あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「えっ? 今、ドームって言った?」
大学受験を終えて本格的な活動再開に向けた準備を進めている『渋ガ』のメンバーたちは、いつもの防音スタジオに集まり、今後のスケジュールに関する重要なミーティングを行っていた。
しかし、そのミーティングの冒頭、ホワイトボードの前に立った優莉の口から飛び出した言葉に、琴音は自分の耳を疑い、聞き間違えたのではないかと思わず聞き返した。
「うん。だから、ドームだって」
優莉はホワイトボードに太いマーカーペンで『三月末:東都ドーム ワンマンライブ開催!』と書き殴り、胸を張って堂々と宣言した。
「ど、ドームなんて無理だよぅ……!」
琴音はドラムスローン(椅子)の上に座ったまま、小動物のようにガタガタと全身を震わせ始めた。これまでの夏フェスでの大舞台は経験しているものの、「自分たちだけのワンマンライブ」を国内最大級の会場であるドームで行うというプレッシャーは、気弱な彼女にとっての許容範囲を完全に超えていた。
「大丈夫だって、琴音! 夏のFUJI PANKに出た時だって、お客さん五万人くらいいたっしょ? ドームのキャパシティと一緒だし、うちらなら絶対いけるって!」
由愛が底抜けに明るい声で、震える琴音の背中をバンバンと叩いて励ました。
「まあ、確かに一度あの大観衆を体験している分、少しは気が楽だけど……」
玲奈がベースを抱えながら、冷静に呟く。
「そうかなぁ……本当に大丈夫かなぁ……」
琴音はまだ不安そうに眉を下げている。
しかし、そこで玲奈はハッと何かに気づいたように顔を上げ、優莉に向かって鋭い視線を突き刺した。
「……って、ちょっと待ちなさいよ、優莉! いくらなんでもおかしいでしょ!」
「何が?」
「何がじゃないわよ! 東都ドームの予約なんて、何年も前からコツコツ実績を積んで、超大手のプロモーターが間に入って、厳しい審査を通らないと絶対に取れないのよ!? それにプロ野球のシーズンとの兼ね合いだってあるし! ただの高校生バンドが、どうやって『来月』のドームのスケジュールを押さえたのよ!」
玲奈のツッコミは、音楽ビジネスの常識に照らし合わせればぐうの音も出ないほど正論であった。
「あー、確かに。ドームって一年も二年も前から予約の抽選待ちがいるって、なんかで聞いたことあるっしょ」
由愛も思い出したように頷き、優莉の顔をまじまじと見つめた。
「言ったでしょ。私には強力な『ツテ』があるって」
優莉は不敵な笑みを浮かべ、少しだけ視線を天井へと向けた。
――時計の針は、去年の八月末へと遡る。
夏フェスでの大成功を収め、三月末の『顔出しワンマンライブ』の開催がメンバー間で決定した直後のことだ。優莉は一人、東京の中心部にそびえ立つ、文字通り天を突くような巨大な摩天楼の前に立っていた。
ここは、世界経済を裏から牛耳るとすら噂される世界最大の巨大企業――『サージョトレーディング』の日本本社ビルである。そして同時に、優莉の中身である四十八歳の男『佐藤卓』が、かつて総務部長として働いていた職場でもあった。
一般人であればエントランスに入るだけでも萎縮してしまうような威圧感を放つこのビルに、優莉は堂々とした足取りで足を踏み入れた。彼女は今日、このサージョトレーディングのトップである九条社長と、直接のアポイントを取っていたのだ。
厳重なセキュリティをパスし、専用のVIPエレベーターで最上階へと向かう。
案内された豪奢な社長室の重厚なマホガニーの扉が開くと、そこには巨大なデスク越しに、仕立ての良いスーツを着こなした、精悍な顔つきに鋭い眼光を秘めた五十代の紳士――九条社長が座っていた。
「優莉君、久しぶりだね。君の活躍は聞いているよ」
九条社長は優莉の姿を認めるなり、穏やかな笑みを浮かべて語りかけた。
「我が社と提携している自動車メーカーのCMも観させてもらった。君たちの音楽は、若者だけでなく我々のような世代にも不思議と響くものがあるな」
「ご覧いただいてたんですか? ありがとうございます。とても嬉しいです」
優莉は、かつての最高トップに対する敬意を払いながらも、以前よりも少しだけ柔らかい笑みを返して一礼した。
「君には、性転換の件で多大な迷惑をかけたからね。こうして新しい人生をうまくやっていけているようで、私も嬉しいよ」
「いえ、あの件があったからこそ、今の私があると思っていますから。結果的には感謝しているくらいです」
そう、優莉が『佐藤卓』から『国宝級の美少女・佐藤優莉』へと変貌を遂げた原因は、このサージョトレーディングが極秘裏に進めていたとあるプロジェクトの失敗作が原因であった。しかし、彼女と九条社長との関係は決して悪いものではなく、その後の支援などもあり互いに不思議な信頼関係が築かれている。
