あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「あ、受かってた」
三月も半ばを過ぎ、いよいよ東都ドームでのワンマンライブの足音がすぐそこまで迫ってきたある日の午後。優莉のタワーマンションに備え付けられた防音スタジオでは、今日も今日とて『渋ガ』のメンバー五人と、新米マネージャーである一花の計六人が集まり、ドームライブに向けた猛練習に打ち込んでいた。
スタジオ内は、最新鋭の機材から放たれる重低音の余韻と、メンバーたちの熱気でむせ返るような空気に包まれている。それは休憩時間になり、それぞれがタオルで汗を拭ったり、スポーツドリンクを飲んだりして一息ついている最中のことだった。
ドラムセットの横のソファに腰掛け、何気なくスマートフォンをいじっていた優莉が、まるで「今日の夕飯はカレーか」とでも言うような、極めて平坦で感情の起伏のない声で、突然そんなことを呟いたのである。
「ん? どうしたの、スグ?」
マイクスタンドにもたれかかっていた由愛が、ペットボトルの水を飲みながら不思議そうに首を傾げた。
「いや、これ」
優莉は立ち上がり、由愛たちの方へと歩み寄ると、手に持っていたスマートフォンの画面をすっと見せた。由愛、玲奈、琴音、そして隅のデスクで作業をしていた一花が、一斉に優莉のスマートフォンの画面を覗き込む。
そこに表示されていたのは、東都大学の合格発表特設ウェブサイトであった。そして、画面の中央には、優莉の受験番号とともに、太字で『東都大学 理科三類 合格』という文字が、これ以上ないほどはっきりと映し出されていた。
「……えっ? 合格!?」
由愛が目を丸くし、素直に驚きの声を上げた。
「う、うえっ!? マジでか!?」
一花に至っては、手元に持っていたスケジュール帳を床に取り落とし、文字通り腰を抜かしそうになって慄いている。
一花は今日、副社長に就任したばかりの超エリート・レインからの指示で、ライブ本番までのメンバーの分刻みのスケジュールや、衣装合わせ、リハーサルの香盤表を確定させるという重要かつ煩雑な作業を行っていた。その合間に突然飛び込んできた「東大理三合格」というビッグニュースは、一般の高校生である彼女の脳のキャパシティをあっさりと凌駕した。
「……はぁ。もう驚きもしないわ。一花、あんたも優莉のすることにいちいち驚いてたら、このバンドのマネージャーなんて身が持たないわよ」
玲奈はベースのネックを布で拭きながら、もはや完全に呆れ果てたような、しかしどこか誇らしげなため息をついた。
「まあ、優莉ちゃんだしね。受かってるんだろうなとは思ってたよ」
琴音も、ドラムスティックをくるくると回しながら、菩薩のような穏やかな笑みを浮かべて頷いている。雫に至っては、画面をチラリと見ただけで「ん」と一つ頷き、すぐに自分のギターのチューニングへと意識を戻してしまった。
東都大学理科三類。
それは、日本国内に存在するすべての大学入試において、文字通り頂点に君臨する最難関の学部である。定員は全国でわずか百人未満。その試験の難易度と合格の壁の高さは、司法試験や医師国家試験をストレートで突破するよりも遥かに難関だと言われているほどだ。
全国から集まる超一流の神童や天才たちが血で血を洗う争いを繰り広げ、全国模試の総合ランキングで最低でも上位五百番以内に入っていなければ、合格圏内にすら入らないとされる、まさに「バケモノたちの魔境」である。
ちなみに、中身が四十八歳の酸いも甘いも噛み分けた元・ビジネスマンであり、大人の情報処理能力と論理的思考力をもって受験勉強を完全にハックした優莉の、全国模試における最高順位は『三十六位』であった。理三の合格ラインなど、とっくの昔に余裕で突破していたのである。
「……それで、優莉はどっちに行くの?」
玲奈が、眼鏡の奥の理知的な瞳を優莉に向けて尋ねた。
「どっちって?」
その会話の意図がわからず、一花が素っ頓狂な声を出す。無理もない。一花には、東大理三に受かってそれを辞退する人がいるなど、想像の埒外であったからだ。
「そりゃ、恵応か東大かってことでしょ?」
由愛が、さも当然のことのように答える。
「いや、普通に恵応だから。前から本命だって言ったでしょ」
優莉はスマートフォンの画面を消し、全く迷いのない、そっけない口調で即答した。
「まあ、そうだよね」
琴音が優しく微笑む。
「だと思ったわ。あんたが医学の道に進む姿なんて、これっぽっちも想像できないもの。どうせビジネスと歌のことしか考えてないんでしょ」
玲奈が呆れたように肩をすくめた。
「うっし! じゃあ、大学も四月から一緒に通えるっしょ! キャンパスライフ、超楽しみ!」
由愛が嬉しそうに両手を挙げて飛び跳ねた。
そんなメンバーたちのあまりにも軽い、日常会話のようなやり取りを目の当たりにして、一花は完全に混乱の極みに達していた。
「え、えっ!? ちょっと待って! それでいいの、みんな!? 東大理三だよ!? 国内最高峰だよ!? お医者さんになれるんだよ!? 蹴る人なんているの!?」
