あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜   作:高山 虎

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第七話 コンプライアンスが死ぬ!

 過酷なスパルタレクチャーの開始から、あっという間に二週間が経った。

 

 松田たち開発部の女性陣による「週三回の復習とチェック」の甲斐もあり、卓の女性生活トレーニングはすこぶる順調に進んでいた。今やワイヤー入りブラジャーのホックも一発で留められるし、化粧水からクリームまでの保湿コンボも淀みなくこなせる。

 

 歩き方にも不自然さがなくなり、外見だけならどこからどう見ても『ちょっと大人びた深窓の美少女』としての姿が完成しつつあった。だが、ここへ来て卓は、一つ重大な問題に直面していた。

 

 ――暇なのだ。それはもう、とてつもなく暇なのである。

 

 この青山の超高級タワーマンションには、生活に必要なすべてが揃っている。食料や日用品すら定期的に女性社員たちが補充しに来てくれるため、スーパーへ買い出しに行く必要さえない。卓が毎日やることといえば、自分のために簡単な料理を作り、備え付けの最新型ドラム式洗濯機を回し、広すぎる部屋に掃除機をかけることくらいだ。それらをこなしても、午前中のたった数時間で一日のタスクが全て終了してしまう。

 

 もとより卓は、会社の急成長によるストックオプションで億単位の資産を持っていながらも、毎日満員電車に揺られて中間管理職としてゴリゴリ働き続けていた生粋のサラリーマンである。生来の貧乏性というのもあるが、基本的に「社会と関わって常に動いていること」が骨の髄まで染み付いている男なのだ。

 

 最初の数日こそ「うおお、何もしなくていいなんて天国か!」と喜んで適当にテレビのチャンネルを回し、サブスクの動画配信サービスで映画やアニメをダラダラと巡っていたものの……彼が『何もしない贅沢』を堪能できる限界は、たったの二週間だったらしい。

 

「ホワイトな職場だったとはいえ、毎日毎日仕事だった時は、一生ベッドでゴロゴロしていたいって本気で思ってたのになぁ……。人間って不思議なもんだ」

 

 あまりの暇さに耐えきれず、ふかふかの高級ソファの上でゴロンと寝返りを打つ。何か暇を潰せる趣味はなかったか。記憶の糸をたぐり寄せてみる。

 

 そういえば、学生時代は声楽サークルに入っており、社会人になってからも数年間は市民合唱団などに顔を出して活動していた時期があった。仕事が忙しくなってからはパッタリと行かなくなってしまったため、もう二十年近くも前の話だが、歌うこと自体は好きだったはずだ。

 

「……よし。久しぶりに、カラオケでも行くか」

 

 この前の表参道でのナンパ恐怖体験以来、卓は一歩も外に出ていなかった。だが、ずっと部屋に引きこもっているのも精神衛生上よろしくない。

 

 外出を決意した卓は、クローゼットから一番『目立たない』であろう服装を引っ張り出した。全体的にダボッとしたシルエットの地味なグレーのパーカーに、くるぶしまで隠れるような野暮ったいロングのプリーツスカート。さらに帽子を深めに被り、度なしの黒縁の伊達メガネまで装着するという徹底した変装(物理的デバフ)である。

 

 オートロックを抜け、外に出ると、抜けるような快晴だった。頬を撫でる風は柔らかく、日差しには確かな春の暖かさが混じっている。こんな日は気持ちがいい。散歩するにも最適な日だ。

 

「うん、この格好を選んで正解だったな」

 

 街を歩きながら、卓はホッと胸を撫で下ろした。パーカーとロングスカート、そして帽子とメガネのおかげで、卓の放つ『神々しいまでの美少女オーラ』はかなり抑制されていた。もちろん、すれ違う人がチラリと振り返る程度には元が良すぎるのだが、男たちが獲物を狙うようなギラギラした視線を向けてくることはない。

 

 これなら安全だ、と安心した卓は、春の陽気に誘われるまま、思いのほか遠くまで足を伸ばしていた。

 

 青山通りを抜け、ぽかぽかとした暖かな風に背中を押されるように、街路樹の並ぶ緩やかな長い坂道をゆっくりと下っていく。途中、大きな郵便局の横を通り過ぎる頃には、景色が少しずつ落ち着いた街並みから、若者たちがひしめき合う巨大なターミナル駅の喧騒へと変わっていった。

 

 そんな長い坂のふもと。複数の路線が乗り入れる駅の出口を出てすぐ目の前という絶好の立地にある、大型チェーンのカラオケ店『ビックエーコー』へとたどり着いた。

 

 自動ドアを抜け、受付カウンターの列に並ぼうとした……その時である。

 

「あ……っ」

 

 卓の足が、ピタリと止まった。そして、ある絶望的な事実を前に、美少女の顔がサァッと青ざめた。

 

 ――身分証が、ない。

 

 カラオケ店の会員証もなければ、スマホのアプリも登録していない。こうした大型チェーン店を初めて利用する際には、防犯上の理由から必ず運転免許証や学生証などの『身分証明書』の提示が求められるはずだ。

 

 今の卓の手元にあるのは、顔写真がハゲ散らかしたおっさんになっている『サージョトレーディング総務部長・佐藤卓』の社員証と運転免許証だけである。会社が用意してくれるという新しい戸籍や身分証は、一ヶ月後の「選択」を待ってから発行される手はずになっている。そのため、現在この十五歳の美少女の身元を証明するものは、この世になに一つ存在しないのだ。