勧められた革張りのソファに腰掛け、最高級のコーヒーをいただきながら、優莉は九条社長としばらくの間、和やかに雑談を交わした。
やがて、社長がふと目を細め、静かに切り出した。
「それで、今日は例の件で話があるとか?」
「はい」
優莉は居住まいを正し、真っ直ぐに九条社長の目を見つめ返した。
優莉は以前、九条社長からのある依頼を完璧に遂行した見返りとして、『可能な限り、好きな望みを一つ叶える』という契約を交わしていた。
今日は、そのジョーカーとも言える切り札の権利を行使しに来たのだ。
「それで、願いは決まったのかね? 不動産か、株式か、あるいはどこかの国での永住権でも用意しようか」
「いえ、今回はそのような個人的な資産を求めて来たわけではないんです」
優莉は首を振り、一人のアーティストとして明瞭な口調で告げた。
「実は、来年の三月末に、私たちのバンドのワンマンライブをしようと思っています。そこで、会場の確保や運営について、サージョの力をお借りできないかと思いまして」
優莉の望みは、あくまで『渋ガ』の成功だった。
顔出し解禁という最大級のバズを想定した場合、警備体制やチケットシステム、音響設備のクオリティにおいて、プロの強固なバックアップが必要不可欠だと判断したのだ。
優莉の言葉を聞いた九条社長は、少し意外そうな顔をして顎に手を当てた。
「ふむ。ライブ会場か。……よかろう」
数秒の沈黙の後、社長はあっさりと頷いた。
「三月か、まだ半年以上先の話だ。国内ならば、どこでもねじ込んでやろう」
「……は?」
優莉の口から、間抜けな声が漏れた。
優莉としては、サージョトレーディングの系列会社が所有しているイベントホールか、あるいはキャンセルが出て空きのある中規模のアリーナ会場でも探してもらい、その運営費やスタッフの派遣、人件費を支援してもらう程度のことを想定していた。
いくら巨大企業とはいえ、「半年後の国内の会場がどこでもねじ込める」などという、物理法則や業界の常識を無視したような力が本当にあるとはさすがに考えていなかったのだ。
「どうしたかね、優莉君。せっかくの君のハレの舞台だ。まあ、なるべく大きな会場のほうがいいだろう。……東都ドームなんかどうかね?」
「と、東都ドーム、ですか……?」
「ああ。費用は一切気にしなくていい。運営もすべてこちらのプロフェッショナルなチームに任せたまえ。なんなら、来年いっぱい、全国のドームツアーをできるようにスケジュールを調整してやっても構わんぞ?」
九条社長は、まるで気のいい親戚のおじさんのような、あまりにも軽い口調でとんでもないことを言い出した。
その顔には、普段のビジネスの世界では味わえない、規格外の提案をして相手が驚く様子を無邪気に楽しんでいるような、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
(さ、さすがはサージョのトップ……! 本気で言ってるのか!? 東都ドームのスケジュールを、サージョの鶴の一声でこじ開けるっていうのか……!)
元・総務部長である優莉のビジネス常識が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。しかし、サージョトレーディングという企業が持つ資本力と政治力をもってすれば、プロモーターや球団、施設運営会社を動かし、スケジュールのパズルを強制的に組み替えることなど、造作もないことなのだろう。
優莉はごくりと生唾を飲み込み、震える声で答えた。
「……それでは、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます」
――「というわけでね。三月の東都ドームライブと、さらに夏の全国ドームツアーが決定しました!」
優莉はタワーマンションのスタジオで、両手を腰に当て、これ以上ないほどの見事なドヤ顔を披露した。
「……は?」
「……え?」
「……ドーム、ツアー?」
東都ドームでのワンマンだけでもキャパシティオーバーだったというのに、さらに「全国ドームツアー」というワードが追加されたことで、メンバーたちの脳内処理能力は完全に限界を突破した。
「ちょ、ちょっと待って! ツアーって、大阪とか名古屋とか福岡のドームも回るってこと!? うちら、これから高校を卒業する新人なのよ!?」
玲奈がベースを抱えたまま、パニックに陥って叫ぶ。
「あはは……もう、スケールが大きすぎて、夢の世界のお話みたいだよぅ……」
琴音は完全に白目を剥き、ドラムに突っ伏してしまった。
「す、すっげーっしょ! ドームツアーとかアーティストの夢じゃん! それに、全国の美味しいもの食べ放放題だし!」
由愛だけは、夢と食欲というブレない理由で目を輝かせている。
しかし、そんなパニックに陥るメンバーたちの中で、ただ一人だけ、全く別の理由で異常な反応を示している者がいた。