一花が目を白黒させながら、優莉にすがりつくようにして叫んだ。一般常識からすれば、東都大学理科三類に合格して、そこを辞退して私立大学に進学する人間など、日本全国を探しても片手で数えるほどもいるだろうか。それは、手に入れたプラチナチケットを自らドブに捨てるような行為に他ならない。
(……まあ、みんなには絶対に言えないけど)
優莉は内心で冷や汗をかきながら、一花の純粋なパニックを前にして苦笑した。
彼女が東都大理三を蹴るのには、明確な理由がある。
そもそも、優莉の中身であるおっさんは、一度高校受験と大学受験を経験している大人の男だ。二回目という圧倒的なアドバンテージがあり、さらに出題傾向をビジネスライクに分析して突破しただけであり、純粋な地頭の良さで全国の天才たちと渡り合えるとは到底思えなかった。
もし仮に理三に入学したとしても、その後の超絶的な医学のカリキュラムや、周りの本物の天才たちのスピードについていける自信は全くない。それに、医学部の勉強と並行して、『渋ガ』のドームツアーや会社経営をこなすことなど、物理的に不可能である。バンド活動と企業運営に深刻な影響が出ることは火を見るより明らかだったのだ。
しかし、そんな自身の秘密をバカ正直に語るわけにはいかない。
「一花、よく考えてみて」
優莉は経営者としての顔を作り、人差し指を立てて自信たっぷりに語り始めた。
「私たちがこれからドームライブを成功させて、顔出しをして、本格的にメディアに出るようになった時のことを想像してほしい。その時、単に『現役の恵応生です』とか『東大生です』って言うよりも、『東大理三に受かったけど、それを蹴って恵応に入りました』って公言した方が、プロフィールとしてのインパクトが絶大だと思わない? 世間の注目度も跳ね上がるし、何より『そこまでして音楽とビジネスを優先したヤバい奴ら』というブランディングができる。マーケティング的にも、絶対にこっちの方が美味しいでしょ?」
「…………!」
優莉の完璧なプレゼンテーションに、一花は雷に打たれたように目を見開いた。
「な、なるほど……! そこまで計算して……。バンド活動に人生かけてるんだね! 佐藤さん、マジで尊敬します!」
一花は完全に勘違いをしたまま、両手を胸の前で組んで優莉をキラキラとした尊敬の眼差しで見つめた。
(よし、上手くごまかせたな)
優莉は心の中でガッツポーズをした。
何はともあれ、これで渋学からの「合格実績を作ってほしい」という頼み事――学外活動を容認してくれたことへの義理――は完璧に果たすことができた。優莉としては、肩の荷が下りて心底安堵していた。
「じゃあ、休憩終わり! 練習再開するよ」
優莉がパンッと手を叩き、スタジオの空気を一気に引き締める。
「ええ、わかったわ」
玲奈がベースを構え、アンプのスイッチを入れる。
「うん! いっちょやったるっしょ!」
由愛がマイクスタンドの前に立ち、喉を鳴らす。
「いくよ。ワン、ツー、スリー……」
琴音のハイハットのカウントに合わせて、スタジオ内に音楽が弾けた。
流れ出したのは、新曲『インビジブル・キズナ』。
雫が奏でる、まるで冬の朝の空気のように透明感のあるギターのアルペジオ。そこに玲奈のメロディアスなベースラインと、琴音のタイトで力強いドラムが重なり合っていく。そして、優莉と由愛の二人が、顔を見合わせながら美しくも切ないハーモニーを響かせるミディアム・ロックだ。
この曲は、ドームライブでの『顔出し解禁』を目前に控えた今だからこそ歌う意味がある、覆面バンドならではのメッセージを込めた楽曲だった。
「顔を出さなくても、紗幕越しで素顔を隠していても、私たちの音楽と、ファンのみんなとの絆は、確かな熱を持って繋がっていたよね」という、これまでの軌跡への感謝と、これから始まる新たなステージへの決意表明。
顔出し前に公開する最後の曲として、ストリーミングサービスで配信され、現在チャートを猛烈な勢いで駆け上がっている、渋ガの新たな看板曲の一つである。
優莉は歌いながら、スタジオにいるメンバーたちの顔を見渡した。
無表情ながらも魂を削るようにギターを弾く雫、冷静に全体のリズムをコントロールする玲奈、全身で音楽を楽しむようにドラムを叩く琴音、そして、隣で最高の笑顔を向けてくれる由愛。
この五人がいれば、東都ドームの五万人の観客だろうが、どんな逆境だろうが、絶対に乗り越えられる。優莉はそう確信していた。壁際では、新米マネージャーの一花が、その圧倒的な演奏と歌声に息を呑み、鳥肌を立てながら見入っている。
サージョトレーディングという世界最高のバックアップを得て、最強の布陣となった彼女たちを止めるものは、もはや何もない。こうして、様々な障害を乗り越え、来たるべき東都ドームでの伝説のライブへの準備は、着々と、そして熱を帯びながら進んでいくのだった。
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