 

「終わった……。せっかく勇気を出して外に出たのに……」

 

 ガックリと肩を落とし、受付の手前で踵を返そうとした卓。

 

「ねえ、どした? なんかあった?」

 

 不意に、真横からポンッと肩を叩かれた。

 

 ビクッとして振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。

 

 年齢は、今の卓と同じくらい……十五、六歳だろうか。明るい茶髪をふんわりと巻き、ほんのりと日焼けした健康的な肌に、目元をパッチリと強調した流行りのギャルメイク。制服のブラウスの上からはダボッとしたキャメルのスクールカーディガンを羽織り、チェックのミニスカートからはスラリとした脚が伸びている。足元はボリュームのあるルーズソックスにローファー、そして指先にはキラキラとデコレーションされたネイルが光っていた。

 

 いわゆる、絵に描いたような『陽キャのギャル』である。

 

「えっ? あ、いや……」

 

 卓が戸惑っていると、ギャルの少女は大きな瞳で卓の顔を覗き込んできた。

 

「なんかめっちゃ困った顔してたからさー。カラオケ入んないの? あ、もしかしてスマホか会員証忘れたとか?」

 

 あまりに人懐っこい笑顔と、初対面とは思えない異常に距離感の近い接し方。

 

 圧倒されてタジタジになる卓。なんと困った様子の卓が気になってわざわざ声をかけてきてくれたようである。卓は「そ、そうなんだ。身分証がなくて、入れないみたいで……」と正直に告げた。

 

 すると、ギャルは「なーんだ、そんなこと!」とケラケラ笑い飛ばした。

 

「じゃあ、あーしといっしょに入ろう! あーしスマホにアプリはいってるし、ちょうど一人でフリータイム入ろうと思ってたとこだからさ!」

 

「えっ!? い、一緒に!?」

 

 その提案に、卓の脳内アラームがけたたましく鳴り響く。

 

(ま、待て待て待て! 見ず知らずの女子高生と一緒にカラオケの個室に入る!? 相手は未成年だぞ!? 四十八歳のおっさんが、こんな若い女の子と密室で二人きりになったら、完全に事案じゃないか! 未成年者との交流や淫行条例違反とかで通報されたらどうするんだ! 俺のコンプライアンスが死ぬ!)

 

 中間管理職としての防衛本能とコンプライアンス意識が暴走し、卓は顔の前で激しく両手を振った。

 

「だ、ダメだよ! そんないきなり会ったばかりの人と……それに、年齢的な問題とか、色々と疑われたら大変だし……っ!」

 

 極度に慌てふためく卓を見て、ギャルはきょとんとした顔をした後、腹を抱えて笑い出した。

 

「あはははっ! 何言ってんの? 年も同じくらいだし、ウチら女同士じゃん! 何を疑うのさ!」

 

「――あ」

 

 ギャルのその一言で、卓はピタッと動きを止めた。

 

 そうだった。今の俺は、四十八歳の薄毛のおっさんではない。野暮ったい格好をしているとはいえ、同じ十五、六歳の美少女なのだ。女子高生(に見える美少女)と、女子高生(ギャル)。二人が連れ立ってカラオケに入ったところで、警察が飛んでくるはずもないし、誰一人として怪しみはしない。

 

(そ、そうか……女同士の友達がカラオケに行くって構図になるだけか……)

 

 長年のおっさん根性が染み付いているせいで、どうにも自分の現状を忘れがちになってしまう。卓は改めて目の前のギャルを見た。警戒心ゼロの屈託のない笑顔。そして、ふと思い出す、セーフハウスでの圧倒的な暇と孤独。

 

(……まあ、いっか。どうせ暇過ぎて死にそうだったんだし)

 

 卓は小さく深呼吸をすると、帽子を少しだけ直して、照れくさそうに微笑んだ。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。その代わり、お礼に今日のカラオケ代は私が持つよ」

 

「えっ、マジで!? さんきゅー! めっちゃいい子じゃん! あーし、ユアって言うの! よろしくね! そっちはなんて名前?」

 

「あ、私は……えっと……」

 

 卓は言葉に詰まった。さすがにこの美少女の姿で『スグル』というゴリゴリの男性名を名乗るのは憚られる。かといって、とっさに気の利いた偽名を思いつくほど頭の回転も早くない。

 

 口ごもって視線を泳がせる卓を見て、ユアはカラカラと笑って卓の背中を軽く叩いた。

 

「言いづらいならいーよ! 名前なんて適当でいいっしょ。早く行こっ!」

 

「あ、うん……ありがとう」

 

 ユアのカラッとした気遣いに救われ、卓はホッと息を吐いた。ユアは卓の細い腕をグイッと引き、そのままズンズンと受付カウンターへ進んでいく。

 

「すいませーん、二人で! フリータイムでお願いしまーす!」

 

 四十八歳・総務部長の、人生初の『女子高生カラオケ』。類い稀なる美貌を秘めた少女と、異常に距離感の近いギャルという異色のコンビは、こうして春の陽気に包まれたビックエーコーへと吸い込まれていくのだった。




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ユアのイメージを置いておきます。
【挿絵表示】




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