あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
『爆死。結局天井まで回した』
二月下旬のよく晴れた朝。優莉のタワーマンションの広々としたリビングには、冬の澄んだ朝日が差し込んでいた。ダイニングテーブルで温かいコーヒーを飲みながら、手元のタブレットでSNSのタイムラインを巡回していた優莉は、そんな悲喜こもごもの投稿を見つけて、思わず小さく口角を上げていた。
数日前、ついに『渋ガ』の東都ドームワンマンライブの開催と、それに伴うチケット抽選システムが正式に発表され、特設ECサイトがオープンしたところだ。
優莉が考案し、サージョトレーディングの圧倒的な技術力で構築されたそのシステムは、「五千円のオリジナルグッズ購入につき、一回の即時抽選が行われる」という、音楽業界の常識を覆す大胆なガチャシステムであった。
活動休止という三ヶ月間の「サイレント・マーケティング」によって極限まで高められていたファンの飢餓感は、このシステムの稼働と同時に大爆発を引き起こした。事前の優莉の予測通り、いや、それ以上に、世間の動きは桁違いに大きかった。
『3回目で当たった! 今年の運、全部使い果たしたかも!』
『マジかよ、一発ツモ! 渋ガの顔出し、この目に焼き付けてくる!』
タイムラインには、悲痛な叫びだけでなく、見事チケットを射止めた幸運なファンたちの歓喜の当選報告も相次いでいる。
優莉はSNSの画面から、ECサイト管理者用のダッシュボードへと表示を切り替えた。
画面の中央に鎮座する総売上カウンターは、まるでカジノのジャックポットを引き当てたスロットマシンのように、とてつもない勢いで数字が回転し、跳ね上がり続けている。五千円という単価が、秒単位で何十、何百と積み重なっていくその光景は、経営者にとってこれ以上ないほどのエクスタシーを呼び起こすものだった。
(完璧だ。事前の設計通り、いや、期待以上のコンバージョン率が出ている)
優莉は社長として、己の仕掛けたビジネスモデルの歴史的な大成功を確信し、密かな喜びに打ち震えていた。
だが、彼女の胸を満たしているのは、単なる経営者としての充足感だけではない。
タブレットの画面に映る東都ドームの巨大なステージの図面を見つめていると、五万人という途方もない数の観客が放つ熱気と歓声が、幻聴のように耳の奥に溢れだす。ボーカリストとして、あの伝説的なステージの中心に立ち、自分たちの音楽を直接叩きつけることができる。その途方もないプレッシャーと、それを遥かに凌駕する大きな期待感に、優莉の心臓は高鳴りを抑えきれずにいた。
再びSNSの画面に戻ると、情報の波はさらに加速していた。
『当たったあああ! 手が震えてる!』
『5,000円一瞬で溶けたww でも後悔はない!』
熱狂と興奮のテキストが、秒単位でとめどなくタイムラインから溢れ出している。
さらに検索ワードを絞り込んでいくと、優莉の狙い通りに「沼」へと足を踏み入れているコアなファンたちの様子も手に取るようにわかった。
『現在12連敗中。あと少しで確率の壁越えられるはず。さらに追加でグッズ買うわ』
『天井(救済措置)まであと二万! ここまで来たら引くに引けねえ!』
二十回ハズレを引けば必ずチケットが手に入るという「天井」の存在が、ファンに安心感を与えつつ、同時に「あと少し出せば確実に行ける」という強烈な後押し(あるいは沼への引きずり込み)として見事に機能している。
しかし、優莉がこのシステムにおいて最も重要視し、そして最も成功を実感していたのは、ハズレてしまったファンたちの反応だった。
『シリアル4番の未公開音源持ってる人いる? こっち6番の限定映像と交換してくれない?』
『チケットはダメだったけど、このMVの別アニメーション映像見れただけで5,000円の価値あるわ。マジで神』
『ハズレ特典の未公開音源30秒、これ絶対次の神曲でしょww フルで聴きたすぎてさらに回しそう』
タイムライン上では、限定のデジタルコンテンツやグッズの権利を手にしたファン同士での情報交換や交流が、自然発生的に、かつ非常に活発化していた。ハズレであっても、決して「お金を無駄にした」という徒労感を抱かせない。むしろ、ここでしか手に入らない希少なデジタル特典やアイテムの権利を得たという優越感が、ファンコミュニティの中に「ハズレも勝ち」という極めて前向きな空気感を醸成していた。
(これなら、ブランドイメージを毀損することなく、利益の最大化とドームへの熱狂を両立できる……。よし、仕込みは完全に成功したな)
優莉は満足げにタブレットの電源を落とし、冷めたコーヒーをぐいっと飲み干した。
「よしっ、いこっか」
誰にともなく短く呟き、優莉は立ち上がった。今日は、経営者でもなく、カリスマボーカリストでもない。ただの「高校三年生の佐藤優莉」として、果たすべき最後の大きなミッションが残っている。
