計算結果を書き込んだメモ帳をテーブルの中央に差し出した。

 

 まず全員の視線が集中したのは、由愛のメモ帳だ。

 

 そこに書かれていた得点率は――『70%』。

 

 例年、恵応大学文学部の合格ボーダーラインは、難易度にもよるがおおよそ60%〜65%と言われている。つまり、得点率70%というのは、マークミスさえしていなければ「合格確実」と言って全く問題のない、極めて安全な水準であった。

 

「……よしっ!」

 

 由愛はメモ帳を見つめたまま、震える声でそう呟き、やがて両手で力強くガッツポーズを決めた。

 

 理数系科目を完全に「損切り」して捨て、配点の高い英語、歴史、小論文にのみリソースを全集中させるという、優莉の極端なマネジメント戦略。それに加え、一年間にわたって血の滲むような努力を続け、玲奈の容赦ない添削に耐え抜いた結果が、見事にこの数字となって結実したのだ。

 

続いて、琴音のメモ帳を見る。

 

 そこに書かれていたのは『75%』という数字だった。

 

「おおっ! 琴音、すごいじゃん!」

 

 由愛が目を輝かせる。琴音は元々学力が高く、安全圏と見られてはいたものの、この難関試験で75%というスコアを叩き出すのは本物の実力である。余裕の合格間違いなしだ。

 

「よかった……本当によかったよぉ……」

 

 琴音がホッとしたように目尻に涙を浮かべると、由愛が「琴音ぇー! やったっしょー!」と泣き叫びながら抱きついた。二人はそのまま、リビングの絨毯の上で互いの健闘を称え合い、もみくちゃになりながら喜びを爆発させた。

 

 優莉も、保護者のような温かい眼差しで二人を見つめ、この一年間のプロデュースと指導の努力が見事に実ったことに、心からの喜びを感じていた。

 

「それで……。優莉ちゃんが受かってるのはわかってるんだけど……」

 

 ひとしきり喜び合った後、琴音が涙を拭いながら、優莉のメモ帳の方へと視線を向けた。

 

「自信打ち砕かれるのは分かってるんだけど、見たくなるんだよね。怖いもの見たさってやつ?」

 

 由愛も興味津々といった様子で、優莉の手元を覗き込む。

 

「いや、見ても別に面白くないと思うけど……」

 

 優莉が苦笑しながら、二人にメモ帳を見せた。

 

そこに書かれていたのは、『98%』という、もはや意味のわからない驚異の数字であった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 由愛と琴音は、数秒間完全にフリーズした。

 

「……もう、バグじゃん」

 

 由愛が、信じられないものを見るような目で優莉を突き刺した。

 

「一人だけ、違う世界で試験受けてたんだね……」

 

 琴音も、乾いた笑いを漏らすしかない。いくらなんでも、恵応の試験で一科目につき一問か二問しか間違えていないというのは、高校生の枠を完全に逸脱している。

 

「あはは……まあ、みんな揃って受かったみたいだし、最高の結果で終わって良かったじゃない」

 

 優莉は照れ隠しのように頭を掻きながら、強引に話をまとめた。

 

「そーだ! 玲奈と雫にも伝えなきゃ!」

 

 我に返った由愛が、慌ててスマートフォンを手に取り、グループチャットに『自己採点、余裕でボーダー超えたっしょ! あーしも恵応ガール確定!』と、興奮気味のメッセージを打ち始めた。

 

 しばらくすると、メッセージアプリの通知音が続けて鳴った。

 

 画面を見ると、雫からは『お疲れSUMMER』とデカデカと書かれた、季節外れにもほどがある南国風のヤシの木のスタンプが送られてきていた。

 

 そして玲奈からは、『やったね。』という簡潔なひと言とともに、なぜかサングラスをかけて親指を立てたカバのスタンプが送られてきている。

 

 二人とも言葉数は少ないが、離れた場所からでもしっかりと仲間を気遣い、共に喜びを分かち合ってくれていることが痛いほど伝わってきた。

 

 それから数日後。琴音はもう一つの本命である早田大学の受験も無事に済ませ、そちらも自己採点で問題なく合格点を取っていた。

 

 そして、厳しい冬の寒さが少しだけ和らぎ、微かに春の匂いが混じり始めた二月下旬のある日。

 

 優莉のタワーマンションに備え付けられた防音スタジオに、五人のメンバー全員が揃っていた。十一月に『活動休止』を宣言して以来、受験勉強のためにずっと封印してきた、彼女たちの本当の居場所である。

 

 玲奈がベースの弦を弾き、琴音がスネアドラムの調子を確かめる。雫が愛用のギターをアンプに繋ぐと、由愛がマイクスタンドの前で軽くストレッチをした。

 

 数ヶ月ぶりのフルメンバーでのスタジオ入り。しかし、誰の顔にもブランクの不安はなく、むしろ溜まりに溜まったフラストレーションと音楽への情熱が、今にも爆発しそうな熱気を帯びていた。

 

 全員の受験が、最高の結果で終わったのだ。もう、彼女たちを縛り付けるものは何もない。

 

「よし。これで心置きなく、活動再開できるね」

 

 優莉が全員の顔を見回して言った。

 

「うん! やってやるっしょ! この数ヶ月間、我慢してた分、全部吐き出すんだから!」

 

 由愛が、マイクを握りしめて満面の笑みで叫ぶ。

 

「ついにワンマンライブね。サイレント・マーケティングの効果もバッチリ出てるみたいだし、世間を驚かせてやるわ」

 

 玲奈が、自信に満ちた表情でベースのネックを握り直す。

 

「やっぱり、いざ本番が近づいてくると緊張するよぉ……」

 

 琴音がドラムスティックを握りながら少し弱音を吐くが、その目はキラキラと輝いている。

 

 そして、雫は何も言わず、ただジャキッとギターのコードを一度だけ鳴らし、薄く、しかし確かな喜びを滲ませて微笑んだ。

 

 受験という巨大な壁を乗り越え、彼女たちは再び一つになった。

 

 ファンたちの飢餓感は極限まで高まり、三月に控えるワンマンライブ、そして『顔出し解禁』という最大のバズに向けた舞台は、完璧に整っている。こうして、伝説の高校生覆面バンド『渋ガ』は、かつてない規模の嵐を巻き起こすべく、ついに静かな再始動の時を迎えたのであった。




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