雫である。
彼女はギターを床に置き、ぷるぷると小刻みに全身を震わせていた。普段は感情を表に出さず、ロボットのように無表情な彼女の目が、かつてないほどに見開かれている。
雫はふらふらと優莉に近づくと、その細い両腕で優莉の服の胸ぐらをガシッと掴んだ。
「ちょ、雫!?」
「どういうこと!?」
優莉を前後に激しく揺さぶりながら、雫はいつもの無口・無表情キャラを感じさせないほど、信じられないほど流暢な早口でまくしたて始めた。
「優莉、サージョトレーディングの九条社長と知り合いなの!? あの神様のような人と!? ヤバい。というかおかしい。これは真実? それとも私、いま夢見てる!? マナ・パーティクルの特許を無数に保有し、現代科学の最先端を独走するあの巨大帝国の頂点に立つ男と、なんでただの高校生の優莉が直接交渉してドームの約束を取り付けてるの!?」
「し、雫、落ち着いて! 首、首が締まる!」
そう、東都科学大学への進学を決め、将来はサージョトレーディングの研究機関で『マナ・パーティクル』という未知の粒子の研究者になることを目標としている雫にとって、サージョという企業は聖地であり、そのトップである九条社長は、文字通り「雲の上の存在」にして絶対的な「憧れの人」だったのである。
そんな歴史上の偉人のような人物と自分の親友が、まるで近所のおじさんと話すようなノリで莫大な資本を引き出してきたという事実は、雫の理系としての論理的思考回路を完全にショートさせるのに十分だった。
「優莉! 九条社長はどんな人だった!? オーラは!? やっぱり常人とは違うフェロモンとか出てるの!? 今度会う時は私も連れてって!!」
「わ、わかった! わかったから離して!」
普段は「ん」とか「了解」しか言わない雫が、目を血走らせて異常なテンションで暴走している。そのあまりにも珍しい、というか恐ろしい光景を見て、パニックになっていた他のメンバーたちは逆にスッと冷静になった。
「し、雫ちゃん、落ち着いて! 優莉ちゃんが死んじゃう!」
琴音が慌てて雫の背中にしがみつく。
「雫、ストップ! あんたがそんなに喋るの、初めて見たわよ!」
玲奈も急いで雫の腕を引き剥がしにかかった。
「雫、深呼吸っしょ! スー、ハー!」
由愛の的確な(?)指示により、雫は優莉を解放し、「はー……はー……」と肩で息をしながら、なんとか自分の中に湧き起こった理系オタクとしての業火を鎮めようとしていた。
優莉は乱れた襟元を直し、コホンと咳払いをした。
「まあ、その……社長とは、私の父の仕事の関係で、少しだけ面識があったんだ。だから、東都ドームの件も、父のツテを通してお願いしてもらったというか……」
中身が佐藤卓本人であることなど言えるはずもなく、優莉はとっさに「親のコネ」という便利な言い訳を用意した。
「……そう、なんだ」
「はは、雫が大学を卒業して就活する時に、人事部に紹介状を書くくらいなら、お願いしてみるよ」
優莉が微笑みながらそう告げた瞬間。
「……!!」
雫の目の色が変わった。
彼女は一瞬の躊躇もなく優莉の前に膝をつき、優莉の両手を自分の両手で大切そうに包み込んだ。
「優莉」
「う、うん」
「あなたと親友で、本当によかった」
その声は、普段の無感情なトーンとは対極にある、慈愛と打算に満ち溢れた、どこまでも現金で重々しいものだった。
「……あんた、本当に自分の夢が絡むと現金な奴ね」
玲奈が呆れ果てたようにため息をつく。
「まあ、でも……あのサージョトレーディングの九条社長が全面バックアップしてくれるっていうなら、東都ドームのスケジュール問題も、運営の不安も、全部一発で解決ね。あの会社にできないことなんて、この世にないでしょうから」
玲奈も、圧倒的なサージョトレーディングの権力と規模の前には、もはや常識的なツッコミを入れることを諦めたようであった。あまりの力に恐れおののきつつも、それが自分たちの追い風になるのであれば頼もしいことこの上ない。
「よーし! じゃあ、もうやるしかないっしょ!」
由愛がマイクスタンドを力強く握りしめ、目をキラキラと輝かせて宣言した。
「うちらの顔出し解禁、東都ドームで五万人のお客さんを腰抜かさせてやるんだから! ドームライブ、絶対やってやるっしょ!」
「……うん! 私、頑張る!」
琴音もドラムスティックを握り直し、ついに覚悟を決めたように力強く頷いた。
常識外れのツテと、桁違いの資本力。しかし、最後にその巨大なステージを制圧するのは、彼女たち自身の音楽の力だ。
こうして、高校生覆面バンド『渋ガ』は、前代未聞となる「初のワンマンライブにして東都ドーム公演」、そして「全国ドームツアー」という、日本の音楽史に名を刻むであろう途方もない挑戦を正式に決定したのであった。
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