暖房の効いた地下鉄の座席に揺られながら、優莉はコートのポケットの中でスマートフォンが小さく震えるのを感じた。
画面を開くと、いつもの五人のグループチャットに、立て続けに新着メッセージが届いていた。今日は、優莉にとって特別な日であることを、メンバー全員が知っているのだ。
『優莉ちゃん、頑張って!』
琴音からは、ハチマキを巻いた可愛らしいクマが両手でポンポンを振って応援しているスタンプが送られてきた。
『スグなら余裕っしょ! えいえいおー!』
由愛からは、なぜかパンチパーマのような螺髪(らほつ)の大仏が、満面の笑みで力強く拳を天に突き上げている、意味不明だが勢いだけはあるスタンプだ。
『いってらっしゃい。落ち着いてね』
玲奈からは、腕組みをした凛々しいトラが『君ならできる!』と毛筆で書かれた看板をドヤ顔で持っているスタンプ。
そして雫からは、メッセージのテキストはなく、タコなのか宇宙人なのかよくわからないニュルニュルした謎の深海生物が、触手を絡ませて頭の上に大きな「マル(O)」を作っている、極めてシュールなスタンプが送られてきていた。
「ふふっ……相変わらず、個性豊かな奴ら」
優莉はマスクの下で自然と微笑みをこぼし、素早くキーボードをフリックした。
『ありがとう。リラックスして、頑張ってくるよ』
そう返信を送信したタイミングで、乗っていた地下鉄が目的地のアナウンスを告げた。優莉はスマートフォンをしまい、電車を降りて、冷たい冬の風が吹き抜ける地上へと階段を上っていった。
向かった先は、文京区弥生に広がる広大なキャンパス。
日本の最高学府として君臨し、歴史と伝統を誇る『東都大学』である。正門前には、分厚いコートを着込んだ俊英たちが、まるで悲壮感すら漂わせるような張り詰めた空気の中で、足早に試験会場となる歴史的な建造物へと吸い込まれていく。
そう、今日は東都大学の二次試験の実施日であった。
優莉の本来の第一志望は、ビジネスと直結する人脈と知識を学ぶため、恵応大学の商学部から変更はない。すでにその試験は終え、自己採点では九十八パーセントというバグのような得点率を叩き出しており、合格は揺るぎない事実となっている。
にもかかわらず、優莉が今日、この日本で最も合格が難しいとされる『東都大学 理科三類』――いわゆる医学部医学科の受験会場に足を運んだのには、明確な理由があった。
それは、彼女が通う高校の進路指導の教師からの、半ば懇願に近い強い要請があったからだ。
『佐藤さん、恵応が本命なのは分かっている。だが、君の模試の成績なら東大理三にだってきっと受かる! 当校の合格者実績のために、どうか、受けるだけ受けてみてはくれないか!?』
私立高校にとって、東都大理三の合格者を出すことは、翌年の入学生増加に直結する莫大な宣伝効果、つまりはビジネス上の大きなメリットがある。元・総務部長である優莉は、その学校側の切実な事情と「大人の論理」を痛いほど理解していた。
思えば、優莉の高校への編入自体、九条社長の圧倒的な権力によって、強引にねじ込まれたものであった。そして編入後、学校側は優莉が水面下で行っている『会社経営』という異例の学外活動を頭ごなしに否定することなく、むしろ正当な実績として柔軟に認めてくれていた。
優莉は、その学校側の寛大な対応に対するせめてものお礼の気持ちと、義理を果たすための「業務」として、今日の受験を引き受けたのである。
重厚な石造りの校舎に入り、指定された大教室の自分の席を見つけて腰を下ろす。
周囲の席に座る受験生たちは、皆一様に血走った目をし、試験開始の直前まで一文字でも多く知識を詰め込もうと、ボロボロになった参考書や単語帳を必死にめくっている。彼らにとって、ここは人生のすべてを懸けた大一番なのだ。
その異様なまでの熱気とプレッシャーの渦の中で、優莉だけは一人、まるでカフェで休憩しているかのように静かに息を吐いた。
鞄を床に置く前、優莉はもう一度だけスマートフォンを取り出し、画面を開いた。そこには、先ほどメンバーたちから送られてきた、クマ、大仏、トラ、そして謎のタコの応援スタンプが並んでいる。
(私には、帰る場所がある。一緒に頂点を目指す仲間がいる)
その事実が、四十八歳の魂を持つ彼女の心に、高校生らしい確かな温もりを与えてくれていた。
「よしっ」
優莉はスマートフォンの電源を完全に落とし、鞄の奥底へと丁寧にしまった。机の上に、受験票と黒く削られた鉛筆、そして消しゴムだけを並べる。
数分後には、日本最高峰の頭脳を試す、極めて難解な理数科目の問題が配られるはずだ。
優莉は居住まいを正し、小さく息を吸い込んだ。
「いっちょ、頑張ってみますか」
誰に聞かせるでもなく、気合を入れ直すようにそう呟くと、彼女は静かに目を閉じ、試験官の入室を待つのであった。
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